だいすけのアトピーストーリー

だいすけがアトピーとなり、すっかりきれいになるまでの道程を、紹介します。
我が家の経験が、少しでもお役に立てば、うれしく思います





息子のアトピー経歴をお話します。


平成10年12月

だいちゃんの誕生です。 
おねえちゃんと同様に、立ち会いました。




生後3ヶ月(平成11年3月)ごろから、

湿疹が少しづつ出てきました。
当時は、乳児性湿疹かなと思い、それがアトピーかどうか判断はできませんでした。

湿疹は、どんどん広がりズルズル状態、トマトの皮を食った状態に
なり、汁が染み出していました。
最寄りの小児科で亜鉛化軟膏を貰い、あご、首、耳の後ろ、おでこに塗り、
肘や膝の内側等には、湿布していました。
首周りは、ガーゼのマフラーをしていました。
染み出した体液でベビー服は汚れ、ガーゼを何枚も日に替えていました。
かわいいベビー服を買っても、すぐにシミだらけになり、いつになったら・・・と
複雑な気分になりました。
また、無意識に掻くので手にはミトン、寝ている間は手足をベビーベットの
手すり等へ、嫁さんの長襦袢の紐でつなぎ止め、張り付け状態で、顔へ手が
届かないようにし、脚もスリスリしないようにしていました。

それでもステロイド剤は、使用することをためらっていました。
ステロイドが、具体的にどんなものかは、知らなかったのですが、
イメージ的にデリケートな新生児の肌は、ステロイドを吸収しやすく、その悪影響が
心配されたからです。
しかし、改善が観られないため、小児科の先生は、退職した大病院の皮膚科部長が
開いている個人院を紹介してくれました。

そこで、だいすけの人生で初めてステロイドを塗りました。
結局、ステロイドだったのです。
気は進まないものの、他に方法がなかったので、心配しながらも塗っていました。




生後5ヶ月(平成11年5月)ごろ

平成11年5月頃ころ、体重も増えなくなり、母乳を吐くようになりました。

小児科では、大病院へ入院することを勧められ、入院しました
そのときの症名は、不明熱とアトピー性皮膚炎です。
治療計画は、沐浴と塗り薬です。
その他として、症状に伴う苦痛の軽減とスキンケアの実施と
入院診療計画書には書いてあります。
検査数値が下がらないということで、5月11日から6月1日まで、
点滴などで体調を回復させるものでした。
手首、足の甲は、点滴の注射痕で青くなりながら、毎日2回の入浴をし、
ステロイドを全身へ塗りました

その甲斐あって、大祐は、ブクッと太り、肌も一見きれいになりました。
しかし、それは、ステロイドの皮膚であり、顔はむくんで、
いわゆるムーンフェイスでした。
退院後も湿疹は完全にはなくならず、定期的に病院へ通い、
ステロイドしか頼るものもなく、他に方法もなく、
不安を持ちながら毎日が過ぎていきました。




生後9ヶ月(平成11年9月初旬)ごろ

そんな時、買い物のに行った先の泉北高島屋のベビー服売り場で、
今ではなつかしい、ファミリアで
Yさん(初対面の女性)に声をかけられました。
だいすけ、私たち家族にとって、人生の分岐点ですね。いま、思えば。
最初は、警戒し、思わず引いてしまいましたが、聞くだけはと思い、
少しの間その場で、話を聞きました。
そのYさんが教えてくれたのが、ガンマーリノレン酸です。はじめて耳にする物でした。
ヨーロッパでは、アトピー治療薬として、許可されていて、
日本では、 出光興産(株) がバイオ技術で作っているという話でした。
最初は、誰でも疑心暗鬼になると思いますが、それでも
可能性を求めてガンマーリノレン酸のアトピー治療の資料を探したり、
それを生産している 出光興産(株)  の会社を調べたり、
販売会社の サンヘルセン(株) を調べたり、
ガンマーリノレン酸をバイオで作る技術を発見した旧通産省の
工業技術院化学技術研究所、その後の 生命工学工業技術研究所 
現在は独立行政法人  産業技術総合研究所 について調べたりし、
後日、詳しい説明を聞く機会もありステロイドからの離脱を考えていた私は、
試してみることにしました。
 食べた物は、ガンマーリノレン酸、核酸、SOD食品です




平成11年9月下旬

ステロイドを完全に止めて、ガンマーリノレン酸などを食べ始めました。
ガンマーリノレン酸は、脂肪酸(油)でカプセル状の中に入っているので
まだ歯がないだいすけには、カプセルに穴を開けて、
スプーンに溜めて口に入れてました。
核酸は、顆粒状になっているので、白湯に溶かして飲ませました。
SODは、米胚芽、大豆、アガリクス、メシマコブから抽出したエキスで
液体になっているので、ストローに溜めて口に入れてました。

