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 ランチを食べ終え、中庭へと移動していたその最中に、不意にジローが言い出した。
 「ねー、海行こうよ。海」

 

 

               へ 行 こ う と キ ミ が 言 う か ら 。(前篇)

 

 

 六月も半ばに入ると蒸し暑さの中にちょっぴりだけ夏の色が混じり始める。
 雨続きの合間にたまにのぞく爽快な空とか。真っ白な厚い雲とか。照り返しの強い日などは眩しくて、屋内から戸外へと出たその一瞬目が開けられなかったときなどは、特に強く夏を意識してしまう。手をかざしながら薄目を開けてそういう時は思ってしまうのだ。あー、夏の眩しさだと。
 最近では梅雨入り、梅雨明けと言わないらしいが、それでもやっぱり雨が続いたりすると『梅雨入りしたんだ』と思ってしまうし、数週間後に雷が鳴れば梅雨もようやっと明けるんだと、そういう風に考える者もまだ多くいる。
 現在、七月の第一週目の木曜日。
 そしてジローが海に行こう行こう言い始めて三日目。
 いい加減忍足もうんざりしてきている。
 「ねーねー忍足ってば。なにさっきから無視してんのさ。すげえイヤな気分になってくんだけど」
 無視されてるとわかってなぜしつこく誘い続けられるのか。望みがないとなぜわかってもらえないのか。しつこ過ぎてホントにもぉうざい。
 「ねーってば」
 「あんな、ジロー」
 仕方なく振り返って。話をしようとすればこちらの意見などはなっから聞く気がないのか、『海、行きたい』それしか言わない。
 「ねー、いいじゃん。なんでヤなんだよ」
 「せやからずっと言うてるやろ。暑いから嫌や。陽から隠れるとこないねんで? 焼かれてまうやん」
 「そんなことないって。まあ天気が良ければ暑いのは仕方ないけどまだ夏じゃないんだからそんな日焼けなんてしないって。あ。じゃあ曇りの日に行こうよ。それなら平気じゃん?」
 「曇りでも嫌や。知ってるか? 曇りの日の方が紫外線多いんやって。そういう日に出掛けんのは躯によおないやん。だから嫌や」
 「紫外線がなんだよ。忍足男の子だろ。そおいうの気にするなんてヘンだよ」
 「なに言うてんねん。今は男も女も関係あらへんよ。それでなくてもオレら部活でいやってほどお陽さんに当たってんねん。将来はきっとシミだらけや」
 「だからそおいうこと心配していいのは女の子! 男の子は元気に外で遊ぶもんなんだって!」
 「そらまた偏った意見やなぁ。て言うかジローはなしてそないにしてまで海になんか行きたいん? 行ってなにしたいん? 泳ぎたいんやったらいくらなんでもまだ早いと思うで。まさか海が見たいとか言うんやないよな? もし見たいだけなんやったらオレ誘わんと一人で行ってき?」
 畳み掛けて言うと、むくれたような表情を見せたジローの突き出た口から『忍足のケチ』と言う言葉が返された。ケチケチケチケチ……何回言われただろうか。とにかくケチしか返ってこなくて。忍足はもう頭を掻くしかなかった。
 「あんなぁ、ジロー……」
 ガキ臭いことすんなや、…………だがそのガキ臭い男の曲がった機嫌を直さすには宥めてあげればよく、柔らかな髪に指を突っ込んで出来るだけ優しい仕種でくしゃくしゃと撫でてやることにする。
 ほんとにどうしたら諦めてくれるんだろうか。とにかく暑いのは好きではなくて、特に海になんか行きたいとも思えない。どう言えば行きたくないと思う忍足のこの気持ちわかってもらえるだろう。
 「なあジロー? 海は嫌やけどどっか別のとこやったら遊びに行ってもええよ? 遊園地とか映画とかそういうんはどう?」
 「……そんなのヤだ。海がいい」
 「そうか。ならオレやのうて、違うヤツを誘うんやな」
 話し合いはこれにて終了。続けても平行線。埒が明かない。忍足は、チャイムが鳴るからと残して、一人さっさと教室に戻って行く。

 

 

 


