ガラスの器10

 

どれだけの時が過ぎ去ったのかわからない。

花が咲き、萎み、そして枯れ、また芽吹き…それが目の前で何度となく繰り返されて

行った。

こんな小さな名もなき花でさえ、自然の摂理の中にある。

生きとし生きるものはすべて大いなる時の流れにしたがって、目まぐるしく流転する。

だが、泰継の“時”はそれに逆らうようにゆっくりとゆっくりと流れて行った。

まるで止まっているかのごとくゆるやかに…

そして、繰り返される三月ごとの眠りと三月ごとの目覚め…

目覚めている時にすることと言えば、安倍家から依頼された調伏と祈祷のみ。

それ以外の日はただひたすら“泰明の書”に目を通して過ごしていた。

変わりばえのない日々…

訪ねる者のない庵…

同じことの繰り返し…

 

泰明の書の表紙はすでにボロボロになり、どれだけ繰り返しその書を手に取ったかが

容易に想像される。

この書を手にするまで泰継は同じ書物を二度開くということはなかった。

なぜなら一度目を通せば、その内容をすべて覚えてしまうのだから…

だが、この泰明の書だけは違っていた。

ふと気がつくと、ついつい手に取り、表紙を開いている。

内容などはすでにすべて頭に入っているのだが、いつの間にかそうしている自分がいた。

それが、“泰明”と向かい合える唯一の手段だったから…

自分には持ち得ない大きな力を宿していたという泰明。

八葉としてその存在意義を認められた泰明。

そして、自分にはとうてい叶えることがかなわぬものを手に入れた泰明…

泰継の中で以前にも増して泰明の存在が大きくなって行く。

あこがれと羨望と嫉妬、そして己の無力さ…そのようなものが徐々に泰継を支配して

行った。無論、泰継自身はそのおのが胸の内にあるものの名が何であるかを知り得な

かったのだが…

 

同じような日々を過ごして、いったい何年経ったのだろうか、それともすでに何十年

が経過していたのかも知れぬ…

時の流れなど泰継には無意味であった。

壊れるまでただ存在するしかないのだから…

そして、その時の流れはいつしか少しずつ芽生えかけていた泰継の感情をも奪って行く…

時は静かに流れて行った…

 

 

 

 

「う〜〜〜ん」

彼は大きく伸びをした。

暗い空間の中、その伸ばした手の感触を確認する。そして感じる違和感。

「はて? これは…」

暗闇になれて来た目でおのが手をじっと見る。そこに映ったのは紅葉のような小さな手。

「おお、これはこれは。」

彼は苦笑した。

「どうやら、少し早く目覚め過ぎてしまったようだな。」

そして、彼はおのが身体を置いていた空間から外へ出る。

久々の外界は木々の間から漏れる細い日の光さえもまぶしく感じられた。

あれからどれほどの時が過ぎ去ったのだろうか。

自分の今の様子からすれば、まだ100年と経ってはいないだろう。

彼は羽根の感触を確かめる。小さな羽根だが、どうやら飛ぶのに支障はなさそうだ。

二、三度羽ばたかせた後、空中へと飛び立った。しばし、辺りを飛び回り、その開放感

に浸る。

そして、彼は一つの方向へと向かった。

「よっぽど心に引っ掛かっていたとみえる。目覚めを早めるほどにな…」

彼は粗末な庵を目指してひたすら飛び続けた。

 

やがて、目的の庵の前に着いたものの、はてどうやって切り出したものか…と彼は考えた。

今の自分の姿を見てもきっとやつはわしだとはわからぬだろう。それならそれで面白いで

はないか。いっそこの姿を利用してみるのも悪くない…と。

 

彼がそのように思案していた時、急に目の前の扉が開け放たれた。

「何用だ?」

冷ややかな声で泰継が言った。

 

彼は「うっ…」と一瞬ひるんだが、次の瞬間思いっきりうるうるした瞳で泰継に言った。

「ぼく〜、この山に住む小天狗です〜。まだ、生まれたばかりで道に迷っちゃいました。

 お兄さん、どうか助けてください〜〜!」

泰継は目の前の小天狗をジッと見た。確かに見たことのない小天狗だが、確かこの気は…

「ね、ね、お兄さんってばぁ〜」

彼はなおも精一杯かわいこぶりっこをして泰継に訴えた。

「おまえに道を教える必要などない。」

泰継は静かにそう言った。

「えっ? えっ? どうして〜?」

小天狗はパタパタと羽根をバタつかせると泰継に詰め寄った。

「なぜならお前はこの山のことを知り尽くしているからだ。」

「え〜、何のこと〜? 僕ちゃん、わかんな〜〜い!」

なおも言い続ける彼に泰継はひと言言い放った。

「紅牙沙!」

その声を聞いた彼の全身に雷のような衝撃が走った。

「お主、知っておったのかぁ〜!?」

紅牙沙は思わず叫んだ。

「それに、な…なぜわしの真名を!?」

「私は一度聞いたことは忘れぬ。」

泰継は唇の端にうっすらと笑みを浮かべるとそう言った。

 

