一章 生ける屍


一章 生ける屍



 それはいつもと変わらぬ炎天下の日差しの中、学校で授業を受けている時だった……
 そのうだるような暑さのせいで誰も真面目に話を聞かず、下敷きなどを団扇代わりに自分の顔などを煽っている。
 しかし、一番後ろで授業を黙って聞いている少年がいた、その少年の名は《松永 翔平》
 そして松永が数少ない友人の内の一人の《松川 祐也》に尋ねる。

「おい! 松川あれなんて書いてある?」

 松川が眠たそうな顔をして聞き取れないような声を出しながら返事のような物をすると松永が呆れながら松川を怒鳴りつける。

「だから、あれだよ! はぁ、もういいよ。貴史はまた寝てるのか?」

 松川が松永に怒鳴られ眼を覚ますとゆっくりと喋り出す。

「そうみたいやな。俺なんか注意するより細井を注意したらどや?」

 松川が一番前の座席で堂々と居眠りをしている松永の親友「細井 貴史」を指差し言うと松永が半分本気半分冗談で答える。

「お前と貴史を一緒にするな!」
「そこ! 話を聞きなさい!」

 現代文の講師の番原が静かな教室で唯一騒ぎ立てている二人に向かって怒鳴る。
 そんないつも通りの平和な授業風景……


 ふと、窓際にいた一人の男子生徒が声にならないような声で叫び声を上げる、その生徒は少し知能に障害があった。
 教室に居た生徒達はまたあいつかと軽く流していたが、番原が様子を伺う為に彼の近くに歩み寄ろうとする。
 その時、番原の視界に一瞬異形の姿をした「物」が映った。
 番原が窓に駆け寄ると、当然教室にいた生徒も動揺する。
 が、松永や松川、細井はあまり気にしていない。
 実際に気にしていなかったのは松永だけで、他の二人はただ寝ているだけだった。
 番原が先程自分の視界に映った「物」を確認する為に窓から校門の方を覗き込む……
 次の瞬間、番原は自分の目を疑う。
 が、それは確かに校門から校内の方へと足を伸ばしていた。
 一瞬の間を置き、番原がテレビ等で聞く高い叫び声をあげる。
 教室にいた生徒達がの叫び声の聞こえた方向にに体を向けると、そこには驚愕の表情を浮かべ腰を抜かして地面に座り込んでいる番原の姿があった。

「大丈夫ですか!?」

 声をかけたのはさっきまでぐっすりと夢の世界に浸っていたはずの細井だった。
 そして教室にいた生徒が一斉に窓に駆け寄って外を覗き込むが、そこに異形の姿をした「物」は既にいなかった……
 いつもと変わらない風景を眺めていた女子生徒が愚痴を漏らしながら他の女子生徒と会話を始める。
 寝ぼけた男子生徒が騒ぎで眼を覚まし眠気眼で松永に授業が終わったのかと尋ねると松永がまだだと一言言うと、男子生徒はまた眠りについた。

「い、いたのよ……」

 番原が唇を震わせながら細井に訴え、細井が番原に尋ねる。
 番原が答える前に後ろの方の席に座っていた松永が泥棒などではないのかと番原と細井に言いながら席を立ち歩み寄る。

「違う! あれは…」

 番原が唇を震わせながらまた言葉を発すると、一番最初に叫び声をあげたあの男子生徒が叫びながら教室の外に出て廊下を右に走って行った……

「一体なんなんだ?」

 松永が細井に呟き細井が答える。

「さぁ? 泥棒じゃないみたいだし、なんだろうね?」
「おい! 松川!! 寝てないで外の様子見てくれ!!」

 松永が命令口調で松川を叩き起こし窓の外の様子を伺わせようとするが松川はまた寝ていたらしく眼をこすりながら松永に何事かと尋ねる。
 呆れながら松永が答えようとする。

