鮮血の紅




 ……あ……
「あぁぁぁぁぁぁほぉぉぉおぉかぁあぁぁぁぁっ!」

 どげしぃっ!

 あたしの飛翔界レイ・ウィングでの体当たりは、ものの見事に魔族、獣神官プリーストゼロスにヒットした。
「にひゃぁっ!?」
 効かないのにも関わらず、いかにも痛そうに吹っ飛ばされて、彼は床に這った。すぐにむくりと起きあがり、
「何するんですか。リナさん」
「笑ってんじゃないわよッ! あんたっ! いまさらよくもノコノコと、あたしたちの前に現われたわねぇぇぇぇッ!」
 がくがくがくがく。
 あたしはゼロスの襟首ひっつかみ、盛大にふりまくった。
「あの、リナさん、苦し……」
「わけないでしょうがッ!」
 どんっ!
 あたしはゼロスを突き飛ばすと、つかつかとアメリアの後ろに回り、彼女の肩にぽんっと手を置いて、冷めた目で呟いた。
「――アメリア。生への賛歌攻撃ゴー」
「解ったわっ! ゼロスさん、覚悟しなさいっ! ――ああ人生って素晴らしいッ! 生まれてきてよかったわッ! 愛はすべてのものに等しくふりそそいでいるのよっ!」
「うくぅぅッ!?」
 あからさまに苦しそうな顔をするゼロス。むろんわざとだろうが。
 ……いやまぁ、効かないのは解っているのだが、こうでもしなければ気が済まなかったのである。
「えぇぇぇぇぇぇぇえっと……」
 またもや立場のなさそうな顔をしているフェリアさん。あたしは彼に目をやって、
「――あなたもどーゆー風にこいつと知り合ったのかは知らないけれど、悪いことは言わないわ。
 こいつには関わらない方がいいわね。色んな意味で」
「いやぁ……でも、とりあえずは信用できるでしょ?」
 なぜ照れる。評議長。
 まぁ確かに――こいつは今までのことから言っても嘘をついたことはない。
 嘘同然の誤誘導ミス・リードはしまくるけど。
「ああ人生って……」
 どーやらリピート部分にさしかかりはじめたらしいアメリアの曲をあたしは手で制し、うずくまるゼロスを見下ろした。
「効いてないんでしょゼロス――起きなさい」
 あたしは冷たい声で言う。ゼロスはむくりと起きあがった。相変わらずのにこにこ笑顔で、彼はぺこりっと一礼する。
「改めてお久しぶりです。リナさん」
 彼の上げた顔に向かってあたしは冷めた視線をぶつけると、
「で……どういうつもりなわけ。今回は」
「いえ、特に僕はなにも企んじゃあいませんよ」
 ゼロスは表情の読めないニコニコ顔で言う。これはヘタなポーカーフェイスよりタチが悪い。
「ってぇことは、獣王あたりから命令受けてるわけ? じゃあ獣王はなにを企んでいるのかしら?」
「それは――」
「あぁはいはい解ってるわよ。秘密でしょ秘密。ったくこのお役所仕事のくだらん秘密主義のゴキブリ神官……」
 あたしのことばに、ちょいちょいっとハーリアがゼロスの肩を叩いた。
「――何だか酷い言われようだけど」
「気にしてません。リナさんと一緒にいたらじきに慣れます」
 言いつつも、ちょっぴし顔がひくついてたりするところが中間管理職の苦労を感じさせる。いや、ンなもん感じたくないけど。
「ふぅん」
 フェリアさんは納得したようなしていないような顔になって、そのまま黙った。
 が、あたしは彼の方にも質問があった。
「まぁそのことはもういいわ。
 ――で、フェリアさんはどこでどういう風にゼロスと知り合ったんです?」
 この質問は、フェリアさんが魔族でないという可能性を考慮しての質問だ。
 冥王フィブリゾや覇王グラウシェラーは、以前人間に『化けて』あたしやガウリイと接触してきた。
 ならば、この『フェリア』と言う人間、今現在ちゃんと生きていて、そしてここにいるのが本物の『ハーリア=フェリア』なのか、というのは確認しておかなければならない。
 ――まぁ、あたしはこの手の誘導尋問はあまり好きじゃあないのだが。
 質問の意図を知ってか知らずか、彼はしばし考えて、
「あれはいつだったか――最近だよね。二ヶ月くらい前?
