ガラスの器 最終話

 

それまで泰継は夢というものを見ることはなかった。三月の眠りの中ではただひたすら無の

空間があるだけで、目に見えるものも音もなく、ただ静寂な空間が無限に広がっているだけ

だった。

しかし、あれ以来、あの炎の中の女人を見て以来、泰継はある一つの夢を見るようになった。

自分は今、覚醒しているのではないかと見まごうほど鮮明な夢を。その後の目覚めがなけれ

ば、あれが“夢”というものであるということはわからなかった。80年近く存在して来て、

こんなことは初めてである。

 

夢の中に出て来たのはあの女人…

見たことのないような不可思議な着物を身に着けたその女人は泰継の目を真っ直ぐに見て話

し掛け、そして自分に笑いかけて来る…

くるくるとよく動き、めまぐるしく表情を変え…

だが、不思議にそれが不快ではなかった。

 

これは、異世界の呪いなのだろうか、あの着物を自分が焼いてしまったがために自分は異世

界の呪いにかかってしまったのかもしれぬ。そうも思った。だが、夢に出て来る以外には別

段不都合なことが起きるわけでもない。

紅牙沙にそれを問うてみても、ただ笑っているばかりで、何も答えを得ることはできなかっ

た。ただ彼はひと言だけ言った。「時が来ればわかる。」と。

無論、その“時”がいつであるのか、紅牙沙にいくら問うてもやはり笑うばかりで、一向に

教えてくれる気配はない。泰継にはそれが何を意味しているのか、全く見当もつかなかった…

 

 

 

 

そしてあの呪いを施してから8年の月日が流れた…

あの時の少年も今では検非違使別当となり、立派な京人として暮らしていると有行から聞い

た。どうやら自分のかけた呪いは8年経った今でも全く薄れることなく働いているようだ。

あの時の女人もさぞかし安心していることだろう。

ただ彼が院の側についているということだけはどうにも気に入らなかった。父親である亡き

大臣が院側の人間であったので、当然と言えば当然のことなのだが…

院は施政者でありながり、自ら率先して、京を二分するような行いをしている。それは理を

乱す行為だ。古きものはその分をわきまえ、去るべきだ。たかだか人間同士の権力争いでは

あるのだが、泰継にはその邪な気が京全体の気を乱しているように感じられてならなかった。

その証拠にあちこちで穢れが広がり、怨霊もこのところ心なしか増えているような気がする。

そして、人々は末法の世に怯え、ただひたすら神仏に祈っているとも聞く。

なぜそのようなものに加担するのか、泰継には理解することができなかった。

 

 

 

 

そして、また月日は流れ、山の木々も少し色づき始めたある日のこと…

その日、いつものように泰継は三月の眠りから目覚めた。

だが、目覚めたばかりの泰継は何か今までに感じたことのない違和感を覚えた。

 

――山がざわめいている…

 

北山全体に尋常ではない緊張感が走っていた。

木々も花々も動物たちもみな一様に息を潜め、ジッと何かを待っている。

 

――いったい何が起ころうとしているのだ?

 

泰継は身支度をすると、庵の外へ出た。だんだんと近づいて来る不可思議な気…

だが、それは悪いものではない。むしろ神気に近いような…

 

――天狗とも違うな…

 

泰継は何枚かの人形を取り出すと、息を吹きかけ、鳥の形の式としてあたりに飛ばした。

だが、それらでさえ、その不可思議な気の正体を見つけることはできなかった…

 

 

その異変を紅牙沙もまた感じ取っていた。

「来たか…」

紅牙沙は天を仰ぎ見て、そうつぶやいた…

「どうか、泰継を…あれを導いてやってくれ。そしてあれに幸せを…」

そして、祈るようにその両の手を天に向かって高く掲げた…

 

 

数刻後、その巨大な神気がすさまじい速度で北山に接近して来た。

そして、それを受け、北山全体の気は一斉に震え、次の瞬間、その巨大な神気が静かに北山

に降り立ったのを泰継は感じた。

北山の木々たちは、それを歓迎するかのように一斉に歌い始めた。

その大合唱の中を泰継はその神気の方へと急いだ。

 

――いったい何が起こったというのだ!?