 「忍足」
 部活へと向かう忍足を呼び止めたのは跡部の声。
 珍しいこともあるものだ。これから部活に出るのだから用があるのなら部室ででもいいのだろうにわざわざ教室を出たところで掴まえるなんて。それほど緊急を要しているのか。否。あの顔は違う。よく考えてみれば跡部はジローと同じクラスだ。きっとジローに関することなのだろう。
 「跡部がお節介焼くくらいだ。ジローのやつ、相当拗ねてるみたいやな。で、泣き付かれたんか?」
 「わかってんならなんとかしろよ。うざくてしょうがねえ」
 「そらスマンな。けど、ほっといてくれていいわ。ちょおあれとは今話が噛み合わんのや」
 「話すだけ無駄ってか? はっ。そんなこと俺が知るかよ。とにかくうぜえんだよ、早いトコなんとかしろよ。つーか海行くくらいちょろいじゃねえか。付き合ってやれよ」
 「なんや事情知っとるんか。なら話は早いわ。諦めろって伝えてや」
 「おいこら待て」
 「オレを説得しよう言うんやったら無駄やで。行く気全然ないねんから。たとえ頭下げられたって頷けんのや。冬とかだったらそれはそれで寒いねんけど暑いのよりはマシや。夏を外してくれたら付きおうてやってもいいし。そう伝えてや」
 「お前、なんでそんなに嫌がるんだよ」
 追ってきた跡部はいつの間にかちゃっかりと横に居て。ジローみたく質問を投げ掛けてくる。
 「ったくどいつもこいつもなんやねん。嫌や言うてんやから無理強いなんかせんで欲しいわ」
 「だからそうやって嫌がる理由がいまいちはっきりしねえからだろ。誤魔化してねえでさっさと教えろよ」
 「お前なんで無駄にそうやって偉そうなんだよ。教えろってなんや? 跡部なんて関係ないやん。ほっといてや」
 「あぁ? なんだよその言い草。忍足のくせに生意気だぞコノヤロ」
 傲慢不遜な言葉が飛び出してきたそのすぐあとに、後ろから、がしっと、羽交い絞めにあう。
 「ちょっ、なんやねん、痛いやん、はなせって、ちょ、痛い痛い痛い、跡部!」
 信じられないことに本気で締めに掛かっている。
 首に巻きついている腕を叩いて訴えるも跡部は平然とし聞こうともしない。まだ生徒の往来はあり、忍足が出す声とそこに居るというだけで目立つ二人の存在感のせいでばっちりと周りから注目を浴びてしまってもいる。これではいい見世物だ。
 「跡部跡部、マジで堪忍や。ちょお周り見てみい。オレらエライ目立っとるで」
 「ああ? 目立つのイヤなのかよ。だったら嫌がる理由をさっさと吐けよ。したらはなしてやるよ」
 「せやからオレから聞き出さんでもジローからもう聞いてんのやろ? 暑いのがキライなんやて。この時期海になんて行ったらえらい目に合うわ。焼けて夜には悲惨なことになってまうんやて」
 「だからそれが解せねんだよ。毎日部活にも出てるし夏の合宿にだってしっかり参加してんじゃんかよ。海なんか行かなくたって部活で俺たちはたっぷり焼けてんだぜ?」
 「せやから潮がダメなんやて」
 「ああ? 潮だ? どういう意味だよそれ。わかるように説明しろよ」
 「まったくどうしてこうやたらに首を突っ込みたがる連中がオレの周りには多いんやろな、お陰で騒々しくてかなわん……」
 腕をはなしたあとそのまま横に並んだ跡部に、ネクタイを直しつつ忍足はそう零して溜息をついた。
 すると跡部は忍足のその愚痴を馬鹿にするかのように笑って、こう続けた。
 「あ? そんだけてめえの周りには世話焼きが多いってことだろが。いいじゃねえか。面倒に巻き込まれんの嫌がって関わってこねえヤツが多いってのに頼もしい連中じゃねえか」
 「……跡部……。お前、楽しんでるだろ……」
 「悪ぃかよ。自分が振り回されんのは腹立つけどよ、他人が振り回されてんの見るのは楽しいもんだぜ。特にお前とか宍戸はな。とことん律儀に相手に振り回されてっからよ、見てて愉快愉快」
 「愉快ってお前なあ、……せやけどよお思い出してみたら引っ掻き回して茶々入れとんのはほかの誰よりも跡部が頭一つ抜きん出て多いんやで? 出来ることなら今回はそっとしといて欲しいわ……」
 「ごちゃごちゃとうるせぇな。ほら、部室までの道のりは短けえぞ。とっととネタを明かせよ」
 ネタなんて言われるほどのたいした理由ではない。単に潮に当たりながら焼くとあとがヒリヒリとして大変だからと嫌だとずっと言い続けているのだ。
 「はぁ? お前の肌ってそんなにヤワだったのかよ」
 「せやから潮風があかんのや。これはもうガキん頃からそうなんよ。やからオレ、海なんて行ったの小学校の三年の春遠足が最後なんよ。以来一回も行っとらんし」
 「だっせえヤツ」
 「うるさいわ。ほっといてや」
 「忍足。それ、ちゃんとジローにも言ってやれよ。さすがに体質に合わねえと知ればあいつだって諦めんだろ」
 それはどうだろうか。あのジローなら昼がダメならじゃあ日が沈んでからなら平気だよね、夜になったら行こうよとか言い出しそうだ。潮がダメと知ればパーカー着たら? とか言いそうだし。とにかく諦めなさそうだ。
 「なあ。それよりなんでアイツそんなに海行きたがってんだよ」
 そんなのは忍足の方が聞きたいくらいだ。
 「あいつがここまでしつこく海行こう行こう誘ってきてんのって初めてじゃねえ?」
