バレンタイン・キッス R

 ボンゴレ本部のサロンで、スクデーリアは憂鬱だった。

 そんな様子もどこ吹く風、スクデーリアの手には、誰かのお手製のザッハ・トルテの皿がある。つやつやのチョコレート・コーティングがとても美味しそうだ。ソファの前のロー・テーブルには、湯気を立てているキャラメル・ラテのカップもある。

「どうした、リア。遠慮することはないぞ。好きなだけ食え」

 ザッハ・トルテを切り分けてくれた了平は、スクデーリアが食べるのを、期待でいっぱいの顔で待っている。スクデーリアとて、ザッハ・トルテは大好きだ。フォークを入れて、一口食べると、濃厚なチョコレートの味わいが口中に広がって、とても美味しかった。

「美味しい、了平さん!」

「そうか、それはよかった。まだあるから、極限まで食べていいぞ」

「ありがとう」

 食べるなり、ぱぁっと幸せそうな表情になったスクデーリアに、了平は嬉しそうに微笑み返す。憂鬱など一気に吹き飛んで、スクデーリアは二口目を頬張った。

「こんにちは、リアちゃん」

 隣にクロームがやってきて、了平から同じようにザッハ・トルテの皿を受け取る。クロームの食べる様子を見ていて、スクデーリアはこれがクロームのお手製ではなさそうだと気付いた。

「ねえ、クロームさん。このザッハ・トルテ、クロームさんが作ったんじゃないの?」

「そうよ。わたしは、今年はエクレアにしたの」

 あとで、リアちゃんにもあげるね。と、クロームは約束してくれる。お礼を言ったスクデーリアは、今度こそ憂鬱のタネに向かい合わざるを得なかった。

 今年のバレンタインに、スクデーリアは、チョコレートしか用意できなかったのだ。

 獄寺が甘いものを好まないことは、以前から知っていた。スクデーリアが贈れば、獄寺は喜んで受け取って、食べてくれることはわかっているけれど、好まないとわかっているのに贈ることは、スクデーリアには躊躇われることだった。けれど、代わりにと思ったお酒や煙草は、スクデーリアが子供ゆえに、売ってもらえなくて。

 そして、結局、贈り物はチョコレートになってしまったのだ。なにも用意しないよりはいいのかもしれないけれど、好きではないものを贈るのは気が進まない。

「おっ、リア、来てたのか」

 サロンに入って来た山本は、スクデーリアがザッハ・トルテを食べているのを見て、嬉しそうな表情を浮かべた。

「こんにちは、山本さん。ケーキ、いただいてます」

「おう。遠慮しないで、いくらでも食べてくれよ。オレ、リアが来ると思って、たくさん焼いたのな」

「えっ!? …けほっ」

 スクデーリアの向かいのソファにどかっと腰を降ろした山本の言葉を聞いて、スクデーリアは驚いてザッハ・トルテを喉に詰まらせた。

「おっと、水、水!」

「大丈夫、リアちゃん?」

「リア、水飲めっ」

 山本が急いでグラスに水を注ぎ、クロームと了平が左右から介抱してくれる。了平は山本の「言ってなかったのか?」という視線を受けて、ようやく自分の失態に気付いた。

「すまん。そういえば、誰が作ったのか、言ってなかったな。山本は、今月に入ってからずっと、練習と言って焼いていたから、リアももう知ってるものと思ってしまった」

「…ううん。わたしこそ、変に驚いてごめんなさい。山本さん、ご馳走様です。とても美味しい」

 水を飲んで落ち着いたスクデーリアは、グラスをロー・テーブルに置くと、山本にぺこりと頭を下げた。

「でも、どうして今年は山本さんもお菓子を焼いたの? 女の子からチョコレートっていうのが、日本式じゃないの?」

「まぁな。けど、今年は『逆チョコ』ってのがあるって聞いて、んじゃ、やってみっかって」

 つまり、これは感謝チョコで逆チョコなのだそうだ。

「『逆チョコ』?」

「男の子が、女の子にチョコを贈るんだって。女の子だって、チョコもらったら、嬉しいよね」

 クロームの説明に、スクデーリアはこくこくとうなずく。バレンタインでなくたって、美味しいチョコレートをもらったら嬉しい。それが、好きな人から、好きだからあげるって言われたら、もっともっと嬉しい。

「オレは、菓子作りなんて器用なことは、できんからな。ここで給仕役というわけだ」

「ああ、それでだったんですね。ご馳走様です、了平さん」

 キャラメル・ラテを運んできたのが、メイドではなく了平だった理由がわかって、スクデーリアは改めて礼を言った。

「あれ…? お花じゃないの?」

 首をひねったクロームに、了平は苦笑い混じりのため息をつく。

「最初はそのつもりだったんだがな。いくらオレからだと言っても、他の男から花をもらったら、いい気はせんだろう」

 了平の言葉の意味を少し考えたクロームは、ああ、とうなずいた。確かに、スクデーリアのこととなると大人の余裕も異次元の彼方へ吹き飛んでしまう男は、恋人が自分以外の男から花をもらったら、どんな反応をするか知れない。ならば、周囲が気を回すしか手がないだろう。

