ばっと振り返ると、男が2人、銃を構えて追いついていた。しまったと思ったが、もう遅い。スクデーリアはゆっくりと小ディーノを降ろすと、金糸雀に抱かせた。
「カナ、走りなさい」
先ほどまであんなに恐ろしかった状況のはずなのに、スクデーリアの思考は、一瞬でとても落ち着いていた。
こうなったとき、どうすればいいかは、わかっている。わかっていれば、恐ろしいことはなにもなかった。
「おねーちゃん?」
「おねーちゃんは、ここで闘う。カナは、ちっちゃいディーノを連れて、先に行きなさい。ドン・ボンゴレに会うのよ」
小ディーノを抱かせるには、金糸雀の手つきはまだまだ危なっかしい。だが、いまスクデーリアがここに残るのなら、代わりに小ディーノを守れるのは、金糸雀しかいない。
「カナは、ちっちゃいディーノのおねーちゃんだから、できるよね?」
スクデーリアに言われて、金糸雀は金糸雀なりに真剣にうなずくと、小ディーノを抱き締めて走り出した。
「行かせるか!」
「追わせない!」
言うなり、走り抜けようとした男に向かって、スクデーリアはポシェットから取り出した銃を撃つ。
狙いは外れて、弾は男の肩口をチッとかすめる。だが、足止めには充分だった。
「てめー、ガキだと思って手加減してりゃ…!」
金糸雀を追おうとした男が、もう一人の男とスクデーリアを挟むようにして立ち、銃を構える。
「さっさとてめーを撃ち殺して、あっちのガキどもも追わなくちゃな」
スクデーリアは、どちらを先に撃つべきか判断がつけられず、迷いながらとにかく撃鉄を起こした。
たぶん、彼らが引き鉄を引けば、自分は確実に撃ち殺される。ならば、せめていま自分にできるのは、追手をひとりでも減らすことだ。どちらなら、確実に撃てるだろう?
人を撃つのは恐ろしいことだと思ってきたスクデーリアだったが、妹たちを守るためなら、自分の手が血に汚れるくらいどうということでもないのだと、いまこのとき、理解した。
そして、妹たちのためなら、人の命など、いくらでも引き換えにできるのだと。
迷いはない。まっすぐに腕を上げ、銃口を傷を追わせたほうの男に向け、狙いを定める。
パァン!!
深夜の街に、乾いた銃声が響いた。
ドン!! ドン!! ドン!! ドン!!
ドアの内側に重たい家具をいくつも置いて築いたバリケードを、木槌が激しく打つ音が響く。部下が何人もで支えている向こうから、扉材の割れる音がミシリミシリと聞こえてくる。
「もう持たない……あなた、どうするの」
トンファーについた汚れを手近なテーブルクロスで適当に拭い、雲雀はディーノを振り返る。ディーノは汗で滑る鞭の柄を拭いながら毅然と答える。
「当然、徹底抗戦だ。…次の防衛線まで下がるぞ。リアが呼びに行った援軍が来るまで、なにがあっても持ちこたえるんだ」
「了解、ボス!」
ディーノの命令に、バリケードを支える部下たちは疲れを微塵も感じさせない声で応える。押され気味の戦況の中で、彼らの士気が低下していないことは、確実にプラス要素になっていた。
まだだ。ボンゴレの救援がまだ来ないということは、スクデーリアたちがまだボンゴレに着いていないということだ。子供たちの安全が確認できていないうちは、まだ反撃に出られない。子供たちが無事に守られるまでは、こちらに敵を引きつけていなくては。
正面玄関ホールに築いたバリケードを第一次防衛線とするなら、3階のラウンジに築いたこの防衛線は第三次防衛線になる。弾薬の確保をしながらの後退で、部下の数はかなり減っていた。非常召集をかけようにも、いま城にいない部下は、仕事ですぐに戻っては来られないような場所に出張している者ばかりだ。ボンゴレの救援以外に、状況打開どころか、戦力補充の手段さえない。先が見えない…いや、むしろ命運は見えた戦況に、もっとモチベーションが低下していてもおかしくない状況だった。
