BLADE HEART


BLADE HEART(前編)



「はあっ、はあっ………」

 スーツ姿の中年男性が、夜の街を走っていた。
 格好も何も平凡なサラリーマン、と言って差し支えないその中年男性の顔には、恐らく彼が今までした事のないような必死の形相が浮かんでおり、どれだけを走ったのかその両足はおぼつかなくなっている。

「はあっ……はあっ……」

 呼吸は荒くなり、視線も虚ろになるがそれでも中年男性は走り続ける。
 繁華街から少し離れた路地には、たまに人影はあるが、必死になって走り続ける中年男性に多少奇異の視線を向けるが、やがて気にせず歩き始める。

「はっ……ひっ………」

 呼吸が荒いのを通り越して切れ切れになってきた時、中年男性の視線にある人物が見えた。
 こちらに向かって歩いてくる、ライト片手で警邏中らしい警官の姿を認めた中年男性は、残った力を振り絞ってそちらへと走り始める。

「?」

 程なくその異常さに気付いた警官が、中年男性の方を見るが、中年男性は必死になって警官の方へ最早まともに動かない両足を動かす。

「お、お巡りさん、助け…」

 かすれた声で中年男性が呟いた時、突然その動きが止まる。

「あ、ああ………」

 中年男性は、絶望に打ちひしがれた表情で動かなくなった己の足を見る。
 そこには、地面から生えているとしか見えない、無数の細い糸に絡め取られていた。

「どうかしましたか?」
「助けて……たす!」

 言葉の途中で、中年男性の顔が下がる。
 駆け寄る警官の目前で、中年男性の下半身がまるで吸い込まれるように地面へとめり込んでいく。

「な!?」
「助け………!」

 最後の一言を発する前に、中年男性の姿は完全に地面へと飲み込まれる。
 そこには、舗装された路面に奇妙な穴のような物があったが、それは数秒の間を持って塞がるようにして消失した。

「何が……起きた?」

 今自分が見た物を信じられず、警官は呆然とその場に立ち尽くすしかなかった………



1999年、一部自衛隊による武力決起による東京占拠により、世界情勢は急激的に緊張状態を迎えた。
 決起自衛隊による在日米軍との戦闘により東京は戦場と化し、戦火を恐れた他の都道府県は次々と日本からの独立を宣言。
 直後、東京を襲った第二次関東大震災にて決起自衛隊は東京もろとも壊滅し、関西に組織された臨時政府は独立した都道府県を《シティ》と呼称される都市国家とし、臨時政府のあった関西―Nシティを首国家とする連合国家へとする事を宣言。
 ここに、事態は終息を向かえた。

 だが、それは表面上だけに過ぎなかった。

 東京壊滅の年を境に、日本各地で科学では解明不可能な超自然的災害・犯罪が増加の一途をたどり始める。
 年を追って増えていく超自然的事件に対し、古来よりそういう〈闇〉を監視してきた陰陽寮・高野山・神宮寮を中心とした退魔機関の処理能力を超えるのは最 早時間の問題だった。
 その状況を打開するべく、ある提案が浮上した。

『宗教、思想、科学、魔法、民族、種族、それら全てを超越し、各分野のエキスパートを終結させ、独自の機動性と戦闘力を持ったまったく新しい退魔機関の設立』

 この驚くべき提案は、多数の反対と少数の賛同を持って受け止められた。
 かくして、その僅かな賛同者達はその力を結集させ、2025年 東北・Mシティにおいてその機関の試験的設立を成功させた。
 組織の名称は《Anti Darkness Defence Life members(闇から命を守る者達)》、通称ADDL(アドル)の誕生だった。
 そして、アドル誕生から三年。
 大きな転機が、訪れようとしていた………



