BIO HAZARD irregular
SWORD REQUIEM

第五章


 それは、異常に腹を空かせていた。
 数日前まではペットとして飼われていたそれは、それ自身が気が付いた時にはそれ用に整えられた水槽という環境から、下水という不衛生極まりない環境へと放り出されていた。
 そこを泳ぎ回る内、空腹を覚えたそれは下水にいたゴキブリの死体を口へと入れた。
 だが、なぜか食っても食ってもそれの飢えは満たされなかった。
 直にゴキブリからネズミ、ネズミからそれを狙う猫へと獲物を拡大していった。
 何故か食えば食うほど腹は減り、広かったはずの下水が窮屈な場所になっていた。
 それは、その時すでにその種にあらざる怪物へと変貌していた。
 そして、下水に自分を満足させられる餌が無い事を知ったそれは、違う場所に餌を求める事にした。
 すなわち、生きる為に足掻く生者と生ける死者の跋扈する地上へと……………


「………ここからは先には進むのは無理のようだな」

 道を塞ぐように横転しているバスの陰から先の様子を見たレンが、小声で背後の二人にささやく。

「先どころか、ここにいるのもまずいんじゃ………」

 レンと同じようにして先を見たミリィが顔を青ざめさせる。
 そこには無数のゾンビがたむろし、死体やもしくは動かなくなった同族を貪り食っている様子があちこちに有った。

「………強行突破するか?」

 ケンド銃砲店を出て以来、一言も口を聞かなかったスミスが低い声で呟く。

「無理だ。数が多過ぎる」

 レンが否定すると、スミスは無言でそっぽを向いた。
 その背中から、強く歯軋りする音がミリィの耳に届く。

「スミス…お父さんの事は……気の毒だったけど…」
「親父はきっと生きている。それ以上言うな」

 異常なまでにドスの利いたスミスの声に、ミリィがビクリとして言葉を詰まらせる。

「その事は後回しだ、迂回しよう」

 レンの提案に無言でスミスは小走りに走り出す。
 が、すぐ傍の路地裏に通じる曲がり角を曲がった所で、その足は止まった。

「ここにもバリケードが………」

 ミリィが懐に入れておいた地図を取り出すと、先程の通りと今の路地に×印を書き込む。
 その他にも地図には幾つか×印が書き込まれ、予定していた通り道からはかなり迂回している事がそれから見て取れた。

「どうしよう………ひょっとしたらこの辺ほとんど封鎖されてるんじゃ………」
「でなければゾンビ専用歩行者天国になってるかだからな。また下水でも通るか?」

 ミリィが背中のナップサックから下水の配管図を取り出して地図と照らし合わせるが、すぐにその表情は曇った。

「ダメね。ここから先は全部小さな分管しか通ってないみたい。第一、またあの怪物に会うかもしれないわ」
「くそっ!」

 悪態を付きながらスミスが建物の壁を力任せに殴りつける。
 レンはその様子を黙って見ていたが、ふとスミスの殴った所を見ると、そこから視線を上へと向ける。

「なあ、ここいら辺の建物って高さ同じだったか?」
「え?ええ、確か市街地開発計画の時に建てられた物だから、ここの区画は一部を除いてほとんど同じ高さだと…………あ!」

 そこで、ミリィにもレンの狙いが分かった。

「下が駄目なら、上を通るって方法もある」
「上って、建物のか?通れるとしても一区画だけだぞ」
「ゾンビの密集地帯さえ抜ければいい。それが駄目でも周囲の様子が分かれば対策も立てられる」
「…………そうだな」

