「……黒幕だ?」
 胡乱な顔で巨獣ベヘモスは問い返した。
「たとえば、の話です」
 そう楡月は苦笑して、顔にかかる髪を払う。
〇一ゼロイチの目的がそこの炎獣サラマンダを殺すことなら、いくつか問題が出てくるでしょう?」
 楡月の言葉に、横で炎獣が複雑そうな表情を浮かべた。確かに死ぬか死なないかの話だと言うのに、冗談めかした口調で語られれば、気分も悪くなると言うものだが。
 顎に手を当てて、巨獣は少しの間沈黙する。
「……何故、〇一は二年間の間を空けているのか。
 何故、人間の軍施設なんかを襲うのか――それに、何でさっき退いたのか、って言うところか?」
「ええ。殺したいのならすぐ殺せばいい。炎獣を殺すのなら軍施設を襲う必要などないし、あそこで逃げる理由もない。
 ……それから、貴方を襲った理由も今ひとつ解らない」
「それで、黒幕か」
 楡月は頷いて、顔をしかめる。
「〇一に吹き込んだ・・・・・第三者がいると言うことです。
 この二年間、〇一は自分が生きるための行動を取っていただけで、炎獣を殺そうなどとは考えていなかった、と思うんですよ。そこに誰かが近づいた。
 軍施設を襲ったのはその第三者の意向でしょうし、貴方を襲ったのは目撃者を消せとでも言われていたから――退いたのは、貴方が知り合いの友人だと気づいたから、あるいはただ、貴方が巨獣だから躊躇った」
「……それで、あんたはその第三者を捕まえるのが目的か?」
「それは、目的のための材料の一つです」
 もったいぶった言い回しに苛々する。睨みつけられたのに気づいてか、楡月は肩をすくめ、
「〇一はこの他にも、五つの軍関連施設、三つの公的施設の破壊に関わっている疑いがあります。
 今のところその全てが、印持ちの起こしたものであるとされている。そのおかげで印持ちあなたたちは今、とても肩身が狭い状態です。知っています?」
「――まぁ、視線が痛いことはあるよ」
 答えて、巨獣は左肩を押さえた。表向きには巨獣がテロの生き残りだということは伏せてあったが、治療する看護婦や医師の目にどこか責めるような嫌な色があったのは事実だ。
「――で、印持ち贔屓の人間あんたも、苦しい立場にあるってことか」
「そう言うことです。この一連の事件を印持ちがやったのではないと証明できれば……印喰の存在を明らかにできれば、この状況は打開できる」
「印持ちの待遇改善に、印喰をだしに使うと?」
「そうです」
 顔色も変えない。肩透かしを食らったような気分になりながら、巨獣は視線を楡月から逸らした。
「炎獣はそれで納得したのか?」
 唐突に話を振られて、炎獣は少しだけ沈黙を置く。
「……俺は何も言えませんよ。お月さんがやることに従います」
 言葉は独白のように力無かった。
 ……二年前、こいつが〇〇ダブル・オーを殺し損ねたせいで大量の人間と印持ちが〇〇によって殺され――結局こいつは最後には、自分の手で〇〇を殺すことになった。
 炎獣が〇〇を殺したのは、〇〇が〇一と同じく、印持ちを喰わなければ生きていけない生き物だったからだ。印持ちが喰われないため、人間が殺されないために印喰を殺した。確かに、楡月のことを言える立場ではないかも知れない。
 ……ただ単に、弱味を握られている、と言う風にも見えるのだが。
「で、僕を呼んだ理由は」
「貴方には〇一を説得してもらいたい」
「帰っていいか?」
「いいえ」
 席を立ちかけた巨獣に首を横に振ってみせて、楡月は炎獣を見る。先に炎獣が立ち上がって、巨獣の肩に手を置いた。
「――冗談だ。触るな」
 その手を振り払って、巨獣はため息をつき、
「だが、冗談じゃない。できるとは思えないな。さっきだって死ぬところだった」
「できなければ制圧で構いません」
 すました顔で返してくる。――この男、殴り飛ばしてやろうか。
「……炎獣と組めってのか?
