『鮮血の紅』――ブラッディ・レッド。
 よく言えば都市伝説、悪く――解りやすく言えば怪談。そんな話である。
 赤い瞳の女性が、夜に溶け込むような黒装束を纏い、標的をその名とは逆に、跡形もなく葬り去る――そういう噂だ。
 『目撃者はいない』やら『その姿を見たものは死んでしまう』とかいったお約束がつくと、『何で容姿が解るんだ』とゆーツッコミが出てくるのだが――まぁ、おおむね怪談というのはそういうものである。
 噂だけならばまだ良かった。最近『行方不明者』が多くいることに乗じてだれかが広めた悪ふざけの噂だ、ということになるからだ。
 しかし――
「夜に妙に人気の少ないところって在るじゃない。そういったところに明らかに攻撃呪文の跡としか思えないクレーターがあった、っていう事実があれば、話は別よ」
 あたしはそこまで言って、ポテトをぱくんっ、とほおばった。
 魔王シャブラニグドゥの二つ目の欠片――を滅ぼしてからもうすぐ二年……あたしたち四人は、何となく出会って、また一緒に旅をしていた。それで、何となく――というか、この町、アリド・シティは図書館が多く、資料の豊富なことで有名なため、ゼルガディスの案で立ち寄ったのだが。
 ――まぁそのせい――もとい、「おかげ」で、よく解らん得体の知れん依頼を引き受けることになったのだ。
 あたしは頬杖をつき、もう片方の手でフォークをもてあそびながら続けた。
「ま、実は魔族である、とか、はたまた人間に恨みをもったエルフで、絶世の美貌だとか――眉唾もんの噂もあるみたいだけどね」
 フォークを置いて、こくんっ、とオレンジ・ジュースを一口。
「――でも、これは通り魔とか妖怪とかじゃないわ。
 犠牲者――と思しき人たちは、皆とある宗教団体に関わってたみたいなのよ。
 ま、宗教ってのは名ばかりで、悪徳商売人とたいして変わんないみたいだけどね――」
「……それで――リナ。どうするの?」
 アメリアがうずたかく積まれた皿の間から、複雑そうな表情で声をかけてきた。
「うん。聞いたところ魔道士協会の評議長さん結構いいひとみたいで、依頼料が結構もらえるらしくて――」
「ってぇことは――自首するのか?」

ぶぅっ!

 ガウリイの言葉に、あたしは思わず含みかけていたオレンジ・ジュースを吹き出した。
 ――げふっ! げふげほごふぅっ!
 激しく咳き込んで、あたしはガウリイをにらむ。
「あんったねぇええっ! 突然何言うのよっ!」
「じゃあ逃げるのっ!? リナ、友人として忠告するけど、それはいけないわっ! 逃げると罪が重くなるし、ガウリイさんのためにもならないし……」
 驚愕の声を上げたのはアメリアである。
 あたしは思わずかんっ! とオレンジ・ジュースの入ったコップを机に打ちつけた。
「あ・ん・た・ら・はぁぁぁっ! 特にアメリアッ! 最後のガウリイうんぬんってのは何なのよっ!
 ゼルも何か言ってや……っ」
 いると思っていたゼルガディスは、しかしテーブルにはついていなかった。
 あたしは立ち上がり、食堂を見回して、
「あ、あれ――ゼルガディスは?」
「ゼルガディスさんなら図書館にいったわよ。リナがテーブルについて、話し始めてすぐ」
「――ったく自分勝手なんだから……」
 テーブルに着きなおして髪をがしがし掻くあたしに、アメリアが真剣そのもの、といった顔で、
「それよりリナ。どうするの? やっぱり自首するわけ?」
「うっだぁぁぁっ!」
 がたぁんっ!
 あたしは思わず椅子蹴倒して、大声で叫んでいた。
「アメリアッ! いーかげんにしなさいっ! あたしは何もやってないっ!」
「えぇっ!? だって、赤い瞳で夜な夜な現れる殺人鬼って言ったらふつーリナを想像するわよっ! リナをよく知っている人も知らない人もっ!」
 う゛っ!?
 あたしは思わず言葉に詰まった。そもそも、あたしがこの話を魔道士協会から聞くことになったきっかけも、通りがかりの魔道士に言いがかりをつけられたからなのである。
 だが……
 あたしはジト目でアメリアを見ると、
「アメリア――なぁぁぁんで『あたしのことをよく知る人間』まであたしのことを犯人だと思うわけっ!?」
「普通思いますよ。ねぇガウリイさん」
 アメリアの言葉にこくこく頷くガウリイ。
 ……ぷちっ。
 頭の中で、そんな心地よい音が鳴った。
「っおぉぉぉおっしっ! よっく言ったぁッ! そうまで言うならあんたらを犠牲者その一その二にしてあげるわっ!」
 あたしはびしびしぃっ! とアメリアとガウリイを順々に指さし叫ぶと、全速力で呪文を唱え始めた。もちろん唱える呪文は竜破斬ドラグ・スレイブである。

