オーガゲート・キーパーズ

CASE3 LIVING



μ THE QUEEN



「急々如律令! 勅!」

 空の口訣と共に、地面に散らばった呪符が次々と炸裂する。
 だが炸裂する呪符を平然と踏みしめ、巨大な足が木々をなぎ倒しながら歩を踏み出す。
 双頭の凶暴な人食い巨人、エティンが空を捕らえようと巨体に似合わぬ素早い動きで巨大な拳を突き出してくるが、木々の隙間を掻い潜り、枝を飛び越えていく空の機敏な動きに付いて行けずに空振りに終わる。
 そこへダイダロスが甲高い鳴き声と共にエティンの双頭の周囲を飛び交い、隙を見て眼球に向かって攻撃を繰り出していく。

「グガァ!」

 咆哮を上げ、エティンはダイダロスを手で掴み取ろうとするが、その隙に足元へと近寄った空が無数の呪符を鏢で突き刺していく。

「雷気を持って汝が在を禁ず!」

 無数の呪符がまとめて雷と変じ、エティンの足から全身を貫き、足を焦がしていく。

「ガアアアァァァ!」

 エティンが絶叫と共に大きく体勢を揺るがせるが、辛うじて転倒を免れる。

「……」

 更なる追撃を掛けようと、空が呪符と双縄鏢を構えた時だった。

「ぁぁぁぁああああ!」

 エレベーターホールから響く妙な声と共に、敬一がエレベーターから後ろ飛びに叩きだされて来る。

「あいててて………あ、空さんもまだ終わってません?」
「何があった?」

 戦闘体勢を取ったままの空に、片手に抜き身の刀を持った敬一が、もう片方の手でエレベーターを指差す。
 そこから、木とも機械ともとれる、奇妙な物体が這いずり出してきた。
 よく見ればその物体の表面には鋭利な切り口が幾つもあったが、その中もまた精密機械と樹木や更に生物の臓物らしき物も混じった奇怪な代物だった。
 挙句、似たような物がもう一つ這い出してきたかと思うと、それぞれ一際大きな切り口から己を千切るように蠢き、己が身を裂いていく。
 幾つもに裂けた物体は、段々その形を変えていき、やがてそれは今まで遭遇してきた暴走ロボットによく似た外見へと変貌していった。

「ね?」
「こちらは手が空いていない」
「ガアアァァ!」
「げっ!」

 咆哮を上げながら襲い掛かってくるエティンに、空と敬一がそれぞれ左右に跳んでかわす。

「じゃあ、そっちは任せるんで、こっちはなんとかしまっす!」

 苦笑を浮かべる敬一に空は無言で頷きながら、わざとエティンの視界内で動き回って相手を幻惑する。
 それを見たエティンがこちらに向かって拳を振り上げ、同時に空は腰のホルスターから複数の双縄標を抜く。
 大気を押しのける音と共に、巨大な拳が振り下ろされる。
 周辺を揺るがす振動と共に、土塊と破砕された木片が宙へと舞い上がり、土煙が視界を閉ざす。
 その破壊力に満足しつつ、エティンが拳を持ち上げようとしたが、なぜか拳は地面に突き刺さったまま抜けようとしない。

「ガ?」

 疑問符をエティンが浮かべた時、土煙を突き抜けて一つの影が動かない腕を駆け上ってくる。
 それが、叩き潰したと思った空だという事にエティンが気付き、続けて土煙の向こう、振り下ろした己の腕に複数の双縄標が絡みつき、先端の標が楔代わりに呪符を縫い止めているが見えた時、空は肩から頭部へと向かってきていた。

「ガアッ!」

 ハエでも払うかがごとく、エティンは残った手で空を払おうとするが、空はその手を軽々と跳んでかわし、エティンの双頭の耳を足場に再度跳び上がり、上空に飛来したダイダロスの足を掴んで宙へと静止する。
 そこで腰のパウチから取り出した複数の呪符を宙へと円を描きながら投じる。
 投じられた呪符は螺旋を描きながらエティンの双頭の周囲に突き刺さるように落ちていき、計八枚の呪符がエティンの周囲の空中で八角形を描く位置に張り付いた。

「我、八門の法を持ちて遁甲とんこうと成し、死門へと汝を導く!」

 空の口訣が終わると同時に、八枚の呪符が光り、それぞれから光で構成された扉が現れると、そのうちの正面にあたる扉が開くとそこから漆黒の闇が吹き出して来る。

「ガ…」

 エティンはもがいて闇から逃れようとしたが、闇はエティンの双頭を覆い、やがて闇の中からくぐもった苦悶が漏れた。
 闇が晴れていくと、そこには右側の頭部が完全に白目を剥き、生気を完全に失ったエティンの姿があった。

「ウ、ウアアアァァ!!」

 残った左の頭部が、口から泡を垂れ流しつつ発狂状態となってもがき、そのあまりの暴れぶりに片腕を地面に縫いとめていた呪符が力を使い果たして燃え尽き、地面から抜けていく。
 それすら分からぬのか、両腕をデタラメに振り回し、エティンは狂乱状態となって暴れまくる。