 鈍い音が、虚空に響く。
 それは硬度のある木がぶつかりあう音であり、練習用の模造武器が、別の模造武器に弾かれた音でもあった。

「フウウゥゥ……」

 訓練用と思われる広さを持った部屋の中で、成人したかどうかの青年が、投じた武器を手元に戻しつつ、呼気を整える。
 青年の冷徹さを称えた目は鋭く、己の対戦相手を見据えていた。
 その視線の先、木刀を手にした刃がごとき鋭い視線を持った中年の男は、右手で正眼に木刀を構えると、その峰に左手を添える変わった構えを取った。
 青年は呼吸で外気を取り込み、体内で練り上げると、手にしたワイヤーの両端に木製の投擲部分が付いた、双縄?と呼ばれる古代中国の武器に手から気を流し込みつつ、再度投じた。
 投じられた双縄?は、まっすぐ飛んでいくかと思えば、いきなり左右へとその軌道を変える。
 青年は手元でワイヤーを操作し、更に気で別種の操作を行って双縄?は物理学的にありえない軌道を飛びながら中年男性に迫る。
 それに対し、中年の男は目を閉じ、ゆっくりと息を吸うと、精神を研ぎ澄ます。

「はあっ!」

 次の瞬間、木刀が一閃し、たった一撃で男の右肩と左足を狙っていた双縄?の投擲部分がワイヤーから斬り落とされ、狙いを外れて宙に待った。
 だがそこで、いつ回り込んだのか、男の背後に回りこんでいた青年が、鋭い回し蹴りで男の即頭部を狙う。
 男は、木刀を振り回した体勢のままでわずかに身をかがめ、その一撃をかわすと、木刀を横手にかざす。
 そこへ、男の頭上を通り抜けた青年の蹴り足が急角度で戻ってきて男の脇腹を狙っていたが、それは木刀で完全に止められる。

「ふっ!」

 鋭い呼気と共に、男が受け止めた青年の蹴り足を木刀で弾き飛ばす。
 体勢が崩れてたたらを踏む青年に、男が体を旋回させながらの横薙ぎを繰り出してくる。
 不安定な体勢のまま、青年は片足だけで大きく後ろに跳んで斬撃をかわそうとするが、男はその動きに完全についてくる。
 青年の蹴り足が辛うじて地面につくと同時に、強く踏みしめられる。
 双方が真正面からぶつかり、動きが止まる。

「腕を上げたな」
「まだまだですけど」

 青年の握られた拳から突き出された人差し指と、男の突き出された木刀の切っ先が双方の喉元で止まっている。
 その状態で緊張が解かれ、双方が腕を下ろす。
 青年の顔には先程の冷徹さも鋭さも無く、温和そうな表情を浮かべていた。
 対して、男の方は表情こそ穏やかになっていたが、その目には静かな鋭さが宿ったままだった。

「ようやく、模擬戦でなら徳治さんと互角に戦えるようになりましたかね?」
「模擬戦でなら、だがな」

 笑みを浮かべた青年、今年進学したばかりの医大生にして、アドル・バトルスタッフの一人、《イーグル・オブ・ウインド》のコードネームを持つ霊幻道士の守門 空に、元・陰陽寮五大宗家、御神渡家の当主にして日本最強の陰陽師と言われている、アドル・バトルスタッフチーフ、御神渡 徳治が小さく笑みを浮かべた。

「実戦だと、まだ互角にはいかないでしょうしね」
「お前に本気で戦われたら、お互い洒落にならんだろう」
「そうですかね? 本気の徳治さんと互角に戦える人なんて、日本に今どれだけいるか………レンさんならともかく」
「あいつは、特別って奴だろう。あれだけ色々な技を持つ師に恵まれる奴はそういない」
「お父さんもすごい強かったんですよね? 確か」
「……そうだな。生きててくれれば、今ここにいたのは………いや止めておこう」

 徳治の顔に、郷愁が僅かに浮かぶか、それはスピーカーから響く放送でかき消された。

『これより、特別会議を行います。バトルスタッフ及び、各スタッフチーフは会議室に集合して下さい。繰り返します…』
「おっと、そんな時間か」
「シャワー浴びてる時間無いですかね?」
「それくらいはあるだろう。急げ」

 苦笑しつつ、二人は慌ててシャワー室へと向かった。



「全員そろったな」

 会議室の議長席に陣取った、2m近い屈強な体格の上に、白衣を羽織った異様にして独特の雰囲気を持った男、アドル副総帥兼サイエンススタッフ・チーフにして、空の兄でもある守門 陸が居並ぶ面々を見回す。

