DANCE WITH DARKNESS




2 PLAN



 そこには、全てがあり、そして全てが存在しない。
 無数の存在と非存在が規定されて存在し、そしてそれだけが全てだった。
 無数の存在の狭間に、イーシャは自らを漂わせていく。その傍らを無数の存在が高速で通り過ぎる。
 その中からめぼしい物を確認すると、それを見通した。
 見通された存在は、その全てを彼女の前にさらけ出す。
“電子”という世界の中にだけ存在しうる、“情報”という存在の全て。
 それを高速で、なおかつ複数同時にイーシャは解析していく。

(情報漏洩の痕跡は今のところ無しか)

 ネット上に流れていた最新のニュースソースを全てチェックしたイーシャは、その中に昨夜の戦闘の痕跡を示す物が存在しない事を確認すると、他の情報を次々とチェックしていく。

(Mシティで発生した虐殺事件解決、犯人は警察と交戦し死亡か………)

 微かに違和感を感じていた事件が無事解決したというニュースに、更なる違和感を感じたイーシャはそのデータを手早くコピーし、圧縮、自らの中に取り込んだ。

(ん?)

 その時、明らかに異質なデータが向こうを通り過ぎていく。整合された電子の存在の中に、不自然に収縮を繰り返すそのデータは漂う他のデータに近づくと、突然それを破壊し始め、その破壊された断片を己の中に取り込んでいく。

『SCAN』

 イーシャは少し離れた場所から、コマンドを呼び出す。
 コマンドに応じて自らのデータを変換、『SCAN』コマンドが実行され、指定された異質データの特性を彼女にさらけ出した。
 高速でスクロールされていくプログラムは、途中で一部が不自然に入り乱れ、そして突然違う物に変化している。それは、この電子世界の中では絶対に有り得ない現象だった。
 それに戸惑いもせず、イーシャはプログラムの確定部分と不確定部分を比較し、判断する。

(GREMRIN、グレード2といった所か)

 それが“マーティー”、電子世界に住むデータ変異体、端的に言えば電子妖怪の一種で、自分が確認しているタイプの一つだと断定すると、イーシャはそのマーティーの手前の座標を確定する。

『SHIFT』

 座標の確定と同時にコマンドを実行。マーティーの背後にサーフしたイーシャは、こちらに気付いたマーティーが飛び掛ろうとするのに対して、無造作に右手を突き出す。

『CAPTURE』

 イーシャの手から、突然光で構成された網のような物が飛び出すと、襲いかかろうとしたマーティーを捕らえ、その場に固定する。
 捕らわれたマーティーは、その中で自らの形を変えつつ、束縛から逃れようとする。

『DECISION』

 イーシャが続けてコマンドを実行。
 マーティーが、不定形のデータから翼の生えた小型の猿とも獣とも言えない姿に確定させられる。

『INPUT』

 イーシャはマーティーに直接コマンドを実行。光の弾丸のような形のデータがマーティーに突き刺さるように強制入力され、その構成プログラムの最上級優先事項に“イーシャへの絶対服従”が書き込まれた。

『SAVE』

 おとなしくなったマーティーが、イーシャのコマンドで圧縮され、イーシャの中へと取り込まれた。
 この一連の奇妙な行動が終わるとほぼ同時に、イーシャの脇に小さなウィンドウが開いた。

「イーシャ、ご飯出来たけど」
「もうそんな時間か」

 ウィンドウの中に、エプロンを着けてこちらを見ているユリの姿を認めると、イーシャは時刻を確かめる。

「分かった。今上がる」
「冷めない内にね」


《SENSE OFF》
《CONNECT OFF》
《MIND SHIFT》

 電子世界に在ったイーシャという電子体から、現実世界のレティーシャ・小岩という人間へと、その精神が転移する。
 それが終わると、イーシャは、ゆっくりと目を開く。
 先程とは違う、目を射るような感じのする光を受け、それに軽いめまいを覚えながらゆっくりと体をサイバーダイブ用のポットから起こした。

「目、覚めた?」
「私にとってはどちらも起きているのだがな」

 イーシャは首筋のコネクターからコードを抜くと、ポッドの中から起き上がり、床へと両足をつける。
 床の感触が先程まで無かった触感を感じさせ、ユリが開け放ったらしい窓からの朝日が、一日の始まりを告げていた。