 スミスは頷くと、早速手近の建物に通じるドアを探し始める。

「………有った」

 バリケードの向こう側にドアを発見したスミスが背後の二人に手招きする。

「向こうにゾンビはいるか?」
「いや、見える範囲にはいないな」

 言うやいなや、スミスはバリケードをよじ登り始め、上まで登ると一気に飛び降りて周囲を警戒する。

「大丈夫だな。早く来い」

 その後に続いてミリィがレンの手助けを借りながらもなんとかバリケードを超え、最後にレンが身軽によじ登って軽々と降りた。

「カタナだけじゃなくて、運動神経もいいのね」
「剣術習ってた頃に比べると少し落ちたんだけどな」
「ちっ、閉まってやがるな」

 ドアノブに手を掛けたスミスが、短い悪態と共にいきなりモスバーグの銃口を向けたのを見たレンが慌てて止める。

「馬鹿!こんな所で銃声なんか響かせたら周囲のゾンビが寄ってくるぞ!」
「………そうか」
「どいて」

 ミリィがスミスを押し退けるようにしてドアの前に立つと、前と同じ要領で鍵穴を覗き込み、工具を使っていじり始める。

「……まだか?」
「ちょっと待って」

 なかなか鍵が開かない事に焦りを感じ始めた頃、小さな音を立てて鍵が開いた。

「開いたわ」
「念の為下がってろ」

 レンがドアを僅かに開けて中を覗きこむ。
 視線の先に一体のゾンビらしき人影を見つけたレンは手で二人に下がるように合図しながら、ゆっくりとドアを開くといきなり駆け出してゾンビとの間合いを詰める。
 何に反応したのかは分からないが、ゾンビがこちらに振り向いた時にはすでにレンは居合の範囲まで間合いを詰めていた。
 ゾンビの手前でレンの体が一瞬沈み、次の瞬間には跳ね上がりながら抜刀、一瞬にしてゾンビの股間から脳天まで両断されて崩れ落ちる。

「光背一刀流、《昇陽斬》(しょうようざん)」

 技の名を呟きながら、レンが刀を一振りしながら周囲に他のゾンビがいないのを確認してから鞘へと収め、外にいる二人を招き寄せる。

「ここにも…………」
「くそっ、一体何匹いやがるんだ!」
「この街の総人口よりは多くないだろ」
「それ以上いて堪るか!」

 スミスが怒鳴りながら乱暴にドアを閉める。

「苛立つのは分かるが、少し冷静になれ。あまりピリピリしてるといざって時に判断を誤るぞ」
「ああ、分かってるよ!」

 レンの忠告を聞いてか聞かずか、スミスが怒声を撒き散らしながら一人で先に進もうとする。

「おい、スミ…」

 レンが呼び止めようとするのを、ミリィが袖を掴んで止め、無言で目配せする。
 その意図を汲んだレンもそれ以上何も言わず、黙ってスミスの後に続いた。
 気まずい雰囲気のまま三人が階段を登り、三階部分まで来た時だった。
 階段へと続く通路に、二体の男女のゾンビを見つけたスミスが無言でモスバーグの銃口を向ける。
 が、その内の一体が振り向いた途端、スミスの顔色が変わった。

「ジ、ジョージ!?」

 そのゾンビがクラスメートである事に気付いたスミスがモスバーグを構えたまま震え出す。
 それに続いてもう一体のゾンビもこちらを向くと、二体そろってこちらへと向かってくる。

「リン!?来るな!来ないでくれ!」

 その二体が両方クラスメートである事を知ると、スミスが全身を震わせながらモスバーグを降ろし、叫ぶ。

「頼む!撃ちたくないんだ!来るな!」
「どけっ!スミス!」

 目前まで迫っても撃とうとしないスミスを押し退けるようにしてレンが前に出ると、素早い動きでゾンビとの間合いを詰める。

「止めろ!!」

 スミスの静止も聞かず、レンは抜刀すると瞬く間に二体を斬り捨てる。

「レン!てめえ!」

 それを見たスミスがレンの襟を掴み上げる。

「止めてスミス!」
「うるさい!」

 ミリィが止めに入るが、スミスはそれを押し退けるとレンを睨みつける。

「てめえ、クラスメート殺して何とも思わないのか!」
「間違えるな!彼らはもう死んでいる!」
「だから斬れるってのか!?」
「それじゃあこのままゾンビとして生かしておけと言うのか!?一思いに眠らせてやるのがせめてもの慈悲だ!」
「じゃあ、はいそうですかと言って殺せるか!」
「止めて!二人共止めて!」