「議題はやはり、アレですね」

 席の最前列に並んだ四人のバトルスタッフの右端に座っていた、小柄で小太りのいかにも人の良さそうな中年の白人神父、その実は極東最強とも呼ばれる元ローマ・カトリック協会所属エクソシスト、《ホーリー・フェイス》のコードネームを持つブレヴィック・オルセン神父が祈るように両手を組みながら、呟く。

「Mシティ内で起きている謎の失踪事件、つい先程また被害者が出た。だが今回は目撃者がいた」

 陸の発言と同時に、会議室前面の大型ディスプレイに最近追っている失踪事件の場所を示す地図と、失踪者のデータが表示される。

「今回の被害者は原木 仁、46歳。職業は食品会社営業、家族構成から何からいたって普通と言っていい」
「目撃者の証言はどうなってるの?」

 最前列の左端、バトルスタッフになって間もない、長いウェーブの掛かった金髪を持った若い女性、《サイレント・ネィチャー》のコードネームを持つ精霊使いのマテリア・イデリュースの問いに、陸は別の資料を提示する。

「その場に偶然居合わせたパトロール中の警官の証言だと、何かから必死に逃げているようだったが、突然地面に吸い込まれるように消えたらしい。後に何か穴のような物があったらしいが、すぐに消えたそうだ」
「随分と古いパターンだが、典型的な神隠しだな」
「恐らくは」

 徳治の発言に、陸も頷く。

「問題は、何がそれを起こしたか。ですね」
「今回は場所もハッキリしてる。もっとも微妙な位置だがな」

 陸の指摘通り、最新の失踪地点を占めるポイントは、アドルの管轄ギリギリの場所にあった。

「けど、今ならまだ何かあるかも。兄さん、ボクが行って見てきます」
「待て、私も同行しよう、念のために」
「頼む、何か動きがあるかもしれん」

 空がそう言いながら席を立つのに、徳治も追随する

「場合によっては、また顔を借りる事になるが……」
「構わん。そのためにいるような物だからな」

 退魔組織としては新興のアドルは、他の退魔組織に対してはどうしてもイニシアチブが弱い点を誰よりも理解している陸に、国内なら大抵顔が聞く徳治が苦笑する。

「失踪者の共通点もこちらで洗い出してみよう」
「次の目標が分かるならば、防げるかもしれません。護符を用意しておきましょう」
「じゃあそれはオルセン神父に一任しよう。マリーはすぐに出動できるようにB級待機」
「了解」
「相手の正体も目的も分からん。各自準備は怠るな。解散」

 会議室にいた者達が席を立ち、いち早く空と徳治は車で最新の失踪地点へと向かう事にした。


「う〜ん、どう見ても共通点は見当たりませんね……」
「その思い込みが危険だ。人と妖の原理は全く異なる。それを知り、それに対するのが退魔師の仕事なのだ」
「師匠は化け物の見つけ方と殺し方しか教えてくれませんでしたから………」
「まったく、難儀な奴に師事した物だ」