「とっととご飯食べなさい。どうせ今日は昨夜の事で忙しくなるんだから」
「場所が場所だけにな。またもめそうだ」

 真紅の瞳と、淡い朱の唇以外は全て抜けるような白で構成された顔を僅かに曇らせながら、イーシャはダイニングへと急ぐ。
 そこには、ユリが作ったトースト、スクランブルエッグ、サラダといった一般的にはごく普通の朝食(ただしユリがルームメイトとしてこの高級マンションの一室に来るまでは並ぶ事の無かった)が並び、それの栄養価を脳内で計算しながらイーシャが席に着くと、ユリがその反対に座った。

「わざわざ、計算しなくても大丈夫よ。ちゃんと考えてあるから」
「そうだな、じゃあいただこう」
「はい、いただきます」

 イーシャの右手がトーストに伸び、左手がテーブルに内蔵されたターミナルのコネクトコードに伸びる。
 手馴れた動作でコードを脳内に埋め込まれたHiRAMユニットに直結されている首筋のコネクタに接続すると、ターミナルからハウス・インテルネットにアクセス。そこから昨日の内に作成しておいたレポートを呼び出し、それをチェックしながらトーストにバターを塗っていく。

「ご飯の時くらい、仕事忘れたら?」
「そうもいかん。午前中の内に正式報告を上役にしなけらばらんないのでな」
「適当でいいのよ。どうせ退魔行をただのトラブル処理にしか考えてない連中なんだから」

 サラダを咀嚼しつつ、ユリが顔をしかめる。

「伍色(いつしき)の人間が言えば説得力があるな」
「どうせ家は古いのだけが取得よ。それに家出した人間が言っても説得力なんてないと思うわ」
「取得があるだけマシだろう。金しかないウチの組織に比べればな」
「お金がなきゃ何も始まらないわよ。もっとも給料以上働く義理もないけど」
「そこまで割り切れれば簡単なんだろうがな………」

 イーシャはチェックを済ませたレポートをセーブしつつ、僅かに出たため息をミネラルウォーターで喉へと流し込んだ。


 関西、Nシティ。
 1999年、自衛隊の一部が決起したクーデターにより発生した東京戦争。被害を恐れた各自治体は、次々と都市国家として日本からの独立を宣言。それにより、日本は都市国家による連合国家へと変貌を遂げた。
 更に、決起自衛隊による占拠、送り込まれた国連軍や多国籍軍との戦闘、そして戦争終結の要因ともなった第二次関東大震災により、完全に壊滅した東京から首都機能および経済中枢機能がすべてこの街へと移行され、30年の月日が流れた。
 元来、商業の都市とされた大阪地区を中心に、政治、経済の全てが大企業によって運営される都市へと変化したこの街に、静かに闇は訪れていた。
 戦争終結とほぼ同時期から増加の一途をたどる、超自然犯罪の多発。能力者の誕生率の増加。そして今までとは異なる闇の出現………
 事態を重く見た企業首脳陣は、事件の隠密かつ迅速な処理を目的とした組織の設立を内密に決議、実行へと移した。
 その組織の名は……………


 日本連合においても、またここNシティにおいても屈指の影響力と経済力を誇る、総合商社スクエア・カンパニーの本社ビルの通勤ラッシュの中に、一際目立つ二人がいた。
 一人は白髪に紅瞳というアルピノの特徴と、その雰囲気を際立たせるクールな空気を併せ持ち、この場によく似合ったツーピーススーツに身を包んだいかにもキャリアウーマン風の女性。
もう一人は2m近い身長に体の中からあふれてくる活発さを、ランニングシャツにGパンジャケットにGパンというこの場には似つかわしくないラフな服装に押し込み、足元まで来る長髪を大きな三つ編みに結い上げ、その中にアクセサリーよろしく蔓のような物が見え隠れしている女性。
 海外企業の積極参入によって一気に国際化が進んだこの国でも、明らかに異質な雰囲気を持つ二人が並んでエントランスをくぐる。
 機密保持重視のために部署毎に分割されたゲートの一つをくぐりながら、二人はIDを守衛へと見せる。

「はい、いいですよ。ま、お二方にはこんなのいらないんでしょうけど」
「変装しようがないからな」
「悪かったわね、でかくて」

 若い守衛の軽口をそれぞれ受け流しながら、警備部直行と書かれたエレベーターに二人は乗り込む。
 ドアが閉まり、エレベーターが動きだした所で、壁の両脇のスリットからIDチェッカーがせり出してきた。