 その時にねぇ、盗賊追っ払って金品巻き上げたんだけど――いやまぁ、そのお金はみんな魔道士協会こことか――何だかよく解らないけど動物愛護団体とか植物愛護団体とかに寄付しちゃったけどね。
 でさ。その時に珍しい書物を見つけたんだ」
 へっ……?
「――まさか――」
 乾いた声を上げたのはアメリアだった。
 ――そう。この場合に出て来る『珍しい書物』と言えばほとんど限定されている。
 彼はそのアメリアの言葉につまったニュアンスを、感じ取ってかいないのか、こくんっ、と頷くと、
「そう。異界黙示録クレアバイブルの写本さ」
 異界黙示録――!
 言うまでもなくめちゃくちゃ珍しい書物である。以前オリジナルに触れたが――あまり情報を引き出せなかった。図書館が多くある――つまり書物が豊富なアリド・シティの魔道士協会の評議長がそう言い切ったのである。間違いなく本物、一体どんなことが書かれていたのか。
 あたしの中に走る期待感は、しかしフェリアさんの淡々とした言葉に一瞬にしてぶち砕かれた。
「でも、その噂をどこから聞きつけたのやら、手にいれたその日に焼かれちゃった」
 フェリアさんの視線の先にいるのは、むろん腐れ獣神官プリーストゼロスだった。
「あんた……まだそんなことしてたのね……」
 ああ大事な発見をッ!
 何てことしやがる、ゼロスッ! てめぇっ! 許さんッ!
 あたしの険悪な瞳にもゴキブリ神官はひるまずに、
「だからぁ。それが、ヒマな時の僕の仕事なんですよ。
 僕本来の仕事、って言っても過言じゃあないんですから」
 ぴっ、と指を立てて言う。それを無視しているのかフェリアさんが淡々と続けた。
「解読する前だったから僕もさすがに怒って、弁償しろって言ってこのひとの腕掴んだら、その瞬間に空間渡っちゃったらしくて、ヘンなところに出た。
 後で聞いたけど、群狼島に報告に行ったらしいんだけど」
「ちょっと待ってよ。
 ゼロス、あんたの上司、もうそんなところにいる必要なんてないんじゃないの?」
 魔族の結界は解けたはずなのだから、維持する必要もないと思うのだが…… 
 あたしの言葉に、ゼロスは困ったようにぽりぽりと頬を掻くと、
「いえ……どうやら、千年いる内に獣王様のお気に入りになっちゃったらしいんですよね。その場所……」
「いやまぁ、あんな陰気くさいところを気に入った魔族の感性疑うのは後にして。
 で、よく理屈は知らないんだけど――後でみっちり問いつめようと思うけど、生身の人間に空間移動って結構こたえるらしくって、そのまま倒れちゃって……普通ならそのままほっとくらしかったんだけど、何だか親切に戻してくれたんだよね。それが最初だよ」
 何だかいやな出会いである。
 あたしはフェリアさんに同情した。
「うう。あなたも気の毒ね。こんな魔族のせいで……」
 冗談でナシに涙ぐむアメリアに、なぜか彼は照れたような笑みを浮かべると、
「いやぁ。まぁ彼の性格とか根性とかはおいといて、今まで歩んできた人生――って言うか今に至る自分のことを教えろってしつこくねだったのは僕だけどね。
 ほら、魔族に会うなんて滅多なことじゃないでしょ? 会ってもすぐ倒すか倒されるかしちゃうし、それに人間形態を取れる魔族もそういないだろうしさ。貴重な体験だと思ったんだよね」
 …………どーやらフェリアさん、かなり肝の座った人であるらしい。
 っていうか並の神経じゃできんぞ……高位魔族に今まで歩んできた人生(人じゃないけど)を語らせるなんて……
 フェリアさんは自分のしでかしたことのすごさに気づいてないのか、相変らずにこにこと、
「ま、それはともかく、ゼロスさんの話しはすっごくためになるよ。もちろん魔道士協会には秘密だけどね。
 リナさんたちもゼロスさんの話で色々教わったこともあるんじゃないかなぁ?」
 そう言えば――
 魔法と精神世界面アストラル・サイドの関係について享受してくれたのはゼロスだったっけ……すっかり忘れてたけど。
「確かに――あの時はゼロスを魔族と知らなかったけど、魔族もたまにはためになる話をするもんなのね……」
