パフスリーブのナイトドレスを着たスクデーリアは、獄寺の居間に独り座っていた。冷えたピーチソーダを飲みながら、獄寺はあとどのくらいで風呂から上がるだろうかと、先ほどからそればかりを考えている。
ボンゴレ・ファミリーの守護者として、贅沢なプライベートスペースを与えられている獄寺の居間は、少女が独りで恋人を待つには、あまりに広すぎた。
初めて入った獄寺の部屋は、煙草の匂いが染み込んだ、不思議なくらい落ち着ける部屋だ。獄寺がくつろぐためのこの場所が、スクデーリアにとってもくつろげる場所であることが、嬉しくもあり、くすぐったくもある。だが、だからこそ、余計に獄寺の不在が寂しい。
風呂の順番を譲ってくれた獄寺は、スクデーリアと入れ替わりに風呂に入って、もうだいぶ経つ。スクデーリアは当初の予想時間を過ぎても出てこない獄寺が気になって仕方なかった。
もしかしたら、泊まりに来たのは迷惑だったのかもしれない。つい後ろ向きになった気持ちが、そんなことを考え始めたときだった。
「悪かったな、リア。待たせちまっただろ」
銀髪から雫を滴らせて、獄寺が戻ってきた。急いで上がってきたのだろう。髪が濡れているばかりでなく、着ているパジャマさえもがだいぶ湿っている。
「獄寺さん、風邪ひいちゃうよ」
スクデーリアはソーダのグラスをテーブルに置くと、手近なタオルを取って獄寺へ差し出す。
「このくらいじゃ、風邪なんかひかねーって」
そう言いながらも、嬉しそうに獄寺はそれを受け取ると、髪を包んでぎゅっと絞った。
「そんなに急がなくてよかったのに」
「そーもいかねーだろ」
獄寺が居間に入ったときの、スクデーリアの安堵に包まれた嬉しそうな顔を見たら、獄寺が風呂から上がるのをどれほど寂しく待っていたのかなんて、訊くまでもない。
「オレの部屋、リアが興味持つようなものなんか、置いてねーもんな。待ってるあいだ、つまんなかったろ?」
だからと言って、一緒に風呂に入るわけにもいくまい。獄寺の風呂が長かったのは、独りで頭を冷やさなくては、理性を保つ自信がなかったからだ。一応は大人なのだ、いくら恋人が相手とて、そう簡単に分別を失うわけにはいかない。
「でも、いまは獄寺さんがいるから、つまらなくなんてないよ。落ち着く、とてもいいお部屋だと思う」
「そうか? ありがとな」
タオルを置いた獄寺は、スクデーリアの気遣いに微笑んで、隣に腰を下ろすと、その髪に指を絡めた。白いナイトドレスに、長い艶やかな黒髪は、ひときわ映える。
不意に廊下から、微かに「きゃー!」という歓声が聞こえた。あの高い子供の声は金糸雀だ。5歳の子供が起きている時間ではないと、スクデーリアは顔をしかめた。
「リア?」
獄寺が反射的に立ち上がったスクデーリアの腕を掴んで引き止めると、スクデーリアは申し訳なさそうに獄寺を振り返った。
「ごめんなさい、獄寺さん。わたし、カナをママのとこまで連れてかなきゃ」
「ヒバリがいるんだ。リアが行かなくても、平気だろ?」
「ううん。カナがあんな声出してこの辺りを走ってるってことは、ママも哲も、近くにいないと思う。こんな時間だもの、みなさんに迷惑よ」
「ヒバリたちがいねーんなら、山本やアホ牛がついてんだろ。いいよ」
「でも……ぅわっ」
なおも言い募ろうとしたスクデーリアは、次の瞬間、獄寺に引き寄せられていた。
引かれるままに獄寺に向かって倒れこんだスクデーリアを、軽々と膝に乗せた獄寺は、間近からじっとスクデーリアの顔を見つめる。いつものような優しい微笑を湛えた視線ではない。もっともっと、真剣で、静かだが熱い視線。気恥ずかしくなって困ったスクデーリアは、逃げるように身体を引いて顔を俯ける。
「あの………」
「……………」
「獄寺さん……」
どれだけ引いても、獄寺の腕がスクデーリアを支えるためにその腰を抱いていては、大して距離を取れはしない。獄寺の視線から、スクデーリアは逃れられない。
困り果てたスクデーリアの眉尻が下がり、今にも泣き出すかと見えた瞬間。
獄寺はスクデーリアの鼻の頭をぱくりと食んだ。
「ひゃぁっ」
「ぷ……はははははっ」
驚いて甲高い声を上げたスクデーリアを、獄寺は楽しそうに笑いながら、背を軽く叩いてあやす。
「ぅう…。獄寺さん、驚かすなんてひどい!」
「リアがあんまり困った顔するから、つい、な。怒んなよ」
「……怒ってないけど!」
「わかったって、悪かったよ」
「全然悪いと思ってないでしょ!?」
スクデーリアの可愛い抗議に、獄寺は笑いながら謝る。ちっともすまなそうに聞こえない謝罪に、スクデーリアは拗ねた顔で獄寺を睨んだ。
「ほんとに悪かったって。そんな可愛い顔するなよ」
「可愛くないです、怒ってるんです」
「わかってる。リアは怒ってても可愛い」
「そんなことないもん」
「あるよ。少なくとも、オレにとっては、リアが世界でいちばん」
スクデーリアが大好きな、優しく愛しむ微笑を浮かべた目で言われて、スクデーリアは言い返そうと思っていた言葉が言えなくなってしまった。
「獄寺さん、ずるい……」
「大人だからな」
よかった、機嫌が直って。と、スクデーリアをきゅっと抱きしめた獄寺は、その髪を指に絡めて、撫でるように梳いた。
何度も髪を梳き下ろしていると、繰り返されるその感触に、次第にスクデーリアの瞼がとろりと重くなってくる。
「…おやすみ、リア」
やがてそうつぶやいた獄寺は、穏やかな寝息を立てるスクデーリアを抱き上げて、寝室のドアに向かった。