雪がまだ溶けきれない街の路地裏で、一匹の太めの野良猫が貴重な日差しを浴びながらゴミバケツの上に悠々と寝そべっていた。 雑種の証拠である色が交じり合った毛並みと愛想とは程遠い顔をしている野良猫は、いつも余り物をくれるレストランのバイトの青年から余り物をエサとしてもらい、満足したふてぶてしい顔で惰眠をむさぼっていた。 ふと、その野良猫の感覚に妙な物が走る。 街中で野良として生きていくために、様々な危険を覚え、それを回避して生きてきた野良猫だったが、今まで覚えてきたどの危険ともそれは違っていた。 惰眠を即座に中断し、野良猫は背を持ち上げ、爪を出して鋭い声でその〈何か〉に威嚇の声を上げる。 だが、その〈何か〉はどんどんコチラへと近づいて来る。 そして狭い路地裏を、その〈何か〉が飛んできた。 「フギャオ!」 情けない声を上げながら、野良猫はゴミバケツから飛び降りる。 その尻尾の先をかすり、〈何か〉がゴミバケツに激突してそれを粉砕した。 猫目を見開き、〈何か〉を野良猫は見た。 それは、一台のロボットだった。 野良猫はそれと同じ物を街頭の大型ビジョンで見た事があったが、その時映っていたのは丸っこい胴体から伸びたアームで、老人の介護をしたり家事を手伝ったりしていた。 しかし、その顔前にあるロボットのアームは赤黒い物で染め上がり、愛嬌のあるはずのボディには腐肉のような物が張り付いている。 ロボットのモノアイが、こちらへと向く。 その機械仕掛けの瞳の奥に、得体の知れない何かを感じた野良猫はあらん限りの声を上げてロボットを威嚇する。 ゆっくりとした動きでロボットは起き上がり、赤黒く染まったアームを野良猫へと向けて持ち上げる。 しかしアームが振り下ろされる寸前、再度そのロボットが宙を舞った。 突如として虚空から現れた水流が、その勢いを持ってロボットを突き出す。 アームを動かしながら、ロボットが虚空の水流に押されて飛んでいくのを、野良猫は呆然として見送る。 その後を追うように、一人の女性が姿を現した。 それは抜けるような美しさを持ったウェーブのかかった金髪をした、若い女性だった。 全身を黒いボディスーツをまとい、その上から深い藍色のジャケットで包んだその女性は、そのロボットの追う最中、ふと野良猫の方を見た。 (危ないわ、離れてなさい) 突然己の心に、優しげな声が響く。 それが何かを確かめる間もなく、女性はロボットを追ってその場を去っていく。 野良猫はその声に従い、情けない声を上げながら、自分を唯一可愛がってくれるバイトの青年の元へと猛ダッシュで逃げ去った。 「こちらサイレント・ネイチャー。ターゲットを補足! ターゲットはなお逃走中!」 『一家四人を惨殺した相手だ。油断するな』 『こちらイーグル・オブ・ウインド。ターゲットに接近』 路地裏を本来有り得ない速度で逃げ回る家庭用ロボット《へるぷ君》を追いながら、金髪の女性、マリーことマテリア・イデリュースは違和感を感じていた。 (ロボットなのに、あれには精霊力が宿っている?) 〈機械〉から感じる〈生命〉の力に、マリーの違和感は疑念へと成長していく。 しかし、疑念はモノアイがこちらへと振り向いた時に消失する。 そこから放たれた閃光によって。 「きゃあっ!」 思わず悲鳴を上げ、両手を前にかざす。 彼女の危機を感じ取り、大地の精霊が路面のアスファルトを突き破り、土の壁となって閃光を防ぐ。 「レーザー出してきたわよ! そんなの聞いてないわ!」 『夜間セキュリティ用のが装備してあったはず。だが、あくまで感知用のはずだ』 「どこがよ………」 直撃した部分が完全に黒く炭化しているのを見たマリーの頬に汗が一筋流れ出す。 『バトルスタッフ総員に通達。渡したスペック表は信用するな』 『できるか! あいつはあたいの目の前でビルの壁ぶち抜いて逃げやがったんだぞ!』 『イーグル・オブ・ウインド、戦闘を開始する!』 マリーの耳に、金属どうしがぶつかり合う音が響いてくる。 続けて爆発や雷光が轟き、閃光が煌く。 「派手にやってるわね……」 一際大きな爆音が響き、爆風が吹き荒れる中、何かがこちらへと飛んでくるのを見たマリーは周囲の精霊に呼びかける。 (風よ………) その呼びかけに応じた風の精霊達がその力を振るい、こちらへと飛んでくるロボットを、それに反発するかのような風圧で押さえ込む。 (巻いて!) マリーの更なる呼びかけに応じ、風圧を維持してロボットを宙に留めたまま、ロボットの体が旋回を始める。 (解き放て!) ロボットを中心とし、通常なら有り得ない局所的な竜巻がロボットを捕らえたまま、上へと解き放たれる。 ロケットのような勢いでロボットは空へと舞い上がり、そして落下を始める。 「今よ」 『了解っ!』 路地裏の脇を固めるビルの上に待ち構えていたマリーのと同色の深い藍色のジャケットに身を包み、腰に日本刀を持った青年が落ちてくるロボットへと向かって駆け出す。 ロボットが彼の眼前を通り過ぎる直前、彼の右手が柄へと伸びた。 「ふっ!」 短い息吹と共に、澄んだ鞘鳴りの音が響く。 ロボットはそのまま何事も無かったかのように落下を続けたが、その体が路面へと直撃した瞬間、真っ二つとなって内部の部品を周囲へと巻き散らかした。 『当該目標のエネルギー量、急速低下。機能停止を確認』 「陸さん、言われた通り形残しましたよ」 『交戦終了。目標残骸の回収を…』 (死ニタクナ…) 「え?」 ふと、どこかから思念を感じたマリーは周囲を見回す。 だが、あるのは眼前のロボットの残骸だった。 「まさか…」 逆さになって転がっているロボットの頭部のモノアイに、何か底暗い物を感じたマリーは、人知れず恐怖を感じていた。 1999年、一部自衛隊による武力決起による東京占拠により、世界情勢は急激的に緊張状態を迎えた。 決起自衛隊による在日米軍との戦闘により東京は戦場と化し、戦火を恐れた他の都道府県は次々と日本からの独立を宣言。 直後、東京を襲った第二次関東大震災にて決起自衛隊は東京もろとも壊滅し、関西に組織された臨時政府は独立した都道府県を《シティ》と呼称される都市国家とし、臨時政府のあった関西―Nシティを首国家とする連合国家へとする事を宣言。 ここに、事態は終息を向かえた。 だが、それは表面上だけに過ぎなかった。 東京壊滅の年を境に、日本各地で科学では解明不可能な超自然的災害・犯罪が増加の一途をたどり始める。 年を追って増えていく超自然的事件に対し、古来よりそういう〈闇〉を監視してきた陰陽寮・高野山・神宮寮を中心とした退魔機関の処理能力を超えるのは最早時間の問題だった。 その状況を打開するべく、ある提案が浮上した。 『宗教、思想、科学、魔法、民族、種族、それら全てを超越し、各分野のエキスパートを終結させ、独自の機動性と戦闘力を持ったまったく新しい退魔機関の設立』 この驚くべき提案は、多数の反対と少数の賛同を持って受け止められた。 かくして、その僅かな賛同者達はその力を結集させ、2025年 東北・Mシティにおいてその機関の試験的設立を成功させた。 組織の名称は《Anti Darkness Defence Life members(闇から命を守る者達)》、通称ADDL(アドル)の誕生だった。 そして、アドル誕生から四年半。 戦いは、更なる激化の様相を呈し始めていた……… 4時間後 アドル本部科学検査室 「動力部、解体完了しました。ただ、どう見ても普通のバッテリーですね」 「アクチュエーターの磨耗度、解析結果ははっきり言って異常です。通常ならここまで磨耗するはずは構造上ありえません」 「内部システムの解析、ほぼ終了しました。正規のプログラムに加えて、解析不能のデータが山と。なんなんだこれ?」 原型を留めないほどにばらされたへるぷ君の周りを、白衣を着たサイエンススタッフや作業着を着たメカニックスタッフ達が取り囲んで調べ上げられるだけの事を調べ上げていた。 その中央、雑多な集団の中でも一際異質を誇る男が次々とピックアップされていくデータに目を通していく。 その男、2m近い身長に筋肉質な体を白衣に包み、顔には野生と知性を兼ね備えた独特の雰囲気を持った者、アドル副総帥にして、直接戦闘部署であるバトル、科学解析部門であるサイエンスの両スタッフチーフを勤め、その驚異的な頭脳と非常識過ぎる行動から《史上最強のマッド・サイエンティスト》の異名を取る異才、守門(もりかど)陸の前に、それぞれの解析結果を手にしたサイエンス、メカニック両スタッフが結果を述べた。 