変化は、しばらくして・・・1,2週間して出てきました。
入院前にアトピーの症状があった部位が、思い出したように赤くなり、
体液が進出し、血がにじみだし、膜ができ、かさぶたができ、
破れた皮膚がボロボロ剥がれて落ちました。
いわゆるリバウンドというものです。
しかし、それは、体が怪我などしたときにする、皮膚の再生のしくみなのです。
皮膚を修復しようとする力・・・働きが出てきたと考えました。
だいすけは、元気だったからです。
とは言っても、そのときの状態、きれいな皮膚を見つけるのが、
難しい状態、血の付いたシーツ、布団カバーを毎朝見るたびに、「まだか・・・」と落胆し、
そのだびに、希望を奮い起こさせていました。
これで良いのだろうか、この子のためになっているのだろうか、
といつも自問自答の日々でした。




平成11年11月ごろ

好転反応がピークです。
鼻の穴の入口、耳たぶ、などは、切れた状態となりました。
体もそうですが、顔一面がかさぶたで、覆われていました。
毎晩、寝ている間に無意識に顔面をこすっていました。
その証拠に、ミトンは真っ赤、シーツも真っ赤、浸出液のシミ、
剥がれた皮膚のカスが翌朝には残されていました。
私たち夫婦もできる限り見張っているのですが、睡魔には勝てず、
眠ってしまっている間のことてす。
ただ、皮膚の再生には勢いがありました。
ガンマーリノレン酸、核酸、アガリクスなどの効果なのだと思います。
それらが、体のに免疫力、新陳代謝などに働きかけているからです。

また、そのころ、ひとつの映画と出会いました。
それは、「ロレンツォのオイル 命の歌」というタイトルです。
アメリカの難病の子を持つ家族の話です。実話です。
病気の進行を止めるもの・・・脂肪酸を、父親が独学で見つけ出す話です。
そこには、両親の愛と同時に、脂肪酸の代謝異常が病気に関わっていることを
知らしています。
代替医療の話でもあります。
この映画は、苦しい時の私に、希望とやる気を与えてくれたものです。




平成12年2月頃

そんな日々が続き2か月目ごろ(1歳1ヶ月ごろ)にようやくオデコや頭の中がきれいに
なってきました。



平成12年3月頃

春になって3月、顔は、だいぶ落ち着いてきて頬に少し赤味とブツブツが少し、
手足の甲は、ひつこく規模が小さくなったものの残っています。
首の後ろも、まだ残っています。
ころ頃になると、希望が見えてました。アトピーのトンネルの出口が近いような・・・




平成12年5月頃

だいぶきれいになりました。・・・炎症は。
肌はきれいなのですが、子供らしい羽二重のような状態には、
至っていませんでした。だんだん欲が出てきます。
手足の関節には、ブツブツがまだあります。ひつこいです、この部分は。
また、栄養と言うか、体に余裕がないのか、髪の毛が天然の茶髪です。
黒い色素・・・タンパク質を作る余裕が無いのでしょう。
内臓や皮膚の修復を優先しているからだと考えています。
脚のふくろはぎに、かすかになごりがあります。




平成13年7月頃

すっかりきれいになりました。
次は、食物アレルギーの改善です。
小麦と卵がダメです。
来年の春には、幼稚園に行く頃になりました。
給食があり、みんなと同じように食べることができればと心配していました。
あせっても仕方がないと言い聞かせながら・・・。
体が自分の力で、免疫に関係する働きを正常にするしかないのです。
親としては、その作業を助けるものを与えてやるしかないのです。
ただ、待つだけなのです。積極的に待つのです。




平成14年4月ころ

だいちゃん、入園です。
いちばん小さいです。
肌は、アトピーとは、わかりません。
小麦と卵のアレルギーがまだあるので、給食でそれを使うときは、
お弁当を持たせました。

まずは、小麦からです。
入園前から少しずつ試しました。
小麦は、うどんから始め、途中からはパンで練習しました。
最初は、ひとかけら食べたら、体の肌がところどころ紫に浮いてきて、
息が荒くなり、泣いて眠る状態でした。
それも最初は、救急車を呼ぼうかと思うほどでした。
それでも、少しずつ、土曜日に練習しました。
そのうち、体調が悪いときだけになり、アレルギーが起こる回数が、減っていきました。
卵は、クッキーからはじめました。
小麦よりも慎重になっていました。




平成15年4月ころ

年中さんです。
小粒ですが、病気もせず、元気です。
免疫力が高いからです。
肌も、さくら組の女の子から、だいちゃん、ツルツルと言われるようになりました。
小麦は、だいぶ食べられるようになりました。パンはもう大丈夫です。
しかし、積極的には、パンは食べません。ごはんが一番だからです。




平成15年12月ころ(5歳になりました。)

やっとみんなと、スパゲティが食べられる.ようになりました。
卵は、卵焼きのかけらを食べても大丈夫になりました。
ガンマーリノレン酸、核酸、アガリクスなどは、今も食べています。
それは、食材のひとつという位置づけです。




平成16年1月ころ

年中さんも、3学期。
お遊戯会の練習、体操教室、幼稚園でやっているECCなど、
楽しく過ごしています。
元気です。
病院へは、1年くらい、行っていないです。保険証によれば。