 助手席で一連の失踪事件の資料を見ていた空に、ハンドルを握る徳治は苦言を呈する。

「まあ、お前はまだ若い。これから多くの経験を積めばいい」
「死にそうな体験なら修行中に何度もしましたけどね」
「確かに実力なら十分一級だが……ん?」
「あれ?」

 目的地のそばまで近づいてきた時、ふとその周囲に工事用車両が止まっている事に二人は気付いた。

「どういう事だ?」
「ちょっと待ってください。今レックスに問い合わせて…」

 空が情報処理担当のスタッフに連絡をつけようとした所で、ふと徳治は工事の指揮を取っている人間の顔に見覚えがある事に気付いた。

「大哲!?」
「徳治!?」

 ヘルメットを被りツナギの作業着を着た、いかにも工事監督といった格好をした背の高い中年男性が、こちらも徳治の顔を見て驚く。

「お前、何をしてるんだ?」
「お前こそ……ってここに来たって事は、聞くまでもないか」

 大哲と呼ばれた男が、作業に当たっていた者達に残りの作業指示を出すと車に近寄ってくる。

「この件、陰陽寮が動いているのか……」
「……ここじゃ何だ、場所を移そう」

 そう言いながら、大哲は車に乗り込んでくる。
 そのまま、手近の小さな喫茶店に三人は入った。

「久しぶりだな、三年ぶりか?」
「そうだな、そちらは相変わらずのようで何よりだ」
「あの、徳治さん、こちらは?」

 いかにも親しげな二人の様子に、空は首を傾げる。

「この男は、陰陽寮五大宗家が一つ、真兼(まがね)家の三十五代目当主、真兼 大哲だ」
「え!?」
「そういう、彼は?」
「今の同僚で、守門 空だ」
「へえ……まあよろしく」
「いえ、こちらこそ……」

 大哲がそう言って手を差し出し、空もそれに応じて手を差し出すが、握手をする瞬間、僅かに大哲の顔が険しくなる。

「……徳治、どこから見つけてきた? この若さでこれだけの使い手………」
「悪いが、企業秘密だ。だが実力は保障する」
「いや、それ程でも………」
「そんな手をしておきながら、それ程って事は無いな」

 目つきを鋭くする大哲に、空はあくまで微笑したままだったが、徳治が小さく首を左右に振るので、大哲はそれ以上問い質すのを止める。

「こっちは、お前が抜けてから散々だ。何せ、誰も御神渡の当主になりたがらねえから」
「レンも帰ってきてくれそうにないようだし。向こうじゃもうかなりの有名人だ」
「そんなのばかりが抜けちまったから、どうしようも無い。御神渡門派、全員ビビって当主代理すら名乗る奴がいねえし。桜は相変わらずだが、弾冶の方は娘がようやくやる気になったって喜んでたが」
「千早ちゃんが? あの子は到底次期当主は無理かと思ってたが……もっとも、人の事言えた義理じゃないがな」
「息子は相変わらず、か。ウチのは後継いでやりたい放題やる事しか考えてないが」
「お前のとこは直系遺伝し過ぎだ。一部からクローンじゃないかと言われてるくらいだからな」
「女房からも言われたよ、自分で産んだんだろうに」

 近況を聞きつつ、笑う徳治と大哲だったが、そこで徳治の顔が引き締まる。

「さて、無駄話はこれくらいにして……聞きたい事がある」
「オレがここで、何をしていたか、だろう?」

 大哲が注文しておいたコーヒーに角砂糖を連続投下しながら、小さくため息を漏らす。

「予想は、というか確信してるだろ。お前なら」
「大体は。だが、真兼家の当主自らがとなると話は違う。それだけ、事態は大事という事だ」
「大事だな、確かに」

 砂糖の飽和限界まで入っているのではなかろうかというコーヒーを啜りつつ、大哲はしばし考える。

「恐らくは封印作業、しかも地脈その物に念入りに、相当高度なレベルで。違いますか?」

 空の声に、大哲は少し驚いた表情をするが、何か納得したのか一気に半分以上飲み干したコーヒーカップをソーサーに戻す。

「……消えた人間は、源家の血筋を引く者達だ」
「な、に?」
「分かるだろう、徳治。これは、《土蜘蛛の裾引き》だ」
「バカな! あと10年以上は先じゃなかったのか!」

