菊丸君の新家族

「うっわー!! ちょ、可愛いよ、これ! 欲しいかも!!」

 夕食後、居間でテレビを見ていた菊丸が、突如叫びだした。そのあまりの剣幕に、台所で後片付けの皿洗いをしていた大石と手塚は、顔を見合わせて居間に足を向ける。

「どうした、英二?」

 大石が声をかけると、菊丸は目をキラキラさせて振り向いた。

「見て見て、大石!! すっごい可愛くない!? 俺、こういうコ欲しい!!」

 見れば、テレビのペット番組で、生まれたての赤ちゃん特集を放送しているところだった。足元も覚束ない仔犬や仔猫が、所狭しとひしめき合って映っている。

「………確かに、可愛いな…」

 なんだ、ペットか……と脱力する大石の横で、手塚がぽつりとつぶやく。画面をじっと凝視している様子からすると、相当ツボっているらしい。

「なぁなぁ、飼っちゃダメ? ちゃんと世話するから!」

「世話するって、簡単に言うけど、そんなに楽なことじゃないぞ。勉強も部活も、ましてや家事もあるのに、動物の世話なんて、片手間でできるはずはないんだからな」

 水槽の手入れでその大変さを実感している大石は、深く考えているとも思えない菊丸をたしなめる。

「それに、飼うとなったら、かなり費用がかかる。犬でも猫でも、買うのに20万くらい要るし、その他に必要なものを買い揃えて、おまけにエサ代や獣医の費用も継続的にかかる。仕事をしていて収入があるならいいけど、俺たちはそうじゃないからな。いくら手塚がやりくりしたって、そんな金のかかることは無理だ」

 そう、現実は決して甘くないのである。毎朝の散歩くらい、ロードワークと一緒に出ればいいじゃん、とか思っていた菊丸は、諸経費の話に反論できなくなった。

「…それって、俺の小遣い削ったら、なんとかなる?」

「ならないな」

 試しに訊けば、手塚にも即答されて、菊丸は撃沈する。

「あう~~~~~、やっぱダメかぁ~~~~~~。可愛いのににゃ~…」

「可愛いから、余計だな。俺たちが学校に行ってしまえば、つきっきりで面倒を見ることも、躾ることもできない。世話をしてやれなければ、哀れなだけだ」

 容赦のない手塚の言葉に、菊丸は未練たっぷりにテレビ画面を見ながら押し黙ってしまった。




 だが、菊丸は微妙に判っていなかった。菊丸のおねだりは、実は、大石にも手塚にも、恐ろしいほどの効力を持っているのである。

 学校帰りにペットショップのガラスケースを覗いたり、テレビの動物番組に目を輝かせたりする菊丸の姿は、静かに、だが着実に、大石と手塚に影響を及ぼしていたのであった。




 明日から春休みに入る、3月のある日。

 実家に寄った大石は、30センチほどのフタ付きのバスケットを抱えて帰宅した。

 最寄のバス停で降車すると、向こうから手塚が歩いてくるのが目に入った。足を止めて、手塚が近くに来るのを待ち、手を振って合図する。これまた、一抱えもあるバスケットを抱えた手塚は、大石を見止めて微笑むと、物問いたげに大石のバスケットに目をやった。

「これか? これは、英二にと思って……」

「……ちょっと待て。おまえもなのか?」

 大石が手元のバスケットに目を落として答えると、手塚は眉根を寄せた。反射的に顔を見合わせ、一拍の後にそろって吹き出す。

「ほんとに、俺たちって英二に甘いよな」

「だが、菊丸に逆らえる者もそうはいないぞ」

 あまりの偶然に、けらけらと笑いながら、自宅まで並んで歩く。なにを選んだかまでは判らなくとも、なにを抱えているのかは、お互いに判っていた。

「俺は父さんにねだったんだ。おまえは?」

「俺はお爺さまに頼んだ。おかげで、どれにするかはお爺さまが決めることになってしまったんだが」

「一気に家族が増えるな、今晩から大変だぞ」

「まったくだ」

 ダブルブッキングして、それでもどちらかを手放すことは選ばない。懐が深いといえば聞こえはいいが、単に恐いもの知らずなだけかもしれなかった。



 大石が連れてきたのは、ビーズ細工を首に巻いた、ミステリアスでセクシーなシャムの仔猫。

 手塚が連れてきたのは、大きなリボンを首に巻いた、ぬいぐるみのように愛くるしいセント・バーナードの仔犬。

 迎えに出るなりバスケットで眠っているそのコたちを渡されて、菊丸が狂喜したのは言うまでもないことだが……



「なぁなぁ。名前、なにがいいと思う?」

 夕食の席で、身を乗り出して訊く菊丸に、大石は優しく微笑んで言った。

「なんでも、英二がいいと思う名前を付けたらいいよ」

「え、俺がつけていいの?」

「あたりまえだ。あれは、菊丸にと思って連れてきたんだからな」

 もちろん、だからと言って、世話のすべてを菊丸に押し付けることはしないけれども。いちばん喜んでいる人が命名権を持つ方が、あのコたちにもいいはずだ。

「んーと、じゃあね……」

「なにも、無理して今すぐつける必要は……」

 考え込んだ菊丸に、大石が言い添えようとしたが、菊丸は次の瞬間に、きっぱりと宣言した。

「猫が〝フジ〟で、犬が〝タカサン〟!!」

「ぶっっ!!」「がほっ!!」

 手塚が飲みかけの味噌汁を吹き出し、大石が口に入れたばかりのご飯にむせる。塩分の強い液体が鼻に回りかけて悶絶する手塚と、ご飯粒が気管に入って咳き込み、絶倒する大石に、菊丸は首をかしげた。

「にゃんで? イメージぴったりだと思わない?」

「「……思うけど………」」

 思うからこそ、なんかヤだ……

 無敵の末っ子気質の菊丸に、なぜかそう言えないふたりだった。




 後日、部活終了後に「タカサンが待ってるから、帰る!!」と部室を飛び出していった菊丸を見て、不二が誤解に誤解を重ねて河村と修羅場ったのは、別の話である。


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