 僕と炎獣の能力は超攻撃型だ。捕まえるのに向いてるとは思えない」
化物・・相手には、それでちょうどいい」
 目を細め、楡月は言い切った。
 ――協力する理由がない、と言おうとして、巨獣はやめた。
 街に印喰マーク・イーターが隠れ住み、過去に何人かの印持ちが喰われているかも知れない。おまけにそいつは一四二〇しんゆうが面倒を見ていたというのだ。そこまで事情を聞いて協力しないのは、いくら何でも薄情だろう。
「……解った。協力しよう」
「有難うございます」
 座礼する楡月から、巨獣は何とはなしに顔を背けて炎獣を見る。
「それで、何をすればいいんだ?」
「二年前と同じです」
 こちらが協力すると言ったというのに、炎獣は陰気なままである。
「同じ、と言うと?」
「――あちらから、来てもらえばいい」
 炎獣は胸の前で拳を作ると、陰鬱とした表情で俯いた。




3.印喰マーク・イーター




 相手に飛びかかろうとして……少年は、足を止めた。
「な……」
 目に宿るのは憤怒や憎悪ではなく、困惑と驚愕。
 それを確認して、相手はこちらを細めた目で見つめてくる。赤い色が、大きな目にちらついた。
「何をそんなに驚いてるの?」
 問いかけに、一瞬だけ少年は泣きそうな顔をした。だがそれはすぐに打ち消され、少年の顔を怒りが彩っていく。
「お前……」
「そうだよ。君が思う通りだ」
 ゆっくりと頷いて、相手はにこりと微笑み、首を傾げて見せた。
「僕は君が知るひとの、そのどちらでもない。
 ――けど、僕が君に語ったことは全て本当で、君に協力したい、と言う僕の気持ちに偽りはないよ」
 肩をすくめ、やや早口に相手は言った。弁解じみた口調は、少年の知っている人物と似ているが、だがそれだけだ。本人ではない。声は、姿は同じでも、全くの別物。
 信用ならない。この男。いや、男かどうかも疑わしい・・・・・・・・・・。こいつ。
「……あんたの目的は何なんだ?」
「ようやく僕のことを気にしてくれた?」
 見上げがちにこちらを見つめる。張り付いたような笑みが気に喰わない。挙動、口調。
 全て、まがい物だ。
「そうだね。僕も君と同じようなものだ。もういないひとの影を追って、そのひとの理想を叶えようと必死になっている。そうすることで、そのひとの弔いをしようとしている」
 皮肉っぽい笑みを浮かべる。演技だ。何もかも、語る言葉も。その言葉が本当でも、少年には嘘くさく聞こえた。
 ――いや、本当か嘘かなど、少年にはどうでもいいことだ。後ろから刺される危険さえなければ、目的さえ果たせれば、後はどうでもいい。
「僕は君を裏切ったりはしないさ。協力するって言うのも変わらない。それじゃあ、駄目かな?」
「……あんたは、一体誰なんだ?」
 瞬間、少年の知り合いの顔を借りた相手の顔に、作られていない本当の表情が浮かんだような気がした。寂寥のような後悔のような自嘲のような。そのどれとも知れず、いずれにしても一瞬のことでしかない。
「僕は誰でもないんノーバディだよ」
 ふざけた答えだった。胸糞悪さに顔をしかめて、しかし、少年は言葉を発する前に目を見開く。
「……あぁ、風が変わった。君の憎い奴が来たよ。行かなくてもいいの?」
「言われなくても解ってる」
 吐き捨てるように返し、少年は駆け出した。自称誰でもないそいつの横を通り過ぎる時、ちらりと横目で姿を見た。目が合って、少年は舌打ちする。
 ――似過ぎだ。いくら。
 心中の言葉を途中で止めて、少年は首を横に振った。袋小路から飛び出して、大通りへと駆けて行く。
 その背を消えるまで見つめ、そいつは少しだけ寂しげに笑う。
「……さぁ、私も目的を果たさなくちゃね」
 呟いて、誰でもないそいつは、少年の後を追うように踵を返した。




 数台のパトカー、張り巡らされた立入禁止のテープ、十数人の警官、それを一重二重と取り囲む野次馬。
 〇一が破壊した地面の周りには、すでに大勢の人間が詰め掛けていた。
 ――真夜中だと言うのに、ご苦労なことだ。
