あだち充02
名前…一緒だね。字はちがうけど。

      ――あだち充『KATSU』 @巻――
        (「週刊少年サンデー」'01・36/37合併号〜'01・44号,第8回まで)

 あだち充は上手い。久し振りの新刊を読んで、改めてそう思った。
 久し振り、と言っても、単行本としては7ヵ月振りだが、雑誌の上では、前作『いつも美空』終了から3ヶ月しか経っていない。あだち充を天才だと思うのは、実にこういう処だ。僅か3ヶ月で、読者をグイっと掴むストーリーを創造する才能に嫉妬さえ覚える。そして今回、あだち充の魅力は、“設定の妙” だと気がついた。
 “ボーイ・ミーツ・ガール” ……勿論、物語はそこから始まる。あだち充の基本はラブコメで、ラブコメの基本はそこにあるのだから、これは変えようがない。以前別の処に僕は、<可愛い女の子(出来れば複数)とひとつ屋根の下で暮らしたい。まあ、考えるまでもなく、以前から、少年まんがのラブコメは、この設定を如何に無理なくオリジナルな物ににするかに心血を注いで来たのだ。>と書いた。あだち充の『みゆき』など、その典型だろう。(勿論、成功した傑作のひとつだと思っている。)
 けれども、今回の『KATSU』を読んで気がついた事がある。それが “設定の妙” だ。どういう事かと言うと、“ボーイ・ミーツ・ガール” で始まりながら、簡単に結ばれる訳にはいかない “険しい山” が、ふたりの間にはあったのだ。
 同じ和菓子屋の祖父同士が犬猿の仲の孫娘を好きになった少年。(いや、好意を持った少女がそういう相手だったのだが。)その上その少女は、祖父からその少年の家を敵と言われ続けて育ったのだ。初めて少女から掛けられた言葉が「人殺し」だった。その少女がその少年に「好きだ」と言うまでに、単行本12冊を要する。
 あるいは、幼馴染の少女を親友に紹介した少年。遅れて訪れた思春期に、自分もその少女を好きだと気づいた時は、少女は、紹介した親友と廻りも羨む恋人同士になっていた。けれど……。
 考えてみれば、何もこうした “険しい山” は、最近の作品だけではなかった。海辺で初めて声を掛けた少女は、何年も離れて暮らしていた、血の繋がらない妹だった。
 あるいは、出来のいい双子の弟と三角関係になると思った時、少女から告白される。(6〜7巻辺り)が、めでたしめでたしとはならない。ライバルの弟の突然の“死”。為に、三角関係の清算の必要が生まれる。 つまり、弟を乗り越えなければハッピーエンドを迎えられないのだ。その為に、単行本にしてさらに13冊を必要とした。
 考えてみれば、あだち充のまんがは、殆どが冒頭にこの “険しい山” が用意されていたのだ。後は、如何にその山を登り切るかの物語だったのである。決して好きになる筈のない相手を好きになる為に何が必要か? それは、実は、簡単だ。相手の日常の生活を見続ける事。これに尽きる。それをリアリティ あるものとするのは、これはもう“センス” と言うしかない。そして “センス” は磨けない。それは生まれ乍らに備わった物だからである。
 つまり、あだち充とは、“設定の妙”“センス”“天与の才” を授かった作家だったのである。これで面白くない訳がない。
 折角だから『KATSU』に就いて少し語ろう。高校に入学して初めて好きになった少女は、字は違うが “かつき” という名前が一緒で、少女もその事に気づいていた。そして、少女の父親はボクシングジムのオーナーだったので、少年は「将を射んと欲」してそのジムに入会する。また少年の父親も、内緒にしていたが、かってはボクサーだったらしい。その血が受け継がれて、少年にもボクサーとしての才があるらしい。が……実は、少女はその父親もボクシングも大っ嫌いだった。「とにかくわたしはまちがっても、ボクシングをやるような男とは結婚しない! 絶対に!」と言い切られてしまう。さてこれから、 どうなるか……。楽しみである。
 処で、第1話の終わり頃、「墓参りの帰りに」と言う父親に、少年は「おふくろの命日はまだ先だろ?」と訊くと、父親が「あ、まあ。それはそれ、これはこれ……」と答える。――この伏線、後になって忘れないといいのだが。

(2002.03.03)
テキスト:少年サンデーコミックス;2002.03.15 初版発行;本体390円


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