 ミリィがスミスに取りすがって必死になって止める。
 二人はそのまましばらく睨み合っていたが、やがてスミスが乱暴にレンの襟を離す。

「勝手にしろ!ここからはオレ一人で行く!お前は好きなだけ殺して生き延びればいいだろ!」
「そんなスミス!待ってよ!」

 一人で先に行こうとするスミスをミリィが手を掴んで止めようとするが、その手を振り解いてスミスはそのまま階下へと降りていく。

「いいの?止めなくて………」

 ミリィの問いに、レンは無言で首を横に振る。
「あいつも分かってるんだ。ただ、今少し精神的に落ち着いてないだけだ。頭が冷えれば戻ってくるさ」

 レンはそのまま、上の階を目指して歩き始める。しばし迷った後、ミリィはレンの後に続いた。


「ちっくしょう………………」

 一階と二階の中間部分の踊り場に腰掛け、スミスは自己嫌悪に陥っていた。

(間違えるな!彼らはもう死んでいる!)

 レンの言葉が、スミスの耳に張り付いて離れない。

「分かってる…………分かってるけどよ…………」

 あのゾンビ達が人間でなくなっている事は納得しているつもりでいた。
 だが、実際に知人がゾンビとなっているのを見た時、どうしても撃つ事は出来なかった。

(狙って引き金を引く、そんだけだ。大事なのは撃つ時を間違えないって事だな)

 初めて父親から射撃を教わった時に言われた事を、スミスは思い出す。

「どうすりゃいいんだよ…………親父…………」

 今まででの人生の中で、一番頭を使いながらスミスは悩む。
 だが、答えは一向に出てきそうに無かった。


 錆付いてなかなか開かなくなっているドアを苦労して開け、レンとミリィは建物の屋上へと出た。

「ここは大丈夫のようだな」

 周囲を警戒していたレンが自分達以外に動く物が無いのを確認すると、用心の為に抜いておいたサムライエッジをホルスターに戻す。

「何処か安全地帯在る?」

 ミリィが地図を取り出しながら、下の様子を見る。

「そこの通りが封鎖されてるから、一つ向こうの通りに降りれれば何とかなるかもな」

 レンも下を覗き込みながら屋上の周囲を回る。
「なあ、ミリィ」
「なに?」
「オレの事、冷酷な人間だと思うか?」
「…………分かんない」

 いきなりの問い掛けに、ミリィはしばし迷ってからそう答えた。

「レンにはレンの考えが有るんだろうけど…………あたしには相手が例え誰のゾンビでもとても殺せないかも…………」

 ミリィがレンから渡されていたクーガーDを見ながら呟く。

「あれが何に見えるか………だな」

 レンがはるか下を動いているゾンビを見ながら呟く。
「オレには、あれが救いを求めている亡者に見えるんだがな」
「救いを?」

 意外な言葉にミリィがレンの方に振り返る。

「小さい頃な、オレには普通の人には見えない物がよく見えた。苦しい表情してるのが多くてな。小さいなりにどうすればいいか悩んだ事も有った。小学校に上がる頃には見えなくなってたんだがな」

 そこで一息の間を入れ、レンは視線を遠くへと移す。

「十歳になったかどうかの時、初めて伯父さんがそういった物を斬り払うのを見た。それ以来かな、光背一刀流を習い始めたのは。結局、高校入る前に辞めちまったけど」
「レン…………」

 何を言えばいいのか分からず、ミリィは黙ってレンの言葉を聞く。

「そんな未熟者のオレに出来るのは、この刃と銃で死にきれない亡者を眠らせる事だけだ」

 レンが腰の刀を僅かに鳴らす。瞳には、強い意志が込められているようにミリィには見えた。

「つまらない事聞かせたな。早い所脱出ルートを探そう」
「そうね」

 レンが隣の建物との高さを比べる。
 若干の高低差があったが、なんとかなると踏んだレンは周囲に何かロープ代わりになる物がないかと探したが、妥当な物は見つからなかった。
 ふと、隣のビルの屋上に物置らしき物を見つけたレンは、そこに期待して隣のビルへと飛び移る。