 思いながら、巨獣は目深に被った帽子の位置を直した。ここは病院から近い。見つかっては面倒なことになる。
「……何て言うか、対応迅速過ぎないか?」
「そうでもないですよ。あれから四時間は経ってますし。むしろ遅いぐらいです」
 髪を下ろしサングラス・・・・・をかけた炎獣が小声で答えてくる。春先の変態のようなコートがかなり似合っていない。
「それでどうするんだ? これだけ野次馬が多いと、死人が出るぞ」 
 あえて突っ込まずに巨獣は問いかけた。もう少し経てば炎獣のにおいを嗅ぎつけて〇一がやってくるはずだ。恐らく〇一は人間がいようがいまいが気にしないだろう。
「――すぐにここから離れます。〇一が来てからの話ですが」
「何?」
「目撃者になってもらいます。全身に印を持つ印持ち、と言うのはいませんから」
「それも楡月の指示か?」
 炎獣は頷いた。
 その楡月は今ここにはいない。ただ単純に足手まといになるからと言うのが理由である。確かに炎や不可視の破壊が飛び交う中に、ただの人間がいても邪魔なだけだが。
 話題をなくして、巨獣は沈黙した。炎獣は人ごみを見ながら、ぼんやりと立ち尽くしている。胸の前に拳を作っている。また、その仕草。
「……昼から気になってたが、それ、何だ」
「はい?」
 不思議そうな表情をする炎獣に、巨獣は何となくいらつきながら、
「そのポーズ。そこは、確か怪我をしたところだったよな」
「あぁ、これはただ……」
 握った手を広げて、炎獣は胸を押さえた。苦笑して、手を下ろし、
「――あ」
 ふと顔を上げる。
 炎獣はサングラスを外し、顔を強張らせて、ため息をつくように。
「――来た」
 空気が、変わった。
 背筋に走る悪寒を感じながら、巨獣は帽子を取り投げ捨てる。辺りの寒さに関係ない。怖気。ぞくぞくと身体が震える。
「お前ら、逃げっ……」
 声を上げる前に、首に腕が回った。炎のような黒い印の走った腕――炎獣だ。
「炎……」
走ります・・・・
 ぐいっ、と後ろに引っ張られる。首が圧迫されて頭に血が上る。人ごみからかなりのスピードで離れながら、巨獣は見た。
 自分たちが先程までいた場所に、青い髪の少年が飛び降りてくるのを。夜気が弾け地面に穴が穿たれ、一瞬少年の姿が穴の中へ消える。――危なかったのは自分たちか。真っ白になった頭に徐々に血が上っていく。
「……お、おい、どこまでッ行くんだ!?」
「ここから二分ほど行ったところに空き地があります」
「二分ってお前……死ぬ! それは!」
「それまでちょっと我慢して下さい」
 言い放ち、炎獣は速度を上げる。目が眩み、息苦しくなりながら声も出せずに、巨獣はそのまま意識を失った。




「……貴方は、死んだと思っていた」
 暗闇に声が響く。
『死んだと思ってた? 死んでいて欲しかった、のではなく?』
「そうかも知れない。私は――貴方が嫌いだ。貴方が私を嫌いなようにね」
 受話器の向こうから押し殺した笑い声が聞こえてきた。
『嫌いなんじゃない。私は貴方が憎い』
「……どうして〇一に近づいたんです?」
 ため息混じりに彼は話を変える。くぐもった含み笑いが癇に障った。
『目的は貴方とそう変わりないわ。やり方が違うだけ……』
 呟く声。叫びだしそうになるようなのを堪えるような、抑えられた囁き。怨嗟の響き。憎しみの色。
『……私、あの時無理にでもあの人を止めるべきだった』
「そうしていれば、無理にでも・・・・・あの人は行ったでしょう」
『……そんなこと知ってるわよ!』
 絶叫に、彼は一瞬受話器から耳を離した。また受話器に耳をつけると、しゃくり上げるような声が聞こえてくる。
『そんなこと知ってる。誰よりも……あ、貴方に言われるまでもなく、私は知ってる・・・・・・
 私が貴方を憎むのは……嫌いなのは、そんな理由からじゃない!』
 声が震えていた。明かりの無い暗い部屋を凝然じっと見つめ、彼は短く息を吸う。
「……では、何故?」
『なぜ?』
 虚を突かれたような、裏返った気の抜けた声が返ってきた。彼もまた、訝しげな顔を作る。何故、相手はこんなに動揺している?