「およっ?」

紅牙沙はその泰継の顔を見て、一瞬目を瞠った。

 

――こやつ、笑っている… 神子の降臨はまだまだ先のはずだ。どこでこのような表情

  を覚えたのだ? やはりこやつは泰明とは違う…

 

紅牙沙の顔が自然に綻んだ。

それを見て怪訝そうな顔で泰継が言った。

「何を笑っている?」

「いやなに。お主が成長した姿を見て嬉しくってな。」

そして

「泰継〜〜♪」

そう言って、紅牙沙が泰継に飛びつこうとした時である。

「紅牙沙!」

泰継の口から再び紅牙沙の真名が唱えられた。

「ぎゃっ!!」

紅牙沙の全身に再び強い衝撃が流れ、金縛りのような状態になった紅牙沙はそのまま

落下して、しこたま地面に叩きつけられた。

「泰継、お主〜〜!! 産みの親とも言えるわしをこんな目に合わせるとは〜!!」

地面から身体を起こした紅牙沙は訴えるような目で泰継を見た。

「私は抱きつかれるのは好まぬ。」

泰継は平然とそう言い放った。

「真名を教えたおまえが悪い。」

そう言って、また少し口の端を綻ばせた。

 

――まあ、いいか。こやつのこの表情を見れただけでも得した気分だわい。

  晴明め、きっとこのことを知ったら悔しがるぞ〜

 

紅牙沙はにんまりと意味深な笑みを浮かべ、嬉しそうに羽根をバタつかせた。

そして、泰継の笑みに満足した紅牙沙がそこから飛び去ろうとした時である。

「紅牙沙!」

また、泰継の声が響いた。

「ぎゃっ!!」

再び、紅牙沙は地面にしこたま叩きつけられた。

「今度はなんじゃ、泰継!! わしは何もしておらんぞ!」

「もう少しここにいろ、紅牙沙。」

 

――くう〜っ、引き留めるにしてももっとやり方があるだろうに〜!!

 

「紅牙沙、おまえと話がしたい。」

泰継は真っ直ぐな瞳でそう言った。

もう親バカの極致の紅牙沙はその泰継の申し出に内面踊り出したいほど喜んではいた

のだが、いたって冷静なふりをして、

「お主がそう言うのなら、少しだけつきあってやろうぞ。」

おもむろにそう言うと、泰継について庵の中に入って行った。

 

そして、その夜は一晩中二人は語り続けた。もっとも泰継の繰り出す疑問に紅牙沙が

答える…というものが多かったような気がするが…

翌朝、くたくたになった紅牙沙は昔住んでいた北山の奥地の方へと飛び去って行った。

 

それからというもの三日と空けず、庵を訪れる小天狗の姿があった…

 

そして、また月日は流れ、運命の時は刻一刻と近づいていた…

 

《つづく》

 

Rui Kannagi『銀の月』
http://www5d.biglobe.ne.jp/~gintuki/

 

 

[あとがき]

楽しみにお待ちくださった皆さん、長らくお待たせいた

しました! 前話掲載より実に45日ぶりのUPです。

もう皆さんに忘れ去られてしまったらどうしようかと内

心冷や冷やしておりました。とりあえず何とか上げられ

てよかったです。

紅牙沙の再登場は連載当初から考えておりました。そし

て、この姿もその時から決めておりました。自然に出た

笑みをみますと、彼の登場は泰継にとって少しは救いに

なったみたいです。

次回はゲームの筋に沿ったある重要なエピソードが入り

ます。ある方と第3、第4段階をまだ迎えていない方は

著しくネタバレになるかも…。どの方って? それは私

が『遙か2』で泰継さんに次いで2番目に惚れているお

方ですわ。

長かった『ガラスの器』もあと2話を残すのみ。

次回は今回よりは間を空けずにUPする予定です。

そし、もしかすると2話連続のUPになるかもしれま

せん。どうぞお楽しみに!!

 

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