 ――黄昏よりも暗きもの
   血の流れよりも赤きもの
   時の流れに埋もれし 偉大なる汝の名において――

「っどわあぁぁぁぁぁあっ! リナッ! 頼むから竜破斬ドラグ・スレイブだけはやめてくれぇぇぇええっ!」
 ガウリイが腕を掴んだのに驚いて、あたしは思わず呪文を止めた。
 顔が熱くなり、心臓が跳ね上がるのを感じながら、あたしはガウリイを蹴り飛ばした。
「んっ、なっ……なにすんのよっ!」
 どがっ!
 ガウリイはまともに顔面蹴られて倒れた。
 ――ふーっ。ふーっ……
 あたしが息を整えるのを待って、アメリアは何か物を横に置くジェスチャーをする。
「まぁ冗談はこのくらいにして……
 リナ、結局その依頼受けるわけ?」
「…………爆裂陣メガ・ブランド
 あたしが冷めた声で放った攻撃呪文によって、アメリアは沈黙した。




鮮血の紅




 ふぁぁぁぁ……
 図書館で調べ物をしながら、彼はふと、大きなあくびをした。
(……リナたちは――まだ昼飯を食っているんだろうな……)
 彼にしては珍しく早起きしたのがまずかった。眠気が今になってやってきたのである。
 図書館、と言っても、この町にはかなりの数の図書館があった。しかし――
(滞在する日数が決まっていないとはいえ――)
 彼は――ゼルガディス=グレイワーズは今日幾度目かのため息をついた。昨日と今日あわせて、まだここは二館目、これではまだまだかかりそうである。
 だが自分の身体を元に戻すヒントがあるかもしれないのだ。気は抜けない。
(とはいえ――)
 それでもやはり、数が多いことはたしかであった。
 ゼルガディスはまたため息をつくと、読みかけの本にまた目を通し始めた。
 日が天に昇っているのが、窓から見えた。
 彼は窓の方にはちらりとも目を向けなかったが。