「死門で殺しきれないか」

 八門遁甲の中でも一番強力だが扱いが難しい死門で止めをさせなかっただけでなく、デタラメに暴れ始めたエティンから空はダイダロスに掴まったまま滑空して離れる。

「ならば」

 空はダイダロスの足を掴んでいた手を離し、落下しつつも浄眼でエティンを見据え、懐から七色の呪符を取り出す。

「一白、二黒、三碧、四緑、五黄、六白、七赤、八白、九紫!」

 九宮とそれに応じた色の呪符を空は投じ、投じられた呪符がエティンの頭上で三列×三列に並んでいく。

「九宮を方陣と成し、汝が在を封ず! 急々如律令! 勅!」

 空はエティンの正面へと着地すると同時に手印を素早く組みながら口訣を唱え、最後に指を突き出すと九枚の呪符が光を放ち、白三枚を加えた七色の光の檻となってエティンを呪縛した。

「グガ……!」

 何が起きてるのかも理解出来ないのか、それでももがこうとするエティンへと空は一気に駆け寄り、そのままもがくエティンの体を垂直に駆け上っていく。
 そして胸の位置にまで上ると、そこに八枚の呪符を八角形を描くように貼り付けた。

「我、八門の法を持ちて遁甲と成し、驚門を穿たん! 急々如律令!」

 片手で双縄鏢を左右に放って木へと突き刺し、それにすがりながら空は口訣を唱え、もう片方の手を呪符の八角形の中心に叩きつける。
 すると呪符が光を放ち、その八角形の内部が蠢く闇がひしめく、洞窟のような穴へと変じていく。
 同時に、エティンが今までにない絶叫を上げながら苦しみ、もがいていく。

「百邪斬断、万精駆逐! 急々如律令! 勅、勅、勅!」

 暴れまくるエティンの体にしがみ付きながら、空はその穴へとかざした手に力を込め続ける。
 終いには双縄標のワイヤーを掴んでいた手すら放ち、両手を穴へと突っ込んだ。

「八門遁甲の法を持ちて、驚門にて汝が魂を禁ず! 急々如律令!!」

 一際大きな口訣と共に、ありったけの内気を空は注ぎ込む。

「グ、ガアアアァァァァ!」

 すさまじいまでの断末魔を上げたエティンが、顔中の穴という穴から血を垂れ流し、力を失って倒れていく。
 巻き込まれないように飛びのきながら、エティンの体から完全に生気が失われた事を浄眼で確認した空の肩にダイダロスが止まる。

「……他には?」

 空の問いに答えるように、ダイダロスが一声鳴くと、空は一時的に臨戦体制を解いた。

「あちらは、片付いたか?」



「五行相克!」

 呪と共に振るわれた白刃が、擬似ロボットの一体の胴体と思われる部分を大きく斬り裂き、樹液かオイルか分からない液体が流れ出すが程なくしてその傷跡が埋まるように消えていく。

「何なんだこいつら………木気でも金気でもねえ?」

 敬一が悪態をつきながら、己を囲もうとする擬似ロボット達を見回す。
 斬っても斬っても再生していく奇怪な敵に、敬一は攻めあぐねていた。

(落ち着け……神話級の怪物ならともかく、こいつらはそれ程強い存在じゃない………どこかで斬り損ねているだけだ!)

 そう己を鼓舞する敬一に向かって、擬似ロボット達が一斉に襲い掛かってくる。

「やば! オン アビラウンケン! 招鬼顕現!」

 包囲の薄い後方へと飛び退きつつ、敬一は呪符を懐から取り出してばら撒く。
 呪符が鳥の姿をした式神―陰陽道の使い魔―へと変じて擬似ロボット達に向かっていく。

(何でもいい! ヒントを掴め!)

 飛び退きつつ、敬一の足が反閇(へんばい)と呼ばれる呪的歩法を踏む。
 式神の攻撃を突き抜けてきた擬似ロボットの一体が、反閇の領域に踏み込み、動きが鈍る。

「オオオォォ!」

 そこで飛び退いた勢いをそのまま踏み込みにした敬一が、一気に前へと飛び出しながら愛刀を動きが鈍った擬似ロボットへと深く突き刺す。

「克!」

 さらに一声呪を叫びながら、刀身の鍔元の峰へと片方の拳を叩きつけ、一気に擬似ロボットを斬り裂いた。
 胴体部分を半分以上斬られた擬似ロボットだったが、その断面がみるみる塞がっていく。

「《斬陽刻》でもダメか!?」

 多少はダメージを期待した攻撃だったが、相手が即座に再生していくのを見た敬一が歯軋りしつつ再度距離を取る。

(くそ、一体どうなってる!? 最初は根だった、って事は何かの分体か? だが、完全に実体安定してるって事は、本体とは完全に分離した存在って事じゃ……まて、分離!?)