「レティーシャ・小岩。ID7076827」
「伍色 ユリ。ID7077858」
『確認』

 エレベーター内に取り付けられたセキュリティが二人のパーソナルデータと声紋、及び認識IDを確認して使用を認可する。

「さあてと、今日もやっかいじゃない程度に何事かあればいいんだけど」
「出来れば、こちらとしては仕事を増やさないで欲しいのだがな。まあ昨日起きたばかりなら今日は平和だろ」
「平和だとお金になんないのよね〜。ここの所なんか暇だし」
「デスクワークが溜まっているだろう。少しは処理しておけ」
「OLはつらいわね〜」
「イーシャさん、ユリさん」

 ぼやきながら二人はエレベーターから降り、職場に向かう途中で通路の影から顔を見せた同僚の女性が、二人を手招きする。

「もう来てるのか?」
「来てるんですよ、朝一から」
「ヤバ………」

 来客室を困り顔で後ろ手に指差している同僚に、ユリは慌てて身を隠そうとする。

「毎度毎度律儀な事だな」
「プライドが許さないのよ。伝統っていう」

 そう言いながら懐から取り出した隠行符を額に張り付かせつつ、ユリが清掃用具用のロッカーに潜り込む。

「それじゃあとお願いね!」
「分かった。だからちゃんと隠れてろ」

 嘆息しつつ、イーシャは来客室の扉を開ける。中には、二つの人影が在った。

「昨夜はご苦労だったな」

 開口一番、皮肉気な口調で人影の一つ、淡い雌黄色(しおういろ)に染め上げられ、胸に五芒星の紋の入った小袖袴に身を包んだ二十代に入ったばかりのような、若い男性がイーシャに言葉を投げ付ける。

「土御門(つちみかど)家の当主自らが朝一番にご来訪とは痛み入ります。土御門 星哉(せいや)殿」

 こちらも皮肉気に言いながら、イーシャが日本の陰陽師を束ねる陰陽僚の総領にして、大陰陽師 阿部 清明の直系の子孫でもある土御門家第四十一代目当主の前に相対する。
 両者の間に満ちていく不穏な空気に、もう一つの人影が間へと入った。

「まあ坊ちゃま、今日はお話を聞きに来たんですから」

 もう一人、こちらは青藍色(せいらんいろ)に染め上げられて同じく五芒星の紋の入った小袖袴に身を包み、右手に更紗の布に包まれた物干し竿位はある物を持った、少し小太りのいかにも人のよさそうな中年女性が、にこやかに両者の間に割り込む。

「ああ、そうだったな、桜。じゃあ話を聞こうか」

 敵対心は剥き出しにしたまま、お付きの中年女性―土御門家を筆頭とする陰陽僚五大宗家の一つ、小玉家当主である小玉 桜の言葉に従って星哉は側にあったイスに腰掛ける。

「それでは昨夜の概要を」

 イーシャも同じようにイスに腰掛けると、来客用デスクに設置されたターミナルの接続用コードを伸ばし、自らの首のコネクターに接続した。

「こちらで目標が確認されたのは23時54分の事でした」

 壁に埋め込まれた大型ディスプレイに、Nシティの地図が映し出され、そこに確認されたポイントが表示される。

「発見された目標は中級と断定、23時57分に我々に出撃命令が発令。0時17分に部隊展開が終了、直後に戦闘を開始。0時42分、目標の完全消滅を確認しました」
「相変わらず早い事だな」
「それが我々の特技ですから」

 星哉の相変わらず皮肉気な口調に、イーシャが平然と返す。

「このマップから見れば、おそらく発生点はこちらの領域内だな」
「そう見るのが妥当でしょう。ただ、実際被害が及んだのはこちらのエリアです。その処理に我々が乗り出すのは妥当だと思いますが」
「そうなのかもしれんがな」

 ジロリとイーシャを睨むように見ながら、星哉が地図上にある境界線を指差す。

「ようはどちらが早く的確に処理出来るかだ」
「そうなるでしょう。ただ、最優先すべきは民間人の保護だと思いますが」
「よく言う。軍事産業の使い走りが………」
「どう取ってもらっても結構です。ただ、我々は我々が成すべき事を全力を持って対処している。それだけはご理解していただきたい」
「……………」

