ガラスの器5

 

北山には幸い晴明がさぼるための…もとい!…こもって修行するための庵があった。

「泰継が術を使えるようになるまで北山に置いておくように」

という紅牙沙の最後の言葉にしたがって、とりあえず吉平、吉昌のふたりはそこに

泰継を住まわせることにした。

庵の前まで来ると、吉平は泰継に中に入るよう促した。

泰継は促されるまま庵の中に入って行った。

だが、やはり目はどこか空ろである。

「泰継、今日からおまえはここに住むのだ。よいな。」

泰継は無言で頷いた。

「ここは、おまえの家だ。自由にくつろぐがよい。われらはまた来る。」

そう言い残すと、吉平、吉昌のふたりは庵を後にした。

 

家へと向かう道すがら、吉昌が口を開いた。

「兄上、あいつ何かまだ空ろな目をしていた。何もしゃべらないし…」

「ああ。あの呪いを唱え出した時は完全に覚醒したと思ったのにな。もしかしたら…」

「もしかしたら?」

「陽の気が足りぬせいかも知れぬ。だが…」

吉平は吉昌の方に向き直り、言葉を続けた。

「父上がいない今、泰継に泰明の顔に施したような呪いをすることはできぬ。われらの

 力では到底不可能だ。どうしたらいいものか…」

「うむ…」

 

ふたりがそんなことを言いながら一条戻り橋にさしかかった時である。

「吉平様、吉昌様。」

どこかから声を掛けるものがあった。

ふたりは声のする方に目をやった。

「おまえは、父上の式神だった天后ではないか?」

驚いた顔で吉平は言った。

「左様でございます。覚えておられましたか?」

天后は微笑みながらそう答えた。

「おまえは父上の死とともに自由の身になったはずだ。何故ここにいる?」

「晴明様との最後の約定を果たすため。」

天后はそう言うと、木製の箱を吉平に差し出した。

「これは?」

「晴明様よりお預かりした品でございます。」

吉平はその箱を受け取ると、封印の札をはがし、蓋を開けた。

「こ…これは!?」

中を見て、吉昌が思わず声をあげた。

 

箱の中には一本の首飾りが入っていた。

そこから感じられるのはあふれるような陽の気…

 

「人形が…泰継殿が目覚めたら渡すようにと。」

「父上…」

ふたりはその首飾りから晴明の泰継への限りない愛を感じ取った。自分が死して後、

生きて行かねばならぬもの。そのものに呪いの代わりとなるものを晴明は最期に残して

くれたのだ。

 

「だが解せぬ。」

吉昌は首を傾げながら言った。

「なぜ父上は我らにこれを預けずにおまえに預けたのだ?」

「それは…」

天后は一瞬口ごもった。

「まっ、いいではありませんか。無事お渡しできたのですし…。

 それでは、私はこれで。おふたりともお元気で〜っ!」

天后はそう言うと、そそくさと去って行った。

吉昌はさかんに首をひねっていた。

 

天空を昇りながら、天后はその様子を見ていた。そして、小声でつぶやいた。

「ふぅ〜っ、危ない、危ない。気が満ちる前に吉昌様が待ちきれずに箱を開けかね

 ないと晴明様が言ってたなんて。とても本人の前では言えませんわ〜。」

そう言うと、どこへともなく飛び去って行った。

 

翌日、ふたりはさっそくその首飾りを持って北山の庵へと急いだ。

ふたりが庵に入ると泰継はぼんやりと隅の方に座っていた。

「泰継」

吉平が声をかけると、泰継は立ち上がり、ふたりの方へ近づいて来た。

「これを。父上からおまえへの最期の贈り物だ。」

そう言うと、吉平は泰継の首に首飾りをかけてやった。

泰継は静かに目を閉じた。

すると陰陽師のふたりにしかわからないような微かな気が泰継から立ち上った。

そして、再び泰継が目を開けた時…その目は今までのそれとまるで違っていた。

その輝きは…そこには確かに知性の光が宿っていた。

それを見て吉平、吉昌のふたりは互いに視線を合わすと、黙って頷きあった。

 