 そこで何かに気付いた敬一は、乱れる呼吸を整え、刀を両手で構える。
 それを好機と見たのか、擬似ロボットの数体がこちらへと向くと、その胴体部分が開いてレンズとも瞳とも見える奇怪な物と、スピーカーとも耳とも見える奇怪な物をさらけ出す。

「ヤバい!」

 それが前に闘った暴走ロボットにあった物とよく似ていた事に気付いた敬一が、思わず横へと跳ぶ。
 直後、それから放たれた高出力レーザーと物質破砕レベルにまで高められた超音波が先ほどまで敬一がいた場所を焼き、破砕させていく。

「危ねえ………そこまで出来っとは……」

 かなり高鳴っている心臓をなんとかなだめようとしながら、そこでレーザーと超音波を放った擬似ロボットの動きが止まっている事に敬一はある確信を得る。

「多分、当たってるな!」

 笑みを浮かべつつ、敬一が擬似ロボット達の方へと駆け出す。

「ハアアァァ!」

 迎撃しようと向かってきた擬似ロボットの一体を逆に踏み台にして敬一は跳び上がると、刀を大上段に構える。

「アアアアァァァ!」

 そして裂帛の気合と共に、先程超音波を放った一体へと全身全霊を込めた斬撃を振り下ろし、完全に左右へと両断する。

「アアアア!」

 それに留まらず、振り下ろされた刃が跳ね上がり、連続の斬撃となって次々と斬り裂いていく。
 止めの袈裟斬りを振り下ろした所で、敬一は横へと素早く転がり、背後から迫ってきていた他の擬似ロボットの攻撃をかわした。

「光背一刀流、《雷光乱破撃(らいこうらんはげき)》」

 大上段からの両断と、それに続けての連撃で相手を完全に破砕する大技を放った敬一が、相手の様子を観察する。
 上下に走る斬撃を中心として、無数の切れ目が擬似ロボットの全身に走る。
 それが広がっていき、今までと同じように傷口がふさがろうとするが追いつかず、とうとう黒ずんだ液体を撒き散らしながら幾つものパーツとなって地面へと散らばった。
 ちらばった木片とも機械部品にも見えるパーツはしばらく蠢いていたが、それ以上再生する様子は無かった。

「ある程度以上の攻撃を加えれば、再生しきれない。だから分裂して代わりに数を増やす。分かってみれば簡単だったな。んでもってこのサイズにまで切り刻めば、怖くない!」

 活路を見出した敬一が、残った擬似ロボット達へと刀を構える。
 そして右手で刀を構えたまま、左手の小指を鍔元の刃で少し切り、流れ出した血で刃に梵字を書き連ねていく。

「一黒水気を持ちて克す。我が刃は流水、かかる災厄、全て斬り流す物なり!」

 梵字を書き終え、詠唱しながら片手で印を切ると敬一の刃が黒い燐光を帯びる。

「行くぜ!」

 燐光を帯びた刃を一度鞘に収め、右手を鞘に添えたまま敬一は駆け出す。
 そこへ再度擬似ロボットが高出力レーザーを放ってくるが、敬一は体を旋回させながらかわし、更に回転しながら体勢を低くさせつつ、レーザーを放った擬似ロボットを己の間合いへと捕らえる。

「ああああぁぁぁぁ!」

 大きく強く一歩を踏み込み、最下段から敬一は抜刀。
 放たれた黒い燐光を帯びた刃が、擬似ロボットの足元を斬り裂き、貫ける。

「あああああ!!」

 抜刀の勢いはそのまま敬一の体は旋回を続け、一回転した刃が再度擬似ロボットを斬り裂く。

(もっと早く! もっと鋭くだ!)

 回転は止まらず、刃を伴った竜巻がごとく敬一の体は回転し、徐々に上昇していく刃が擬似ロボットを連続して斬り裂いていく。
 やがて、刀を斜め上へと持ち上げるような形で敬一の動きが止まる。
 その前には、何層にもスライスされた擬似ロボットがカットされたハムが如くずれ、崩れ落ちていった。

「これで二つ!」

 相手の行動不能を確認しながらも、別の擬似ロボットが作業用アームらしき物で殴りかかってくるのを敬一は刃でなんとか受け流す。
 更に、そのアームの上を刃を滑らせるように走らせ、そのまま相手の胴体に刃を食い込ませ、力を込めて一気に斬り裂く。

「まだだ!」

 刃を翻し、続けて攻撃しようとした敬一だったが、そこで背後に気配を感じてとっさに前へと転倒する。
 その背を別の擬似ロボットの攻撃がかすめ、ジャケットの一部を千切っていく。

「くそ!」

 転がって敬一はその場を離れると、先程斬り裂いた部分の上下に分かれて個体となった擬似ロボットの姿に思わず悪態をつく。

(再生できない程強烈な攻撃を叩き込むのに、他の奴が邪魔だ! だが下級式神程度じゃ効きそうにも……)

 向こうで空が死闘を繰り広げているのをちらりと見た敬一が、自分だけで残った敵を倒す方法を考える。

「手が足りなきゃ、作ればいいだけだ! 克!」

 敬一は左手で呪符を取り出し、それを己を中心とした五芒星のそれぞれの頂点となる地面に貼り付け、印を組んで結界を形成する。

「オン キリキリ バサラウンハッタ! オン アビラウンケン キワ ソワカ!」

 結界の中で刀を地面に突き刺し、敬一は呪文の詠唱を始める。
 そこへ擬似ロボット達が押し寄せ、攻撃を加えようとするが結界がそれを阻む。
 だが圧力に耐え切れず、結界を構成する呪符が一枚弾け飛んだ。

(術式終了まで持ってくれよ………)
「我、一黒水気を持ちて招く。祖は影を泳ぎし者…」

 焦りを感じつつ、敬一は刀を地面から引き抜き、先程切った小指を再度えぐって流れ出した血で刀身に先程とは違う梵字を描きながら詠唱を続ける。
 しかし今度は呪符二枚が同時に弾け飛び、結界その物が揺らぎ始める。