 しばし無言で二人は対峙するが、やがて星哉が視線を外し、席を立ち上がる。

「いいだろう。お前達があくまで今のままならこちらも文句は言わない。だが」

 突然、来客室の片隅に有った観葉植物の鉢が、爆発したように粉砕する。

「もし邪道に染まる事があれば、陰陽寮の、いやこの国の全陰陽師が敵に回る事を忘れるなよ」
「我々としてもあなた方を敵に回す気は毛頭ありません。勝つ見込みの無い相手にケンカを仕掛ける程愚かではないつもりです」

 イーシャの言葉に、星哉は無言で踵を返した。

「帰るぞ、桜」
「はい、坊ちゃま」

 桜を付き従え、星哉が部屋を出ようとする前にふと足を止めた。

「廊下に隠れている人物にも言っておけ。名のある術者らしいが、こんな所にいるな、とな」
「当人に伝えておきましょう」

 そのまま去る二人の背中を見送ると、イーシャも室内を出て掃除用ロッカーへと近寄る。

「もう大丈夫だぞ」
「本当?」

 ユリがそっとロッカーから顔を出し、左右を見回すと額に貼り付けていた隠行符を剥がした。

「いるのはバレてたようだ。誰かまでは分からなかったみたいだが」
「陰形符使ってもこれだもんね。さすがは土御門家当主、これで身元バレてたら一大事よ。姉さんに知られたら即効で家に連れ戻されるんだから」
「それは困るな。三人しかいない“セイント”が減ったら仕事が増える」
「実質は二人でしょ。ルイスの奴は肝心な時しかいないんだから」
「オレ様が役立たずだとでも言うのか?」

 突然聞こえてきた声に、ユリがぎょっとして周囲を見回す。
 声の主を探すユリを尻目に、イーシャは自分の胸に生じる違和感を勤めて無視しながら、片足を少し持ち上げ、勢いをつけてローヒールを背後で自分の胸をもんでいる人物のつま先に突き刺した。

「おぐわっ!?」

 悲鳴とも奇声とも取れない声を響く中、イーシャは片足を持ち上げながらするどく旋回、強力な膝を駄目押しに背後の人物の脇腹に突き刺した。

「げふっ…………」
「珍しく朝から出社か?ウェルヴィス・ルーフェ」

 セクハラ行為の代償をモロに食って床に倒れこんだ相手、同僚のウェルヴィスー通称ルイスを冷ややかな目で見ながら、イーシャがゆっくりと足を下ろす。

「このくそアマ………」

 昨夜と同じ、黒いマントで全身を覆い隠し、手には長いロッドを持つという言う奇妙極まりない格好で脇腹に手を当て、ロッドをついてなんとか立ち上がろうとしたルイスの両肩に、ユリがしゃがみこみながら両手を置いた。

「参式・火鼠」

 言葉と同時に、ユリの両手から炎―正確には任意の空間の気を自身の体表面の気で炎に変換した物―がルイスの上半身を包んだ。

「なにしやがる!」

 上半身が炎に包まれているのを、まるで水でも架けられたかのような反応をしながら、ルイスの指が素早く動きシジルー西洋魔術で用いられる魔術サインーを描いたかと思うと、炎は瞬時に掻き消え、そこから先程までとまったく変わらない姿のルイスが現れる。

「いや、この間殴ったら歯飛んでたから、物理攻撃はヤバイかなと」
「だから燃やすか!?この貧乳デカ女!」

 今度は爆音のような音が響き、ルイスの体がジェットエンジンでも付いているような勢いで廊下の向こう側まで吹っ飛んでいく。

「…………殺ス」

 自分が一番気にしている事―特に前者―を言われたユリが、全身から殺気を振りまきながら、四式・竜玉(りゅうぎょく)―体内の気を純粋なエネルギー体として物質化し制御する能力―の光を宿らせた拳と、壱式・蓬莱―気による筋肉の強化、及び身体の硬化能力―によって一回り太くなった両腕を軽く振りながら、廊下の突き当たりで壁にめり込んでいるルイスへと歩み寄っていく。

「やるか!?相手になってやるぞ!」

 壁にめり込んだまま、ルイスがロッドを構える。
 臨戦体制の二人を冷めた視線で見つつ、イーシャは腕を一振りし、袖口からトラッパーガンのように出てきた小型キーボードを素早くタイプし、コマンドを唱える。

