ま、一応一件落着したわけだし。
 良かった良かった、ってことなのだろう。
 もうすぐあたしたちはアリド・シティを去ることになる。
 ちょっと寂しくなる……? かな。




鮮血の紅




【朝】
 …………………えーと。
 あたしはちょっぴしかなり大まかに驚きつつ、目の前のガウリイを見つめた。
「その大量の包帯は、一体どのよぉな意図で持ってきてらっさるのかな……?」
 問いに、一抱えほどの包帯の山を抱えた彼は、いたって当然のように、
「だって……お前、怪我したんだろ? 怪我したら包帯巻かなきゃあ。
 ほら、気になってたんだけど、なんか忙しくてそのまんまになってただろ?」
「あほかぁぁぁぁっ! とっくに治ったわよっ!」
ガウリイは包帯を取り落とさんばかりに驚くと、
「ええっ!? だってあれからまだ少ししか経ってないぞ!?」
「呪文で治したのよっ! 呪文で!」
「そうか……」
 ちょっと残念そうに呟くガウリイ。が、すぐに、何かいい事でも思いついたかのような、子供のような表情に変わると、
「でも、一応巻いておいといた方がいいだろ? ほら、ばい菌とかさ」
「をいっ! ちょっと待てぃっ!」
 問答無用であたしの手――しかも怪我をした方と逆の方にに包帯を巻き始めるガウリイに、あたしは思わずツッコミを入れる。
 が、ガウリイはかまわずに巻きつづける。
 ――あたしははぁっ、とため息をついてから苦笑した。
 まぁ、いっか……




【昼】
「ヴィリシルアさん。います?」
 ドアを軽くノックする。アメリアはしばし待ち、反応がないのに首を傾げた。
「ヴィリシルアさん?」
 もう一度名を呼ぶ。
「あ。お姫様? ごめん、入ってきていいよ」
 ――ようやく聞こえたらしい。アメリアは訝しがりながらもドアを開けた。
「一体、なにをやってるんです?」
 言いながら、アメリアは床を歩く。事件が終わった後でも妙に静かな雰囲気は変わっておらず、時間が流れていないような感じがした。
「ヴィリ……」
 アメリアは三度、名を呼ぼうとしてやめる。真剣そのものといった表情で、ヴィリシルアは絵を描いていた。彼女はふと、こちらに顔を向けると、かすかに笑む。
「やあ、アメリア。フェイトの戸籍は戻してくれたかな?」
 アメリアは問いに、頷く。
「ええ、フェイトさんの戸籍は、ちゃんと元通りにしておきましたよ」
「やたー♪ ありがと、アメリアさん」
 ヴィリシルアの横で、絵の具を必死に混ぜていたフェイトが、顔を上げて歓声を上げた。よくよく見てみると、口調の割にはそんなに幼くもない。彼の顔をベースにして作ったと言うヴィリシルアはどう見ても二十代――実際は四歳なのだが……彼は十四かそこら、といったところだろう。絵の具だらけである。
 アメリアはその顔の有様に思わず笑いかけて、慌てて押さえ込むと、わざと怒ったような表情で、
「――ここがセイルーン領じゃなかったら、ヴィリシルアさんもあなたもかなりの罪に問われてるわ。感謝してくださいね」
「だからありがとうって言ってるでしょ?」
「それとこれとは問題が……まあいいわ。
 それで、あなたがたはこれからどうするんです?」
 アメリアの問いに、ヴィリシルアは筆を止める。
「……多分、カタートに戻るんだと思う。癪だけど。
 ヘビは何も言ってないから、もしかしたらこの町にとどまるかもしれないし……」
 複雑な表情で呟く。アメリアは不機嫌そうにしている彼女を気にして、話題転換に努めようとしばし考えた。
「なるほど――ところで、何描いてるんです?」
「ん? いずれ解ると思うけど……今は見ないほうが――」
「いいから、見せてくださいよ」
 ヴィリシルアはため息をつくと、苦笑して手招きする。アメリアは絵を覗き込んで――
「これ――わたしですか?」
「ああ、どう? フィルさんに贈ろうと思ってたんだ。お礼にね」
 黒い髪の少女。蒼い瞳はぱっちりと開かれていて、愛らしい。白いドレスを着ているが、しとやかな感じはあまりしない。とにかく元気というかなんだか気迫が伝わってくるような――
「ヴィリシルアさん、風景画専門かと思ってたけど、違うんですね」
「まーね。これくらいは描くさ」
「生まれて四年しか経ってないのに、よく描けますよね」
「……………………………………………」
 しばし、沈黙。
 アメリアはふと異変に気づき、うつむいているヴィリシルアの顔を覗き込む。
「あのぅ……ヴィリシルア……さん?」
「ふ……、ふふふふふ……よぉおっしっ! そんな余計なことを言う奴はこうだッ!」
 べしゃっ!
「んきゃあああっ!?」
 白い絵の具がアメリアの顔に見事にヒットする!
「なにするんですかぁっ!」
「や・か・ま・し。ンなツッコまなくてもいいところにツッコんだ姫さんが悪い。ほら、タオル」
「あううう……」
 アメリアはごしごしと顔をタオルで拭く。が、白い筋があちらこちらに残ってしまっている。
「…………」
 そのまま無言で絵の具箱を引っつかみ、ヴィリシルアに叩きつける。が、あっさり手首をつかまれ、絵の具箱をひょいっと取り上げられた。
「ああああああっ!」
「ふっふっふ。私に勝とうなんざ二年は早かったな」
「それ一体どぉいう基準よぉおっ! わたしヴィリシルアさんより年上なのにーッ!」
 アメリアの悲鳴も空しく、とりあえず、彼女はヴィリシルアには勝てない、ということが証明された。




