ガラスの器4

 

 

パシッと小さな音を立てて結界が解かれた。

「ふぅ〜、やっとこれで山を降りられるな。」

吉昌が足を踏み出そうとしたその時

「!?」

ただならぬ気配に吉昌は思わず足を止めた。

「おぬしも気がついたか?」

いつになく真剣な顔で紅牙沙が言った。

 

――北山は聖域。いくら入口際とは言え、なまなかな力の怨霊がここまで入り込める

  はずはない。すると、これは…。

 

「何だ!? このすさまじい負の気は!?」

吉平が声を上げた。

 

――この気は覚えがある。だが、まさか。あれは神子と泰明によって封印されたはず…

 

紅牙沙がそうつぶやいた時、急に三人の頭の中に不気味な声が響いて来た。

 

――ホシイ ホシイ ソノカラダ ワレヲフウインシタモノト オナジニオイガスル

 

「声が…」

「ああ。」

 

――マダ ナカミハ カラ ダ イマナラテニハイル ワレノウツワトナセル

 

三人はその怨霊の暗くて淀んだ声が何を欲しているか理解した。

「大丈夫だ。北山は聖域。いくら力の強い怨霊でもここまでは入って来れまい。」

紅牙沙はふたりにそう言った。

だが、その怨霊の負の気がみるみるうちに広がって行き、徐々に京を覆って行くのが

わかると吉平、吉昌のふたりは顔色を変えた。

「京が…京が闇に覆われてしまう!」

吉平が叫んだ。

「待て。これは、わしらをおびき出す罠だ。のってはならぬ。」

紅牙沙が制した。

「だが…」

その時、急に吉昌が駆け出した。

「だめだ! 行ってはならぬ!!」

「私は陰陽師だ! 京を見捨てるわけには行かない!」

吉昌は見る間に山を駆け下りて行った。

「チッ」

紅牙沙は舌打ちをすると、吉平に言った。

「おまえは泰継を守れ。どんなことがあっても絶対、やつに泰継を渡してはならぬ。

 泰継は京のために必要な存在だ。」

「それは、どういう…」

紅牙沙はその問いには答えず、

「頼んだぞ!」

真剣な目でそう言うと、吉昌を追って飛び去った。

 

吉昌は山を駆け下りながら、下りれば下りるほど段々負の気が強くなって行くのを

感じた。今まで自分が調伏したどの怨霊よりも強い負の気…

 

――果たして自分に調伏できるのか…

だが、やらねばならぬ。何としても。父が守って来た京を守らねば…

 

そんな思いでどんどん怨霊へと近づいて行った。

 

北山の麓近くに下りて来ると、その怨霊の禍禍しい姿が吉昌にも見て取れた。

それは形を持たない黒い大きな負の気の塊…

 

やがて天狗も追いついた。その気は…やはり

――黒麒麟!? あやつは最後の戦いで神子と泰明によって封印されたはず。

  復活するなどあり得ぬ。だが、あれは確かに…。これが晴明の言っていた

  鬼の復活の前兆か? だが、早すぎる。いったい誰が…

 

――ヨコセ ソノウツワ イマノワレハ カラダヲモタヌ アヤツラガ

  ワレノカラダヲウバッタ ソノウツワハ ワレノモノ ヨコセ

 

黒麒麟の黒い気はますます膨れあがり、今にも北山へ覆い被さろうとしていた。

京の都は完全に闇へと飲み込まれて行った。

その様子を見て、吉昌は居ても立ってもいられず、黒麒麟へと向かって行った。

 

天狗はハッと我に返り、叫んだ。

「だめだ、吉昌! おぬしのかなう相手ではない!!」

「京は私が守る!」

そう言うと、吉昌は黒麒麟の前に飛び出した。

吉昌は呪符を一枚取り出すと印を結び、呪いを唱え始めた。

 

――ジャマダ オマエノマジナイナド ワレニハ キカヌ!

 

「吉昌下がれ!!」

紅牙沙が叫んだ。

だが、吉昌はその場で呪いを続けた。

 

黒麒麟の負の気が一点に集中して急速に上がって行った。

それを素早く感じ取った紅牙沙は

「はぁーっ!!」

という掛け声とともに自らの羽根を手に黒麒麟に向け、光の気を放った。

 

だが、黒麒麟が吉昌に向けてすさまじい気を放つのが一瞬早かった。

「吉昌ーっ!!」

紅牙沙は思わず吉昌の前に飛び出した。

 

すさまじい叫び声が北山中、いや京中に響いた。

 

吉昌は一瞬何が起こったかわからなかった。呪いを止めて目の前に転がるものを

呆然と見つめた。

「天狗!? どうして…」

「おぬしを…ここで…死なせ…たら、晴明に…顔向け…できぬ…から…な。」

苦しみの中から笑みさえ浮かべながら紅牙沙は吉昌にそう言った。

「天狗ーっ!!」

泣きじゃくる吉昌に天狗は続けた。

「怨霊は…ま…だ…死んでは…おらぬ。おまえ…が…おまえ…たちが…調伏

 …する…のじゃ。」

「我らにできるだろうか?」

不安げに吉昌は言った。

「で…き…る。おまえ…たちは…晴明の…子だ。必ず…できる。それに…やつ…も

 …わしの攻撃を…受けて…弱っている。」

そういう天狗のもとに吉平と泰継がやって来た。

「天狗!?」

「吉平…頼んだぞ。吉昌と…ともに…怨霊を…調伏せよ。」

吉平は黙って頷いた。

「来る…ぞ!」

紅牙沙は言った。

 

見ると、黒麒麟はかなり打撃を受けてはいたが、泰継の姿を見つけると狂ったように

近づいて来た。

 

――オオ ワレノウツワ ヨコセ ソレヲ ヨコセ!

