ガラスの器2

 

 

今からさかのぼること5年前

「紅牙沙よ」

「なんだ、晴明か。その身体はどうした? また、魂魄だけで訪ねてきたのか?」

晴明は軽くふっと微笑むと言った。

「否、我は今生から離れるところよ。やっと時間が追いついたのでな。」

「ふん。人間とは不便なものじゃな。まだいくばくかしか生きておらんものを。」

「そうか? でも、我は人間としては長らえた方であるが…。

 こうしてただ人と同じように天寿を全うできるのが喜びでもあるのだよ。」

「そんなものかね…。

 それで? 今生から去る前に我に何か言いたいことがあって来たのじゃろう。」

「さすが、紅牙沙。話が早い。我もいつまでもこうしているわけにはいかぬ。

 時間がない。」

「で、何を?」

晴明は真剣な眼差しで言った。

「泰明と同じモノをもう一体作っていただきたい。」

「器をか? 何故じゃ。」

晴明は少し声を落とすと、ひとつひとつ言葉をつむぎだすように言った。

「死ぬる前に我は未来を垣間見たのだ。今から95年後に鬼が復活する。」

「何と!?」

「どのような災いが起こるかまでは見通せなんだ。だが、京を分断するような恐ろしい

 邪気までは感じとれた。」

「また、我らも巻き込まれるのか。」

紅牙沙は鬼に怨霊として操られ、散って行った若い天狗たちのことを思い出し、

苦々しく唇を噛んだ。

「その災いを食い止めるために導き手が必要だ。」

「その道具として、人形を作るのか…泰明のように」

「泰明は道具ではないよ。」

晴明はふっと目を細めた。

「あれは私の息子だ。」

「そうであったな。」

「どう生きるかはそのものの自由。泰明と同じようにあれにも可能性をもたせてやりたいのさ。

 それにあのまま妻の身体に収めたままにしておけば、鬼に悪用されるやもしれぬからな。」

「わかった。任せろ。だが、わしにできるのは器を作るところまでだ。その器にその魂が

 なじむかどうかは責任が持てんぞ。」

「無論承知。だが…信じているぞ。」

「むむ…やれるだけやってみる。」

「それでこそわが友だ。魂魄の方は息子たちに頼んだ。いささか頼りなくはあるが、

 あやつらも多少は力があるのでな。魂移しの呪いも教えておいた。問題ないと思うが…。

 ただ…」

晴明は言葉をつないだ。

「あれらには鬼の復活のことはふせてある。あの者たちが死して後のことだ。いたずらに

 おびえさせても困るのでな。」

「あれらがそういう玉かよ。」

「何か言ったか?」

「いや、何でもない。」

「……一応、私の息子達なのだぞ。」

「は…は…は」

「で? 期日は?」

「今から5年後の長月の九日。その日に気が満ちる。」

「その日に魂魄を取りに行けばよいのか?」

晴明は唇の端に笑みを浮かべながら答えた

「いや、それには及ばない。自ずとそれはお主のもとに届くだろうよ。」

紅牙沙はそれがどういうことを意味するのか、さっぱりわからなかったが、

聞くのもしゃくなので、黙っていた。

 

晴明は天を見上げると再び真顔に戻って言った。

「時間だ。では、くれぐれも頼んだぞ。」

「晴明、もう行くのか?」

「ああ。いつまでもこの世に留まっていると離れ難くなるのでな。もう、行くよ。達者で。」

「おまえもな。だが、泰明がこの世界にいなくてよかったのう。さすがに自分と同じモノの

 誕生の瞬間には立ち会いたくないだろうからのう。」

「そうだな…。それでは、さらばだ。」

そう言うと、晴明の姿は風とともに掻き消えた。

 

その姿を見送った紅牙沙は

「ふぅ〜っ、簡単に言ってくれるが、たいへんなんだぞ。」

ひとりつぶやいた。

 

 

「天狗!」

紅牙沙は吉昌の声にハッと我に返った。

「どうしたのだ。急に黙り込んで。おまえが静かだと気味が悪い。」

「本当に失礼なやつだな。」

そんなふたりのやり取りを無視して、吉平は紅牙沙の方に歩み寄ると、

静かに言葉を発した。

「天狗殿、で、これからどうすればよいのだ?」

「おお、そうであった。玉は持って来たか?」

「ここに。」

そう言うと、吉平は唐櫃から輝く光の玉を取り出した。

それを見て、紅牙沙の目も真剣になった。

「うむ。では、吉昌、その玉をこの身体の上に掲げよ。」

吉昌は兄からその玉を受け取ると、言われた通り、横たわる人形の上に掲げた。

「こうか?」

するとその玉はいっそう光を増して輝き始めた。

「吉平、呪いの言葉は晴明から聞いておろうな?」

吉平は静かにうなずいた。

「では、呪いを唱えよ。」

 

吉平は印を結ぶと低い声で呪いを唱え始めた。

するとその光の玉は吉昌の手を離れ、その人形の上に浮かび上がった。

さらに呪いは続く。

 

どれだけの時間が過ぎたのだろう。

かなり長い時間だったように思える。

吉平が最後の言葉をつむぎ終えると、光の玉は一瞬目も開けていられないほど激しく輝き、

次の瞬間、スゥーッと人形の中に吸い込まれて行った。

三人は沈黙したまま人形を見つめた。

 

しかし、半時ほど経っても人形は動き出す気配がない。

「失敗だったのか。」

そう下を向いて悔しそうにつぶやく吉昌を吉平は制した。

「見ろ!」

吉昌は再び人形に目を移した。

すると…

人形の指がピクッと動いた。

そして、次の瞬間、その目をゆっくりと開いた。

三人の目に映ったそのものの目は見知ったものによく似ていた。

琥珀と翠玉の瞳…それは、人ではない印

三人が見守る中、そのものは静かに起き上がった。

 

《つづく》

 

Rui Kannagi『銀の月』
http://www5d.biglobe.ne.jp/~gintuki/

 

 

[あとがき]

泰継さん’s Storyの第二弾です。ようやく目を開いた泰継。

このあとどうなるのでしょう。それはまた、次の回で。

 

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