 大声を上げて立ち上がった徳治に、喫茶店の従業員が仰天するが、空が大丈夫とジェスチャーを送って収める。

「しかも、前例が無い程の数が消えている。陰陽寮でもこれを異常事態と考え、オレ自ら後始末に回ってるって訳だ」
「どういう事だ……」
「あの、裾引きとは?」

 座り込んで唸りを上げる徳治に、空は聞きなれない言葉に首を傾げていた。

「悪いが、立場上これ以上部外者にはしゃべれない。だが、たまたま立ち寄った喫茶店で、たまたまあった知人と話し込んで資料を忘れるなんてよくある事だがな」

 大哲はそう言いながら、コーヒーの代金と一緒に何かの資料の束をテーブルに置いて席を立つ。
 そのまま店を出て行こうとした所で、ふと大哲は足を止める。

「なあ徳治………戻ってくる気は無いか?」
「……悪いな」
「そうか」

 大哲はそれ以上何も言わず、その場を去っていく。
 自分のコーヒーを黙って飲み終えた徳治は、大哲の置いていった資料を手に取る。

「すぐに戻ろう。もしこれらが本当に土蜘蛛の裾引きなら、色々調べなければいかん」
「あ、はい。でもその前に」

 伝票を手にした徳治より先に外に出た空は、そこで指笛を鳴らす。
 それを聞きつけ、空中から一つの影が近寄ると、空の肩へと止まった。

「ご苦労ダイダロス」

 その影、空の相棒の大鷲に声を掛けながら、その足に付けておいた小型カメラを取り外す。

「多分撮れてると思うけど………」
「それも急いで持って帰るぞ」
「兄さんにすぐに渡さないと」

 慌しく、二人と一羽は車に飛び乗り、アドル本部へと急いだ。



 再度の緊急招集に、会議室にアドルスタッフ達が集まる。
 彼らの手元には、真兼 大哲からもたらされた資料が配布されていた。

「土蜘蛛?」
「確か、古代日本で地方部族をそう呼んでいたとか………」
「史実的にはだ。正確には、それらの地方部族の民と、彼らと共生関係にあった妖を総称してそう呼んでいたのだ」

 渡された資料に目を通しながら、ある者は首を傾げ、ある者は頷く。
 だが、その資料に振られた年号が段々近代の物へとなっていく事に全員が驚愕していた。

「土蜘蛛とは民と共にある妖でもあるが、本来祟り神としての側面を持つ。守護と引き換えに供物を、場合によっては人身御供を捧げていたらしい。伝承にもある通り、当時の平安王朝は地方部族の討伐と同時に、陰陽寮と協力して土蜘蛛の討伐も行っていた」
「なるほど………」

 徳治の説明に、空は頷くが近代の年代と一緒に連なっている謎の人物リストに眉を潜める。
 それに付随する説明を、陸は淡々と読み進めていく。

「だが、倒しきれなかった奴は封印していった訳か……しかも、不完全に」
「そうだ。祟り神の側面が示すように、土蜘蛛の力は強大だった。よって当時の陰陽寮の力を結集させ、倒しきれぬ土蜘蛛を地脈の中に封印していったのだという」
「総指揮があの源 頼光か。あと40年も遅けりゃ阿倍 晴明に押し付けられただろうが………」
「いや、そうでもない。封印が不完全な事に気付いた清明は、それに更なる特殊な術式を掛けた。ある一定周期を持って封印を故意に緩ませ、土蜘蛛に人身御供を与えるという……これが陰陽寮でも不可侵とされる《土蜘蛛の裾引き》だ」
「ちょ、ちょっと待ってください! 21世紀になっても人身御供って」
「それ程、土蜘蛛は脅威だったのだ。36年に一度、土蜘蛛は地脈の隙間から、かつて己を封じた源の血を引く者達を引きずり込む。陰陽寮はそれを黙認し、事実を隠蔽し続けてきた」
「そんな………」

 とんでもない話に、マリーが愕然とする。
 皆も一様に愕然としていたが、それ以外の事に気付いた者達がいた。

「でもおかしいですね? 前に起きたのが23年前になってますよ?」
「しかも人数は5人。だが、ここ数年ですでに20人以上が消えてるな。しかも資料によると範囲が随分と広がっている」

 守門兄弟の指摘に、徳治も頷く。

「それだ。陰陽寮はその事に気付き、慌てて封印の再強化を行っているらしい。これがその映像という訳だ」

 ダイダロスによって上空から隠し撮りされた現場の写真、裾引きによって人が消えた場所に、巨大な鉄杭のような封印楔を埋め込む作業の様子を徳治は示す。

「過去に前例は?」
「南北朝、源平、戦国、幕末、そして近い所だと太平洋戦争の時か。国内に陰気が溢れてた時期に裾引きされる者が多少増えたらしいが、詳しい資料は残っていない。だが、周期がずれる事は今まで一度もなかったはず………」
「かの大陰陽師の封印が解けてきてるという事か? それとも………」
「何か別の要因があるかもしれない、という事ですね。ならば、被害者がどこまで増えるかも分からない………なんと恐ろしい……」