 あたしは腕を組んで重々しげに呟いた。
「リナさん……それちょっと酷いです……」
「やかましいわね。
 ――でも、ま、確かに、こいつは信用ならないけど逆にものすごく信用できるときもなきにしもあらずだし。
 その目撃証言とやら、聞かせてもらいましょうか?」
「ええ。いいですよ」
 ゼロスはこくんっ、と頷いて、
「あれは一週間ぐらい前でしたっけねぇ……
 確か、満月の綺麗な夜でした」
 満月は今から六日前で、これはフェリアさんに確認をとったところ、犠牲者が行方不明になった事が発覚した前日と重なるらしい。
 ゼロスは続けた。
「で、その日はよーやく昔語りを終えて、ハーリアから開放された頃だったんです。
 事細かに説明しましたからちょっと精神的にダメージ受けてまして、ちょっと曖昧なんですけど――
 どぉんっ、て小さな音が聞こえたから、不思議に思ってそっちの方に行ってみたら、すぐ近くの袋小路でクレーターが出来てて、そこに金髪に紅い瞳の綺麗な――まぁ女性男性は解らないんですが――ま、やたらとほっそりした体つきの人間が立っていて……黒装束を着てましたね。
 ぴっちりとしたのじゃなくてもう少しゆったりとした、ローブみたいなものでしたけど」
「ちょっと待て」
 珍しく話を聞いていたガウリイが、ゼロスの言葉を遮った。
「その――結構大きなクレーターが出来てたんだろ? で、クレーターができてるすぐ近くでゼロスは小さな音を聞いたんだよな?」
「そうですけど」
「おかしいじゃないか。そんな大きなクレーターできてたなら、かなりハデな音がするんじゃないか?」
「風の結界で消音してたんでしょ」
 あたしの簡単な説明に、ふぅんっ、とガウリイは納得したようなしていないような声で言った。このときゼロスがかすかに笑みを深くしたのだが、あたしはこのとき気にも留めなかった。
「で? その人はそのあとどうしたの?」
「僕に気づいたらなにか呟いてどこか行っちゃいました。多分まだ風の結界を張っていたんでしょうね。
 ちなみに顔は解りませんでしたよ。布を纏ってましたからね。目と髪がちょっとだけのぞいてました」
 ふぅ……む。
 話を聞き終えて、あたしは小さくうなった。
 とりあえず、こいつは嘘はつかない。確かな情報ではあるだろう。
 アメリアがだんっ! と地面を踏み鳴らした。絨毯だったのであまり大きな音はならなかったが。
「信じられないわ! ゼロスさん、あなた追おうとか思わなかったんですか!?」
「だって僕には関係ありませんし。
 次の日にいまいちヒマだったんでハーリアのところに行ったら、何だか行方不明者がいっぱいいる、クレーターがあったんで魔道士の犯行だと思われている、って話を聞いたんで、そのことを話したんです」
「なるほど――」
 あたしは納得した。どうやらお役所仕事――言われていないことは絶対にやらないし、言われたことでも真面目にやらない――は変わっていないようである。
 気になるのは、今日まで約五日、なぜ魔道士協会――ひいては、この有能そうな、というよりは腹黒そうなフェリアさんが行動を起こさなかったか、と言うことである。
 そのことを聞くと、フェリアさんは苦笑を浮かべた。
「副評議長二人が納得してくれなかったんだよ。こんな得体の知れない神官プリースト、信用できるのかって……」
「――ま、そりゃそうね」
「それに、ここの町は魔道士協会はそんなに影響力を持ってはいないし、警備隊と仲が悪くてね。警備隊やら領主ロードやらの許可を取るのにちょっと苦労したんだ。
 それで、何とか説得したのが三日前。調べるのに二日かかって、ここの生徒さんがそのことを聞いてなぜかリナさんにちょっかいかけて返り討ちにされたのが昨日の夜ってわけ。
 あははは。副評議長の二人も頑固だよねー」
 あんたのよーな評議長の方が変だと思うぞ……あたしは……
 あたしは朗らかに笑うフェリアさんを、思わずジト目で見つめた。
 まぁ――フェリアさんがもともとはこうではなくて、群狼島でゼロスが『魔族である』と認証せざる終えないなにかがあったか……またはゼロスの人(じゃないけど)生を聞いた際になにかあったのか。それはまぁ解らないが。