「レン!」
「待ってろ。ハシゴか何かを…」

 そこで、階下へと続くエレベーターが短い電子音と共に開き、そこからいきなり複数のゾンビ達が溢れ出してきた。

「なにっ!?」

 驚きながらも、レンは即座に抜刀し、先頭の一体の首を斬り飛ばす。
 だが、そこで一際体格のいいゾンビが意外な速さでレンへと襲い掛かる。
 一瞬反応の遅れたレンがとっさに右腕のプロテクターをそのゾンビへと噛み付かせ、その隙にサムライエッジを抜こうとするが、そのゾンビの予想外の力にそのまま押し倒され、そのショックでサムライエッジはレンの手から離れる。

「しまった………」

 そのゾンビは凄まじいまでの力でレンを組み敷き、樹脂製のプロテクターは軋み音を上げ始める。
 なんとかその戒めから逃れようするレンが、ふとそのゾンビの顔に見覚えが有る事に気付く。

「ピーター先生!?」

 それが、通っている高校の体育教師である事に気付いたレンの顔色が変わる。

(確かピーター先生、元ウエイトリフティング選手だぞ………)

 相手の怪力にある意味納得したレンの視界に、他のゾンビ達がゆっくりと近付いてくるのが飛び込んでくる。

「レン!!」
「来るな!」

 ミリィが絶叫しながらクーガーDを抜き、ためらいながらもトリガーを引いた。
 だが、銃を扱った事の無い彼女の放った弾丸は、狙いを大きく逸れて何も無い所に虚しく弾痕を刻む。

「当たって!」

 ミリィは立て続けにトリガーを引くが、その半分は狙いを外れ、残る半分は周囲のゾンビに当たるが致命傷には程遠かった。
 そこで、乾いた音を立てて弾丸が尽きる。
 何度かトリガーを引いてようやくその事に気付いたミリィが慌てて弾丸を装填しようとするが、一瞬の油断で取り出したマガジンはミリィの手からこぼれ、ゾンビの傍へと滑り落ちていく。

「待ってて!今スミスを呼んで来る!」

 ミリィは即座に踵を返して階段を駆け下りていく。

「それまで持てばな…………」

 絶体絶命の状況に、レンは珍しく弱気な事を言いながら、、奥歯を噛み締めた。


 上の方から聞こえてきた銃声に、スミスは思わず立ち上がる。

「…………何か有ったのか?」

 様子を見に行くべきだろうか?と思ったスミスの耳に、階段を大慌てで降りてくる足音が響く。
 何事かと思ってスミスを階段を登り始めた所で、もつれるように落ちてきたミリィを胸で受け止めるような状態になった。

「ミリィ?レンは?」
「スミス!早く!屋上でレンが…」

 最後まで聞かず、スミスは猛烈な勢いで階段を登り始めた。

(オレは何をやっていた!?つまんない事で友達を危険な目に会わせるなんて!)

 階段を登りながら、スミスは猛烈な後悔をしていた。

(もしアイツに何か有ったらユメちゃんになんて説明すりゃいいんだ!詰まんない口喧嘩が原因でレンを見殺しにしたらとんでもねえ大馬鹿じゃねえか!頼む!オレが行くまで無事でいてくれ!レン!!)