 オルセン神父は資料を読み終えると、静かに胸の前で十字を切る。

「目下、陰陽寮は封印強化を進めているが、相手が地脈の中では効果の方は疑わしいな」
「封印してるなら、大元の封印塚とかがあるんじゃ?」
「もうそちらもやったらしいが、それでもこの状況だ。一体何がどうなっているのか……」
「封印がダメなら、一度出してやる事は可能だろうか?」
「え?」

 陸のとんでもない提案に、皆が一斉に目を丸くする。

「上から押さえてダメなら、一度表に出して再封印をかける。漏れた汚染物質は破れた器よりも新しい器に入れてシールドしてやればいい」
「あの阿倍 晴明すら手を出さなかった物を、一度出してやろうというのか!?」
「それが一番手っ取り早い。このままだと、直にこいつは無関係の人間まで襲い始める可能性もある。封印がダメなら、跡形も無く吹き飛ばすまでだ」
「……確かに、それならばあるいは」

 徳治自身、思いもつかない手段に言葉が途切れる。

「地脈に封じられているという事は、エネルギーでシールドできるという事だ。ならば、一時的でもそれを上回るエネルギーをぶつけてやれば倒せるかもしれない」
「あの、兄さん何を使うつもり………?」
「一番手っ取り早い高エネルギーは核か? イオンプラズマ弾という手もあるが」
「核って………」
「安心しろ、使うとしたら素粒子爆弾を使う。理論上、周辺の外的被害は少ない。原子物理学上はかなりやばいが」
「ハルマゲドンでも起こすつもりなのですか?」
「起こす気ならとっくの昔にやってる。そんなつまらない事を起こす意味が無いからやらないだけだ」
「……物騒な事だ。だが、悪くないかもしれん」
「あの、徳治さん?」
「倒せなかったのは千年も前の話だ。今の技術なら、なんとかなるかもしれない。問題は、どうやって土蜘蛛をこちらの望む場所に開放するか、だ」
「土蜘蛛伝説の残る封印塚は日本各地にある。それを基点に、地下のオーラ反応を衛星からスキャンしてみれば、どこにいるか分かるかもしれん」
「もしそれがMシティ近郊なら、なんとか出来るか………それにしても、封印した妖を人工衛星で探せる時代か」
「フリーメーソンでも何機かの衛星にそのような機能を搭載予定と聞いた事があります。ただ、実用化しているのはここくらいでしょう」

 歴戦の陰陽師とエクソシストが技術の発展に感心するが、それらのシステムを構築した科学者は次の手段を脳内で模索する。

「まずは衛星スキャン、それらしき反応が出たら空とマリー、お前達なら確認できるかもしれんから向かってもらう」
「はい兄さん」「了解」
「オルセン神父と徳治チーフには封印術式の構築を。サイエンス、メカニックスタッフも総勢でバックアップに入る。相手はミレニアム級の大物だ。アドル開設以来の大規模作戦になるだろう」
『了解!』

 その場にいた全員が、復唱して立ち上がると、一斉に己達の持ち場へと向かう。

「さて、私達も」
「……今までの千年、陰陽寮では誰もこのような事をしようとは思わなかったのか」

 オルセン神父の促される中、徳治は小さく呟く。

「それを変えるために、私達はこの組織を作り上げたのでしょう?」
「ええ………いや、あいつが生きていてくれたら、もっと早く…」
「はい?」
「いや、こちらの事です」