「あぁ、だから窓の――」
 
 しかし、火災警報のベルの音で松永の声はかき消された。

「んだ? 謎の人影の次は火事か?」

 松永が皮肉を言っていると教室の中に校内放送が響き渡る。

『現在、校内に不審者が侵入したとの通報がありました! 不審者は刃物等を所持しているかもしれません。生徒及び職員はすぐに近くの教室に入り鍵をかけ次の放送があるまで待機して下さい』

 かなり慌しい口調での放送だった。
 女子生徒達が騒ぎ出すのを横目で見ながら松永が細井に話しかける。

「不審者だってさ…」
「刃物持ってるって言ってた! 誰か刺されたのかな?」
 
 松永に話しかけられた細井が少し取り乱しながら松永に返すと二人の会話に松川が割り込んでくる。
 
「どうする翔平さん! 不審者がここに来たら」
「さぁね? なるようになるだろうさ。とりあえずドアに鍵かけようか?」

 松永が両手を首を振りながら呟くと、一人の女子生徒がこんな危ない場所にはいられないと教室を出て走っていった。
 その女子生徒に続いてノリの軽そうな男子生徒が遊びに行こうと友人を誘いながら教室を出て行く……
 その二人につられ松永達三人と番原以外の人間は教室を次々と出て行った。
 いつの間にか松永の隣で寝ていた男子生徒の姿も無かった――――

「何やってんだか………」

 松永が呆れ気味に呟き、深いため息をついて呼吸を整えた後に松川に言う。

「じゃあ、俺が後ろのドアの鍵かけてくるから松川はあっち頼む。窓もな」
「へぃ、わかりやした」

 松川が気だるそうに答えて前のドアへ歩き出し、細井が思い出したように松永に問いかける。

「あ! 俺は?」
「いや、そこで番原先生の様子見ててくれ」

 すかさず、松永が答え鍵をかけ終わり横にあった掃除道具入れから三本のほうきを取り出し、元の場所に戻ってくる。
 松川がそんなものどうするのかと尋ねると、似合いもしない笑顔を浮かべて松永が無いよりは安心だと言いながら松川と細井にほうきを手渡す。

「次の放送があるまで待機しててって言ってたよね?」

 細井が松永からほうきを受け取りながら尋ねる。
 少し不安な表情を浮かべて松永がそういえばと時計を見ると最初の放送から既に五分も経っていた。
 不審者が現れたという緊急事態にしては次の行動への指示が遅すぎる……
 松川が慌てながらここに不審者が来たらと言い出すが、松永はバリケードでも組むかと軽く松川の訴えを流す。
 その横では細井が自分のかばんの中にあった水筒のお茶を番原に飲ませ気を落ち着かせようとしていた。
 細井が大丈夫かと尋ねると、唇の震えが止まった口から、授業中と打って変わった細々とした声を出しながら番原が水筒のふたを細井に返しながら答える。

「ありがとう。細井君。もう、大丈夫だから……」

 それを受け取った細井が水筒をかばんに戻しながらまた尋ねる。

「それで、さっき言ってたのってなんです? 何かを見た! みたいに言ってましたけど」
「『変な生き物』としか言いようが無いわ」
「いくら新人でも国語の教員でしょ? もっと他に言葉ないの?」

 細々とした声で番原が答えると松永が呆れながら言う。
 松川が自信なさそうに小さな声で松永に言い方がひどいと注意をするが、そうでもしないと何を見たのかわからないと松永に言いくるめられ、松川は気を落としながら黙り込んだ。

「とにかく! あれは普通じゃなかった。早く逃げないと!!」

 番原が発狂し立ち上がりながら教室の窓に左足をかける。

「はぁ? 今度はなんだ? 気でも狂ったか?」

 松永が呆れながら言っていると細井が番原に駆け寄り、飛び降りようとしているのを制止する。

「先生! 何やってんですか!? ここ四階ですよっ! 落ちたら怪我じゃすみませんってば」

 しかし、次の瞬間番原が右足で細井を蹴り飛ばし窓から飛び降りた。
 鈍い音が三人のいる四階にまでしっかりと聞こえてきた。

「「!?」」

 そこにいた三人の顔に驚愕の表情が浮かぶ。
 細井は人が死ぬのを目の前で見た、松川と松永は人が落ちる瞬間を目の当たりにしたわけだ。
 十七歳の高校生にはまだ早い体験だった。