 アリド・シティ魔道士協会。
 ここの魔道士協会はあまり大きくなく、ほとんど『ひっそりと』した感じで立っていた。立っている場所はそんなに悪くはないのだが、存在感があまりない。
 評議長室もあまり立派ではなく、机と椅子以外は本棚ぐらいしかないし、インテリアもなかった。質素――ともいえるが、ようは金がないのだろう。
 ま、絨毯は結構ふかふかだったが。
「君がリナ=インバースさんか……」
 評議長にしては少し若い、長い茶髪に白い布のようなものを絡ませた、人の良さそうな女顔の美青年である。かなり女顔。特徴と言えば真っ先に上がるのが女顔だ。初めて見たとき女性とあたしが信じて疑わなかったのだから絶対そうである。
 ――まぁ、声を聞けばすぐに男だとわかるが。
 動きやすそうなローブに身を包んでいて、物腰から察するに実戦経験もあるようだ。見た目どおりのカモになりそうな――もとい、とても人の良さそうな人物、というわけではないのだろう。
 あたしのことをちょっとした憧れの目で見ていた――とは本人の弁で、まぁ本当かどうかは定かではないが。
 というか、あたしの噂をどー聞いて憧れを抱くとゆーのだ?
 ……こほんっ。
 あたしが心の中で咳払いしたすぐあとに、彼はにっこりと微笑んだ。
「ああ、こんにちは。リナさん。僕はハーリア=フェリア。一応ここの評議長を務めさせてもらっているものだよ。
 君のことは色々なひとから聞いているよ。色んなところで色んな事件を解決してるみたいだね」
 にこにこと言ってくるフェリア評議長に、あたしは同じくにこやかな笑みを浮かべた。
「まぁそーいった話には触れないで欲しいですね。フェリア評議長」
「え? …………うん解った」
 あたしの笑みの奥に潜む真剣そうな眼差しに気づいたか、フェリア評議長はしばしの沈黙のあと素直に頷いてくれた。
「ああそうそう。リナさん、評議長って言っても同い年ぐらいらしいし、ハーリア、でいいよ」
「え? いや、はぁ――そうですか」
「敬語も使わなくたっていいって」
 相変らず笑みを浮かべたまま言ってくる彼に、あたしは思わず沈黙した。
 ――ずいぶんと柔らかい物腰――というか砕けまくった性格のひとである。
「評議長ともあろう方を呼び捨てすることはできません」
 あたしは馬鹿丁寧に言った。
「ですが――とりあえずフェリアさん、と呼ばせてもらいます」
「そうかぁ――」
 少し寂しそうな顔をして来る評議長――もとい、フェリアさん。
 ――うーん……
 何だかよく解らん性格のひとである。
 アメリアが、こそそっとあたしの耳元に口を寄せた。
「評議長さん、どーやらリナに好意持ってるみたいね♪」
「馬鹿なこと言うんじゃないの。下がってなさいっ」
 アメリアは妙な笑みを浮かべてあたしから離れた。
 ガウリイは――
「――って寝るなぁぁぁぁぁぁあっ!」
 どがしぃっ!
 あたしは彼に蹴りを入れた。
「ぐげふっ!?」
 悲鳴を上げて床に転がる。しかしそこはガウリイ、すばやく身を起こすと、
「なにするんだっ! リナッ!」
「ぃやかましいっ! あんたが立ったまま寝るなんて器用な真似するのがいけないんでしょうがっ!」
「だからって蹴ることはないだろッ! 蹴ることはっ!」
「まぁまぁ二人とも、落ちついてくださいよ」
 アメリアになだめられて、よーやくあたしはフェリアさんが立場のなさそーな表情で突っ立っているのを発見した。
「う、く……ああすいません。それで――」
「ああ、依頼のことだね? 依頼料は昨日も言ったけど――これぐらいでどう?」
 彼の提示した金額は、かなりの額だった。安依頼料で評判な魔道士教会にしては破格である。まぁ、それだけ魔道士協会がこの事件に対して真剣だということなのだろう。
 ――たしかに、町の中で殺人事件が起こったという噂が立てば、魔道士協会の威信にも関わるし、町に訪れる人も少なくなる。それほど大きい町でもなく、ほとんど観光や図書館で収入を得ているアリド=シティにとっては、今回の事件は致命的だろうが。
 フェリアさんは、あたしが何も答えないのを了承と見てか、話を続ける。
「それで――依頼の内容だけどね。
 噂を鵜呑みにするわけじゃないんだけどさ。とりあえず、いなくなった、鮮血の紅ブラッディ・レッドの犠牲者――っていうのかな。彼らに共通項があったのは事実なわけだし……
 それらしい動機を持った『紅い瞳の』人間をピックアップしてみたんだけどね」
「ちょ――ちょっと待ってくださいっ!」
「なんだい?」
 彼が不思議そうに言ってくるのに少し頭痛を感じながら、あたしは額に手を当てた。
「あのですねぇ……たった今『噂を鵜呑みにするわけじゃないんだけど』って言ったじゃあないですかッ!
 それだったら、どーして目撃証言が取れない上に本当かどうかも怪しい『紅い瞳』っていうのを採用するんですかッ!?」
 あたしの言葉に、彼はただ笑った。
「相手は魔族や妖怪じゃないよ。人間だ。
 だいたい魔族が宗教団体だけを中心的に、しかも隠れてこそこそと殺すかい? それだったら――物騒な言い方になるかもしれないけど、この町ごとふっ飛ばしちゃった方が手っ取り早いはずだし……となれば、目撃証言もあるかもしれない。
 そうなったら、容疑者を限定できた方がいいしね。
 ああ、デマかも知れない、って言うなら心配ないよ? ちゃんと目撃者が居たからね」
 そこまで言うと、彼はその笑みを苦笑に変える。
「――でもさ、これがまた……信用できない目撃者で。たぶん君の知ってるヤツだとは思うけど。そもそも『彼』の推薦だしね。君のことは。
 多分嘘は言わないから、ってことで採用したんだけどね」

