あだち充08
心配してもいいのかァ

      ――あだち充『KATSU』 F巻――
        (「週刊少年サンデー」'03・1号〜11号,第59〜68回まで)

 『KATSU』 F巻である。いよいよ“活樹”と“紀本高道”(“活樹”のライバルだ)の練習試合が始まった。

 ボクシングに限らないが、スポーツに於ける運動能力と遺伝との関係――その学術的な相関関係を、ぼくは知らない。けれど、身体的特徴とそれに起因する運動能力は当然遺伝するだろう事は理解できる。ボクシングでいうなら、例えばパンチの重さ、あるいはフットワークの軽さ。これらは遺伝しても不思議はない。しかし、ボクシングスタイルというような物は、遺伝するのだろうか?
 それは、遺伝ではなく、身近に接している中で、体験として吸収され、似通って来る物ではないのだろうか。
 A巻でぼくは<天性のボクサーの血を引いていたとしても、15、6歳まで碌にボクシングのトレーニングをしていない “活樹”が、刃物を前にした途端、“トリップ” して、完璧なファイティングポーズを取り、フットワークも使い始める…… というのは、少し無理がないか?>と書いた。こういう行動に関する能力は、本当に遺伝子情報の中に組み込まれているのだろうか?

 それはさておき、本巻では“活樹”と“紀本高道”の練習試合の経過に絡めて、ふたりの過去と、育んで来た16年が語られる。D巻でぼくは<《自分が、今の父親がリングで死に至らしめた男の忘れ形見だ》、という事実を、“活樹”は、何時、知るのだろうか。>と書いた。が、実に簡単に、いともあっさり、それは“活樹”の知る処となった。
 この、普通なら重い事実は、単に、“活樹”が<遺伝ではなく、身近に接している中で、体験として吸収され>ていた、育ての父から受け継いだ《枷》を外す為にだけあった、かのようだ。(簡単に言うと、“ラビット坂口”のへろへろパンチは受け継いでいなかったよ〜ん! という事だ。)
 そして、育ての父も、“活樹”がプロボクサーになる事を禁じていた《枷》を外したようだった。
 練習試合の終わった夜、父は息子にこう語る。
   「本当の父親(おやじ)に会いたいか?
   もっともっと、強くなれ。
   おまえが本物のボクサーになった時、
   おまえの体の中にいる、もう一人の親父に
   会える――」
ラビットのおっちゃん、カッコイイっ!

 さて、そんな訳で、「勝たせてもらった」(“活樹”談)“紀本”戦の傷も癒えた頃。ふたり(“活樹”と“香月”だ)は、新たなステップを踏み始める。
 「もう一度仕切り直しよ。わけのわからないまま始めさせられたボクシングを、改めて最初から、自分の意志でスタートするためにね。」(“香月”談)

 処で、本巻のラスト。怪我をした(笑)“香月”に肩を貸し、“香月”の家へ送って行くふたりの上にかぶさる大雪が予想されるというわざとらしいばかりの天気予報は……っ!!
 まさか、“香月”の家へ着いた頃には帰れない程の大雪になっていて、お母さんも留守で……なんていうアザトイばかりの展開への伏線では、ないよねっ!!
 以下次巻((^^ゞ)。

(2003.04.24)
テキスト:少年サンデーコミックス;2003.05.15 初版発行;本体390円


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