「影海の狭間より招きて…」

 更に呪符が一枚弾け、結界が大きく歪む。

(まだ、まだだ……!)
「陽気にてその姿描き出さん! 来たれ影由(えいゆう)!」

 最後の一枚が弾け、結界が消失して擬似ロボット達が押し寄せる中、詠唱を終えた敬一が地面に再度刀を突き刺す。
 擬似ロボットの振り回すアームが敬一に激突しそうになる瞬間、突き刺した刃の周囲から盛り上がった影がそれを阻む。

「行け!」

 御神渡一門でも有力者のみが扱える雄の《影鯱(かげしゃち)・影由》を呼び出した敬一だったが、命令を出しても影由はその場から動こうとしない。

「く、オレじゃまだ………いや」

 相手が動かないと悟ったのか、擬似ロボット達が押し寄せる中、地面に突き刺したままの刀の柄を両手で握り締め、柄を握ったまま印を結んで九字を切り始める。

「臨!兵!闘!者!皆!陣!列!在!前! 我、御神渡 敬一の名において命ず! 汝、我が命に、服しやがれ!!」

 敬一はありったけの力を、刀から影由へと送り込む。
 それを受け、宙を泳ぐ影由の巨体が一度振動したかと思うと、その漆黒の体が擬似ロボットへと襲い掛かる。

「ようし、やりゃ出来るじゃん…………」

 それは己にか式神にか、分からない言葉を吐きながら敬一は刀を地面から引き抜き、構える。

「食い散らせ、影由!」

 命令通り、影由が擬似ロボット二体をまとめて漆黒の牙の生えた口で捕らえ、食い千切る。
 残った部分が地面に落下する前に、敬一の振るう刃がそれを両断、更に斬り刻んでいく。

「次!」

 速度を上げて襲い掛かろうとした擬似ロボットを、影由が逆にその巨体で跳ね上げ、敬一がそこに左手で取り出した複数の呪符を刃で突き通し、さらにそれを跳ね上がった擬似ロボットの胴体に突き刺した。

「オン アビラウンケン! 招鬼顕現!」

 詠唱と同時に呪符は黒い魚影となって刃を伝って擬似ロボットの体内に潜り込み、敬一は刀を突き刺したまま左手の刀印で早九字を切る。

「臨兵闘者皆陣列在前! 克!」

 最後に刀印で擬似ロボットを指差すと、その体内で暴れまくった式神が相手を内部から破砕させながら飛び出していく。
 破砕した破片が僅かに蠢くが、襲ってこない事を確認した敬一が、残った擬似ロボット達へと向かって構える。

「一気に決めてやる! 我生すは木気、克すは火気、故に表すは水気なり! 北方にて一陰六陽と成し、ここに顕現せん!」

 敬一は刀を地面へと突き刺し、印を結びながら詠唱を始める。
 それに応じるように影由が敬一の周囲を回り始め、やがてそれに連なるように黒い波が周囲に生じていく。

「オン キリキリバサラ ウンハッタ! 水気玄武陣! 発!」

 詠唱の終了と同時に陣が発動、敬一の周囲を黒い渦潮が吹き上げていき、襲いかかろうとした擬似ロボット達をまとめて飲み込んでいく。

「ちぃ……さすがにきつ………」

 御神渡流陰陽術の中でもかなりの難易度を誇る術式をなんとか制御する中、黒い渦潮の中を影由が縦横に泳いで擬似ロボット達を攻撃しながら一箇所へと集めていく。

「よし、行くぜ!」

 地面から刀を引き抜いた敬一の足元に影由が潜り込み、敬一を乗せて一気に跳ね上がる。

「五行相克! はあああぁぁぁ!」

 残った力全てを注ぎ込み、敬一が刃を袈裟懸けに振り下ろす。
 擬似ロボット数体をまとめて両断した刃が即座に跳ね上がり、次は端の擬似ロボットを唐竹に斬り裂く。
 唐竹、袈裟切り、逆袈裟、斬り上げ、ありとあらゆる斬撃が連続で放たれ、最後に両手構えの逆袈裟が放たれた所で、ようやく斬撃が止まる。

「光背一刀流、《光乱舞・破岩》」

 敬一が技名を呟いた所で、陣が解けて渦潮が消え、影由の姿も消えていく。
 敬一がやや体勢を崩しながらも地面に着地し、遅れて無数の破片となった擬似ロボット達が地面へとばら撒かれる。

「な、なんとかなった………」

 苦労して全部倒した事を確認すると、敬一は今までの苦労が一気に出たのか、肩で大きく息をしながらよろよろと刀を鞘に収めようとした所で、刃がボロボロになっているのに気付いた。

「……もうちょっと長引いてたらやばかったな」
「攻撃に無駄が多い証拠だ」

 いつの間に近寄ってきていたのか、空の一言に敬一が荒い呼吸のまま顔を引きつらせる。

(もっとも、技になもなかの刀が耐えられなくなってもきているようだな)

 引きつっている敬一をそのままに、空は完全に大破しているエレベーターホールを覗き込む。

「先には行けるのか」
「多分無理っす。マリーさんと瑠璃香さんに任せるしか……」
「………」

 無言で穴の奥を空は浄眼で見通す。

「何がいるんだ、この奥に……」



「何だこりゃ………」
「これは………」

 エレベーターの最奥に辿り着いた瑠璃香とマリーは、そこにある巨大な物を前にしていた。
 それは、一本の大樹だった。
 だがそれは一見確かに樹木に見えるが、各所から機械のような明滅があり、ざわめきとも駆動音とも取れる音を響かせている。
 なにより、それが膨大な瘴気を己の中に吸い上げているのが、二人は感じられていた。