 生まれて初めて、何かに必死に祈りながらスミスは階段を登っていく。
 激しい息切れを感じながら、スミスは屋上へと続くドアを体当たりしながらこじ開ける。

「レン!!」
「スミス!こっちだ!」

 レンの声のした方向を見たスミスが絶句する。
 そこには、大柄なゾンビに組み敷かれたレンと、その周囲を取り囲むゾンビ達の姿が有った。
 幸か不幸か、その大柄なゾンビの体格にレンの体は完全に隠れ、周囲のゾンビ達は手を出すに出せない状態でいた。

「今助ける!」

 スミスは背中に背負っていたルガーM77マークUを降ろして構えると、ダットサイトを覗き込んで狙いを定める。

「!?ピーター先生!?」

 そして、そのレンを襲っているゾンビの頭部に狙いを定めた瞬間、それが誰か気付いたスミスの指先が震え始める。

(彼らはもう死んでいる!)
(大事なのは撃つ時を間違えないって事だな)

 スミスの脳裏に、レンと父親の言葉がリフレインする。

(撃つ時を………間違えるな!)

 意を決してスミスは狙いを定める。何時の間にか指の震えは消えていた。
サイト内のレーザーポインタを正確にゾンビの頭部にポイントする。

(僅かでもずれれば、間違い無くレンに当たる……………)

 張り詰めた緊張感の中、スミスはトリガーを引いた。
 発射された弾丸は大気を切り裂き、ゾンビの頭蓋へと炸裂、当たった瞬間に内部に封入されていた炸薬が灼熱の炎を脳髄へと撒き散らし、それをかき乱して半熟のたんぱく質の塊へと変える。
 レンの体に掛かっていた圧力が消え、砕けかかっていたプロテクターが力の抜けた死の顎から外れる。
 スミスはそれを確認すると、素早く次の敵に狙いを定め、トリガーを引いた。
 短―中距離用に改造されたスナイパーライフルから放たれた弾丸は正確にゾンビの頭部を撃ち抜き、次々と絶命させていく。
 レンが完全な死体となった教師の亡骸の下から這い出した時には、周囲のゾンビはスミスの手によって全てが倒されていた。

「助かった。ありがとう」
「礼はいいよ…………さっきは悪かったな」

 ルガーM77マークUを降ろしながら、スミスはぼそりと呟く。

「いや、お前の言う事も間違っちゃいないさ。覚悟が決められるかどうか、違いはそれだけだ」

 レンがサムライエッジを拾いながら、苦笑を浮かべる。

「………レン…生きて………る……?」

 その時になって、ようやくミリィが荒い呼吸をしながら階段から姿を現す。

「レンは無事だ。危ない所だったけどな」
「よ、よかったぁ〜…………」

 緊張の糸が切れたのか、ミリィはその場に崩れ落ちるようにへたり込んだ。

「この様子だと、本気で安全な所は何処にも無さそうだ。急いだ方がいいな」

 刀を鞘に収め、砕けて物の役に立たなくなったプロテクターを外すと、レンは物置の中を探り、そこから脚立を見つけるとハシゴ状にして隣の建物へと移り、下の様子を窺う。

「こっちからなら何とか行けそうだな」

手招きするレンに、スミスは建物の高低差を見て渋い顔をする。

「あいつ、ここ飛び降りたのか?」

 建物の隙間ははほとんど無いが、有に5mはある高低差を見てスミスは思わずミリィに問い返す。

「改めて見ると結構あるよね………」

 ミリィも困ったような顔をしていると、ようやくそれに気付いたのか、レンがいとも簡単に隣の建物の屋上に飛び降りると脚立を持ってスミス達の足元へと架ける。

「どういう運動神経してるんだ?お前………」
「居合の基本だって言われてな、下半身の瞬発力と敏捷性は鍛えてあるんだ」

 脚立を降りた二人と共に、レンが屋上を横切って反対側の建物に脚立を立てかける。
 ふと、そこでミリィが完全な屍とかした教師の元で黙祷を捧げているのに気付き、レンとスミスもそれに習って無言で黙祷を捧げる。

「行こう。あまり立ち止まっている時間は無い」
「…………そうだな」

 脚立を登り、下の様子を窺ったスミスの顔が怪訝な物になる。

「確かに向こうよりは少ないが、それでも結構いやがるな………」
「20……って所だな。ここから狙えないか?」
「やってみる」

 スミスはM77マークUを構えると、慎重に狙いを定め、引き金を引いた。
 放たれた7.62ミリライフル弾は数十mの距離を一瞬にして飛翔し、目標のゾンビをかすめてその背後の商店のウィンドウガラスに突き刺さる。