「先生!!」

 細井が叫ぶが、窓の下にある物が返事をすることはなかった……
 静かに深い深呼吸をして息を整えた松永が細井に歩み寄り肩を叩く。

「しかたないさ。しっかし、あそこまでして逃げたかったのか? なんでだ?」

 松永が真面目な顔をして言った。
 松川が感心したような軽蔑したような眼差しを松永に向けながら呟く。

「翔平さんは人が目の前で死んだのによくそんなこと考えられるな……」
「まぁ、ディスプレイ越しには見たことあるしな、しかし実際に見るとひどいもんだ……」

 松永は呟きながら窓の下を覗き込み、深い溜息をつきながらその場に座り込み沈黙する。
 松永が沈黙すると誰も喋りだすことが出来ずに沈黙した………
 ―――三人の沈黙を破るように外で何かが動く音が聞こえた。


「ん? なんだ?」

 松永が言うと他の二人も窓に駆け寄り窓の外を覗き込む、するとそこにはあるはずのそこに無くてはならないはずの「物」がなかった。
 細井が今までに無いほどの大声で叫ぶ。
 松永は自分の目を疑いながら呟き、松川はただその光景を眺めているだけだった。
 そこになくてはならなかった番原の死体がなかったのだ。
 跡形もなく消え去っていてそこには血の這った後しかなかった。

「まさか、甦ったとか?」

 苦笑いしながら細井が言う。

「バイオハザード?」

 松永が返す。


 ―――――「バイオハザード」それは広く「生物災害」の意味で使われているが、松永の言った「バイオハザード」は数年前アメリカ中西部にある地方都市「ラクーンシティ」で起こった一連の猟奇事件の事で、現在「バイオハザード」は世界中で発生している。先進国の内で唯一「バイオハザード」が発生していないのがこの日本とイギリスだけであり、世界中から最後の楽園と呼ばれている。


 細井が真面目にそれしか納得のいく答えはないと二人に力説するが
 松川にそんな遠くからウィルスが感染してくるわけないと否定され松永も松川の意見に賛同する。
 が、細井がなおも食い下がる。

「だって――――」

 その時また火災警報のベルが鳴った。

『全員今すぐに体育館へ集合してください。校内に侵入した不審者は人間ではありませんすぐ―――うわぁ!』

 三人が待ちわびた次の行動の指示が教室のスピーカー越しに聞こえてくるが、最後に男の断末魔の声が聞こえマイクに液体が噴き出す音が入り、放送はそこで途絶えた。
 松川が放送が止まったことに驚いていると松永がそれに続いて呟く。

「小倉先生だったな、不審者は人間ではありませんとかわけわからん事言ってたし最後の方に…まさかとは思うけど」

 すると、細井が嬉しそうに「バイオハザード」だと二人に自慢げに話す。

「はしゃぐな!! とにかく放送で言ってた通り体育館へ行くぞっ! そうしなきゃ状況の把握もできん!」

 松永がはしゃいでいる細井を一喝すると、細井が少し気を落としながら頷く。
 それに続いて松川が言う。

「でも、ホントにゾンビだとしたらどうするん? 放送室ってすぐ近くじゃん」
「じゃあ一生ここにいろ!!」

 松永が怒鳴りながら教室の後ろの黒板に張り出されている校内の見取り図を見ながら体育館への安全なルートを確認しながら、気を落としている細井を奮い立たせつつ松川に怒鳴りつけた。