「仕舞い忘れたクリスマスツリー、って訳じゃねえよな?」
「違うわ。これ、生きてる………」

 それがもたらす威圧感に気圧されつつ、マリーが手を伸ばそうとした時、周囲に無数の気配が生じる。
 即座に瑠璃香がG・ホルグを構え、マリーもいつでも精霊を呼べるように身構える。
 二人の視線の先には、白衣や作業着姿の人影がおり、その中の何人かは銃や剣、大型のスパナを構えていた。

「なんだ手前ら………って聞くまでもねえか」
「これは、何なのかしら?」

 明らかに敵対心を向けてくる相手に一歩も物怖じせず、マリーは問うた。

「まさか、ここまで辿り着く者がいようとはな」

 人影の中央、背が低い割にはがっしりとした体型の髭面、作業着姿の男性が二人を睨みながら口を開く。

「実験体を全て破壊したダークハンターの一味だな。この《サイ・イグドラシル》を破壊しに来たか?」
「サイ・イグドラシル? 世界樹……」
「何がなんだか分からねえが、つまりこいつを壊されると困るって訳だ! アーメン!」

 瑠璃香が瞬時に振り返り、聖句と共に弾丸を放つ。
 しかし、力の込められた弾丸はサイ・イグドラシルに命中した瞬間、スパークと共に弾き飛ばされた。

「な……結界か!?」
「違うわ。エネルギーの総量が違い過ぎるのよ………」
「それだけではない。すでにこの場を中心に、世界の法則が変異し始めている。そんな異教の力なぞ虐げられ、衰弱するようにな」
「悪いが、神様にすがる信心なんて持ってないんでな! 我が守護天使ハナエルよ! 汝が御手に掲げし聖銃の雷火、我が前に撃ち放たん事を!」

 今度は《ハナエルの雷火》の術を瑠璃香は放つが、それもまたあっさりと弾き飛ばされる。

『計器が不安定だが、解析は出来た! あれを中心に恐ろしいほど強力なフィールドが形成され、しかもどんどん広がっている! もう直地上にまで広がるぞ!』
「ふ〜ん……」

 サポートAI『ARES』の報告に、瑠璃香がむしろ楽しげに笑みを浮かべる。

「つまり、これを文字通り世界樹として法則の変革を図る。それがあなた達の狙いなのね」
「そちらのと違ってあんたは少しは話がわかりそうだな」
「ええ、分かるわよ。あなた方の真の目的は機械に生命を宿らせ、新たな精霊とする事。かつての失敗を参考にね」

 マリーの言葉に、その場にいた者達がざわつき始める。

「……そこまでなぜ知っている? 人間で知る者はほとんどいないはず………そうか!」
「ええそう。私はあなた方の同属よ、ドワーフさん。半分だけどね」

 その言葉にドワーフ、地中に住まう工芸を得意とする妖精の男は髭面の表情を僅かに変える。

「よもやと思ったが、ハーフフェアリーか……ならばこそ、なぜ人間に味方する?」
「人間は愚かな人達ばかりじゃない。ママはそう信じていた。私もそれを信じたい……だから闘うわ」
「能書きはもうやめだやめ。ようはこいつらぶちのめして止めさせりゃいいんだろ?」

 瑠璃香が拳を握り締めつつ、一歩ドワーフの方へと出る。
 その時、突然サイ・イグドラシルが大きく鳴動する。
 同時に、幹から生えていた枝に根にも見える部分が、急激的に成長を始めた。

「すでに第二段階に入った。サイ・イグドラシルはこのまま成長を続け、この街、そしてこの国の法則を変えていく。新たな精霊と共に生きる世界に………」
「させない! 風よ!」
「風よ!」

 マリーが風の精霊に呼びかけ、突風を巻き起こすが、即座に前へとでた細身の白衣姿の男性、森に住まう魔術に長けた妖精のエルフが同じく突風を巻き起こし、力を相殺させる。

「神と子と聖霊の名に…」
「させるか!」

 聖句を唱え始めた瑠璃香に向かって別のエルフの男が剣を振り下ろし、別のドワーフの男が銃口を向ける。

「なんてな」

 聖句をいきなり中断させた瑠璃香は、振り下ろされた剣をいとも簡単に白刃取りで止める。

「な…」
「ほらよ!」
「んげっ!」

 ついでにエルフの体を思い切り蹴飛ばし、蹴り飛ばされたエルフが銃を構えていたドワーフともつれ、放たれた弾丸は明後日の方向に飛んでいった。

「白魔術が弱くなっても、筋力は変わんねえみてえだぜ?」
「な、なんて奴なの………」
「ならば!」

 白衣のエルフの女性が懐から小さな種を取り出し、吹き飛ばすとそれは虚空で花となって瑠璃香へと吹き付けられ、別のエルフの男性が地面に手をつくとそこから無数の木の新芽が伸びていき、瑠璃香を取り囲む。
 すると、瑠璃香の視界に突如として森が広がり、取り囲んでいく。