 徳治は言葉を濁すと、席を立ち上がった。



同日 夜

 自宅の書斎で、徳治はしばらく掛けていなかった番号を携帯電話の登録から選び、それをコールする。
 程なくして、相手に繋がる。

『よお徳治、まだ何か聞きたい事があるのか?』
「いや、逆だ大哲。まずは礼を言っておこうと思ってな」
『礼? オレは忘れ物をしただけだと言ったはずだぞ』

 電話口の向こうで、相手が苦笑するのに吊られ、徳治も小さく笑う。

「代わりと言ってはなんだが、こちらの機密情報を少しだけ教えておこうかと思ってな」
『おいおい、いいのか? ってお前に文句言えるのは遣雲元大僧正ぐらいか』
「そうでもない。ここには生意気な若いのが多いからな。そいつらがある決定を下した」
『何だ、陰陽寮へ文句送るなら止めておけ』
「一連の事件を処理するため、土蜘蛛を一時開放、再封印もしくは、調伏する」
『………正気か徳治!?』

 電話の向こうから、張り裂けんばかりの相手の絶叫が響いてくる。
 思わず携帯電話を耳から離すが、そこから更に相手の絶叫じみた声が響いてきていた。

『考え直せ! 幾らお前でも無理だ! 陰陽寮が千年封じ続けてきた相手だぞ! 開放したら最後、とんでもない事態になる事くらい分かるだろうが!』
「……だが、このままにしておく訳にもいかないだろう。最悪、オレの命に掛けても封印する」
『………さっき連絡があった。奈良の方で、山間部にあった村が一つ、消えたそうだ』
「なに?」
『源の血筋にあたる一族がいたのは確かだが、そうでない人間も多くいた。だが、全員引かれたらしい』
「………本当か?」
『今、氷室が調査に向かってるらしいが、まず間違いない。こんな事は、全く前例が無いとかで、寮内でもかなりの騒ぎになっている』
「だとしたら、次は………」
『……憶測はいくつかあるが、陸奥の隠し塚に行く可能性も高い。ああ、そう言えば今日封印してた所に、資材そのままだった。今忙しいから、そっちで預かっててくれ』
「……分かった」
『徳治』
「なんだ?」
『死ぬなよ』
「……ああ」

 電話を切った徳治は、しばし考え込むと、別の相手に電話をかける。
 陸に事態の悪化と、頼まれた資材、恐らくは真兼家謹製の封印用資材の改修を頼むと、自室から地図を持ち出し、陰陽寮で昔見た資料の記憶を頼りに、隠し塚の位置を探し出す。

(Mシティの端ギリギリか……山間部で民家は少ない。被害は最小限に抑えられだろうか? だが相手が正直に出てきてくれるかどうか………)

 地図から地脈の流れを推算し、更に地形、日時、月齢などから使える術式を構築していく。
 試行錯誤を繰り返している内に、大分夜もふけてくる。
 日付も変わる頃に、戸口が開く音に徳治は気付いて、地図から目を離す。
 書斎から出てみると、家の中に入ってきたばかりの息子と鉢合わせした。

「随分と遅い帰りだな、敬一」
「いいだろ。どうでも」

 最近、とみに素行がよろしくない息子に、徳治は顔をしかめるが、自室へと向かおうとする息子の襟首を掴む。

「うぐっ!? 何を…」
「それはこっちの台詞だ」

 襟首から手を突っ込んだ徳治は、そこに仕込まれていた刀を抜き取る。
 更にその刀を少し鞘から抜き、その刃に陰気が漂っている事を確かめる。

「何を斬ってきた? 人ではないのは確かだが、お前の未熟な技で退魔行なぞ出来ると思っているのか」
「ああそうだろうな、オレはとても親父やレンさんみたいにはなれないだろうよ!」

 刀を奪い返した敬一は、怒号のようにはき捨てるとそのまま自室へと逃げ込むように入っていく。

「………ふう」
「あなた………」

 思わずため息をもらした所で、今の声で目を覚ましたらしい妻が寝室から姿を見せる。

「すまん、起きたか」
「いえ……敬一も、もう少しマジメになってくれれば」
「いや。似たような事を昔にもあったからな……」

 天分の大才を持つ者のそばにいれば、小才はどうしても霞む。
 それ故に、極める事を諦めた者を間近に見た事がある徳治は、どうすればいいかを思い悩んでいた。

(力とは難しい物だな。弱ければ挫け、強ければ弾いてしまう。お前もそうだったんだな、練………)