「嫌や、俺も行く!」

 松永が深いため息をつき呼吸を整えほうきを強く握り締めて言った。

「よし、決まりだな。でも、これがホントにバイオハザードなら、噛まれたりしたらダメだからな」

 細井が苦笑いしながら答える。

「そうだね。ゾンビは走れないから走れば逃げ切れるはずだけど。リッカーとかはさすがに…」
「リッカー?」

 松永が聞きなれぬ言葉に不安を感じ細井に尋ねる。

「ううん…なんでもないよ」
 
 松川は黙ったままだった。


 三人は後ろのドアの鍵を開け先頭に松永、後ろに細井、そして二人の間に松川という順番で階段の方へ向かった。
 隣の二年四組の教室に人影はなく、ただ乱雑に落ちている教科書や倒れた椅子、机、そして血のついた黒板があるだけだった。
 それを横目に三人は二年五組の方へ歩いて行く。
 そして、二年五組の教室の横を通りすぎようとした時、人が一斉にその足を止めた。
 松永が後ろの二人に向かって尋ねる。

「人の足?」

 細井が恐る恐る答えると松川が叫んだ。

「うわぁぁ!!」
「松川うるさい! お前の叫び声はなんか汚いぞ、ちょっと見てくる。」
 
 笑いながら言うと松永はほうきを握り締め、ゆっくりとその「足」に向かって歩き出した。
 一歩一歩と近づくたびに松永の心臓の鼓動が、他の二人にも聞こえるほど高鳴る。
 二年五組の後ろのドアに背を向け「足」の出ている方を覗き込むと、一瞬松永の顔が凍りつく
 が、すぐに元の表情に戻り松永がホッと一息つく。
 松川が怯えながら松永に尋ねる。

「大丈夫。足だけだ」

 松永が答えると、細井が続いて尋ねた。

「だけ!?」

 松永がまた深いため息をつき呼吸を整えて答える。

「そう、足だけだ。ゾンビにでも喰われたかな? なんにせよこれが襲ってくる事はないだろ」

 と、言うと松永はその足の正面に立ち、右手で自分の胸に十字架を描く動作をし一礼した。

「なにやってるの?」

 細井が聞くと松永が苦笑いしながら答えた。

「一応、俺にはキリスト教の血が流れてるから形だけでもと思ってねぇ。埋葬してる暇なんてないからせめて祈るだけでもって感じかな?」

 いつになく優しい笑顔だった。
 が、次の瞬間にはいつもの眉間にしわをよせた険しい顔に戻っていた。

「よし! 体育館に急ぐか!!」

 松永が他の二人に渇を入れるかのごとく力強く言った。

「おぅ!!」

 二人もそれに答えるように力強く返事をした。
 が、その歩みは言葉とは裏腹にゆっくりとした物だった。
 階段を一段一段かみ締めながら下りていくと、そこにはまさしく地獄絵図が広がっていた……
 飛び散った肉片、滴り落ちる血液、鼻をつく猛烈な異臭………
 ―――――どれも未だかつて体験した事のない感覚だった。
 松永が鼻を押さえながら下を向く。
 細井はその状況を後ろから察したのか下を見ないように鼻をつまんで、松川に背を向けて上を向いていた。
 松川は昼食前で何も戻す物がなく胃液だけを吐き出していた。
 その状態でどれぐらいの時間が経ったのだろう?体育館の方で大きな音がした。
 その音で正気を取り戻したのか松永は嘔吐していた松川に声をかける。

「おい、大丈夫か?」
「なんとか…」

 松川がいつになく力のない声で返事をする。
 細井が自分のかばんから水筒を取り出しお茶を松川に手渡した。

「飲みなよ、飲めなかったら口をゆすぐだけでもいいから」
「ありがとう」

 そう言いながら松川はコップを受け取りゆっくりとお茶を飲んだ。

「よし、行くしかないか」

 松永が階段の上で言った時とは打って変わって力のない言葉で言った。
 他の二人は返事をする気力すらなくただただ黙ってうなずいた。
 松永は一階の廊下に足をつき二人を階段で待たせてゆっくりと廊下の角まで行き向こう側の様子を伺い