 ………………………………………………沈黙。

「……え、えぇぇぇぇええっと……」
 あたしはふと――背中辺りにもぞもぞとした悪寒を感じた。
 彼の言ったことから、妙な人物――というよりシロモノ――を思い浮かべたのである。

 ・あたしの知っているヤツで。
 ・いまいち信用できない、と評議長自身がきっぱりと迷いナシに言うヤツで。
 ・彼、と言うことは少なくとも外見は男であり。
 ・多分嘘は言わなくて。
 ・さらに、評議長が意識的に『人』や『人間』と言う単語を避けたのだと仮定すると――

 ――正解は……
 アメリアの方をちらりっ、と見ると、彼女もまたなにか察したようで、少し青い顔をしていた。
 ……めちゃくちゃ嫌な予感がした、という顔である。
 あたしは震える唇をがっ、と押さえ、恐る恐る口を開いた。
「ふ、フェリアさん、その『目撃者』ってもしかして……」
「そう。『彼』さ。僕が『鮮血の紅』が人間だって限定したのも、元はと言えば『彼』のおかげだしね」
「――確かに――もっともらしい意見では……」
 そこであたしは言葉を止めた。
 アメリアが、燃える瞳でフェリアさんの両肩にぽむっ! と手を乗っけたのだ。
「あなたっ! 人間としてもうちょっと誇りを持たないとっ!
 魔族の甘言にダマされちゃ駄目よッ! さぁあなたも正義と真実と愛の目で現実を見つめて――」
「アメリアー……なんだかそっちの方がちょっと新興宗教っぽいわよー……」
 あたしははたはたと手を振った。ガウリイは腕を組んで、何だか真剣そうな顔で、
「そうだぞ。アメリア。いくら魔族だからって、話し合えば分かり合えるかも知れないじゃないか」
 ……いや、あたしはそのセンも薄いと思うな……
「なぁぁぁぁぁにを甘っちょろいこと言ってんですかッ! ガウリイさんッ!」
 ガウリイのたわけまくった一言に、ばっ! とアメリアは身を翻す。
「魔族ってぇのはゴキブリ同然っ! 害虫同然のシロモノなんですよッ! あんなのを信じたが最後、痛い目見るのはいつも力なきもの、人間なんですっ!」
 あ、ちょっと格上がってる。前は害虫以下って言ってたのに。
 ……まぁ、『あいつ』のイメージは、確かにゴキブリほーふつとさせるもんがあったけど……
「アメリアさぁぁぁん……それはちょっと酷いですよぉう……」
「!?」
 突然ふってわいた声に、思わずあたしは虚空を見上げた。
 はたしてそこに彼は居た。
 黒い髪、黒を基調とした、どこにでもあるよーな神官服――二十歳前後の、いたってどこにでもいるような、ただし、普通よりは少しハンサムな、顔にあまり特徴のない神官プリースト
「ゼロスさん」
 気の抜けた声でその名を呟いたのは、アリド・シティ魔道士協会、ハーリア=フェリア評議長その人だった。



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