MY WINGS 01

 自室で眠っていたスクデーリアは、城の遠くから響いてくる怒声と物音で目を覚ました。

 ただごとではない。

 反射的に察知したスクデーリアは、部屋の明かりをつけないまま、ベッドを降りて服を着替えた。大振りのポシェットに、財布とハンカチと銃、そして金の手鏡を手早く入れて、肩に斜めにかける。ふと気付いて、髪をひとつに束ねた。

「リア、起きてる!?」

 言葉と共に、雲雀が飛び込んできた。

 ドアの向こうは、いつも通りの城の光景。常夜灯が廊下を照らし、人の気配がない。だが、いつもなら絶対にない緊迫感が満ちている。ぴんと張った糸のように、空気が張りつめていた。

 雲雀は寝ぼけ眼の金糸雀カナリアと手を繋ぎ、もう片方の手で眠っている小ディーノを抱いている。ナイトガウンを羽織っただけの格好は、普段の雲雀なら、娘の前では決してしない。それだけでも、非常事態と知るには充分だった。

「いつでも動けるよ、ママ」

「よかった。それじゃ、いまから僕の言うことを絶対に守って」

 雲雀は潜めた声で、早口に喋る。普段からは想像できないその鋭さに、スクデーリアは思わず釣られて短く応えた。

「はい」

「リアはこれから、カナとちっちゃいディーノを連れて、ボンゴレ本部へ向かって。哲が送るけど、哲には途中で戻ってきてもらわなきゃいけなくなるかもしれない。そのときは、3人だけでボンゴレに向かうんだ」

「え…」

「この城はいま、敵対ファミリーの襲撃を受けてる。ボンゴレに救援を要請して。ボンゴレに着いたら、誰かが迎えに行くまで、リアたちは絶対に城に戻らないこと。それと、沢田綱吉の指示に従うように」

 「できるね?」と訊かれたが、スクデーリアは頷かなかった。自分たちだけが避難することに頷いたら、もう戻ってこられない気がした。

「ママは? パパとママは、どうするの? ロマーリオは?」

「僕たちはここで城を守る。馬はキャバッローネのボスだし、僕はその妻だからね。ロマーリオも一緒に残る。キャバッローネは敵に後ろは見せない」

「じゃあ、わたしも一緒に頑張りたい」

「わかってる。だから、リアはカナとちっちゃいディーノを守るのが役目。リアはお姉ちゃんだから、できるでしょ?」

「ここで一緒はダメ?」

「リアは大丈夫でも、カナとちっちゃいディーノは大丈夫じゃないよ。だから、リアに2人を守って、ボンゴレまで連れて行って欲しいんだ。…リアは、ウチの総領だからね。リアに頼んだら、僕らも安心できる」

 いつになく食い下がるスクデーリアに、雲雀はスクデーリアの恐怖の度合いを知る。襲撃されている恐怖、家を失うかもしれない恐怖、なにより、両親を失うかもしれない恐怖も。スクデーリアが聡い分だけ、可能性に思い当たり、恐怖している。

 雲雀は娘をここまで怯えさせる自身の不甲斐なさに、一瞬、泣いてしまいそうになった。だが、ここで泣いていることはできない。震える声を押し隠して、スクデーリアを頼りにしているのだと娘に言い聞かせる。