「あれ?」
「………あまり無駄弾を使うなよ」

 レンもサムライエッジを抜くと、屋上の端から真下にいるゾンビに狙いを定める。
 炸薬量の違いからクーガーDよりも大きな銃声を上げながら放たれた9ミリパラベラム弾は真下にいたゾンビの脳天を正確に貫き、体内の中央まで潜り込んだ所で止まる。
 ゾンビは僅かによろめき、その場に倒れ伏す。
 が、続けて放たれた弾丸は僅かに狙いをそれ、隣にいたゾンビの肩を貫く。

「思ってたより難しいな」
「全滅させる必要はないだろうしな。下に降りてからショットガンで狙った方が確実だな、これは………」

 無倍率のダットサイトを搭載している事を差し引いても、命中率が3発に1発という自分の狙撃の腕に呆れながら、スミスは慎重に狙いを定めた。
 しばし、二つの銃声が交互に辺りへと木霊する。

「………第三者から見れば、こいつもただの虐殺なんだろうな…………」

 空になったマガジンを取り出しながらのレンの呟きに、スミスの指が止まる。

「……かもな。だけど、オレは生き残りたい………」

 スミスも呟きながら、増装マガジンを外して弾を込めていく。

「死にたくないから、ここまで来たんじゃない。だから、その事だけ考えようよ」

 慣れない手付きでクーガーDのマガジンに弾丸を装弾していたミリィが小さく呟く。

「そうだな」

 レンはそれに応えると、装填を終えたマガジンをサムライエッジに叩き込み、初弾をチェンバーへと送り込むと、屋上の隅に有った避難用ハシゴを下へと降ろす。

「行こう」
「おう」

 同じく装弾を終えた増装マガジンを取り付け、初弾を装填させたスミスがふと影になっていた路地から新たにゾンビが一体出てきているのに気付く。
 最後のシメのつもりでスミスはダットサイトを覗き込み、狙いを定める。
が、その瞬間何かがゾンビのいる地点を通り過ぎ、狙っていたはずのゾンビが消失する。

「?」

 スミスがダットサイトから目を離してそちらを見た。
 そこには、下半身だけとなったゾンビが僅かによろめき、倒れる所だった。

「!!レン!」
「どうした?」

 ハシゴを降りようとしていたレンがスミスの方へと近付き、スミスが指差している方向を見ると、即座に異変に気付いた。

「何が有った?」
「分からねえ………何かが通ったと思った後には、ああなっていた………」
「私達以外の生存者が撃ったとか?」
「いや、銃声はしなかったし、ここからだとよく見えないが周辺に肉片一つ散らばっている様子も無い。一体何が?」
「…………いるんだろう。ここにもゾンビ以上の化け物が」

 三人の間に緊張が走る。
 誰かが唾を飲み込む音がやたらと大きく聞こえた。

「………行こう。何が待ち構えているとしても、オレ達は進むしかない」
「うん……」
「………ああ」

 震えているミリィの肩を叩きながら、レンはハシゴへと向かう。
 スミスは手にしたM77マークUを背中へと戻し、モスバーグを手にした。
 レンは下を見下ろし、動く物が無いのを確かめるとおもむろにハシゴを降り始めた。
 後に続こうとするミリィに待つように指示しながら、レンは安全を確認するように少しずつ慎重に降りていく。
二階分降りた所で、突然目の前の窓ガラスが乱暴に強打された。
 そこには、こちらを見ているゾンビがその腐り掛けた手で今にもガラスを突き破らんとしていた。

「……眠れ」

 レンはサムライエッジを抜くと、ゾンビの額にポイントしてトリガーを引いた。
 銃声と共に、ゾンビの動きが止まってそのまま背後へと崩れ落ちる。
 起きてこない事を確認して、レンがサムライエッジをホルスターに戻し、再びハシゴを掴もうとした瞬間、レンの足首を腐り掛けた手が掴んだ。

(!?下にもいたのか!)