【夜】
「フェイトが迷惑をかけたな」
 夜もふけたころ、宿の自室でゼルガディスが、先の戦闘でとばっちりを食ってやぶれた服を繕っていると、ヨルムンガルドがやってきて、開口一番そう言った。彼は服を縫う手を休めずに、
「従弟の面倒ぐらい、ちゃんと見て置けよ」
 と茶化して言う。ヨルムンガルドは苦笑を浮かべた。
「……『あれ』か……
 あの子は実は、私の従弟ではないんだ」
「まだお前ら二人は隠し事していたのか?」
 呆れたように言うと、彼は首を振る。
「ヴィリシルア――もちろんフェイトにも、教えていないことだ。
 ――私と、あれは、兄弟だ」
「え?」
 ゼルガディスは思わず手を休め、跳ね上がるようにヨルムンガルドを見た。
「父は、助平だったのでな」
 本気なのか冗談なのか――とにかく彼は微笑んで言う。ゼルガディスは眉を寄せると、
「――何故、そんなこと俺に?」
「いちばん口が固そうだったからだ」
 よく解らない答えを返すと、ヨルムンガルドはとさっ、と床に座り込んだ。本性は竜のはずだが、意外に軽い音がした。ゼルガディスはジト目になると、
「……なぜ居座る」
「お前は他にも聞くことがあるはずだ」
 言われて、ゼルガディスはしばし考え込む。そして思い当たり、彼は口を開いた。
「……フェイトが、俺の夢に出てきた。姿かたちは俺の――人間の姿だった。だが、声はあいつだった、間違えようがない。
 あれは、一体なんだ?」
 ヨルムンガルドは満足そうに頷いた。
「――夢を『視る』能力というものがある。
 他人の夢をな――そして操ることができる。
 あれは自分の映像を作るのが苦手でな、ある『分岐』から捨てられてしまった姿を、拾い上げて使っている――それがお前の人間に戻った姿、というわけだな。
 あいつがお前の夢に入ったのは、お前が合成獣であったからだろう。
 ――そもそも『夢』というものは、精神世界面アストラル・サイドが見せる偶然の産物だ。つまりさらに突っ込むと――」
 針刺しから一本針を抜き取り、ぴっ、とゼルガディスの額に向ける。彼は反射的にのけぞった。その反応に、満足そうにヨルムンガルドは笑ったが、針は額に向いたままだ。
「フェイトは、他人の精神世界面――いわゆる『こころ』を、ある程度読むことができる、ということだ。――特異な能力といえる。
 それがゼロスがフェイトを引き入れようとしているおおむねの理由だ。
 お前も、頭を覗かれても困らない頭にしておけ」
「――あんたはそうなのか?」
 ゼルガディスが皮肉るように言う。覗かれて困ること――つまり、ヨルムンガルドとフェイトが、兄弟だということだ。
 ヨルムンガルドは針を元に戻し、小さく笑う。
「私は読まれるようなヘマはしない」
「なるほど」
 苦笑して呟くと、ゼルガディスは繕い物に専念することにした。
「――大切なものを失わないよう頑張れよ」
 フェイトから聞いたのだろうか。
 ――ゼルガディスは一瞬ヨルムンガルドから視線をそらす。そして、また、魔王竜を見る。
「なら、あんたの大切なものはなんだ?」
「あの二人――、といったら、おかしいと思うか?」
「……いや」
 ゼルガディスは首を振る。彼はかすかに笑うと、立ち上がった。
「それではな」
 ヨルムンガルドの足音が遠ざかっていき――ヴィリシルアは足音を立てなかったが――パタン、とドアが閉まった。
 ゼルガディスは、とりあえずまた――繕い物に専念し始めた。