「SPACE DECISION、FIREWALL RANKE2」

 キーボードから入力された“ワード”が、イーシャの脳内HiRAMユニットに入力され、そこから脳に直接伝達、それと同時に唱えられた“コマンド”が、総じて“プログラム”という形でイーシャの体内の気を調節制御し、そして“魔術として”発動させる。
 邪をこばむフィールドである“結界”がその場に形成され、三人を包んだ。

「ヒュウウゥゥゥ………」
「ケテル、コクマー…」

 気を高める息吹と、カバラ魔術の呪文が響く中、周辺被害を最小限に抑えるためと、トラブルの早期解決のため、イーシャはため息と共にユリの後に続いた。



「……何をやっているんだか」
「坊ちゃま?」

 今出てきたばかりのビルを振り返って見ながら、星哉は小さく呟いた。

「人が出て行ったすぐ後に結界張って魔術戦やってやがる。暇なのか忙しいのか分からん連中だな」
「仕方ないでしょう、新興で急造の組織なんですから」
「寄せ集めの集団か。そんな連中の手も借りねばならんとは、嫌な世の中になったものだな」
「せめて徳さんがいてくれれば…」
「桜!」

 何気なく呟いた桜の一言に、星哉が過敏に反応する。いきなりの大声に、周囲にいた通勤途中のサラリーマンやOLの注目を集めたのに気付いた星哉は、僅かに声を落とした。

「あいつの話はするな。オレ達を見捨てた挙句に、勝手に死んだ奴だ」
「………分かりました、坊ちゃま」

 鼻を一つ鳴らすと、星哉は大股に歩き出す。

「何が………だ。ふざけやがって…………」

 不機嫌その物の星哉に、桜は沈痛な面持ちのまま、その後に続いた。



『ここ半年、出動回数は確かに減少傾向にあります』

 電子世界に設けられた会議室の中央で、イーシャは周囲の者達に昨夜製作したレポートの説明を行っていた。

『それに何か問題が?トラブルは無い方がいいに決まっている』

 傍聴者の一人の声に、周囲の者達からも同意の声が上がる。
 イーシャの周囲を取り囲んでいるのは、スクエア・カンパニーとその母体である菱田重工、カルン・コーポレーション、日葉産業といった、実質的にこのNシティを“支配”している大企業の重役達だった。

『件数は少なくなるのは確かにいい傾向でしょう。問題はその内容です』

 イーシャの隣に、一つのグラフが浮かび上がる。

『これは、確認された“妖魔”のオーラ量を総合でグラフ化した物です。ご覧の通り、発生件数はここ半年減少しているにも関わらず、総合的なオーラ量は増加傾向を続けている。これは、確認される妖魔の危険度がむしろ加速的に増加しているのです』

 空間内に、ざわめきが広がっていく。それが収まる前に、イーシャは更なる爆弾発言を突き出した。

『もし、このまま増加傾向が続けば、遠からずして我々の処理能力を超える事でしょう』
『それは本当か!?』
『現段階ではまだ仮説です。しかし、否定要素が今の所無い事もまた事実です』
『そういう状況を考慮して、君のような凄腕を“セイント”として雇い、“ウォリアー”とは比べ物にならない金を払っているのだ!処理できないでは金を払う意味がないぞ!?』
『勘違いしていただきたくないが、処理できない場合の弁明をする気はありません。なぜなら、その時は組織その物が壊滅し、セイントも皆死亡し、そしてこの街が化け物に蹂躙されているのでしょうから』

 その場に、沈黙が下りる。重役達は全員が唸るように考え込んだ。

『………打開策は何も無いのか?』
『無い訳ではありません』
『本当か!』

 イーシャの一言に喜色を浮かべる重役達の前に、大きな日本地図が現れ、そこの各所に光点が表示される。

『これは?』
『現在確認されている、この国の退魔組織の全所在地です。近い所で陰陽寮、神宮寮、鞍馬山、九州の高野山、そして東北に存在すると考えられる組織“A”、これらの組織と相互連携体制が取れれば…』
『バカを言うな!!』

 説明の途中で、重役の一人が口火を切り、それに続いて他の重役達も口々に否定意見を述べる。

『陰陽寮や高野山だと!?あんなかび臭い連中に何が出来る!』
『そうだ!それにそういう連中の手を借りないために君達は組織されたのであろう!』
『挙句に、“A”の手を借りるだと!?あそこが杉本の力を借りている事は知っているはずだろう!あんなマッド連中の手など借りてみろ!取り返しのつかない事になるぞ!』

