うつ病を克服した仁科に対する素朴な疑問Q&A


メールで頂いた質問などを書いてみました。

Q1どうやってうつ病を克服しましたか?

Q2闘病中はどんな生活をしていましたか?

03治療の決め手はやはり薬でしょうか?

Q4鬱最盛期の症状はどんなものでしたか?

Q5夜中とか昼間とかいろんな人に電話したくなるんですけど、迷惑ですよね。その辺はどうしてたんですか?

Q6仁科さんはどうやって大学を卒業しましたか?

Q7うつ病が治っていく過程とはどんなものなんですか?




Q1・どうやってうつ病を克服しましたか?

A
・病院へ行き薬をもらい、薬をちゃんと飲んでいた
・周囲へ理解を求め、自分がより居心地がいい環境を作ることができた。
・周囲が支えてくれた
・とにかく時間を潰すことに専念した
・自分がしたいようにした(自傷行為も好きなようにさせてくれた。ただし自殺だけは止められた)

これが私が鬱を短期間で克服した理由だと治った今考えています。
鬱を克服するには時間が凄く必要です。そしてその克服するために要する時間をできるだけ短くするには、病院へ行って専門家である先生とカウンセリングを行い、適切な薬を出してもらうのが一番近道です。
私は元来ズボラな性格なので、薬を飲むことをよく忘れてしまいましたが、彼氏や母、友達が常に食後などに「薬飲んだ?」と確認してくれるのでちゃんと飲むことができました。
薬のことだけでなく、鬱を克服するための時間というのは長い、とにかく長いので、周りの援助がどうしても不可欠です
私は幸運にも彼氏、母、友達から理解を得られたので、とても居心地よく闘病生活をすることができました
理解を得るまでにはとても大変でしたが、1回理解を得られればこれ以上の味方はいません
理解を得られてからは苦しい時に苦しいと言うことができたし、自傷行為も好きなだけするこごとができました。
その周囲の理解こそが、私の鬱克服を早めたと確信しています
関連する記述は「病気を治す早道十二ヶ条」「病気を理解してくれない人にどうやって理解してもらうか」




Q2・闘病中はどんな生活していましたか?


A・発病時私は大学生であったため、学校を休んでも誰にも文句を言われることもなかったので、学校は全く行かずにずっと一人暮しだった彼氏の家で引きこもっていました
家庭に問題があった私は、家にいること、父の存在を感じることがすでに苦痛だったからです。
父には彼氏の家にいるとは言えないので、友達の家へ止まっているとウソをつき、母にだけ彼氏の家にいると伝えていました
彼氏の家では、ネットをしたり、好きな本を買ってきて読んだり、テレビを見たり、プレステを購入してプレステをやったりしていました
その時にしたいことをしたいようにしていました。
食べたい時に食べ、寝たい時に寝て
昼夜逆転しまくりだったし、引きこもっているのに食べ物食べまくっていたので発病時の体重から最大10キロ体重が増えました
調子がいいと、友達に連絡をしてお茶しに行ったり、友達と大学で落ち合って一緒にご飯食べたりなどはしました
何もできない自分は「病気だからしょうがない」と「病気だからしょうがない」という言葉を免罪符に、何もしないで、好きなことだけしていました
これが最終的には短期克服につながったと思っています
1分1秒生きてるのが辛いのに、無理して普通の生活しようとすれば闘病が長引くだけです
鬱最盛期の私も、無理して普通の生活しようとしていました。
でも周囲が「仁科は病気なんだから無理しなくていいんだよ。好きなことしてていいんだよ」と何回も何回も言い聞かせて、ようやく納得した形でした




Q3・治療の決め手はやはり薬でしょうか?


A・私は違うと思います。もちろん薬も早期回復には不可欠です。
しかし辛い時間の、辛さを少しでも和らげるために飲んでいるに過ぎないと思います
治療の決め手は周囲の温かい理解と許し、そして本人の治りたいと思う意思だと思います
本人が治りたいと思わないと、周りもどうすることもできないし、いつまでたっても治りません
そして周囲の理解が、苦しい鬱の一時の安らぎに繋がります




Q4・鬱最盛期の症状はどんなものでしたか?


A・とりあえず思いつく限り箇条書きにしてみますね
・理由がなく落ちこむ。黙り込む
・壁を殴る自傷行為を毎日やらないと気が済まない時期があった
・リストカット(1時期)
・落ちつかなくてうろうろイライラ
・意地になって眠れない
・普通なら怒るようなことをされても自分が悪いと責めて落ちこむ
・集中力がなくなり大好きな小説が全く読めなくなる。勉強なんてもっての他
・大学の教室に30分ですらいられない。
・12時間睡眠しないとダメ。昼夜逆転が日常茶飯事
・鬱で苦しい時は問答無用で頼れる人間全員にメール。夜の場合は相手に事前に「寝てたら携帯切っておいてね」と頼む。そのメールの時にヒマな人間が私の相手をしてくれていた
・波があり、昨日調子がよかったと思うと次の日は鬱でぼけーっとしている
・約束ドタキャン日常茶飯事
・自殺未遂(1時期頻繁にやっていたが全て周囲が阻止)
・性欲過剰になり、よく彼氏に求めていました(汗)
・外で自傷行為ができない代償にタバコを吸い始める。それによって自傷した気になっていた
・携帯のメールの返事が億劫で書けない。電話に出れない。電話の音が怖い
・大きな音に過剰にびっくりして怖くなる
…こんなものかな…?