「本当にコレがあの一家惨殺事件の犯人なんですか? とってもそうは思えませんが……」 「ルミノール反応から被害者の防衛痕まで、全て一致した。疑い様はない」 「どうやったって、そんな出力は出ないはず……」 「システム暴走の可能性は?」 「バッテリーが足りない。どんなプログラム仕込んでも、人間惨殺できる程のパワー出せばバッテリーが一瞬で尽きるか、モーターが焼けるか、アクチェーターが粉砕する」 「だよな~………」 「どうやら、こっちの管轄じゃなさそうだ………」 「そのようだな。科学的にはどうやってもこいつはクロにならない」 陸の結論に、全員が一斉に頷いた。 「問題は、これか?」 分解されたパーツの中央、一つのパーツだけが残っている。 いかな負荷がかかったのか、大きな亀裂が入り、完全に炭化しているソフトボール程の大きさのそれは、何のために取り付けられたパーツが判然されていなかった。 「メーカーの設計図にはそんなの付いてないですし、しかも………」 メカニックスタッフの一人がそのパーツを手に取ると、亀裂の中を覗き込む。 その中は、何も入っていない空の空間だけがあった。 「空っぽときてる。何なんだろ?」 首を傾げるサイエンス・メカニック両スタッフの中、陸は掛けているゴーグルに映し出されるあるデータを凝視していた。 その謎のパーツから放たれている、禍々しいオーラの痕跡を。 「む~……」 巨大地下生態系保護施設、ARK NOAHの職員通路の途中で、仕事用の緑色の制服姿のマリーが膝を抱え込んで唸っていた。 しかもその頭の上には一匹のトラ縞の子猫が眠そうな目をしながら、マリーと一緒に間延びした唸り声を上げていた。 彼女の眼前には掃除用ロボットがスタンバイ状態で待機しており、その上には雑種の子犬がスタンバイ状態で程よく温まっているロボットの上で寝そべっていた。 「お手」 マリーが手を差し出すと、掃除用ロボットが作業用アームを伸ばしてマリーの手に乗せる。 その時の振動で目を覚ましたらしい子犬が、真似をするように自分も手を出す。 「おすわり」 掃除用ロボットが移動用タイヤを内部に収納して身を低くする。 その振動に驚いた子犬は思わず身を固くする。 「突撃」 掃除用ロボットがありったけの掃除用ツールを出して通路を磨きながら猛ダッシュで走っていく。 驚いた子犬は、悲鳴を上げながらロボットから飛び降りるとマリーの腕へと飛び込んでくる。 「ゴメンゴメン、驚かせちゃった?」 子犬の頭をマリーが優しく撫でてやる。 それを見た頭上の子猫が、一声鳴いた。 「もう、ご飯ならさっき食べたでしょ? あんまり食べるとデブになっちゃうわよ」 マリーにたしなめれた子猫が、残念そうに一声鳴くと、マリーの頭上から降りて見学客用の犬猫ふれあい広場の方へと走っていく。 「やっぱり、そうだよね」 「何やっとるんや?」 マリーの背後に、マリーと同じ制服姿の長い銀髪で口から犬歯が二本覗いている女性が声を掛ける。 「あ、サラ」 「そぞろ上がりの時間やろ? 仕事速いとこ片付けといた方いいで。次がいつ起きるか分からんって陸も言っとったし」 「最近やたら多いよね~。体力ないあたしなんてもういっぱいいっぱいだし」 「他の連中が体力馬鹿なだけやろ。瑠璃香なんてウチの眷属の下っ端より力あるで」 「あれはほっときなさい」 口元から伸びる犬歯、正確には牙を指で突付きながらボヤくルームメイトに、マリーが呆れ顔で返す。 「ねえサラ、ロボットに魂って有ると思う?」 「はあ?」 妙な質問に、サラが首を傾げる。 「ウチの実家に、魂持ったリビングメイルやったらおったが………」 「そういうのじゃなくて」 「魔剣の類じゃなし、変化したモンでもなきゃ、魂なんてやどらんで? それくらい知っとるやろが」 「そうよね………」 腕の中の子犬を撫でると、子犬の安堵の心がマリーの精神へと直に伝わってくる。 「この間の出動の時にね、あの暴走したロボットが『死にたくない』って思ってた気がして………」 「なんやそれ? 