それは、休日練習のお昼休みのときだった。
カターン！
和気藹々と昼食を取るレギュラーで満員だった部室に、突如、乾いた落下音が響いた。
即座に、部室で弁当を食べていた部員たちの目が、その音の方に注がれる。
見れば、午前中ずっと、妙に調子の振るわなかった菊丸が、持っていた箸を取り落とし、
片手で胃の辺りを、もう片手で口元を押さえて青ざめていた。
「英二！？」
「英二先輩！？」
こんなときにとっさに駆け寄って声をかけることのできる大石・桃城が、やはり立ち上がって心配そうに菊丸に声をかけた。
手塚が部室の外で弁当を食べていた１年生に、保健室への先触れを命じる。
他のレギュラーたちも、箸を動かす手を止め、咀嚼の動きを止めて、菊丸を心配そうに見つめる。
「英二、どうした？ 大丈夫か？」
大石が心配そうに肩に手をかけると、菊丸は力なく頭を振っておもむろに立ち上がると、小走りに部室を出て行った。
「英二！」
その後を大石が追って出て行く。他のレギュラーたちは追うに追えない雰囲気に、部室に取り残され、開け放されたままになったドアを眺めた。
「英二先輩、大丈夫っすかね…？」
深刻げな桃城の呟きに、重くなった部室の雰囲気を振り払おうと、河村はあえてなんでもなさそうに答えた。
「大丈夫だろ、大石もついてったし。たぶん、ちょっとした夏バ…」
「〝つわり〟かもしれないな」
そんな河村のセリフは、乾の重々しい声に押しつぶされた。
ぶっと勢いよく越前が飲んでいた牛乳を吹き出し、席に戻ろうとしていた手塚が手を滑らせて椅子を倒す。
海堂がちょうどすすっていた最中の蕎麦を丸呑みしてしまい、苦しげにむせた。
「……。乾、英二は男だよ？」
乾の爆弾発言に普通に問い返す不二に、数名が心中で『普通に返すな、普通に』とつっこむ。
「じゃあ、『想像妊娠』っていうヤツかもしれない」
「フツーのでも想像でも、『妊娠』自体、できないんじゃないの…？」
すると、その不二の言葉に桃城が叫ぶ。
「じゃあ、英二先輩って女だったんすか！？」
「そんなはずないだろ、桃。合宿のとき、一緒に風呂入ってたじゃないか」
呆れ口調になった河村に、桃城は「あ、そうっすね」と頭を掻いた。
ふと、不二が余計なことを思い出す。
「そういえば、英二、たまに左の薬指に指輪してるよね」
「じゃあ、やっぱり、結婚してるってことっすか？」
「じゃ、『おめでた』で合ってるんじゃないか」
「……なあ、みんな、いい加減『妊娠』から離れようよ……」
年頃の男子中学生らしく、河村は連発される『妊娠』という単語に恥ずかしくなってきたらしい。
しかし、そんな彼の、この上なく常識的かつ善良な発言は、ボルテージ急上昇で激論する誰の耳にも届くことはなかった。
「ていうか、そもそも、相手は誰なんだい？」
そこへ、不二は事態を更にややこしくするような問題を提起する。
「誰の、って……」
「そりゃ、真っ先に後を追いかけてった人の、でしょ」
言いよどむ乾に、牛乳を吹き出すほどの衝撃から立ち直った越前が指摘した。
「ああ…」
「普段から仲良かったのは、そういうワケか」
「げほっ」
越前の発言を受けて、納得をする面々の横で、倒してしまった椅子を直して麦茶に口をつけようとしていた手塚が激しくむせた。
「あれ、手塚、大丈夫？」
「もしかして、今の話に動揺したの？」
「……てことは、菊丸先輩のお腹の子って、もしかして部長の……」
好き勝手に揣摩臆測をして遊ぶレギュラーたちに、とうとう手塚の忍耐の尾が切れる。
「全員、グラウンド２０周して来い！！」
部室が倒壊するかもしれないほどの大音声に、レギュラーたちは一目散にグラウンドへと走り出していった。
特筆すべきは、その会話に加わっていなかった海堂までもが巻き添えで走らされたという不憫な事実だろうか。
十数分後、軽い熱射病と診断された菊丸を保健室に預けて戻ってきた大石が目にしたものは、部室で拗ねたように昼食の続きを始めていた手塚と、弁当を食いはぐれてランニングしているレギュラーの姿だった。