泰継が初めて自分から言葉を発した。

「私はここで何をすればいいのだ?」

吉平はそれに答えて言った。

「まず、おまえはここで陰陽の術を学ぶのだ。私と吉昌がふたりでこの庵に教えに

 来る。それらをすべて身につけるのだ。」

「わかった。」

泰継は無表情にそう答えた。

 

それからというもの、毎日吉平と吉昌は代わる代わる北山の庵に通い、泰継に自分

らの知っている限りの陰陽の術をすべて授けて行った。泰継は砂に水がしみこむが

ごとくその教えられた術を驚くべき速さで覚えて行った。それに、その記憶力た

もの、さらに驚異的で

 

「それでは、昨日の呪文のおさらいをしようか。」

「おさらい? 私にはそんなものは無用だ。」

「だが、私はまだ一度しか言ってはおらぬ。あれほど長い呪文一度で覚えられる

 はずは…」

吉昌がそう言い終わるか終わらないかのうちに泰継は習った呪文を暗唱し始めた。

一字一句違わずに、しかも吉昌の言いグセまでそのままに…

呪文を暗唱し終えると泰継は言った。

「私は一度聞いたことは決して忘れぬ。これでわかったか?」

吉昌は頭を抱えた。

「嫌みなやつだな〜っ、おれがこれを覚えるのに何ヶ月もかかったと言うのに…」

「“嫌み”とはどういうことだ?」

泰継は聞き返した。泰継の場合、決して皮肉などではない。泰継は自分の知らない

こと、理解できないことはとことん自分が納得するまで聞いてくるのだ。それが

わかっているだけに…ああ、やってしまった…吉昌はため息をついた。

「まあ、それはいいとして、では、昨日の続きから始めるぞ。」

吉昌がそう言って話をそらそうとしたが、泰継は

「まだ“嫌み”の答えを聞いてはおらぬ。」

そう言って吉昌に詰め寄った。

吉昌は観念して、また、一つため息をつくとしぶしぶ口を開いた…

 

そうして幾日かが過ぎ去った。日にちが経つに連れ、吉平、吉昌のふたりは妙な

ことに気がついた。ふたりは陰陽師の仕事の合間に北山に通っているので、ある

時は朝だったり、またある時は昼だったり、そしてまたある時は真夜中だったりと

不規則な時間に訪れているのだが、いつ行っても泰継は起きているのだ。しかも、

眠そうな目をしているところなど一度も見たことがない。

 

もうふたりの持つ陰陽の術も知識もほとんどすべて伝え終わったある日、吉平は

泰継にたずねた。

「おまえはいったいいつ寝ているのだ?」

「寝る? 褥に横になることか?」

泰継は問い返した。

「いや、横になると言うか、いつ眠っているのだ?」

「私は眠らぬ。」

「えっ!?」

「覚醒してから一度も眠ったことはない。」

「ほんとか!?」

吉昌がすっとんきょうな声で聞き返した。

「おまえたちに嘘をついてもしょうがない。」

そう真面目に返されて吉昌は何か拍子抜けしてしまった。

だが、特殊な出生ゆえ、そんなこともあるのだろうとふたりは何となく納得して

しまった。

 

吉平は泰継に言った。

「もう、我らが教えられることはすべて教えた。そろそろ山を下りて見ぬか?」

「山を下りていいのか?」

「ああ、もう大丈夫だろう。」

「わかった。私もこの外の世界を知りたい。」

「じゃあ、話は決まったな。」

三人は山を下りて行った。

 

その日より泰継は少しずつ吉平、吉昌について陰陽寮の仕事の手伝いをするように

なった。

泰継の陰陽の才は思っていた以上のもので、もしかしたら吉平、吉昌、いや陰陽頭

をもしのぐのではないかと噂されるまでになった。なにしろ他の陰陽師が交替で仮

眠を取りながら呪いを続ける中、泰継は何晩でも眠ることなく、呪いを続けるのだ。

しかも気の乱れもなくいつでも同質の能力を維持し続ける。だからそう噂されるの

も当然と言えば当然だろう。

 