 一つ下の階の開け放たれた窓から、レンの足を掴んだゾンビはそのまますごい勢いでそれを引っ張る。
 レンはハシゴを掴んでいる右手に力を込めながら、必死に足を振り回す。
 しかし、体勢の崩れたゾンビはレンの足首を掴んだまま窓の外へと倒れ込む。

(しまった!)

一瞬にして二人分に増えた体重を支えきれず、レンの右手が掴んでいたハシゴから離れる。

「レン!?」

 ミリィの見ている先で、レンとゾンビは何も無い虚空へと踊りだした。

(間に合え!)

 レンはとっさに逆手で刀を抜くと、それを足首を掴んでいるゾンビの腕へと突き刺す。
 一瞬握力が緩んだ隙に、左手を精一杯ハシゴへと伸ばした。
 それがハシゴへと届いた瞬間、レンは力強くそれを握り締める。
 一瞬左手に過剰な重量が掛かるが、次の瞬間にはそれは半減し、なんとかハシゴへと留まらせた。
 直後、鈍い音が足元から響く。路面に直撃したゾンビは、しばしその場で蠢いていたが、やがて動かなくなった。

「レン!」
「無事か!?」
「なんとかな」

 上から心配そうに見ている二人に合図しながら、レンはそのままハシゴを降りようとする。
 よく見ると、地面から足まで1mと離れていない高さで彼はハシゴに掴まっていた。

「命が幾つ有っても足りないな」

 何時の間にか頬をつたっていた汗を拭うと、レンは刀を鞘に収める。
 上を見ると、スミスが手足を丸めるようにしたまるで亀のような状態で、なおかつ速度も亀並でハシゴを降りてきていた。

「……その状態は余計危ないとおもうぞ」
「そ、そうか?」
「そうよ」

 すぐ後に続いて降りてきていたミリィからも言われ、スミスは渋々手足を伸ばして(しかし速度は変えずに)降りてくる。
 他にはゾンビはいなかったらしく、二人は無事に下まで降りてきた。

「ここからだと、少し進んでから通りを二つ越えれば郊外へと通じるルートに出られるわ」
「問題はさっきのか………」

 レンは周囲にゾンビがほとんどいないのを確かめてから、先程の下半身だけになったゾンビの方へと歩いていく。

「お、おい!いきなり襲われたら…」
「広い場所なら何かが来ればかえって分かりやすい。大丈夫だ」

 レンは平然と死骸に近付くと、それを調べ始める。
 が、すぐにその表情は怪訝な物へと変わった。

「?どうかしたか?」
「………弾痕でも刃傷でもない。かといって歯型も無いから食い千切られた訳でもない」

 ミリィも顔を青ざめさせながら、その傷口を見る。

「敢えて言うなら、押し千切れてるみたい………」
「千切れて?そいつは一体…………」
「レン!こっち!」

 スミスが路地裏を指差しながら叫んでいるのに気付いたレンとミリィがそちらへと向かう。
 そこには、開け放たれたマンホールとそこから何かが這い出したらしい痕跡が有った。

「ひょっとして、あいつか!?」

 スミスが下水道であった怪物を思い出して震え上がる。

「いや、あいつの体格じゃここから出るには穴が小さ過ぎる。それにこれは?」

 レンは這い出した痕跡に付いている妙な粘液のような物を凝視する。

「ひょっとして体液か?」
「さあ………これだけじゃなんとも………」

 ミリィが傍に転がっていたコーラの空き瓶で粘液をつつくが、これだけでは判断の仕様も無かった。

「用心しながら進むしかないな。分かったのは一撃でゾンビの上半分を消失させる事が出来る何かがいるって事だけだ」
「くそっ!ハロウィンにゃまだ早えぞ!」
「ハロウィンにもこんな得体の知れないのは出て来ないわよ………」

 ミリィが力無く呟く。誰もそれに反論しようとする者はいない。

「行くしかないな」
「ああ………」





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