(……後ろめたい事があると饒舌になるというのは本当だな)

 イーシャは内心思っていた事を出さず、一応否定意見を一通り聞くと、声を吐き出した。

『では、他に考えがおありで?』
『現在、対妖魔戦兵器が幾つも開発中のはずだ!それの実用化を早めればいい!』
『残念ですが、どれもが実用化段階にすらまだ到達しておりません。出来れば専門家の手を借りれれば早められるのですが………』
『………誰の事を言っているのか、理解してるのだろうな?』
『この国一番の専門家と言えば、精神工学の権威にして杉本財団本研究所所長、そして、“A”設立の立役者の一人と言われている守門 陸博士ただ一人しか…』
『よりにもよって史上最強のマッドサイエンティストの手を借りろと言うのか!研究成果ごと吹き飛ばされて終わりだ!』
『何か、彼の逆鱗に触れるような心当たりがおありで?』
『企業秘密だ!とにかくその話は却下だ!現状で望み得る限りの善処をしたまえ!以上だ』
『……了解しました、善処します』
(金の亡者達が………)

 感情が出そうになるのを押さえつけながら、イーシャはその場を退席した。


 精神を電子世界から現実世界へとシフトさせたイーシャは、感覚の変更時に伴うのとはまた違う頭痛に頭を悩ませつつ、ダイブ用ポッドから身を起こす。

「あ、終わった?」
「一応な」

 ポッドの脇にデスクを持ち込んで、意識のシフトしている間のイーシャの警護(主にルイスのセクハラ防止目的)をしながら、溜まっている書類の整理(というより格闘)をしていたユリが、一時その手を休めてイーシャの方に話し掛ける。

「で、お偉方はなんだって?」
「相変わらずだ、自分達でなんとかしろの一点張り。金さえ出せばどうにか出来ると思っている連中ばかりだ。セイントもウォリアーも代わりはいないという事も分からんらしい」
「前にイーシャが有給取ってた時なんか、雑魚相手に危うく全滅しそうになってからね〜」
「せめてセイントクラスがあと一人いるか、増援の宛てがあれば……………」

 そう言いつつ、横目でユリを見たイーシャに、ユリが嫌な予感を感じてあとずさる。

「……イーシャ、あんたまさか……」
「瀬戸内の伍色家、ともなれば心強い助っ人だと思うのだが」
「ダメー!!絶対にダメ!あの堅物で生真面目な姉さんが企業になんて協力してくれる訳ない!」
「どうしてもか?」
「あたしがこの街にいるって事自体、バレたら家に強制送還されかねないの!そうしたら、せっかく手に入れた高収入と都会暮らしが一撃でパーになるわ!」
「あとはルイスを通じてローゼンクロイツ辺りに……」
「知らないの?ルイスってクロイツ幹部の父親とケンカしてこっちに来たって」
「そういえば、そういう話だったな………これで心当たりは全滅か………」
「話分かりそうな人達は全員“A”に行っちゃったって噂だしね。フリーの腕利きなんてそれこそ希少価値よ」
「しかし、このままではいつか破綻するのは確実だ。そう、いつか…………」


『どう思う、あの女の事を』

 イーシャが退席した後、まったく別の議題が会議室で討論されていた。

『優秀だな、そうあれ程の人材はどこの派遣会社に問い合わせてもおるまい』
『だが、危険でもある』
『確かにな。計算高い女だが、金で動く女じゃない事も事実だ』
『一昔前の原子力と同じだ。有ればすこぶる便利だが、一つ扱いを間違えばすさまじく危険な存在になる』
『だが、だからといって排除出来る存在でもない。こと化け物がらみだと、対立する組織が多いのも事実、あれ以上の交渉人はこちら側にいない』
『……例のプロジェクトが成功すれば、そんなまだるこしい事を考えなくて済むのだがな』
『いまだ計画段階だ、成功の目処すら立ってはいない』
『気付かれてはいないだろうな?セイントの誰一人に知られても、確実に奴らは敵に回るぞ?』
『それは問題ない。このプロジェクトさえ成功すれば最早恐れる物は何もない。何もな…………』

 誰かの漏らした低い嘲笑が、電子世界の擬似空間に長く尾を引いて響いていた……………



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