「容疑者って言っても、金髪の紅い瞳で、なおかつあの宗教団体に恨み抱くような人間、っていうとものすごく限定されるからね。
 限定されてないと二千人ばかり言っちゃうから、ゼロスさんの証言ってけっこう重要なんだよね。これが」
「ふむぅ――」
「っていうより一人しかいないんだけどね」
「うわ少なッ!」
 あたしは思わず叫んだ。
 ……まぁ、よく考えたら当たり前ではあるけど……
「で、今からそのひと――女性に会いにいって欲しいんだ。依頼内容はもちろん事件の解決。今動ける、事件解決に役立つような魔道士ひとがいないからね」
「はいっ! 解りましたッ! その女性を捕まえて、正義のなんたるかを教えればいいんですねッ!」
 早くも正義の魂に火をつけてその上から油突っ込んだような状態のアメリアに、フェリアさんはしかし首を横に振った。
「いやそうじゃなくて、証言を取るだけでいいんだ」
「なんでですッ!? どう考えてもそのひとが犯人じゃあないですかッ!」
「理由は四つほどある」
 フェリアさんは肩をすくめると、ぴっ、と指を四本立てた。一本をもう片方の手で折ると、
「まず一つは、ゼロスさんしか目撃してない、ってこと。これだけじゃちょっと信憑性にかけるよね。ゼロスさんは行きがかり同然の謎の神官って事になってるんだし――
 二つ、証拠がない。さっきも言ったとおりゼロスさんの目撃証言だけだからね。
 三つ、『彼女しか容疑者がいない』ってだけで、もしかしたら彼女じゃないかもしれない、ということ。
 四つ――これは僕の個人的な意見なんだけど――彼女は恨みや怒りに任せて人を殺すような馬鹿じゃないってこと。僕は彼女を知っているんだけど、自分が恨む人間を殺して、それで自分がお縄になって不幸になるような愚、彼女は絶対に犯さないよ」
 彼は机に腰掛けた。椅子に、ではなく机に、である。
「感情論じゃないの? それって」
 あたしの問いに、彼は肩をすくめてみせた。
「どうかな――ま、僕の知っている彼女だったら、その人の家に毎日不幸の手紙送るとか、その人ン家に押しかけてって死なない程度に痛めつけるとか、犯罪の証拠掴んで即刻役所に突き出すとかそうでなくてもねちねち脅すとか、そーゆー行為に及ぶはずさ」
「……どういう人間よ……そいつは……」
 あたしは頬からつぅっと汗をたらした。




 彼は、少なからず驚愕していた。
 あまり人付き合いのない彼でも、リナ=インバースやあのアメリア第二王女の名と顔は知っていた。
 ――なんでまるで正反対を絵に描いたような二人が共にいる……?
 それにあの男は――
 金の髪の男――ガウリイ=ガブリエフ。何年も前だったか――サイラーグを救った、とそのテの世界では有名な傭兵である。
 よく解らない組み合わせではあった。
 極悪非道、ドラゴンもまたいで通ると噂されるリナ=インバース。
 そのリナを即効で成敗しそうな伝承歌サーガフリークのアメリア第二王女。
 そしてサイラーグを救った、という有名な傭兵。
 ちぐはぐといえばちぐはぐで、共通性などないに等しい。あのガウリイとか言う傭兵に至っては、サイラーグを救う前は悪名ばかりささやかれていたのである。まぁ、大方が妬みのたぐいである、ということは容易に想像できることではあったが。
(――あのひとたち、『あれ』の依頼を引き受けたのか――)
 彼は、不思議な表情で、考えた。
 ……彼らは……助けてくれるだろうか。自分のことを。
 ぼんやりと考えて……が、考えても仕様がないと思い、くるりっと方向転換し、そこで、びくんっ、と身をすくませた。
 ガウリイ……がこちらを見たのだ。
(気づかれた!?)
 ここで慌てても意味がない。彼はそのままの体勢で、ガウリイのことを見つめていた。
 彼はしばしこちらを見つめていたが、やがて興味を無くしたらしい、リナのほうを見てなにやら言っていた。
「――行こ」
 汗をびっしょりかいたが、彼は何とか身体を動かして、その場を立ち去った。




BACK top NEXT