「よし、大丈夫だ」

 小声で松永がささやき松川がゆっくりと松永の右隣に移動している時ふと、松川が松永の方を見たときにその顔が凍りついた。

「どうした?」

 松永がまた小声で松川に問いかける。
 松川はただ声を出さずに、いや、出せずに口を動かしていただけだった。
 すると階段を駆け下りてきた細井が叫ぶ。

「翔平!! 後ろだ!」

 それを聞いた松永は廊下の角から離れ廊下の真ん中に飛び出して反転し後ろを確認した。
 そこには異形の姿をした「物」がいた。確かにそれはテレビ画面の中で見たものに酷似していた。

「マジかよっ!」

 松永が履き捨てるように言った。

「本当に歩くしか出来ないみたいだ」

 細井が嫌に落ち着いて言った。
 確かに「それ」はゆっくりとした足並みだったが、確実にこちらに向かって歩いていた。

「どうする?このほうきで殴って頭を吹き飛ばす?でも、いくら腐りかけてるとはいえ、人の頭を吹っ飛ばせるのか?」

 松永が自問自答しているうちにそれが唖然として動けない松川を襲える距離まで来ていた。

「考えてても始まらない! 松川伏せろ!!」

 松永は自分にそう言い聞かせ松川に怒鳴りながら走り出した。

「はい!?」

 松永は松川が気を取り戻ししゃがみ込んだのを確認して、松川とそれの三十センチメートル程手前からジャンプしほうきを振りかぶった。

「これでもくらえ! 化け物!!」

 着地と同時にそれの頭めがけて、丁度ティーバッティングの要領で頭だけを殴り飛ばす。
 それの頭は吹き飛びはしなかったが、鈍い音を立て首の骨が折れたようだった。
 それは十秒ほど立ったままだったが、ゆっくりと松川の隣に倒れ込んだ。

「ひいっ」

 松川がそれに気づき驚いて後ろに跳ねた。
 その松川の右腕には小さな爪痕が残っていた。

「殺ったのか!?」

 松永が息を荒げながら呟く。

「全力で殴ればなんとかなるみたいだね」

 細井が言った。
 すると次は細井の立っていた場所の近くの実習室からまた、それが今度は細井に向かって襲いかかってきた。

「貴史!!」

 松永が叫び助けに行こうとした時

「翔平さん!!」

 松川が松永を呼び止めた。
 松永がまた振り浮くとそこにももう一体それがいた。

「畜生!!」
「こっちはなんとかする! 翔平はそっちを――!?」

 松永が叫び細井が松永の方を向いて言おうとすると、それはその隙をつき細井に喰いかかろうとする。
 細井はそれの口にほうきを突っ込み、頭を抑えようとしてそのまま後ろに倒れ込んだ。

「貴史!!」

 松永がまた叫ぶ。

「シャァア!!」

 唸り声をあげそれが松永にも襲いかかる。

「くそっ! ゾンビだかなんだか知らねぇが、邪魔すんじゃねぇ!!」

 松永がほうきの柄の方でゾンビの頭を殴る。
 ちょうど泥団子を握りつぶした様な感覚が松永の手に伝わった。
 が、ゾンビは倒れなかった。

「くそったれ!! 効かないってかぁ!?」

 松永が呆れ気味に言う。
 そして続いて松川に命令口調で言った。

「松川!! 貴史を助けろ!」
「え!? どうやって?」
 
 松川が慌てながら答えた。
 それを聞いた松永が怒鳴る。

「バカ!! ほうきでもなんでもいいからゾンビを殴ぐるなり蹴るなりして貴史から注意をそらさせろ」

 松川がまた慌てながら言った。

「え!? そんなん無理やし…」
 
 松永はあきれながら松川に侮蔑の眼差しを向けて言った。

「じゃあ、怪我しないように隅に隠れて、このぉ!」

 言葉が途切れた。
 ゾンビがもう一体玄関の方から現れ、松永に向かって襲い掛かってきた。

「くそっ! なんだよぉ、なんで離れないんだよこいつはぁ!」

 細井が愚痴りながらゾンビと格闘していると、ほうきに滴り落ちるゾンビの血のせいで、細井の右手がすべりゾンビの口からほうきが外れた。

「シャァア!」

 細井がダメだと思った瞬間、窓ガラスの割れる音がした。

「なに!?」

 細井が窓ガラスの方向を一瞬見たあと思い出したように目の前のゾンビに視線を戻した。
 そのゾンビの右側の頭に泥で汚れた野球ボールが見えた。
 次の瞬間ゆっくりとゾンビは細井の上に覆いかぶさるように倒れた。