『何故、ですって? 貴方……何を言ってるの? ふざけて、るの……?』
「貴方こそ、どうしてそんなことを言うんです?」
 しばしの沈黙。
 上がった息だけが受話器から耳に聞こえてくる。
『貴方、まさか……?』
「――何がまさかなんです?」
 答えは返ってこなかった。
『……それでも、貴方がやったことが消えるわけじゃない』
 代わりに、低い声でそう返ってくる。
 彼にとっては、わけの分からない台詞。
『だから私は貴方を許さない……絶対に許せない……』
 そこでぶつりと電話は切れた。あとはただ断続的な電子音。
 深く長く彼は嘆息し瞑目して。
「……私が、したこと……?」
 自問する。
「覚えていない」
 何も覚えていない。
 目を見開き額を押さえて。
 受話器を取り落とし彼は呆然と暗闇を見つめた。




 ――目を開くと視界いっぱいにアスファルトの地面があった。
「は?」
 我に返る前に、世界がぐるりと回転する。
「はぁぁぁっ!?」
 悲鳴を上げながら、巨獣は尻から地面に着地した。背中を強かに打ちつけ、その痛みに涙が滲む。
 ……一体、何だ。むしろここはどこだ。
「目が覚めましたか」
 声が降ってきた。仰向けに倒れたまま瞬きを繰り返す。目には青黒い夜空しか映っていない。
 起き上がって、巨獣は辺りを見回した。ちょうど真後ろ。高い背、赤い鱗に包まれた炎の左腕。炎獣が、横目でこちらを見下ろしていた。顔はどこか申し訳そうだが、姿は臨戦態勢としか思えない。
 巨獣が座り込んでいるのはアスファルトの上だが、なるほど、確かに視線を移せば枯れた雑草がつみ上がる土の地面があった。空き地、と炎獣は言ったが、そうして置くには勿体ないほどの広さである。印持ちの能力でも、この広範囲を洩れなく破壊することは不可能だろう。
 ……はたと、そこで巨獣は思い出した。
「よくもお前、僕を……!」
「文句は後で聞きます。それより」
 ……そうだ。
 思い出して、巨獣は視線を巡らせる。自分たちを追ってきていた少年は、どこにいるのか――
 果たして、炎獣の向こうに、少年が一人立っていた。
 蒼髪に赤瞳、冬だと言うのに露出した四肢には、黒い刺青のような印が無数に刻まれている。 
 ――〇一。
 はっきりと姿を見るのはこれが初めてか。少年だ。鋭い目をした、こちらをただ睨み付けてくる少年。
 ただの――子供に見える。
 本当にこいつが、自分の左腕を奪い、この二年印持ちを喰ってきた化物なのか。
「炎獣、こいつが……」
「……やっと」
 炎獣に答えを聞く前に、少年が口を開いた。口元に笑みが浮かび、しかし目は泣きそうな。
 奇妙な表情。
「……やっと、お前を殺せる」
 重荷を下ろした時のような、晴れ晴れとした笑顔だった。身構える前にその姿がかき消える。
 空気が震えた。目を見開く巨獣を後目に、炎獣が左腕を振り抜く。弾け飛び巻き上がったアスファルトを炎が焼き払った。顔に熱風が吹き付けて、巨獣は顔をしかめて後ろに下がる。
「お、い、説得は……」
「退いていて下さい! 邪魔です!」
 にべも無い。言われた通りに後ろに下がり、巨獣は眉を寄せる。邪魔か。これでは人間と変わらない。……来ない方がよかったのではないか。
 嘆息しつつ顔を上げれば、少年の両腕が、それぞれ別の異形へ変じていた。右腕は巨獣の腕、左腕は――あれは。
 腕ではない。