 「そうなんよね……なんでなんかな? オレにも理由が見当たらんのや」
 「最近なんか映画とか見なかったか?」
 先週の木曜頃にジローの部屋で見たものはDVDだ。でもそれに海なんて場所は入ってなかった。そもそも火曜日に突然言い出されるまで海を話題にしたこともないのだ。まさに突然振って沸いた話題なのである。
 「あいつもなあ、年頃だからな。青春してぇのかもな」
 渡り廊下に出て、西校舎へと向かうその途中。跡部が意地悪く、にやりと笑った。からかっているのが一目でわかるくせのある笑いだ。
 忍足は、本日これで何度目になるのかわからない溜息をまたついて、
 「そうやって簡単に茶々入れんで欲しいわ……さすがに今回ばかりはジローのお願いでも叶えてやれへんのや。どうやって諦めさすかがわからへんから困ってんのに跡部が茶々なんぞ入れてたら余計にこじれてまうわ。頼むからジローを突付くのはやめてな?」
 「だったらてめえで早いとこなんとかしろよ。うざ過ぎなんだよ」
 「なんとかしろ言うたかてあっちが諦めてくれん限りどうにもならん話やねん。言うても全然聞く耳持てんようやからオレの方はもうこのままほっとこ思うとんのや」
 しばらくうるさいのは覚悟の上の放置である。とにかく海なんてとこは行きたくないのだ。
 「いいけど俺を巻き込みやがったらその時は容赦しねえぞ。とことんジローのヤツを突付いてお前んとこに返すからな。そのことはきっちり胸に留めておけよ」
 きっちりと釘をさされた忍足は、だが不安が拭えない。
 なにせ相手はあのジローである。天下泰平マイペース過ぎるほどマイペースな男なのだ。相手の都合を考えて行動してくれるとは到底思えない。跡部にだって遠慮をしない男だ。これ以上跡部に泣き付いては欲しくないが盛大に迷惑をかけまくっいくれる絵がすでにもう忍足の頭の中にどーんと、浮かびあがってきてしまっている。
 「あかん、……オレの思いを嘲笑うかのようにイヤーな予感がどうやっても拭えん……」
 げんなりしつつ肩を落す忍足に、ぴくんと、跡部が眉を小さく吊り上げる。
 「なんだてめえ、ずいぶんと弱気になってるじゃねえか。ほっとくとか言いながら結局は言いなりになりそうな気配が背後から漂い始めてるじゃねえか。ったくだらしがねえな。甘やかすのは勝手だがなんでもかんでも思い通りになるなんて思わせたらのちのちエライ目に合うことになんぞ」
 「そおいうこと言わんでよ。オレかて自分が甘やかし過ぎてんのは自覚済みや。けど最後どうしても突き放しきれんのや……。あかんわ。ジローの方がオレの扱い方よお心得てるみたいやわ」
 「ああ? なにげに惚気てんじゃねえよ。馬鹿が」
 やってられないと言いたげな言葉を残して跡部が歩む速度を速めた。どんどん先へ先へと進むその跡部のあとを慌てて追いかけた忍足は、追いつくと並んだすぐそのあとにこう言った。
 「惚気? した覚え全然ないねんけど。そりゃ大きな誤解やって。なあそんなことよりアレや。オレにはもうすでにジローのやつがお前にえらい迷惑かけまくってんのがなんや見えてくんのや。考え過ぎであればいいと思うんやけどなんやえらい鮮明なんよ。なあ、これってどう思う? やっぱあいつ跡部に泣き付くんやろか。なあ跡部はどう考える?」
 「あーもう! うぜぇよお前! つーかてめら二人ともうざ過ぎ! なんでそうやってお前らは俺をなにかってぇと巻き込むんだよ! 俺は駆け込み寺じゃねえっての! ジローに泣き付かれんのなんて俺にだって見えてんだよ! ったくいい加減しろってんだ。お前もうアレだ! パーカーかなんか着ろよ!」
 パ、パーカー……!
 それはジローに言われるだろうと思っていたセリフだ。まさか跡部にまで言われてしまうとは。
 跡部がこの短い会話の中で思いついたくらいだ、ずっと海に行こう行こう言い続けているジローならば、行きたがらない理由を知ったならきっと『じゃあ長袖着て行こうよ』と言い出す確率は決して低くない。自分の欲求にはかなり貪欲なとこもあるのだ。
 『オレって頭いいじゃん!』とかなんとか……満足気な笑顔に押し切られてしまう確率も自分の中では高い。ジローに甘いなんてことはとっくに自覚済みだ。
 もうこれはあれやな、……。
 言われてから俄然重くなった足取りをとる自分の爪先をぼんやりと眺めつつ長袖なんてどこにやっただろうかと考え始める自分に対しても同情の念を抱かずにおれない忍足は、先を行く跡部の背に目を向けると、このあと部屋に戻ったならもうすぐにでも首回りがあまりあいてない長袖を一着出しておくべきなんやろな……と、これまでで一番盛大な溜息をつくのだった。

 

 

 



中編に続く。

(03.06.15)


 

ジロ忍です。

跡忍っぽいジロ忍。

ぶっちゃけ忍足は受け属性なので誰が絡んでも受けポジションにいる模様。

ジロ忍と言うCPが成立してても氷帝ボーイズは仲良しこよしってことで受け臭さ満開。

やー楽しい。

さあ、後半はチューくらいはさせようぜ! それもおっしーから!

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