「大丈夫か? 細井」

 それは聞き慣れたとても低い声だった。

「布施!?」

 細井が三人の友人「布施 大将」の名を叫ぶと二体のゾンビに苦戦していた松永も一瞬布施を見て、またゾンビ達に顔を戻した。

「布施か!? 丁度いい! こいつらなんとかするの手伝ってくれ! お前サイボーグなんだろ?」

 松永が冗談混じりに言うと布施が力強く返事を返す。

「任せろっ! 頭どかせ松永!」

 割れた窓ガラスを飛び越え金属バットを持った布施が走りながら言い布施の声を聞いた松永が頭を下げる。

「うぉぉぉお!」
 
 布施が手にした金属バットをゾンビ達の頭に向けてフルスイングした。
 鈍い音と血しぶきを上げ脳髄を撒き散らしながら二体のゾンビの頭は吹き飛んだ。

「二体まとめてとはね、さすが、サイボーグ」

 冗談混じりに下げた頭を元の位置に戻しながら松永が言った。

「だろ?」

 自慢げに布施が答える。

「でも、本当に助かったよ。ありがとうな布施」

 細井が自分に覆いかぶさったゾンビをどかして起き上がりながら布施に礼を言った。

「松川、もういいぞ」
「わかった…」
 
 松永がそう言うとハムスターが眠る時の様に隅で丸くなっていた松川がその巨体を起こしながら言った。

「松川!? お前も生きてたのか! こりゃ驚きだな」

 すると布施が松川を見ながら皮肉った。

「多分俺らと一緒じゃなかったら喰われてただろうさ」

 松永が言い、それに続いて細井が布施に尋ねる。

「布施、他に生きてる生徒は見なかった?」

 布施が答える。

「いや、俺は見てない、最初悲鳴が聞こえた時に何かあったらまずいと思って部室にボールとかバットとか武器になりそうな物取りに行ってたから。その間にみんな逃げたもんだと思ってたが…」
「さすが、布施は天然のサヴァイヴァーだな。俺らじゃそんな考え浮かばないぜ?んじゃ体育館に行くか?放送で言ってたし、体育館から大きな音も聞こえたし」

 それを聞いた松永が感心しながら言うと布施が力の無い声で答えた。

「やめといたほうがいい、こっちに来る途中に体育館の方で先に避難していた連中の叫び声が聞こえた…」
「嘘でしょ!?」

 細井が驚きを隠せずに大きな声で布施に言う。

「嘘ついてどうする? 俺が見たんだから。『出してくれ!』って叫んでるのに他の連中は自分達が襲われるのが嫌だから外に出さなかった」
「それじゃあ見殺しじゃねぇかよっ!! お前は黙ってそれを見てたのか!?」

 松永が怒鳴り、布施も松永に怒鳴り返す。

「俺一人に何が出来る! 自分の身守るのに手一杯なのにそんなに大量のゾンビに襲われたらどうしようにもねぇだろぉが!」
「そりゃ、そうだろうけど。でも、そんなのひどすぎるじゃないか。って事はさっき聞こえた音はそれか…」