【夜明け】
 時計塔の屋根の上で、彼は大きく伸びをした。空が白んでいる――夜明けだ。仕事をフケてきたのだが――どうやらまだ見つかってはいないようだ。
「……あー……なんか久々に運動したなー……」
 朝日が昇ってこないか眺めつつ、ハーリアは、町を一望できる時計塔の屋根の上に、ごろんっ、と寝っ転がった。
 ――このアリド・シティは『シティ』とはついているものの、実はあまり大きくない。図書館が有名――といっても、本を見るためだけに町を訪れる人間など少ないからだ。
「あれを運動と言うか。お前は。私とヴィリシルアは死にかけたと言うのに――」
「結局死ななかったからいいじゃない」
 背後から突然聞こえてきたため息混じりの声にも驚かず、ハーリアは横になったまま応対する。またため息が聞こえた。
「そういう問題でもないだろう。
 ――それで、お前はここで何をしているんだ」
 声――ヨルムンガルドの言葉に、ようやくハーリアは立ち上がる。彼のほうを向いてにぃ、っと笑みを浮かべると、ぴっ、と人差し指を立てて見せた。
「サボり」
「いつもお前はそんなことをやっているのか? よく辞めさせられないな」
「副評議長は有能なんだ。おまけに仕事好きで、人に頼まれるとイヤとはいえない性格で、野心には縁のない男だよ」
「それはそうだろうな」
 ヨルムンガルドはよく解らなかったが――なぜか、妙に納得して頷いた。
「……それで、何の用?」
「朝焼けを見ようと思ったらお前がいた」
「――?」
 ハーリアは訝しげに太陽の方角を振り返る。
「……ほんとだ。よくわかったね。朝焼けだって」
「私は一応ドラゴンだからな」
 納得できるようなできないような答えを返して、ヨルムンガルドは屋根の上に座る。
 太陽に照らし出された空は、普通では考えられないほど紅い。
「――『鮮血の紅』」
 ハーリアは呟くと、ヨルムンガルドの方を見る。
「従弟に二つ名ができたね。ヨルムンガルド」
「……そのようだな」
 ヨルムンガルドは気のない返事を返す。実際は弟なのだが、この男に言ったら言いふらされることが目に見えている。
「あれね、フィオロが死んだ日に、血まみれで帰ったフェイトを目撃した人いたんだって。それが噂の元なんだってさ」
「……あの馬鹿」
 小さい声で毒づく。ハーリアはにっ、と笑ってみせた。が、すぐに表情を引っ込めると、
「――これからどうするの?」
「それについては考えがある……カタートに戻るよりも、安全――とは言いがたいが――あの二人にとってはいい場所がある」
「どこ?」
「それはな――」
 ヨルムンガルドは、悪戯を思いついたような子供のような瞳で、人差し指を立てた。