吉平、吉昌がそろそろ正式に陰陽師として出仕させようかと思い始めた頃、急に

泰継が倒れたとの知らせが入り、ふたりは急ぎ駆けつけた。

その日は泰継が誕生してからちょうど三ヶ月目であった。

ふたりが部屋に通されると、泰継は褥の上に横たえられていた。

泰継の様子を見た吉平はそっと吉昌にささやいた。

「このままではまずい。北山へ運ぼう。」

「ああ、わかった。」

 

ふたりは、北山の庵に泰継を運ぶと褥にそっと横たえた。

「いったいどうしたと言うのだ。」

苛立ちを見せながら、吉昌が言った。

「いや、ただ眠っているだけだ。見ろ。」

吉昌が近寄って見ると、確かに泰継は規則正しい呼吸をしながら、静かに眠っている。

見た目にはただそれだけなのだ。だが…

「陽の気が…」

「おまえにもわかったか。」

「ああ。満ち足りていた陽の気がほとんどなくなっている。」

「陽の気が満ちなければ再び目を覚まさぬのかも知れぬ。」

「何だってこう面倒なことに! 三月も起きていたかと思ったら今度は急に眠りこけ

 るなど…。で、いつ目覚めるのだ?」

「わからぬ。おそらく陽の気さえ満ちれば。」

「で、その陽の気はいつ満ちるんだよ!」

「少しは落ち着かぬか、吉昌。我らにはどうしようもないのだ。」

吉昌は心底怒っていた。その怒りは泰継にではない。半端な力しか与えてやることが

できない自分自身に…。父上がここにいたら…。

ふたりには何もなすすべはなかった。ただ神聖な北山の神気と動植物から少しずつ陽

の気が首飾りを通して泰継にたまって行くのを待つしか…。

 

ふたりは今日は目覚めるか、明日は目覚めるかと思い、毎日庵に通った。

そして、再び三月が経ったころ、ふたりがいつものように庵に着くと、褥の上で、泰継は

上半身を起こしていた。

「目覚めたのか?」

吉昌が言った。

「私は…いったいどうしたのだ?」

不安げな泰継に吉平がやさしく言った。

「おまえは眠っていたのだ。」

「これが眠りか…。」

「三月もの間眠っていたのだよ。」

吉昌が横から口をはさんだ。

「三月…」

泰継はその言葉を復唱すると、聞き取れるか聞き取れないかの小さな声でつぶやいた。

「やはり私は人とは違うのだな…」

吉平は初めて漏らす泰継のそのような言葉にハッとしたが、わざと聞かなかったような

そぶりを見せた。なぜだかその方がよいような気がして。

「それで、大丈夫か?」

「問題ない。」

そう言うと、泰継は立ち上がり、言った。

「行くぞ。」

「えっ、どこに!?」

「眠りから覚めたのだ。おまえたちの仕事を手伝う。」

「今日はじっくり休め。」

吉昌が泰継に言った。

「問題ないと言ったはずだ。」

泰継はそう言うと、サッサと身支度をし、庵を後にした。

ふたりは仕方なく後から着いて行った。

 

そして、その言葉の通り、その日、泰継はきちんと何の支障もなく、調伏をやってのけた。

 

帰り道、吉昌は吉平に思い出したようクスクス笑いながら言った。

「だが、“問題ない”か。久々に聞いたな、あの言葉。」

「ああ、泰明の口癖だったな。」

 

――泰明

  それは、以前にも聞いたことのある名。

  この世に生まれ出でてから、なぜか頭から離れないその名。

 