 松永が面食らった態度で答える。
 細井がなだめるように松永の肩に手を添えながら言った。

「しかたないよ。俺も開けないって言うか開けられないと思うし。それよりこれからどうする?」

 また深いため息をつき呼吸を整えて松永が言った。

「とりあえずそこの購買で腹ごしらえかな?昼前だし注文したやつとか届いてるでしょ。まぁ、こんな所じゃ食欲湧かないけどさ」

 それを聞いた布施が言った。

「そうだな…これから色々体力使うだろうから栄養補給だな」
「うん。そうだね。」

 細井はそう言うと購買の方へ走り購買部の方へ走っていった。

「気をつけろよ」

 松永が念を押す、細井はそそくさと中に入って行き

「いらっしゃいませぇ〜」

 場に似合わない声で細井が言う。

「ふざけてる場合じゃないだろ。えっと、とりあえず全部ください〜」

 松永が細井を怒りながらも細井のボケに乗る。

「お前もじゃねぇか。おぃ! 松川お前の好きな飯の時間だ! 喰えなくても無理矢理腹に押し込め」

 布施が怒鳴り、松川は隅からゆっくりと購買部の中へ入っていった。
 そして、その次に松永。そして最後に辺りを警戒しながら布施が入ってしっかりとドアに鍵をかけた。
 四人は円状に座りゆっくりと購買においてあった弁当を食べ始めた。
 人間の「慣れ」とは恐ろしいものだ。
 すでにあの鼻をつくような異臭はほとんど気にしなくなっていた。

「状況を整理しようか?」

 松永がそういうと、他の三人は黙って頷いた。
 続いて松永が細井に尋ねる。

「とりあえずあいつらはゾンビなんだよな?」

 細井は何故自分に聞いてきたのか困惑しながら答える。

「多分そうだと思うよ。見たまんまだけど…」

 布施が細井の説明を遮るように怒鳴りだす。

「じゃあ親玉はアンブレラか? はん! バカげてる。それじゃあんなのが沢山出てきたらどうしようにもねぇじゃねぇか!」
「そうネガティブになるなよ。ポジティブに行こうぜポジティブにさ。あの『ラクーンシティ』からも何人か生き残ったみたいだし、そんで、本当にバイオハザードみたいな状況ならさ、ゾンビに噛まれたり引っ掻かかれたりすると『感染』しちゃうんだよな?」

 松永が布施をなだめながら言い細井にまた尋ねる。細井が答えた。

「うん、そゆこと。気をつけないと」
「そうだ! テレビ無いか?ラジオでもいい」

 細井の返事を聞いた松永が思い出したように言った。

「っちゅうか誰か携帯持ってんだろ? 警察とかに連絡してみないと」

 布施はすぐに近くにあったテレビのスイッチをつけニュース番組にチャンネルを合わせた。
 細井は自分の携帯で警察へと繋ごうとする。

「繋がらない」
「電話はダメか」
「おい! ニュースやってるぞっ!」

 布施が大きな声で言い、二人はテレビの方を向く。
 が、そんな三人を横目に松川は黙々と弁当を食べていた。

『緊急特番です。さきほど十二時十五分頃、日本の北陸地方で生物災害バイオハザードが発生しました。アメリカでのラクーンシティ事件や世界各地で発生しているバイオハザードと同様である等の憶測が飛び交っておりますが、政府はまったく会見を開こうとせず、北陸地方一帯にお住まいの方は自宅に避難し鍵をかけて外に出ないようにとの警告だけしか発表しておりません。北陸地方一帯にお住まいのかたはくれぐれも外出なさらないようにしてください。なお、警視庁の独自の判断で地方警察署や警視庁から対テロリスト特殊部隊《S.A.T.》や武装した警察官隊を北陸地方の中心である石川県に随時派遣しているとの情報も入っております』
「どうやら本気らしいな」