「僕は、リアなら、カナとちっちゃいディーノを無事にボンゴレまで連れて行けると思うんだけど、どうだい? できそうにないかい?」

「……やる」

 雲雀の最後の確認に、スクデーリアは観念して応えた。雲雀は安堵の微笑を浮かべて、抱いていた小ディーノをスクデーリアに託す。

「頼んだよ、リア」

「はい、ママ」

 頷いたスクデーリアに頷き返し、雲雀は金糸雀の手を引いて、「こっち」とスクデーリアを誘導して部屋を出た。

 小走りに進んだ先には、緊急脱出用の隠し通路が口を開けていて、横に草壁が待ち構えていた。

「状況は?」

「……ここはまだ大丈夫です」

 雲雀の思いがけない姿に一瞬息を飲んだ草壁は、しかし、気を取り直して表情を引き締める。

「リアには話してある。行けるところまで連れて行って。あとはわかってるね?」

「はい。お任せください」

 草壁がうなずくのを確認した雲雀は、引いてきた金糸雀の手をスクデーリアに託す。

「それじゃ、リア。後は頼んだよ」

「わかった、ママ。…ボンゴレで待ってる」

 ぎゅっと涙を堪えたスクデーリアを、雲雀は堪りかねて、金糸雀と小ディーノごと抱き締める。

「きっと、迎えに行くよ」

「うん、ママ」

 片手に小ディーノを抱き、もう片手で金糸雀の手を握るスクデーリアは、雲雀を抱き返すことはできなかったけれど、頬を摺り寄せて目を閉じ、母親の匂いを吸い込んだ。

 ここに残る母の分まで、妹弟を守り抜くのだ。

 スクデーリアは瞑っていた目を開き、自分から身を離す。

「いってきます」

「ああ。気をつけて」

 言おうと思えば、互いを案じる言葉は尽きない。雲雀は身を切られる思いでスクデーリアを送り出す。

 振り切るようにくるりと背を向けて通路へ足を踏み出すスクデーリアの後を、一礼した草壁が追っていく。その姿が通路の闇に消えるまで、雲雀は微動だにせず見送った。




 カツカツカツカツ。静かな通路に、2人分の足音が響く。小ディーノを抱いたスクデーリアは、歩きながら、金糸雀を抱いた草壁を振り返った。

「この通路は、どこに出てるの?」

「街外れの小屋につながっていると聞いています。そこから街道を目指せば、ボンゴレの本部までは1本道です」

 抱き上げるには大きくなってしまった金糸雀を、しかし草壁は易々と抱き上げてついてきている。眠たくてぐずる金糸雀の様子から考えて、小ディーノを抱いた自分では金糸雀を持て余してしまったに違いないと、スクデーリアは草壁がついて来てくれていることに重ねて感謝した。

「…ねえ」

「はい」

「ママたち、大丈夫だよね?」

「はい」

 聞くことさえ恐ろしい不安を口にしたのに、草壁はあっさりと返事をした。直感的に「嘘だ」と感じたスクデーリアは、きゅっと目つきを引き締める。

「恭さんが、お嬢さんたちを置いてどうにかなるなど、ありえません」

「どうして言い切れるの?」

 草壁が安易な慰めを言っているようにしか感じられず、スクデーリアは責めるように聞き返した。草壁は少しの間言葉を捜すと、淡々と答えた。

「恭さんは、並中をそれは大事に思っていました」

「知ってる」

「並中を傷つけた者がいれば、圧倒的な強さで償わせていました」

「知ってる」

「恭さんは、その並中とは比べ物にならないほど、お嬢さんたちを大事にしています」

「…っ!」

 わかりやすい例えを出され、スクデーリアは息を飲んで、叫びだしたいのをぎりぎりで堪えた。

 そこまで思ってくれている母を、危険とわかっている城に置き去りにしてきたのだ、自分は。他でもない、自分が。

 だが、母を…雲雀を思えば、いまスクデーリアがしなくてはならないことは、共に残ることではなく、弟妹を無事ボンゴレへ連れて行くこと。特に、父ディーノの後を継ぐ弟は、なにを措いても守りきらねばならなかった。