陸に話したんか?」 「一応ね。もしそれが本当だとしたら、あのロボットは魂を持ってたはずなのよ………」 「けったいな話やな~。中に脳味噌でも入っておったんちゃうか?」 「機械しか入ってなかったって。聞いてない?」 「だとしたら、そういうの陸の管轄やろ? もろマッド入ってる話やで」 「生きている機械、か………」 悩むマリーの腕の中で、子犬は目を瞑ってうたた寝を始めていた。 『それでは、昨日、中国崑崙島で起きたバイオテロ事件の続報です。昨日未明、崑崙島で発生した大規模なバイオテロは、ICPOの特殊部隊の介入により、事態は沈静化の方向へと向かっております。全市民の脱出という強硬手段により、現在崑崙島は…』 「あ、今映ったのレンさんですね」 「この間Nシティ来てアメリカ帰ったと思ったらオーストラリア、次は中国か~。相変わらず忙しい人っすね」 「こちらがこの状態じゃなけりゃ、どっちかに行ってもらったかもしれないがな」 副総帥室の中、その部屋の主たる陸の前に眼鏡を掛け優しげな顔をしたやや背の高い男性の言葉に、その肩に留まっている大鷲―バトルスタッフの一人『イーグル・オブ・ウインド』のコードネームを持つ拳法の達人にして霊幻道士、そして陸の弟でもある守門 空と、二十歳くらいのちと軽そうな青年―バトルスタッフ研修生にして退魔用剣術 光背一刀流を修める修行中の陰陽師―御神渡(おみわたり) 敬一が備え付けのディスプレイに映されるニュースを見ていた。 そのニュースに映し出されている、黒装束に日本刀を持った鳶色の瞳と髪を持った師の姿に敬一が感嘆の声を上げていた。 「二回目が起きるかもしれないって電話貰った時はまさかと思ってたんすけどね………」 「でも、兄さんいいんですか? 幾ら人手が回せないからって、《GIGAS》を送るなんて………」 「軍事問題になるんじゃないすか?」 ニュース映像に、あまりにも巨大な空中戦艦の映像が流される。 キャスターもこの巨大な機体にどうコメントしたらいいか分からないようだった。 「元々建造したはいいが、使い先が決まってなかったからな。こちらで使うにはドッグが小さい」 「あれ整備できるドッグなんて製造元しかないんじゃ………」 「専用の整備テントも送っておいた。部品一式も後で送りつける。人手が送れん分のせめてもの詫びだ」 「幾らかかってっかな~?」 「幾らかかってもいい事情があってな」 「やはり、ボクが行った方が…」 そこまで言った所で、いきなりコンソールから警報が鳴り響く。 『マスター、A―11エリアにてM‘Sの発生を確認しました。負傷者はまだ出ていない模様』 「ランクは?」 『構成オーラ量、23000。周辺状況からもう一、二体発生する可能性大』 コンソールに栗色の髪をした女性の姿、陸が作り上げた擬似人格保有型第7世代AI『LINA』が映し出され、その報告に空と敬一が顔を見合わせる。 「Cクラス戦闘体勢を発令、バトルスタッフに緊急呼集」 『イエス、マスター』 『LINA』の返答も聞かず、空と敬一が部屋から飛び出していく。 陸もイスから立ち上がるが、部屋を出る前に一つの質問を口にした。 「『LINA』、検索可能範囲内の属性、ここ半日の変化は?」 『ゆるやかにマイナスに移行しております。Mシティに留まらず、日本全土にて同様の状況を確認。原因は不明』 「崑崙島で発生した瘴気がこちらに流れてきてるんだ。よりにもよって龍穴の真上でバイオテロなんか起こしやがって………」 『不確定ですが、Nシティ、Sシティ、Kシティ、Eシティでも同様の事件が発生している模様』 「忙しくなるな」 それだけ言うと、陸は備え付けのロッカーから自分の身長よりも更に長い巨大な錫杖(しゃくじょう)に三叉戟(さんさげき)―槍の両脇に三日月状の刃が取り付けられた武器―を組み合わせた自分用の法武具、《錫杖戟》を取り出す。 「こっちの事件とあっちの事件、どちらから片付けてこうか…………」 ため息と共に、陸は出撃準備を進めていった……… |
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