 松永が力のない言葉を発し、布施が笑いながら言う。

「S.A.T.が来るのか楽しみだな」
「よし飯も食ったし動くか?」

 松永が布施の言動に苦笑いしながら言った。

「まずはどこに行く?」

 細井が布施と松永に尋ねた。
 と、ほぼ同時に布施が松川を呼んだ。

「おい、松川さっさと立て移動するぞっ」
「おい! 松川!!」

 松永が布施に続いて言った。
 しかし松川に反応は無い。

「まさか!?」
「嘘だろ?」

 布施と松永が後ずさりをして松川から距離を置きながら言った。
 すると細井が松川の右腕を指差しながら言った。

「あそこ見て! 右腕の所に爪痕・・・」
「くそっ! 逃げるぞ! 松川の頭を吹き飛ばしたくはねぇ!!」

 松永がそう言って購買部の外へ出て辺りを見渡しゾンビがいないのを確認して二人に合図を送った。

「どこに逃げる?」

 布施が金属バットを片手に購買部から出てきながら松永に尋ねた。

「とりあえずそこのデパートだな。この血のりベッタリの服じゃ動きにくいし何か他に武器を調達できるかもしれん!」
「オーケー! そうするか!」

 布施が力強く返事をし、松永が細井に尋ねる。

「貴史! アーチェーリーは使えないのか? あれなら遠距離からゾンビ共を狙い撃ちできるだろ?」

 購買部から出てきた細井が答える。

「あれは連射力ないし動きながらじゃ撃てないし、もし撃てたとしても当たらないよ!」
「無いよりまし!」

 松永はそう言うとアーチェーリー部の部室に向かって走り出す、少し遅れて二人も松永の後を追う。
 走りながらまた松永が細井に尋ねる。

「貴史車運転できるんだっけ? 前なんか言ってたじゃん?」

 細井は少し間を置いて自信なさげに答えた。

「出来るけど実戦はまだかな?」

 布施が怒鳴る。

「出来るのか!?」

 そんなやりとりをしているうちに部室の前へ着いたそこで細井が慌てながら叫ぶ。

「鍵が無い!!」
「んなもんいるかぁ!!」

 後ろから来た布施がドアを蹴破った。
 細井はそれに驚きつつも部室の中に入り自分の弓矢と他の部員の矢を持ってきた。

「よし、次は車だ!」

 松永がそういうと三人は職員の駐車場に向かって走って行った。
 職員の駐車場にはほとんど車は残っていなかった……

「先公共は生徒を置いてさっさと帰っちまったか?」
「多分無いとは思うけど鍵の刺さってる車を探せ!」

 布施が文句を言っていると、松永が二人に指示し自分も鍵の刺さっている車を探しに走り出した。
 三人が駐車場を走り回り出してから一分もしないうちに細井が声を上げた。

「あった!!」
「「マジ!?」」

 布施と松永が同じタイミングで言った。
 その細井が見つけた鍵の刺さった車は可愛い黄色の車だった。

「まさか、あるとはな…」

 松永はそう言うと助手席にそそくさと乗り込んだ。
 布施も後部座席へ座り細井に手を差し伸べ

「それ、貸しな」

 と細井からアーチェリー一式を受け取り細井はアーチェリーを布施に手渡し、少し戸惑いながら運転席に座った。

「よっしゃ、さっさとこんな所抜け出そう!」

 松永が細井に向かって言う。

「………うん」

 しかし、細井は力の無い返事をした。

「どうした? 運転できんだろ?」
「お前うるさい! 貴史なら出来るって自信持ってさ。な?」
 
 布施がプレッシャーをかけるように言うと、松永が布施を叱りながら細井に言った。

「ウェイ!!」

 細井は自分の大好きな特撮番組の主人公が使う独特な返事をすると右手でキーを捻りエンジンを掛けた。
 キーから細井が手を離しハンドルを握り締めた瞬間、布施が叫ぶ。

「来た!! やつらが出てきたぞ!!」

 細井と松永が振り向くとそこには生徒玄関からゆっくりと歩いてくる高校の制服を身にまとったゾンビ達がいた
 その先頭には松川の姿があった。

「松川」

 細井が力なく呟く……

「貴史後ろを見るな! 前だけを見よう!!」

 松永が細井に言いながら右手で胸にそっと十字架を描いた。

「松川ごめんな」

 細井は、ハッとして涙ぐみながら呟き、可愛い黄色の車をバックさせ校門から道路に出た。

「やればできるじゃんか! 安全運転で頼むよ」

 松永が笑いながら言うと

「そうだね。シートベルト締めてて」

 と細井も笑いながら返した。
 その時、布施がその談笑を壊すように叫んだ

「すぐそこまで来てる、早くだせよっ!!」
「わかった!!」

 細井は右足に力を込めアクセルを踏んだ。



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