「へ〜………すげえな」
『現在位置は変わっていない! これは《妖精の迷路》だ!』

 迷い込んだ者は絶対逃げ出せぬと伝説で伝えられる密林の結界が瑠璃香を取り囲む。
 方向感覚も朧になっていく中、瑠璃香は笑っていた。

「迷路ってのは、出るのは簡単だぜ。入り口から出口まで、全部ぶち壊せばいいんだからな………」
『待て、これはそんな単純な物じゃ…』
「天空に在りし神の座の左に在なす北の大天使ガブリエルよ! その御手に掲げし聖斧を持ちて、我が前に在りし邪悪なる魂討ち滅ぼさん事を!! アーメン!」

 ありったけの力を込め、瑠璃香は《ガブリエルの斧》の術を発動。
 巨大な光で構築された大斧が、天空から降り下ろされ密林を一撃で両断、その余波に巻き込まれて密林もまるで陽炎のように消えていく。

「だから簡単だって言ったろ?」
「な……この状態でこれ程の術を!?」

 いとも簡単に妖精の迷路を破壊した瑠璃香に、妖精達が色めき立つ。

「こそこそつまんねえ手ばっか使ってねえで、ガチで来な!」
「それこそが妖精の闘い方だ!」

 啖呵をきる瑠璃香に、強敵と踏んだ妖精達が周囲を囲み、一斉に魔術と武器で攻撃してくるのを、瑠璃香は嬉々として待ち構えた。


「水よ!」
(水よ……)

 地面から噴出した水流がマリーを狙うが、寸前でマリーが水を逆支配し、勢いを失って虚空に飛沫となって飛び散る。
 直後、背後から放たれた銃弾がマリーを狙うが、高速で地面から伸びた土の壁が弾丸を阻む。

(火よ……)
「くっ!」
「水よ!」

 マリーが呼び出した火の精霊が業火となって吹き付けるのを、エルフ二人がかりで呼び出した水の精霊で辛うじて防ぐ。

「これなら!」

 離れた場所から援護していたエルフの女性が、手にしたロングボウから風をまとった矢をマリーに向けて放つが、矢にまとった風よりも更に強い風が矢を絡め取り、勢いを失った矢が明後日の方向へと放り投げられる。

(何者だ? 四元の精霊をここまで自在に操れるとは……)

 手にしたリボルバーをリロードしながら、リーダー格のドワーフがマリーの異様なまでの強さに疑問を浮かぶ。

(同属と言っていたが、発動の速度も威力も桁違い過ぎる……一体?)

「うわあ!」
「ぎゃあ!」

 リロードを終えた時、マリーに攻撃を仕掛けていた者達がまとめて水流と突風に吹き飛ばされ、壁へと叩きつけられてその体が力を失って崩れ落ちていく。

「おらあ!」

 その向こうでは、瑠璃香がドワーフ二人を片腕ずつ掴み、その腕を胸の前で交差させつつ二人同時に背負いで地面へと叩きつけていた。
 受身も取れずに脳天から落ちたドワーフ二人が、割れた額から血を滴らせつつ逆さの状態からゆっくりと倒れていく。

「さて」
「後はあなただけよ。これを止めなさい」

 いつの間にか、ただ一人となってしまったドワーフの男は、手にしたリボルバーを下げたまま、驚異的な戦闘力で仲間達を倒した二人を見た。

「ふ、ふふふふ…………」
「何がおかしいんだ? イカれちまったか?」
「いや、ワシは正常じゃよ。だが、もう何をしても無駄だという事だ」
「まさか………」
「もう、このサイ・イグドラシルは止められん。誰にもな………」
「フカしてんじゃねえぞ爺!!」

 瑠璃香がドワーフの男の首根っこを掴み上げるが、彼は笑いつづけたままだった。

「答えなさい! これから何が起こるの!?」
「……因子を埋め込んだのはあれだけではない。それに、サイ・イグドラシルがその力を完全に解き放てば、この世界に新たな秩序が生まれる。機械という生命がな……」
『まずいぞ! 恐らく……本当……』
「『ARES』!? どうした!」
『制御が……でき………スリープに……』

 ノイズ混じりの言葉を最後に、『ARES』が緊急用のスリープモードに入る。
 だが、なぜかスレイプニルのエンジンは動いたままだった。
 やがて、ゆっくりとサイドカーに付けられたプラズマライフルがこちらの方を向いた。

「オイ!?」

 危険を感じた瑠璃香が横へと跳んだ直後、放たれたプラズマ弾が瑠璃香の長髪の端を焦がす。
 のみならず、スレイプニルの全武装がデタラメに放たれ、周囲で次々と爆発が生じる。

「これが街中で起きるってのか!?」
「ふふ、人間が己の下僕と見ていた機械達が己を主張し始める。新たな存在としてな………」
「なんて事を………機械に命を吹き込むだけでなく、人間を機械達に虐殺させようと言うの!」

 デタラメに撃ちまくるスレイプニルの攻撃から複数の精霊達の防壁で身を守りながら、マリーは何か手は無いかと必死になって考える。
 だが、その様子を見ていたドワーフは静かに語りだした。