Q5・夜中とか昼間とかいろんな人に電話したくなるんですけど、迷惑ですよね。その辺はどうしてたんですか?


A・最初は我慢したりしていましたが、やっぱり苦しいので結局連絡がつきそうな人間に片っ端から連絡とって話しを聞いてもらったり、メールの相手をしてもらいました
相談の最初は携帯のメールがいいかもしれません。返事がなければ今寝てるとか、忙しいとかで私の相手ができないんだなと思って他の人に当たれるし、なにより鬱時は私は電話ができない人間でした
想像してみてください。例えば貴方の大事な人が1ヶ月後に「実は1ヶ月前凄い辛いことがあって大変だったんだよね」って笑って貴方に言ったら貴方はどう思いますか?
なんで私に相談してくれなかったんだろう?大事な貴方のグチならいくらでも聞くのにって思いませんか?私は思います
鬱でも普通のグチでもそれは変わりません。
もし相手が迷惑じゃないか心配なら、「今大丈夫?」って聞けばいいと思います。そして事前にちゃんと「迷惑な時はハッキリ言ってね」と念を押しておくといいでしょう
相手が忙しい時「忙しい」と言ってくれれば、多少は理解してしょうがないと思うことができますよね。相手にとっても忙しい時は構ってあげられない…という負い目があるでしょうが、そうやって言っておけば、後で話しを聞くぞ!って思えると思います
相手にとって負担になるのは自分が忙しい時、精神的に苦しい時に他の人の相談に乗ることだと思います
なので「今大丈夫?」とちゃんと聞けば大丈夫です。逆に周囲の人は貴方が弱音を吐いてくれるのを心待ちにしていること間違いありません
こんなことが自信を持って言えるのは、私の周囲の人間がそうだったからです
後で「あの時リストカットしてしまった」と言ったら激怒されたことがあります。どうしてその時に私に一言相談してくれないんだと。私は全然迷惑じゃないし、迷惑な時はちゃんと言うんだから、連絡ちょうだいよって
長々説教?されて、私はそんなものなのかとビックリしましたが、そんなもんですよ(^-^)
そういえばゼミの友達に卒業式の日に病気を告白したら「なんでもっと早く言ってくれなかったの?」と悲しそうな顔で言われたこともありました。理由はちゃんと説明して理解してもらいましたが、「知らなかったとはいえ、全然仁科さんのために何もしてあげられなかった」と悲しまれたことがあります
鬱だと気付かないことですが、そんなものです。自信もって言えます




Q6・仁科さんはどうやって大学を卒業しましたか?


A私の場合は大学二年次の夏に発病しています。後期からは段々出れなくなり10月半ばには全く学校に行けなくなりました。
大学二年次の学期末テストは司法試験で勉強していた科目を中心に半分ほど試験を受けましたが、他は全部受けられませんでした。司法試験科目ですと調子がいい時は前日、ダメな時でも教室に入ることができれば、思い出して書くことが可能でした。
大学三年次も学校は一週間に1回ゼミの日に行ければいい方という状態でほぼ行っていません。大学三年次に一定単位以上取得していないと四年生に上がれず留年なのですが、ゼミの友達を中心に私の惨状を心配してくれたため、友達が私の授業の試験範囲の情報を集めてくれました。
しかし情報があっても勉強が全くできませんでした。そのため司法試験科目&ラクな教科を中心に受験し、辛くも規定単位より1単位多い単位数で四年生に上がりました。
しかし四年次の試験も集中力が足りない状態の上に、三年次までにほぼ司法試験でカバーできる科目は取り終えてしまっていて全く知らない法律の科目ばかりでした。二年から引きずっていた出席重視の語学(必修)も含め、必修二単位習得できず留年しました。
大学五年次の夏にうつ病完治し、更に友達の情報からラクな授業しか履修していなかったので、期末試験シーズンに失恋や祖母の死などストレスが重なったりしましたが勉強をすることができました。お陰で単位ギリギリで大学卒業しました。