「? お花をいただいたら、わたしは嬉しいけど……」

 ひとり、話についていけないスクデーリアは、不思議そうに大人たちを見上げる。そこへ、まるで図ったかのようにサロンのドアが開き、獄寺が入ってきた。

「リア」

「あ、獄寺さん」

 獄寺の顔を見るなり、スクデーリアは、ぱっと罰の悪い表情を浮かべる。獄寺の苦手なチョコレートしか用意できていない後ろめたさが、一瞬のうちに蘇っていた。

 了平とクロームは、獄寺がここへ来た目的を察して、そっとソファから立ち上がり、山本を促してサロンを出て行く。

 残されたスクデーリアの居辛そうな表情に構わず、獄寺はソファに歩み寄ると、ピンクのリボンがかかった箱を差し出した。

「リア。バレンタインのプレゼントなんだ。受け取ってくれるか?」

「え…あ、ありがとう」

 自分から贈ることばかりを考えていたスクデーリアは、聞いたばかりの逆チョコの話も忘れて、獄寺からの贈り物に面食らう。

「開けてもいい?」

「もちろん」

 恐る恐るリボンを解いて箱を開けると、ピンクのクッション材の中に、とても精巧なチョコレート細工の薔薇がたくさん埋まっていた。

「わぁ…っ!」

 そう声を上げたきり、スクデーリアは食い入るように箱を見つめる。

 獄寺はそっと隣に腰を下ろすと、スクデーリアと自分の目の高さを合わせた。

「よかった、気に入ってもらえて」

「あの…、本当に嬉しい!! ありがとう、獄寺さん。すっごくすっごく嬉しい!!」

 スクデーリアは箱をテーブルに置くと、ぎゅっと獄寺の首に抱きつく。

「リアの喜ぶ顔が見れて、オレも嬉しいぜ」

 スクデーリアを抱きしめ返した獄寺の顔は、スクデーリアの他には綱吉しか見たことがない、極上の笑顔だった。

「……どうしよう。こんなに素敵なものをもらったのに、わたし、普通のものしか贈れない」

「うん? 普通って?」

 獄寺の首筋に顔を埋めたスクデーリアの力のないつぶやきに、獄寺はスクデーリアを振り返って問い返す。スクデーリアは獄寺から離れると、横においていたバッグから綺麗にラッピングされた箱を取り出した。

「チョコレート……」

 差し出されたそれを、獄寺は丁寧に受け取り、包装を解く。出てきたのは、ダークチョコレートのタブレットの箱だった。

「ありがとう、リア。すっげー嬉しい」

「うそ。そんなことない。普通のチョコだもの」

「うそなもんか。日本育ちの男は、バレンタインにはチョコもらうのが、いちばん嬉しいんだぜ」

「本当……?」

 確かめるように獄寺を見るスクデーリアに、獄寺は力強くうなずいた。

 そもそも、スクデーリアが「普通のチョコ」と言っているチョコレートは、国際コンクールで受賞したこともあるショコラティエのタブレット・チョコレートだ。普通と呼んだら、世界中のショコラティエに叱られても文句は言えない。それが普通ではないと、そのチョコレートを日常に食べているスクデーリアには、まだわからなくて当然のことなのだけれど。

「ありがとう、リア。好きな女からチョコもらって、こんな幸せなことってないぜ」

「獄寺さん、甘いもの苦手なのに…?」

「ああ」

 うなずいて、獄寺はスクデーリアにもらったチョコレートの箱を開ける。中から出てきたのは、薄くて横長のタブレット・チョコレート。それを1枚取ると、獄寺は自然な仕草でスクデーリアの口に運んだ。

 思わずスクデーリアが咥えたチョコレートを、獄寺の口が追いかける。

「!」

 驚くスクデーリアの目の前で、溶けかけたそれをぺろりと舐め取り、獄寺はにやりと笑う。

「酒や煙草じゃ、こうはいかねーからな」

「……っ!」

 驚きすぎて言葉が出ないスクデーリアは、真っ赤な顔で獄寺の肩をぺしぺしと叩くしか、抗議の手段がなかった。スクデーリアの反応のあまりの愛らしさに、獄寺はつい、「ははははっ」と声を上げて笑ってしまう。

「~~~!」

「っ、はは、わ…悪い、リア……ははははは…!」

「~~~~~~!!」

 真っ赤な顔のスクデーリアの反撃は、止むことなく続く。

「はははっ! は、腹痛ぇ……あははははは」

 獄寺の楽しげな笑い声は、しばらくの間、サロンに響き続けた。


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