 ……そして――
 そうして――
 そしてだな。
 あたしたちがアリド・シティに着てから、一週間目の朝が来た。




 包帯ぐるぐる巻きになったあたしの左手は、アメリアとヴィリスに爆笑され、ゼルガディスに吹き出され、フェイトになぜか感心された。
 とにかく事件は終わったのだし、これでアリド・シティともお別れ……
 の、はずだったのだが。
 目の前に立つ人――人間ではないのだが――とにかく目の前に立つ見た目人間、を、あたしはため息混じりに見やる。流石に包帯は外してあるが、包帯を見た時のこのヒトの反応が見たいような見たくないような……えー、まぁそれはともかく。
「……つまり、あたしにそこの金髪エセ姉弟を保護しろと?」
「保護ッ!?」
 ジト目で言うあたしに視線を向け、ヴィリスのちょっぴしずれてるツッコミは無視しつつ、ヨルムンガルドさん――夜さんは頷いた。
 あたしたちの泊まっている宿の、一階――食堂である。朝からわいわいうるさい雰囲気はちょうどいい。有名なわりに小さい町だし、ゼルガディスの手配書も流布されてはいない。
 ――それに、多少大きな声を出して聞かれてヤバいコトを話し合っても、普通、聞き耳でも立てていない限りは、あまり他人の会話を聞いていないものだ。
「あ。ウエイトレスさん。これとこれとこれ追加ね」
「はい、解りましたー」
 あたしはぐーぜん通りすがったウエイトレスさんに追加注文頼むと、夜さんを再度見る。
 ……呆れ顔してるのはこの際気にしないことにしよう。
「語感はともかく、二人を旅の仲間に加えてくれればいいのだが」
「でも、あたしたちと旅したほうが危険だと思うわよ。魔族の来訪には事欠かないし」
「あなたなら、大丈夫だろう。安心して任せられる」
 なっ……
 あたしは思わずことばに詰まる。
 ――なんか……ヨルムンガルドさんがヴィリシルアの父親みたいな態度とってるような気がするのは置いといて。
 まぁ……そぉ言われれば悪い気はしないような……
 夜さんから目をそらすために振り向いて、あたしはガウリイたちの方を見る。
「ガウリイ、アメリア、ゼルガディス。あんたらはどう? 異議とかない? それだったら――」
「リナ。それなんだけど――わたし、セイルーンに戻らなくちゃいけないのよ。ヴィリシルアさんの戸籍消すとき父さんに事情話して頼んだから……戻ってこいって言われちゃって」
「あ。そう……か。ってことはゼルガディスもセイルーンについていくの?」
 あたしは首をめぐらせて
「ああ。よくわかったな」
「まーね。じゃ、アメリアとゼルは異議なし……か」
 あたしは意味深な笑みを浮かべて見せる――が、ゼルガディスはそれに気がつかなかったらしい、すぐあたしから視線をそらす。
 ――いや。
 どーやらゼルガディスくん。あたしの笑みの中に潜んだニュアンスを思いっきり感じ取ってくれたらしい。顔が赤い。
 そこをツッコんでからかいたい気もするが……
「ガウリイは?」
 聞かずとも解るが、あたしはガウリイに聞く。
「お前さんがいいなら、別にいいよ」
 やっぱり――か。 
 あたしは苦笑混じりに息を吐く。
「それじゃあ、別にいいわ。
 一つ二人に言っておくけど魔族に襲われようが何しようが動じないこと――慌てる人間は戦いには向かないわ。
 オーケー?」
「ああ。魔族なら見慣れてるしな」
「同じく」
「そう――それなら……すぐに出発しないとね。フィルさん……怒るとコワいし」
 平和主義者クラッシュ――とか叫びつつタックルされた日にゃあ、あたしだったら迷わず気絶する。
 まぁ――それはともかく。
「んじゃま、これからよろしく頼むわ」
 新たに増えた旅の仲間に視線を戻し、あたしはにんまりと、満面の笑みを浮かべた。
 ――次に目指すは聖王都セイルーン
 この先、恐らく魔族のちょっかいゼロスの勧誘――厄介ごとが舞い込んだり、はたまた自らそれに首を突っ込むことだってあるだろう。
 まぁ、一番怖いのはセイルーンに着いた後のフィルさんのご対面。なのはおいといて。
 あたしはそんなにヤワじゃない。
 どんなことがあろーとも、決して立ち止まらない自信はある。
 ――さて、と……
 明日から、とりあえず頑張りましょーか……




(鮮血の紅 ―→ おわり)




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