JOURNAL 2002.mars.
〜東京幻想旅行記〜

☆2002年3月1日(金)☆

劇団形態ゼロ公演『ゲッセマネの処女』を
中野のPLAN−Bという小劇場で観た。
現状に対する叫び。
ラデイカリスムという言葉を
久しぶりに思い出した。


☆2002年3月2日(土)☆

吉祥寺のギャラリー人にて
イトウヒロミ・桑原真理子・清水宏晃3人展を観る。
吉祥寺駅近くの地下にある珈琲店STONEに入った。
壁の汚れ具合がヨーロッパのどこかの
街のカフェのような感じで気に入った。
その後で池袋へ出てカメラを買った。
PENTAX MZ−5n。
初めての一眼レフ。


☆2002年3月3日(日)☆

『ゲッセマネの処女』を友人ともう一度観に行く。
一昨日よりもすっきりと分りやすく好印象。
盛況、満席だった。
この芝居によって訴えかけられている怒りと叫びは
この時代に至極当然のものだ。
この劇において、劇と観客の間には安易な共犯関係は
存在しない。観客は第三者ではなく一方の当事者だ。
その挑戦を引き受けなければ
この強酸性の劇を受けとめることは難しいだろう。
しかしその根底にあるものは
自由への、そして本当に生きる事への激しい希求だ。


☆2002年3月7日(木)☆

高円寺抱瓶にて、青森の友人Nと飲む。
この人と飲んでいると、
自分は今“人間”と話をしているのだ
という事が実感されてくる。
何かほっとする。


☆2002年3月11日(月)☆

吉祥寺のギャラリー人にて
版画家・早川純子展を観る。
早川さんもいらして、少し言葉を交わした。
彼女の作品は不思議な世界。
北欧らしきどこかの国の擬人化された動物たち。
一見可愛らしい彼ら。
しかし彼らは人間よりも人間的。
それを観る者は、そこに自分自身を見出して
つい可笑しくなって複雑な笑みをもらす。
そして、早川ワールドの住人たちから
目が離せなくなるのだ。


☆2002年3月18日(月)☆

駒込の古本屋にて美術手帳95年8月号を購入。特集“祈り/癒し”。
表紙が内藤礼さんの作品“見事に晴れて訪れるのを待て”
の部分の写真。温かなオレンジ色の光に照らされ
コルク詮、羽毛、硝子玉あるいは水滴のようにみえる
透明な何か、繭玉のようなもの、といった小さなものが
やわらかな布の上に点々と仄々と浮かびあがっている。
ささやかな、小さなものたちへのまなざし。
静かで、密やかな愛情。

商店街の中のカメラ店のショーウインドウの
中古カメラを眺めていると、隣で同じように覗きこんでいる
西洋人の老フォトグラファーがいることに気づいて
そこを離れる。歩いていると香川栄養学園の
購買部があったので、生徒がつくった
というクッキーをひとふくろ購入。
中央聖書教会、小学校を通りすぎると
込み入った住宅街に迷いこむ。
方向を見失ったことに気づくが、かまわず歩き続ける。
この瞬間に至福を感じる。
アーリーアメリカンスタイルの大きな家の玄関先に
石膏のアントニオ像が置いてあるのが目につく。
しばらく歩くと駒込駅に出たので家路についた。
ところどころの桜が綺麗だった。



☆2002年3月26日(火)☆

・・・その後、目黒の権之助坂を降りて、ラーメン勝丸で
カツオだしの香ばしい伝統的東京風醤油ラーメンを食べる。
自由が丘へ出て、なつかしい紅茶屋さんMURAへ。
シナモンの香りのミルクテイ−で温まる。
建物全体が蔦で厚く覆われ、店の中も観葉植物が満ちている。
森の中にいるような気分になる。
インドの静かな音楽と香がいいなあ・・・・。
僕らは昔、ここでブルトンの“宣言”を読んだな。
中古レコード店で「もう頬ずえはつかない」サントラ入手。
荒井沙知の歌が聴ける。
同時に買った長谷川都という最近の人のCD
「歌をうたおう」がシンプルな音で気に入った。
その店で流れていた音楽がいい感じだったので
店の人に尋ねると、LOWという外国のバンドのライブ盤だった。

☆2002年3月28日(木)快晴☆

美しい海の見える町で、
古いともだちと二十年ぶりの再会をした。
二十歳からの二十年とは、
ひとりの男にとって、人生そのものと言えないだろうか。
二十年間、ぼくはいったい、どんな生を生きただろうか。
Oさん、今日はありがとうございました。