 できるだけ音を立てないように気をつけながら、草壁が木戸を外した。それでも、がたんと音がしてしまい、スクデーリアはびくりと首をすくめる。

 しばらく待っても、物音ひとつしないことを確かめて、草壁は外に出た。周囲に人の気配がしないと確信できてから、スクデーリアに出てきていいと合図する。

「こちらです」

 潜めた声に導かれるまま、スクデーリアは歩を進める。深夜の静まり返った街は、普段知っている賑やかさがないと、違う場所のように恐ろしかった。

「伏せて!」

 叫び声と同時に、スクデーリアは抱えた小ディーノを包むようにしゃがむ。すぐ横に、バシッ! と音を立てて、弾着があった。スクデーリアが体勢を直す前に、草壁が物陰にスクデーリアを引きずり込み、膝をついた。

「なに!?」

「待ち伏せされていました。このまま、まっすぐ行ってください」

 言いながら、草壁は金糸雀カナリアを降ろして、スクデーリアに引き渡す。金糸雀は急な衝撃に驚いて、目を覚ましていた。

「あれ? おねーちゃん? ママは?」

「ママはお仕事。おねーちゃんとカナはママのお手伝いよ。ドン・ボンゴレに会いに行くの」

 金糸雀の問いに手短に答えたスクデーリアの横で、草壁は空いた手で上着を探って銃を取り出す。スクデーリアは最悪の予感がして、つい声を尖らせた。

「哲?」

 その予感は、決して的外れではない。だが、それを払拭してやれるほどの大嘘をつくことは、草壁には難しかった。

「私はここで時間を稼ぎます。このまままっすぐ行けば、ボンゴレ本部です。振り返らずに走ってください」

 こうしている間にも、バラバラと石畳を走る足音が近づいてくる。スクデーリアは迷いながら息を吸い込み、意を決してうなずいた。

「わかった。ボンゴレに着いたら、すぐに助けに来るね」

「いえ、助けは不要です。それよりも、本隊の襲撃を受けている城の方が危ない。すぐにキャバッローネに救援を」

「でも、それじゃ哲は」

「私は大丈夫です。自分ひとりくらい、どうにでもできます」

「………わかった。わたしのことは心配いらないから、ママを助けてね」

「承知しました」

 草壁の答と同時に、スクデーリアは金糸雀の手を引っ張って走り出す。背後で、草壁が逆方向に走り出た気配がした。

「おねーちゃん?」

「いいから、頑張って走って!」

 スクデーリアに叱咤され、訳がわからずに一緒に走る金糸雀は、別行動になってしまった草壁を振り返る。

「カナ! 大丈夫だから、いまは走って。追いかけてくるおじさんに捕まったら、カナ、殺されちゃうのよ!!」

 金糸雀を急かすスクデーリアの声は、悲鳴と言っていいほど追い詰められていた。5歳の幼女の足は、それでなくとも、大人なら易々追いつける程度だというのに、草壁を気にしてさらに進みが遅いとあっては、無理もないことだった。

 それまで状況を理解していなかった金糸雀は、「追いつかれたら殺される」と言われて、初めて自分の状況を認識した。必死に走り始めた金糸雀の様子に、スクデーリアはほっとして、あらためて道の先へ目をやる。

 草壁は、街道へ出ればボンゴレまですぐだと言っていた。街道へは、あとどのくらい? ドン・ボンゴレはいるだろうか? 先が見えないことは、たまらなく恐ろしい。それでも、いまはボンゴレだけを頼りに、ただ走るしかない。

「あっ!」

 石畳に足を取られ、びたん!! と金糸雀が転ぶ。

「カナ、大丈夫!? 起きられるよね?」

 小ディーノを抱いているスクデーリアは、金糸雀に手を貸してやることができない。立ち止まり、金糸雀のところまで戻ると、しゃがんで金糸雀に目線を合わせる。金糸雀は、ぎゅっと口を引き結んで、むくりと起き上がった。

「頑張ったね、カナ。もうちょっとだから、行こう」

「残念だが、鬼ごっこはもう終わりだぜ、お嬢ちゃん」

 泣かずに立ち上がった金糸雀を褒め、ふたたび走り出そうとしたスクデーリアに、低い声が水を差した。


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