JOURNAL 2002.mai.
〜東京幻想旅行記〜
☆2002年5月4日(土)曇り・雨☆
ゴールデン・ウイーク中は今日を除いてずっと仕事。
午後、銀座のすどう美術館にて
多摩美術大学リトグラフOB
展を観る。
夜、高円寺抱瓶にて友人と飲む。
その後、高円寺駅近くの喫茶店“ぽえむ”に寄る。
この店は70年代まで阿佐ヶ谷にあった
同名の店のチェーン店だそうだ。
阿佐ヶ谷の店は(今はないけれど)、
永島慎二さんの青春漫画「若者たち」の舞台として有名だ。
作品の中で、若く無名の漫画家や画家や小説家の卵たちは
いつもその店に集まる。彼等は常に
芸術と生活とのジレンマに苦しんでいる。
芸術への夢と理想を胸に貧しさに耐えている。
川本三郎さんの「マイ・バック・ページ」という
自伝的エッセイにも阿佐ヶ谷の“ぽえむ”のことが出てくる。
『・・・永島慎二がヌシのような顔で坐っている。
マンガ青年がいる。売れないフォーク歌手がいる。
荻窪高校の造反高校生がいる。べ平連の活動家がいる。
(中略)狭い喫茶店で詩の朗読会やフォーク歌手のコンサートが
開かれたりした。“ぽえむ”が燃えていたのは
1960年代のなかばから後半にかけて・・・・』
その店の客たちの中で、森田童子のような
若く無名の詩人がぽつんと坐って、窓から外を
眺めていたとしても、不思議ではない気がする。
高円寺の現在の“ぽえむ”には、今の若い感性たちが
集まってくるだろうか。“ぽえむ”という店の名の持つ
重みを、いったいどれだけの若者たちが知っているだろうか。
エッグノッグ・コーヒー、美味しかったなあ・・・・
☆2002年5月10日(金)小雨☆
犬のしっぽさんお勧めの茶木みやこさん、
青木まりこさん、坂庭省吾さん三人のコンサートを観る。
新大久保のR’sコート(労音)。
茶木みやこさんに花束を渡した。
素敵な歌声。
その花束は新大久保の商店街の花屋さんで購入。
若い女性の店員さんは花束の用途、
どんなジャンルのコンサートなのか、とか
歌手は男性なのか女性なのか、とか
全体としてどんな色彩がよいのか、暖色か寒色か、とか
インタビューをしながら、いつのまにか
花束をひとつアレンジしてくれた。
☆2002年5月13日(月)小雨☆
最近ネットで出会ったPURCELLさんのご紹介で
岡美里さんという作家の、
“失われるをかぞえる”展を観に行く。
原宿の表参道画廊。
地下のほぼ正方形の小部屋の中で、
様々な失われる“もの”や“こと”の瞬間を捉えた
各数秒間の100の映像を連続して見せてくれる。
風景は失われてゆくが故に美しくて詩的。
表現はシンプル且つストイック。
透明な感動が身体全体に沁み渡る。
理屈ぬきで好きな世界。
☆2002年5月15日(水)☆
久しぶりにニ-ル・ヤングの歌を聴いた。
☆2002年5月17日(金)小雨☆
悲しい知らせが届いた。
悲しい知らせは、いつでも思いがけない。
☆2002年5月18日(土)曇り☆
亡くなった伯母の家に行ってお線香をあげた。
亡くなった人は、静かに、実に穏やかに
その身を横たえていた。
死は美しく、清浄だと感じた。
上平井(新小岩)のその家には、
子供の頃よく遊びに行っていた。
60〜70年代の東京の下町。
近所には家内工業の小さな工場が数多くあった。
ネジだとかセルロイドのキューピー人形だとか・・・
夕方になると、商店街にはオレンジ色の光が
満ちて、賑やかだった。
いま、商店街はほぼ消滅している。
機械油の匂いがただよっていた小さな工場も
こぎれいな家に建て替えられて、
昔の面影は、もはやどこにも見出す事ができない。
25年前、この家で祖母が亡くなった。
まだ昨日のことのように覚えている。
25年。時の流れは一瞬の夢のようだ。
☆2002年5月31日(金)曇り☆
劇団 R**(仮名)の芝居を観る。
上野不忍池水上音楽堂。
野外劇場ははじめてだ。
この劇団の女優Hさんが、勤務先でアルバイトをしている。
”仕事”とは別の次元を持つ人の存在は
職場における、ひとつの救いだと思う。
だから、せめて花束でも・・・・・・