泰継は吉昌に聞いた。

「泰明とは誰だ?」

「ああ、おまえと同じ出自のものだ。」

吉昌が答えた。

「それは前に聞いた。」

泰継はすぐにそう言い返した。

「もっとほかのことを知りたい。」

「ほかのことと言われても…」

吉昌は少し口篭もった。確かに泰明をよく知ってはいる。だが、実際に泰明と

共に過ごしたのはほんの二年ちょっとの間だけ。しかも、泰明が誕生したころ、

もう吉平も吉昌も結婚して晴明の屋敷を出ていたし、泰明は晴明の密命で動く

ことが多かったため、陰陽寮に出仕することもまれであった。晴明に作られた

こと。そして、龍神の神子を守る八葉であったこと。晴明に匹敵するぐらいの

ものすごい陰陽の才を持っていたこと、ぶっきらぼうな物言い、美しい容姿、

そしてあの口癖…泰明について知っているのはそれぐらいであることに吉昌は

その時初めて気がついた。

「教えてくれぬのか?」

泰継は再び問うた。

「泰明は龍神の神子を守る八葉であった。」

「八葉とは?」

「よくわからぬ。」

「わからぬと?」

「龍神の神子と八葉は国の重要機密であった。当時の帝と当事者たち、そして

 父上しか実際のところどうであったかは知らぬ。だが、龍神の力をもって京

 を守ってくれたと聞く。」

「それだけでは、わからぬ。」

今度は泰継は吉平の方を向いた。

「すまない、泰継。私もよくは知らぬのだ。」

吉平は真剣な眼差しでそう答えた。

「もういい。」

そう言うと泰継はサッサと歩いて行ってしまった。

 

その日より泰継の頭から“泰明”という名が離れることはなかった。

泰継はあちこちで泰明のことを聞いてみたが、誰もが泰明の名を知ってはいても

どういう人物だったかということになると、ものすごい美貌の持ち主だったとか、

能力の高い陰陽師だったとか、ぶっきらぼうな物言いだったとか、そういう埒も

ない答えが返ってくるだけで、泰継の求める答えをくれるものは誰もいなかった。

 

そして、泰継は再びその後三月は眠りにつかず、その次の三月は眠りにつき…と

それを繰り返すようになった。

その様子を見て、吉平はこの状況では到底出仕は無理と考え、皆に惜しまれなが

らも、安倍家総領として、必要な時だけ泰継の力を借りることに決めた。毎日出

仕すれば、泰継が三月眠らず、三月眠り続けることが自ずと世間に知れてしまう

ことになる。それだけは、どうしても避けたかった。そこでこの形式を取るしか

なかったのである。

 

安倍家より呼び出しの来ない日は泰継はひとり庵で過ごすことが多くなった。

今までは吉平、吉昌が頻繁にこの庵を訪れていたのだが、だんだん京での仕事が

忙しくなり、そうしてばかりもいられなくなったのである。

それに泰継はひとりでも十分やっていけるだけの術をすでに身につけていた。

ひとり庵で過ごす泰継には何もすべきことがなかった。

積み上げてある書物はもうすでにすべて読んでしまったし、暇な時どうやって

過ごせばいいかなどということは知る術がなかった。

そこで、たまに森で動植物と言葉を交わし過ごす以外は、ひとり庵で様々なこと

について考え、過ごすようになった。森羅万象のこと、自分のこと、そして

“泰明”のことを。

 

――自分はいったい何のためにここにあるのか…

だが、その答えはいくら考えても見つからなかった。

 

ある日、泰継は怨霊祓いを頼まれ、内裏へと赴いた。その辺の陰陽師には

手に負えぬからと言われて来たのだが、来てみれば、何のことはない。くだらぬ

女御同士の呪詛の掛け合いであったので、すぐにその調伏などすませてしまった。

そして、他の陰陽師とともに帰路につこうとした時…

 

「泰明殿!?」

 

急に誰かから声を掛けられた。泰継は声の方へゆっくりと振り向いた…

 

《つづく》

 

Rui Kannagi『銀の月』
http://www5d.biglobe.ne.jp/~gintuki/

 

 

[あとがき]

ふぅ〜、つなぎと言いながら、異様に長くなってしまいました。

それに…何かホント辻褄合わせの話みたいになっちゃって…

そして首飾りはすっかり充電池と化してるし(*_*;)

ああ、もっと文章力が私にあったら!!

気を取り直して次回へと。

お待たせいたしました! 次はいよいよあの方の登場です。

ふふっ、誰でしょう? 楽しみに待っててくださいね。

 

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