きっと、ディーノと一緒に雲雀が戦っていることが、彼らの心理に少なからぬ影響を及ぼしている。雲雀を子供たちと一緒に避難させなかったことは、ディーノとしても苦渋の選択だったが、ここに来て小さくない功を奏していた。
ディーノは手際よくベレッタに弾を込めなおし、ベルトの背中側に挟むと、ロマーリオが先行して築いた次のバリケードまでの道順を確認する。
雲雀は、ぐいとネクタイを引っ張って、襟元を少し緩めた。スーツに着替えるだけの時間は、まだ戦況にゆとりのあるうちに、キャバッローネの部下たちが確保してくれた。おかげで、動きづらいナイトガウンではなく、馴染んだ戦闘服で思う存分にトンファーを振るっている。
「じゃ、行くぞお前ら! 南棟の談話室だ」
「了解!」
ディーノの号令と共に、殿を残して移動を始める。無事に全員が次の防衛線まで移動できる保証はない。だが、防御力がもう残っていないこのバリケードは捨てるしかない。
数人の部下が窓に近寄り、カーテンの隙間からサブマシンガンで外を掃射する。
「OKだ、ボス」
合図と共に、ディーノと雲雀は他の部下と共に、南棟方面へバルコニーを伝って移動しはじめる。バルコニーが回廊のようにつながっていればよかったが、生憎と、一部屋づつ独立した造りになっているため、隣へは飛び移らなければならない。ジャンプしている間、サブマシンガンを持った部下が、庭からの狙撃を警戒して護ってくれた。
窓の庇と雨樋を伝って南棟への渡り廊下に下りたとき、後方から爆音が聞こえてきた。殿の部下たちがバリケードごと爆破されたのだと、確かめるまでもなくわかった。
「…くそっ!!」
吐き捨てるように叫んだディーノの声が、泣いているようにも聞こえる。だが、いまは立ち止まっていられる状況ではない。雲雀はそっとディーノの肩に手を置くと、先へと促した。
うなずいたディーノは、南棟のドアの前に立つ。部下が罠を警戒しながらドアを開け、うなずくのを確認してから、雲雀がまず中へと足を踏み入れた。
パス!
ほぼ同時に、くぐもった発射音がして、雲雀は思い切り突き飛ばされた。
消音器付きの銃声か!
何の音かはすぐにわかったものの、突き飛ばされて体勢の崩れているいまは、なにもできない。
「ボス!」
部下の叫び声と共に、銃声がいくつも重なる。雲雀が顔を上げると、銃を構えた部下の壁に守られたディーノが左肩を押さえているのが目に入った。指の間からは、鮮血が流れ落ちていく。
「あなた!!」
「恭弥、無事か?」
応えが返り、ディーノの無事がわかると、雲雀はトンファーを構えて奥へと飛び込んだ。
鈍い打撃音とうめき声が続き、1人、また1人と、影が倒れ出てくる。その数が当初こちらを狙っていた銃口の数と同じことを確認して、ディーノはぷっと吹き出した。
「ははっ、さすが恭弥」
痛快そうに笑うディーノに近寄ると、ディーノは肩を押さえていた手を、雲雀の無事を確かめるように差し伸べる。雲雀はうなずくと、自分のネクタイをしゅるりと引き抜いた。
「ボスがこんな怪我してちゃ、部下の士気に関わる。もっと、自分の無事を優先して」
「なに言ってんだ。恭弥が怪我するほうが士気に関わるぜ。……恭弥が無事でよかった」
「心配して損した。まだ余裕あるんじゃない」
腹いせ半分に、ディーノの肩にネクタイを巻きつけ、ぎゅっと締め上げる。「いでっ!」とディーノは悲鳴を上げたが、固く縛らなくては止血にならない。
「ボス、こっちだ!!」
ロマーリオの声に誘導されて、雲雀はディーノたちと共に談話室に雪崩れ込んだ。すかさず、ドアの前に家具の山が築かれ、談話室への道が封じられる。