「人間達は驕り、自然を、我々を蔑ろにしすぎた。このサイ・イグドラシルに注入した瘴気も人間の起こしたテロ行為による物。人間の罪、その物だ」

 サイ・イグドラシルにスレイプニルの攻撃が数発当たるが、先程の瑠璃香の白魔術同様、サイ・イグドラシルに傷すらつける事無く霧散していく。

「人間は今こそ己の罪の清算を行うべきなのだ、因子を与えたロボット達が一様に人間達を襲ったのも、機械そのものが人間を恨んでいる事に他ならない!」

 ドワーフの手からリボルバーが零れ落ちるが、彼は拾おうともせずに両手をサイ・イグドラシルへと掲げる。

「このサイ・イグドラシルにより、世界はまったく新しい物へと生まれ変わる!」

 ドワーフの眼から一筋の涙が零れ落ちていく。

「新たなる精霊と本来の精霊、そして我々の手により偉大なる自然の世界が蘇るのだ!」

 ドワーフの言葉に、意識の残っていた仲間達も同じように涙を流しながら、次々と手をサイ・イグドラシルへとかざしていく。

『新たなる世界をこの手に』
「違う………そんな物は新しい世界でもなんでもない」

 マリーが、愕然とした表情で彼らとサイ・イグドラシルを見る。
 彼らの流す涙とそれに含まれる感情が、マリーの心を激しく揺さぶっていく。

「勝手抜かすな! こいつをぶっ壊せば新世界もクソも無しだ!」

 瑠璃香の叫びに我に返ったマリーが、再度サイ・イグドラシルを見据える。

「瑠璃香の術でもスレイプニルの砲撃でも傷もつかないのよ! どうやって!? 下手したら生き埋めよ!」
「じゃあどうすんだ!」

 叫ぶ瑠璃香の背をスレイプニルの攻撃がかすめる。

「くっそ! いい加減にしろ!」

 その一撃に激怒した瑠璃香が攻撃の間隙を見切り、無理やりスレイプニルにすがりつく。
そして武装を固定しているアクチュエーターを手で掴むと、力任せに捻じ曲げ使用不能にしていく。
 その様子を見たマリーが、何かを決意した表情でサイ・イグドラシルの正面に再度立った。

「……いえ、まだ手はあるわ。瑠璃香、もう少しだけ援護を頼むわ」
「早くしてくれ! くそ、大人しくしろ!」

 しがみ付いた瑠璃香ごと、デタラメに走り始めたスレイプニルを横目で見ながら、マリーがサイ・イグドラシルへと手を伸ばす。

「これが《生命》ならその精神に干渉して停止させられるはず………」
「干渉、だと?」

 ドワーフの男が怪訝にマリーを見る。
 ゆっくりとマリーはサイ・イグドラシルに歩み寄っていく。
 だが、より強力になったサイ・イグドラシルのフィールドがマリーが歩み寄るのを阻もうとする。

「う……」

 弾かれそうになったマリーの体を風が受け止める。

(皆、お願い……!)

 フィールドに更に近寄ろうとするマリーの周囲を、火と水が舞うようにして覆い、土が盛り上がってフィールドを押しのけるように回廊を作っていく。
 そしてようやく間近まで行った所で、マリーはサイ・イグドラシルの幹に手を当てると、静かに目を閉じ、その中へと精神を潜らせていった。

(くっ……)

 凄まじい瘴気の乱流にいきなり晒され、マリーの精神が揺らぐ。
 瘴気の中に含まれた無数の感情、恐怖、憎悪、畏怖、狂乱、後悔、数多の人々の感情が逆流し、マリーはなんとか己を保とうする。

(ああ……怖い怖い)(なぜだ! なぜ死ななければならない!)(来るな! 来るな!)
(こんな物を吸って生まれる生命なんて………)

 幾つもの負の感情が流れていく先を辿り、マリーは奥へ奥へと精神を潜らせていく。
 やがて、感情はまとまっていき、幾つかの太い瘴気の通路となっていく。

(この先ね………)

 高密度となって流れていく瘴気を辿り、マリーはサイ・イグドラシルの深奥へと向かう。
 瘴気の束を潜り抜け、そして目的の場へとマリーは辿り着いた。

(これは………)

 そこにあったのは、流れ込む瘴気を吸って成長する巨樹の姿だった。
 生命を象徴するはずの幹は漆黒に霞み、伸びる枝も生える枝葉も全て漆黒の闇の色に染まっている。

(……確かに、妖精は森の闇から生まれる存在。だけど、これは闇に染まり過ぎている………)

 そのあまりに黒い存在に、マリーは畏怖と嫌悪を同時に覚える、
 そこでその黒い巨樹の枝に、漆黒の実が実り始めている事に気付く。
 その実が徐々に大きくなりながら鼓動していく。
 それこそが、この巨樹が生み出そうとしている生命だと悟ったマリーが、巨樹へと語りかける。

(止めなさい! そんな命を生み出しても、悲しいだけよ!)

 マリーの呼びかけに、巨樹は一度大きくその身を震わせたが、命の実は一つ、また一つと実っていく。

(あなたは生命のなんたるかを理解していないわ! 恐怖と破壊だけを司る生命なんて、何の意味も持たないのに!)