 かつて自分の従兄弟が味わった事を、今度は息子に味あわせてしまっている。
 そのジレンマを抜け出す術は、当人が見つけるしかない事を誰よりも知る徳治は、それでもなお、どうにか出来ないかを深く考えていた………



翌日 アドル本部

「ふむ、さすがは大哲だ。いい仕事をしてる」
「これ程大型で強力なタリスマンを作れる術者がいるとは、私も驚きです」
「ここじゃまだこのレベルは無理ですしね」

 昨夜の内に回収された、真兼家の技術の粋を込めて作られた封印用鉄柱に、検査に協力していたオルセン神父と空も感嘆の声を上げていた。
 一見ではただの大きな鉄の楔に見えるが、表面には無数の呪文が刻まれ、更にはそれは複層構造となっている。
 複数の術式が極めて効率的に配され、並の妖なら確実に封ずる事ができる強力な封印用鉄柱を、アドルのスタッフが総出で調べ上げていた。

「このレベルまでは無理だろうが、近い物ならなんとか作れるか?」
「勝手にコピーして問題になりませんかね?」
「大丈夫だろう。何せ、下手な術者ではコピーしたくても技術レベルが違いすぎて、まともに作れん。代重ねる事に器用さが増してるんじゃないかと噂されてたからな」

 得られたデータから、己の持つ科学技術で複製する方法を構築していく陸に、サイエンススタッフと徳治が横から見つつも呟く。

「真兼家は陰陽寮の中でも特別だからな。技術の革新を求める事に、ためらいも無ければ余念も無い。当主が代々変わり者な点以外はな」
「革新と狂気は紙一重だ。オレみたいに同義でなけりゃ大丈夫だ」
「兄さん………」

 空が思わず顔をしかめるが、陸は平然と作業を続行している。

「複製するとしても、どれくらい作れる? 一本は本物を使うとしても、最低あと四本は必要になるぞ」
「解析と複製を同時に行って、起動に問題が無ければなんとか足りると思うが……ここまで緻密な術式だと、複製に二日、量産となると更にその倍はかかるか?」
「ここまで術式を組み込めるのは、真兼一門でも大哲と息子くらいだろからな。完全にコピーしようとしたら二日じゃ無理だろう。近い性能さえ出せればいい」
「技術格差はいかんともしがたい、か。これの半分もできる奴が欲しい所だな」

 新興組織ならではの悩みを抱えつつ、陸は作業を続行する。

「早くて一週間前後か………それまで被害が増えなければいいが」

 徳治が呟いた時、ふと懐の携帯電話がコール音を鳴らす。
 何気に手に取った所で、液晶に昔の部下の名前が表示されている事に首を傾げつつ、通話ボタンを押した。

『お久しぶりです宗主。氷室です』
「令か、元気にしてたか」
『ええ、なんとか。実は、お話しておきたい事が……』
「土蜘蛛の裾引きの件なら聞いているが?」
『……更にもう一つ、今度は町の一区画の人間が全て消えました』
「なに?」
『ルート的には、そちらに向かっています。最悪、Mシティの都心部に繋がる可能性も……』
「……分かった。ありがとう」
『お気をつけ下さい。陰陽寮はすでに大騒ぎになってます。土御門宗主は各地の封印塚の強化を命じてますが……』
「恐らく、そんな物で対処できる状態では無くなっているだろう。こちらでもやれるだけやってみる」

 電話を切った所で、徳治の顔がやけに神妙になっている事に気付いた周囲の人間の視線が、そちらへと集中する。

「どうやら、作戦を一刻も早く発動させなければならなくなったようだ」
「また被害が?」
「ああ。どんどん拡大している」
「ええ!?」
「なんと………急がなくては」
「財団の方に連絡、使えそうな手を回してもらう」
「呪符を用意できるだけ用意しておきます」

 皆が一斉に動く中、徳治はその場に無言で佇んでいた。

(間に合うのか? そして、勝てるだろうか………)




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BLADE HEART(中編)
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