以上が、だいすけがアトピーと過ごしてきた経過です。
簡単に言えば・・・

アトピーは、自己免疫疾患です。単なる皮膚炎ではないのです。

こういう経過も現実として有ると言うこと。
だいすけの経験が、困っている方々に、少しでも希望を与えることが
できればと思います。

治療とは、アトピーでもアレルギーでも薬を使った、ヤク・キル・タタクの方法ではなく、
体の仕組みを、本来のものに、どうして戻していくのか、ということではないかと
考えている今日です。

薬で、アトピーは、治せない・・・かな。
それは、お医者さんがよくわかっているのではないでしょうか。
逆に、何を、どう治そうとしているのか、スッキリした頭で考えてみると、
ハッキリわからないですね。
体を元に戻したり、作ったりする薬(化学物質)は、ない・・・かな。
お医者さんは、他に良い方法があったとしても、自分のスタイルをとってしまうのです。
それは、仕方が無いことなのです。

納得できる方法、わかった上での方法・・・、説明を受けた上で、ご自身が選択することが
大切だと思います。
そのためには、自分の物差しを磨かなくては、いけないのです。

家族のために。

めんどくさがりで、勉強がきらいの、私がわかったことは、

 無知ではいられない
                     ということでした。

そして、もうひとつ、
 体が、喜ぶこと・・・。喜んでいるか・・・を判断する。
                                      ということです。
弱っている体に送った援軍・・・薬・除去食・その他いろいろ・・・が、
本当に助けになっているかです。
体か喜んでいる♪ かです。

国や病院にしてもらう健康ではなく、
口を開けてまっている健康ではなく、
これからは、自己判断、自己責任の時代ということみたいですね。

また、どんなに良い方法があっても、日常の食生活が誤っていては、
改善は望めないですね。
インスタントラーメン、スナック菓子、乳製品、アイスクリーム、、南方産の果物・・・
などを毎日食べていたのでは、ダメですよね。
いったん経験した、おいしさから離れることは、難しいものですよね。

ただ、なんと言っても、食生活が、一番大事ですよね。



 背中で、だいすけと姉ちゃんの遊ぶ声を聞きながら
遊ぶ相手もせず、このページを書いています。
  

                                                 

 時は進んで・・・平成17年3月

3月11日、今日、小学校へ給食の試食に行ってきました。
幼稚園を途中で、一時抜け出して・・・
4月から1年生になるので、事前に給食を試しておきたかったからです。
最近は、よっぽど体調が悪くない限り、パン、卵も食べれているという状態でした。

ということで、校長室で食べました。
焼きビーフン、あじ、パンなどをたいらげました。
そして、幼稚園へ戻る途中で、出てきました。アレルギーが
オデコから顔、足の先まで・・・
せっかくの機会なので、小学校へ戻り、様子を見せました。
何か入ってたんやなー、給食に、だいすけには合わんへんもんが・・・。
まあ、いい試食になりました。
車の中で吐き(良かった)、家で1時間ほど眠り、復活し、幼稚園へ戻りました。
寝ている間に、おとうさんは、車の掃除を済ませる。
小学校の給食は、一部持ち込みにさせてもらい、成長を待つことにしよう・・・と。
家で作るものが、一番安心やからね。
それに、給食も子どもたちのことを本当に考えているか、疑問やからね。素材が。





 ずーと時は進んで、・・・平成21年1月

だいすけ、小学校4年生も残り僅か。
お肌ツルツル、至って元気、健康です。
風邪なんかにはときに罹りますが、軽度の症状ですんでます。
今は、「勉強」対「テレビ・DS」の戦いですね。
嫁さんの「いつまで見てるの! いつまでやってるの!」という声が毎日、飛び交ってます。
・・・ほんま、「テレビやDS」が無かったら、どれほど子どもたちに有意義な時間がもどって
くることかと思いますね。
成長期の貴重な時間、知識や経験を身につける時期に、ホントにもったいないことだと思いますね。

また、全国的な学力調査で、大阪の子どもの学力が低いという結果が出ていますが、
それは教育が原因ではなく、身体の質の問題ではないかと思います。
大阪の子ども・・・都会の子どもは、加工食品、冷凍食品、ファーストフード、ラーメンなどの外食
といった食生活を、地方の子どもよりも多くしていると考えます。
結果として、食品添加物=科学物質=環境ホルモンの多量摂取となります。
環境ホルモンは神経細胞に悪影響を及ぼし、外見は普通であっても、脳の活動、運動神経などに
現われて来るのだと推測しています。

学校や先生を叩いても、真の解決にはならないでしょうね。
食品業界を叩いてみないとダメかな。
でも、誰ができる、するだろうか。
言いやすいところに罪を着せて終わるのかな。


親が目覚めないとね。
身体は、口から食べた物でしか作れないことを。
                                                    




            ガンマーリノレン酸の話へ  



だいすけのおとうさんからのメッセージ