 サイ・イグドラシルはそれでもなお、その身を震わせながら、漆黒の命を産み出していく。
 そこで、マリーは気付いた。

(そう、あなたはそれしか知らないのね………なら、仕方ないわ………)

 マリーは小さく吐息を漏らし、意を決する。

「我が名において、命じる!」


「これは……!」

 鳴動が続く地下空間の中、サイ・イグドラシルに触れていたマリーに、周辺から一つ、また一つと小さな燐光が現れ、その体にまとわりついていく。
 それに応じて、マリーの体自体が光を帯びつつ、ゆっくりと宙へと上がっていく。
 その小さな燐光、姿を現した精霊達が次々とマリーの周囲を戯れるように周り、そしてマリーの背にある物を浮かび上がらせていく。

「まさか……」
「そ、そうか……」

 それを見たドワーフの男だけでなく、かろうじて意識のある他の者達も、サイ・イグドラシルに全力の力を注ぐマリーの背に浮かび上がる、半透明のカゲロウのような羽根を凝視し、驚愕する、

「あ、貴方は、いえ貴方様は……!」

 マリーがサイ・イグドラシルを見下ろす高さまで浮上する頃には、その全身は淡い光で覆い尽くされ、そして部屋の中を無数の精霊達が飛び交い、彼女を中心とした巨大な光の渦を作り上げていく。
 そして、精霊達がマリーの肩や髪に戯れるように触れる度に、その光はますます強くなっていった。
 そしてマリーは悲しげな視線をサイ・イグラドシルへと向ける。

「サイ・イグラドシル、貴方の精神に干渉した私の力を、貴方はもう拒む事はできない」

 マリーはそう言うと目を閉じ、その場に集まった精霊達を抱きしめるかの様に両手を広げる。

「愛しき我が精霊たちよ」

マリーの言葉に、渦を巻いていた精霊達は彼女の元に集まっていき、幾つもの光の塊を形成していく。
それを感じ取ったマリーは目を開くと強い口調で言い放つ。

「我が名において、命じる。土よ、この場に通じる全ての力を断ちなさい」

 マリーの呼びかけに、その周囲にいた土の精霊達が地面へと潜り込んでいく。
 程なくして、まるで地面その物が拒絶するかのようにサイ・イグドラシルの根が地中から吐き出されていく。

「水よ、この者に流れる命の流れを絶ちなさい」

 今度は水の精霊達がサイ・イグドラシルの中へと潜り込む。
 すると、サイ・イグドラシルの各所からまるで鮮血のように樹液とオイルが噴き出していく。

「馬鹿な!?」

 誰かの驚愕する声が響く中、サイ・イグドラシルの幹が、老いるかのごとく萎んでいく。

「風よ、この者の吹き抜ける時を早めなさい」

 風の精霊達が、サイ・イグドラシルの機械部分に潜り込んでいく。
 すると、機械部分が見る見る錆び、朽ち果てていく。
 断末魔が如く、サイ・イグドラシルが大きく鳴動する。
 それをどこか悲しげに見つめながら、マリーは残った力を解き放つ。

「火よ、この者を焼き尽くしなさい」

 火の精霊達が大きく鳴動するサイ・イグドラシルの周囲を渦のように取り囲んだかと思うと、それは瞬時に炎へと変わる。
 業火は容赦なくサイ・イグドラシルの中へと潜り込み、それを構成する全てを焼き尽くしていく。

「サイ・イグドラシルが………」
「そんな………」
「やはり……貴方様は、人間の側につくというのですか!?」

 燃え盛るサイ・イグドラシルの前で、悲しげな瞳のまま、虚空で羽根を羽ばたかせるマリーへと向けて、ドワーフの男は絶叫する。

タイタニア妖精女王よ!!」

 全ての妖精の頂点に立つ存在を叫ぶドワーフの男に、マリーは虚空から視線を向け、その場にいる全ての妖精達に告げた。

「我が名、マテリア・エルン・ド・タイタニアにおいて命じます。この場から離れなさい」
「しかし女王よ…!」
「言ったはずよ……ママがそうだったように、私も人間を信じたい。だから……これ以上馬鹿な事はしないで」

 燃え盛るサイ・イグドラシルの前で、マリーは母から受け継いだ、もう一つの名を名乗りながら、ただ悲しげに告げる。

「だが! これ以上の自然への冒涜には対抗するには…」
「止めておけ」

 反論しようとしたエルフの男に、ドワーフの男はそれを止めさせる。

「我々は、また失敗したようだ。貴方様を敵に回し、情けをかけられる。この場は、退く事にしましょう……だが、これで最後だとは思わない」
「人間も、そして私達も、そんなに愚かじゃない。私はそう思っている………」
「そう……ですか………」

 それを最後に、かろうじて動ける妖精達が、仲間達を連れてその場から去っていく。
 最後に、リーダーだったドワーフの男が頭を下げ、どこに繋がっているかも分からない横穴へと消えていく。
 それを見届けたマリーの背から羽根が消え、力を失ったマリーの体が地面へと落ちていく。

「おい!」

 ようやく暴走の収まったスレイプニルにまたがった瑠璃香が、慌ててマリーの体を受け止める。

「さすがに………ちょっと無茶が過ぎたみたい………」
「後だ! ここももう持たねえ!」

 燃え尽きていくサイ・イグドラシルの影響か、地下空間自体が振動と共に崩れていく。

「一気に上がるぞ!」
「お願い……」

 スレイプニルのエンジンをフルに吹かせながら、瑠璃香が崩れていく壁面を駆け上がっていく。

(さよなら……悲しい生命達……)

 炎に消えていく生命を思いながら、マリーは瑠璃香の背にしがみついてそっと眼を閉じた………







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