 

吉平と吉昌は呪符を取り出すと、印を結び、共に呪いを唱え始めた。

「一心請し奉る、北辰妙見、真武神仙…」

黒麒麟は一瞬ひるんだものの、またもや近づいて来た。

ふたりは一心に呪いを唱え続けた。

 

「だめ…なのか?」

天狗はその様子を見てつぶやいた。

 

黒麒麟があと少しでふたりのもとまで到達しようかと言う時、

不意にふたりの後ろからふたりに倣って低い呪いを紡ぐ声が聞こえて来た。

 

「泰継!?」

天狗は目を瞠った。

呪いを紡ぐふたりの後ろで泰継は同じように印を結び、ふたりの言葉の後について

呪いを復唱していた。

 

呪いを唱える三人からとてつもない光の気が浮かび上がった。

 

――ナ ナンダ!? コレハ コノ ヒカリハ!?

 

黒麒麟はその光の気を見て、一瞬動きを止めた。

そして、再び動き出そうとしたまさにその時、宙に三つの五芒星が描かれ、光の気が

三人を包んで膨れ上がった。それは光の束となり、螺旋状に絡み合って黒麒麟めがけて

まっすぐ向かって行った。

 

一瞬だった。黒麒麟は矢のようなその光の気に貫かれ、

 

――ナゼ ダ ワレ ガ アノヨウナ モノ ニ アクラムサマーッ

 

そう叫ぶとたちまち霧散して行った。

京にかかっていた黒雲もまるで何事もなかったように消滅し、いつもの様子を取り

戻していた。

 

チリン…小さく鈴の音がなった。が、その音を聞くものは誰もいなかった…

 

――わしがいなくても大丈夫じゃな…

紅牙沙はそう小さくつぶやいた。

 

黒麒麟の完全なる消滅を見て取ると、

「泰継、おまえ…」

吉平が泰継の方に振り向いて声を掛けようとした。しかし、吉昌の

「天狗ーっ!!」

と言う叫び声にそれは中断されてしまった。

 

吉昌は紅牙沙のもとに駆け寄り、抱き起こした。そして、

「天狗! 天狗! しっかりしてくれ!」

と声を掛けた。

 

「紅牙沙…だ。わしの…真名…は…紅牙沙…と…言う。」

紅牙沙は苦しい息の中からそう言った。

「天狗!?」

「わしは…死なぬ…だが…しばらく…眠りにつかねば…なら…ぬ。眠りの…間に

 …わしの魂を…悪しき者に…使われぬよう…わしを…浄化し…封印して…欲しい。」

「天狗!」

吉平も声を掛けた。

「吉平…術を覚えるまで…泰継は…この北山に…置いておくが…よい。また…いつ

 …悪しき霊が…襲ってくるやも…知れぬ。」

「心得た。」

吉平は力強く頷いた。

「泰継」

紅牙沙は最後に泰継に声を掛けた。泰継は無表情に紅牙沙を見つめていた。

「頼む…京を…九十年後の…ウッ」

「天狗ーっ!!」

「泰継は…おまえ…たちが…導く…のだ。頼んだ…ぞ。」

「わかった。紅牙沙、おまえの分まで…」

そう言うと吉昌の目には再び涙がにじんできた。

「泣くな…吉昌…さあ…浄化と…封印を!」

紅牙沙はそう言うと静かに目を閉じた。

 

吉平と吉昌のふたりは紅牙沙をはさみ、紅牙沙の真名を唱えると印を結び呪いを紡ぎ

始めた。するとたちまち紅牙沙の身体は光に包まれた。そして、最後の呪いを唱え

終わるや否や一本の大木の中に吸い込まれて行った…

 

 

 

 

地面に両手をついたまま、とめどなく涙を流している吉昌に吉平がやさしく言った。

「紅牙沙殿は死んだわけではない。また、いつの日か気が満ちたら甦る。だから、

 泣くな。」

「だが、われらはもう会えぬではないか…。われらの生ある間にはきっと復活することは

 なかろう。」

「……吉昌、われらが紅牙沙に会えたことだけでも幸運とは思わぬか。われらの生きた時代に

 彼と巡り逢えたことが…。」

そう言うと吉平は強い語調で言った。

「それに、われらにはやらねばならぬことがある。」

その吉平の言葉に吉昌はハッと顔を上げた。

「そうだな。われらには使命がある。」

そう言うと吉昌は立ち上がった。

 

そのふたりの様子を少し離れたところで、泰継はぼんやりと眺めていた。

 

《つづく》

 

Rui Kannagi『銀の月』
http://www5d.biglobe.ne.jp/~gintuki/

 

 

[あとがき]

紅牙沙ファンの皆さま、ゴメンナサイ! 紅牙沙を殺してしまいました。

と言っても厳密には死んだわけではないのですが…。“2”をプレイして

いて、私にはどうも泰明の時よりも泰継と天狗の結びつきの方が弱く感じ

るのですよね。北山に住んでいるにもかかわらず! 首飾りに天狗の羽根

もついてないし、私がプレイした限りではさらっとしか天狗の話出て来な

いし…。そこで、ここで紅牙沙を殺してしまうことは最初から決めていま

した。でも、私自身も紅牙沙気に入っていたので、淋しいわ。でも、どこ

かで復活するかもしれませんよ。見逃さないように!

次のお話はちょっとつなぎのお話となりまして…私としては、早くその次

の話が書きたくて仕方ないのです。まだまだ続きます。お楽しみに!

 

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