「すまねー、ボス。バリケード造りに来た時に追っかけてきた部隊の生き残りがいたみてーだ」
「かまわねーよ。恭弥は無事だし、オレもこの程度で済んだしな」
「ああ、そうだ。傷診るぜ」
「ん、頼む」
ロマーリオが救急箱を取り出す間に、雲雀はディーノを椅子に座らせると、服を裂いて傷口を露出させる。
弾丸が開けた穴と、そこから流れる血液にそっと指を触れ、雲雀は淡々とつぶやいた。
「弾、貫通してないね」
「仕方ねー。あとでシャマルに来てもらうしかねーな」
ロマーリオが横から手を伸ばし、2人の邪魔をしないように、だがてきぱきとディーノの傷を手当てし始める。雲雀はディーノの裸の胸に手を当てたまま、変わらない口調で続ける。
「リアたち、もうボンゴレに着いたかな」
「なにもなかったらな。…オレらの娘だ、大丈夫だろ」
「やっぱり、子供たちだけで行かせるんじゃなかった」
「草壁がついてったじゃねーか」
この状況下でもスクデーリアたちの身を案じることを止められない雲雀の見えない涙に気付いて、ディーノは肩の傷に触れていない方の雲雀の手を取り、その手のひらや指に啄ばむキスを降らせる。
「確かに、哲なら命がけでリアたちを守ってくれるけど」
「いまからでも、リアたちと合流するか?」
「しないよ。僕はここであなたと一緒に、リアたちがボンゴレに着くまで時間を稼ぐんだから」
「だいたい、ここにいなきゃ、寝込みに不意打ちするようなヤツらを咬み殺すこともできない」と声を尖らせる雲雀の様子に、ディーノはいつも通りの恭弥だと、ほっと息を吐いた。
その時を、狙い澄ましたかのようだった。
ドォン!!
大きな爆音が母屋から響いてきた。一発や二発ではない。何発も連続する爆撃の音は、キャバッローネの城を満たしていた様々な戦闘音をかき消して、城中を支配する。
今度はなんだ? と目を眇めた雲雀は、反射的にトンファーを構えると、怪我をしたディーノを庇うようにドアの方を向いた。ディーノも、横のテーブルに置いていた銃を再び構える。
「ボンゴレからの応援か?」
「さて、どうだかな。敵の新手かもしれねー」
ロマーリオの言葉に、そうであって欲しいと願いながらも、ディーノは否定的な答を返した。ここで不用意に気を緩めるわけにはいかない。
状況が読めず、この場の全員が固唾を飲んでバリケードの向こうに銃口を定める。
そんな中、渡り廊下から飛び込んできた人影は、ディーノと雲雀に向かって叫んだ。
「パパ! ママ! 助けに来たよ!!」
それは、銃を手に、スクアーロを従えたスクデーリアだった。
「……リア、ずいぶんすげー援軍連れてきたなぁ」
唖然とするディーノのつぶやきに、不機嫌さを全面に浮かべた雲雀もうなずく。
「まさか、あのうるさい鮫を連れてくるなんてね」
「うるさい? スクアーロが?」
スクアーロは、饒舌なタイプではない。どちらかと言えば、しゃべり続ける性格なのはヴァリアーではルッスーリアのほうではなかろうかと、ディーノは疑問に思った。
が。
「声がね」
雲雀の短い答で、ディーノはあっさりと納得する。
スクアーロの手加減なしの大音声は、雲雀が好む静寂とは対極にある。そういうことかとディーノは苦笑いするしかなかった。
「パパ、ママ、大丈夫?」
入り口を守るスクアーロに促されて、スクデーリアが駆け寄ってくる。
雲雀とディーノはスクデーリアの問いかけにうなずくと、順番に抱き締めた。
「リア、戻ってきちゃダメだって言ったのに」
「ごめんなさい、ママ」
「よくスクアーロなんて連れてこれたな。いったいなにがあったんだ?」
「追手に撃たれるところを、スクアーロさんが助けてくれたの。わたしがパパの娘だったから」
ディーノの問いに、スクデーリアはスクアーロに出会った状況を語り始めた。