 

泰継はもう一度、式を飛ばした。その神気の塊が落ちたのはどうやら泉の方角らしい。

鳥の形をした式たちは、一斉にさえずりながら、泰継にその場所を知らせた。

泰継は歩を早めた。一刻も早くその神気が何であるかをつきとめなければと…

 

泰継が木の間を抜け、泉のほとりに出ようとした時、不意に

「誰かいるんですか?」

と明るくよく通る声が泰継の耳に響いて来た。

 

――あの者なのか? あの神気をまとっているのは…

 

その声の主は

「あの…」

とまた声を発した。

 

泰継は木々を避けながら、ゆっくりとその声のする方へと近づいた。

 

視界が開け、その声の主の姿が泰継の目に飛び込んで来た。

その者を目にした途端、泰継は思わず足を止めた。

 

色違いの双眸に映ったのは、大きな目でジッと己のことを見ている短髪の一人の女人…

この女人には、見覚えがある。見まごうはずなどない。この者はあの時、炎の中に現れた

女人だ…そしていつもおのが夢の中に現れるあの…

 

真っ直ぐに自分に向けられているその瞳…

   

泰継の胸がまた一つトクンと大きく鳴った…

 

――なぜこの者がここにいるのだ?

 

泰継は再び、ゆっくりとその女人に近づくと、その女人の目をしっかり見据えて、

問うた…

 

「おまえは何者だ?」

 

その女人は一瞬、驚いたような顔をしたが、やがて静かに口を開いた。

 

「私は…」

 

二人を包むかのように風がやわらかく吹き抜け、泉の水が微かにさざなみを立てた。

そして、二人を取り巻く北山の木々はやさしく二人を見守るようにその枝をそよがせていた…

 

そして…

 

新たな物語が、今、始まる…

 

《 完 》

 

Rui Kannagi『銀の月』
http://www5d.biglobe.ne.jp/~gintuki/

 

 

[あとがき]

とうとう『ガラスの器』もこれをもってすべて終了と

なります。最後までお付き合いくださった皆さま、本

当にありがとうございました。皆さまの応援があった

ればこそここに完結を迎えることができました。心よ

りお礼を申しあげます。

この『ガラスの器』という作品は私にとっても非常に

思い入れの深い作品です。そして、“長い物語が書け

ない”という私の弱点を見事に克服させてくれた貴重

な作品でもあります。だから、早く終わらせなければ

という気持ちの一方で、まだまだ終わらせたくないと

いう気持ちもあり、自分の中でもかなり葛藤がありま

した。でも、“泰継の誕生秘話”と銘打って始めたも

のですので、当初の予定通りここで物語を終わらせる

ことにしました。

とりあえず、泰継誕生秘話のコーエーさんからの正式

発表がある前に終わらせることができてよかった〜

 

この物語を貫くテーマはずばり必然と理。あらゆる事

象はすべて理によって存在し、必ずその存在意義があ

る。一見無関係に見えるような事柄もすべて複雑に絡

み合い、やがて収束して、一つの必然へ向かって進ん

で行く…なんて感じで書いてみたつもりなのですが、

そのへんのところがちゃんと皆さんに伝わっておりま

したでしょうか? わぁ〜、私の筆力ではどこまで伝

えられたか、とっても心配です〜

 

泰継自身の物語はまだ始まったばかり。これからもま

だまだ続きます。

今まで『ガラスの器』を応援してくださいまして、本

当にありがとうございました!

それでは皆さん、また次の作品でお会いしましょう!

 

『ガラスの器』完結記念御礼!

 

 

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