大学卒業できたポイントはふたつです
まず友達の協力です。
病気のことを話していない友達であっても、私は今病気でちょっと体調がよくないということだけは、授業やテストの話題で言わざるを得なかったので言ってました。しかし病名はわからなくても私が辛いということだけはわかってもらえていたみたいです。
同じ授業の人がテスト範囲を教えてくれたり、親友が私の授業の試験範囲を友達に聞いて回ってくれたりしました。
大学五年次の時も、情報はあっても勉強の仕方が分からないという一年生みたいなこと言っていた私に丁寧にやり方を教えてくれた友達がいました。
あと特に助かったのが友達の送り迎えでした。
私の場合は発病前にかなり勉強していたので、教室に行くことさえできれば、テストさえ受ければ適当に書いて単位貰えるということが多かったのです。あとテストさえ適当に書けば単位くれる先生の授業のテストなども。
そういう場合、丁度都合がついた近所の他大の親友Tが家まで迎えに来てくれて一緒に大学の教室まで行ってくれたりしました。
当日体調が悪かった私を「とりあえず(近所の最寄)駅前まで行こうよ」となだめて誘い出してくれ、駅前でウジウジしている私に「とりあえず、(大学の最寄)駅まで行かない?」と上手に私の気を引いてくれました。大学の最寄駅に着いても「やっぱり行きたくないよ…」って鬱になっている私を彼女は「テスト受けなくていいから、教室の前まででいいから行こう?」って言って励ましてくれ、そして教室の前まで私がようやく着いた時に「じゃ、行ってらっしゃい。待ってるからね」って言って私を教室に押し込んでくれました。
どんなに体調悪くっても、やっぱり卒業したいし単位取りたいわけですから、教室に入って席について、流れのままテストが始まれば適当に何か書くことはできるんですよね。
他に住んでる場所が遠い友達でも「大学で待ってるから、よかったら来てよ」って軽く約束してくれ、とにかくその人にまず会うために学校に行って…ということもありました。「テスト終わったらカラオケ行こうね。だから行っておいで」と教室の前で背中を押して貰ったこともありました。
そして更に必勝?法はテストの裏に病気自慢です。
いざテストに来たはいいけど設問の意味すらわからない…という時に苦肉の策で書いたのが、コレです。友達が「この先生は優しい人だから、とにかく何か書いてこい!」と言ってくれたので、私がどうして病気になったのか、今どういう状態なのか、薬を飲んでいること、自傷してること、通院してること、そしてこんな迷惑かけ子の私だけど親のためにどうしても卒業したいんだ単位が欲しいんだということ、今こうして教室でテストの答案を書いてること自体がどんなに頑張った結果なのか、今こうして書いてることがしんどくてしょうがないんだということを、切々と書きました。それ以来全科目のテストの答案の裏に書くようになりました(笑)
最後に私のメールアドレス・電話番号を書き、「診断書が必要でしたらご連絡下さい」と書いて、答案を1番に出して帰ったりしました。
もちろんダメな先生もいますが、ダメモトです。せっかく来たんだし何か足掻いて帰ろうって思いました。
そうしたら、必死に頭絞って書いた酷い答案を、裏に病気のことを書き、いかに苦労してこの答案を書いているのかというのを知って下さり、ギリギリ単位習得させて下さった先生もいました。
病気自慢だけで犯罪心理学は80点とりました(笑)
病気だからと言って加点はできないという前提ではありますが、「大丈夫ですか?無理しないで」とわざわざお手紙を下さった教授もいらっしゃいました。
もう本当に病気のことで一杯一杯だったので、もうなりふり構ってられませんでした。
私はこんな感じで卒業しました。
私がとにかく必死に苦しみと戦っていること…それは本人が意図している以上に周りに伝わるものなのだなぁ…と今振り返るとしみじみ思います。




Q7・うつ病が治っていく過程とはどんなものなんですか?


A・ 私の場合、鬱最盛期の頃は一日物凄い鬱で次の日はまぁまぁ調子がいい、でもその次の日は鬱で体が重いという感じでした。
そしてうつ病というのは、その調子のいい日が少しずつ増えていって、鬱の時が少しずつ少なくなっていく形で治っていきます。
また、鬱の深さも次第に軽くなっていきます。
治りかけの頃には、イライラするという症状が出ることがあります。それは今までは鬱として出ていたものが、治ってきていることによってイライラに変わったという「治りかけの印」みたいなものだと思っていいと思います。
大抵、最盛期を越えた治りかけの方が一番不安になることは「完治ってどんなものなの?」というものです。私も治りかけのときによく思っていました。
完治とは、その段々少しずつ鬱の時間が少なくなっていき、主治医が投薬を辞めた後、カウンセリングも必要ないと診断した状態のことを言います。
段々薬を減らしていき、薬が必要なしと診断されても、約半年ほどはカウンセリングのために通院しなくてはなりません。
そしてそのカウンセリングを通じて、医師が「通院の必要なし」と診断することが、イコール完治だと私は考えます。
私が主治医に完治宣言を頂く前の半年というのは、毎日ぐだぐだ過ごしてるけど体が重くない、この前大学でこんな面白いことをして遊んだ等雑談ばかりという状態でした。特に酷く落ち込んだり、医師に言わなくてはいけないことが見当たらなくて待合室で悩みを探したこともありました。
鬱は再発率が高いので医師の診断がない限りは、ちゃんと通院は続けて下さいね。自分の判断で通院や投薬をやめたりするのは危険です。
また、各所に私の治った時の体験(2002年1月の解離状態から脱した時の体験)が書いてありますが、私の場合は主治医も首をかしげるほど、医学的には特異な治り方をしているので、あまり参考にしない方がいいと思います。
基本的には、ゆっくり少しずつ治っていくものだと思っていて下さい


*更に追加予定。



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