「蛇の……腕!?」
龍王レヴィアタン!」
 炎獣が叫び、顔を強張らせた。少年の左腕、黒鱗の蛇が、ばくりとその口を開く。白い光が集束し、辺りに熱気が渦巻いた。だと言うのに背筋には寒気が走る。
 射線上には、間違いなく自分も入っていた。
 ……まずい。
 だが、動けない。
「くそッ!」
 吐き捨てて、炎獣は〇一に向かって走り出し、紅い鱗の左腕を振るった。
 炎に圧され、〇一は舌打ちして黒鱗の左腕を押さえ、後ろに下がる。白光も熱気も怖気も消え失せて、巨獣は安堵の息をついた。
 だが、炎獣はまだ止まらない。〇一が驚いたように足を止め、毛皮に包まれた右手をこちらにかざす。それと同時に炎獣が左腕を振り上げ、振り下ろした。炎の渦を不可視の破壊が振り払い、余波は炎獣に及ぶ。右肩で血が弾け、呻いてようやく炎獣は踏みとどまった。
「……三五九二サンゴーキュウニイを護ったか」
 言葉を漏らし、〇一は左腕を下ろす。蛇の腕は、黒い印の走る少年の腕へと戻った。自分のことだ。一四二〇ヒトヨンニイマルが、死んだ巨獣が、自分を呼ぶ時に使った番号。生まれた時、自分に振られた番号。
「お前にしてはいい心がけだ」
「……知っていて、何故この人ごと」
「俺がそんなことをすると思ったか?」
 肩を押さえ、荒い息をつく炎獣を睨み、〇一は鼻で笑う。はったりだった、のか。
「おい、お前――」
「あの時はすまなかった。お前だと、解らなかったんだ」
 声をかけた巨獣に視線だけ向けて、〇一は小さく笑んだ。炎獣に向けたものとは違う、嬉しそうな表情だ。年相応の、少年のような、照れるような笑いである。
「ずっと会いたかった。会って話がしたかった」
「……そうか」
 巨獣はそうとだけ返した。
 ……どこかが、何かが違うのだ。普通ではない。この笑みは、ただの子供のものなのに。
「けど、話はこいつを殺してからだ。俺はこいつを殺さないといけないから」
 笑んだまま言う〇一に、巨獣は無性に悔しくなった。何で、笑ってそんなことが言えるんだ。何で、こいつは。
「……どうして」
 問いかけて、巨獣は自分の役目を思い出す。説得だ。こいつを言いくるめなくてはいけない。哀れむのはそれからでもできる。思考を切り替えて、巨獣は〇一を見つめた。
「……何故だ。
 何でそこまで炎獣を殺したがる? そいつが一四二〇を殺したわけじゃないだろう?」
「殺したのもおんなじだ。それに兄を殺したのもこいつだろう」
 〇一は笑みを消して、忌々しげに吐き捨てた。炎獣が目をきつく瞑って膝をつくのが視界の端に見えた。それは――それは、知っている。自分はそれを目の前で見ていた。
 兄とは――〇〇のことか。
「こいつは自分が生き延びるために、〇〇を殺したんだ」
 紅い目が暗闇でじわりと光った。静かだが激しい怒りと、侮蔑と軽蔑の色が少年の瞳に浮かぶ。
「こいつはどの道〇〇と一緒に殺されるはずだったんだよ。飼育係は、秘密を漏らさないために殺されるのが常だった」
「……何?」
 巨獣が訝しげな顔をする横で、炎獣が目を見開く。しかし次の瞬間には〇一の蹴りを腹に受けて、そのまま炎獣は腹を押さえうつ伏せに倒れた。咳き込んで悶絶する炎獣を見下し、〇一は息を吐く。
「だから炎獣は〇〇を殺すふりだけして研究所の生き物を皆殺しにさせた。〇〇が自分を殺さないことを見越して」
「ちょっと待て。それは……」
「傷を負ったのは予定外だったかもしれない。だがこいつが病院とやらに入っている間、〇〇が印持ちを食って回ったおかげで、こいつは研究所の皆殺しの件からの疑いからも外れた。
 後は〇〇を殺してしまえば、事実はうやむやになる。そうやって、こいつは生き延びたんだ」
「……違う、俺は……」
「黙れ!」
 〇一が初めて叫び、炎獣をさらに蹴り飛ばした。
 顎を蹴り抜かれて吹っ飛び、そのまま炎獣は仰向けに倒れて動かなくなる。死んではいないだろうが、脳震盪でも起こしたのだろう。気絶している。
 だが、炎獣が言いたいことは解る。
 俺は知らなかった、だ。
 二年前、炎獣が嘘をついていたとは思えなかった。今もそうだ。〇〇と死ねと言われたら、炎獣は喜んで一緒に死んだだろう。そう言い切れる。それは解る――そこまで考えて、ふと気づく。
 ……何故こいつはこんなことを知っているんだ?
「〇一。その話、誰から聞いた」
「……」
 言葉を止めて〇一は沈黙した。明らかな同様の色が紅い目に揺れている。それを見つけて、巨獣はさらに言葉を続けた。
「誰から聞いたんだ? 炎獣が〇〇を殺したこと、それに、〇〇が炎獣に利用されていたと」
「……」
 〇一は押し黙ったままである――やはり楡月が言った通り、〇一に馬鹿な話を吹き込んだ奴がいるのだ。
「炎獣を憎んでいたんなら、どうして二年間こいつを殺そうとしなかった」
「それは……」
「誰に聞いたんだ。お前にそんな嘘を吹き込んだのは誰だ?」
「――嘘?」
 虚を突かれた表情で〇一がこちらを見る。それに巨獣は思わず何度も頷いた。このまま説得できなければ、炎獣が殺される。流石にそれを横で見ているわけにはいかない。
「……〇一、お前にそれを言ったのは誰だ?」
「……」
「どうして黙る? 言えないのか。僕にも?」
 聞いた瞬間に、炎獣が小さく呻いた。起きたか、と安堵の息をついてから、巨獣は〇一を見つめる。まだ迷っている。あと一押し必要か。
「――それに、さっき会った時、炎獣が来たのにお前は退いた。それは何故だ」
 聞かれて、〇一は目を逸らした。
「それは……」
 呟いて、〇一は首を振り、こちらに視線を合わせる。
「あいつが、炎獣と一緒にいたから誤解したんだ……騙されたと思ったから……」
「あいつ?」
「……」
 また沈黙。
 〇一は俯いて、迷うように目を泳がせる。炎獣が頭を押さえて、起き上がろうとするのを見て、一瞬硬直し、そして。
 唐突に。
 ぼこん、と〇一の胸に穴が開いた。
「え?」
 思わず巨獣は間の抜けた声を出す。
 意識を覚醒させた炎獣が驚愕に目を見開き、〇一は口から血を吐き出して、息を搾り出すように声を上げた。
「お……前……」
「誰にも言わないって約束したじゃない。〇一」
 〇一の後ろに、誰かいた。無邪気な少年の声。どこかで一度聞いた声だ――だが、どこで。
「――あ」
 声を上げたのは、炎獣だった。
 〇一は膝を折り、黒いアスファルトの上にどす黒い血がぼたぼたと落ちて広がる。その後ろに。
 黄緑色の髪に、紅い目。
 頬に走る黒い印、少女のような少年の細い体躯。
「――こんばんは。炎獣サラマンダ
 そいつは――その少年は、巨獣が二年前に見た、〇〇そのままのそいつは、言ってにっこりと笑った。




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