ガラスの器6

 

そこにいたのはひとりの老僧。

大きな目を見開いて真っ直ぐ泰継を見ている。

その身から発しているのは、見た目の穏やかさとはそぐわない燃え立つような強い霊力…

 

――何者だ

 

泰継は老僧の方を見た。

視線が合うとその僧は

「あっ…」

と小さく言うと、視線をそらした。

 

「す…すみません。私のよく知っている方に似ていたものですから…」

僧はそういうと、軽く会釈をしてその場を去ろうとした。

その時

「待て。」

と泰継が声をかけた。

「はい?」

僧が振り返ると、泰継がつかつかと自分の方に近づいて来るところであった。

すぐそばまで来ると泰継は言った。

「おまえは泰明を知っているのか?」

僧はびっくりした目で泰継を見た。そして、たずねた。

「あなたは?」

「私の名は安倍泰継。」

そう言うと泰継は一旦言葉を切ってから

「泰明と同じ出自のものだ。」

と言葉を続けた。

「泰明殿と…」

僧は一瞬、さらに驚いた目で泰継を見た。そして、それからにこやかな笑みを浮かべると、

泰継に告げた。

「名乗るのが遅くなって申しわけございません。私の名は永泉。泰明殿と同じ八葉の一人、

 天の玄武として龍神の神子に仕えておりました。」

 

――八葉?

 

泰継は吉昌の言葉を思い出した。八葉ならば、泰明のことを知っているはず。

 

泰継は永泉の方に詰め寄って言った。

「泰明のことを教えてほしい。」

「泰明殿のことをですか?」

永泉は聞き返した。

「誰もが泰明のことを知っていると言う。だが、誰も本当は泰明のことを知らない。

 泰明がどういう人物で何をしていたのか、私はそれを知りたいのだ。」

それを聞いて、永泉は泰継に言った。

「私は今から御室に戻るところです。もし、よろしかったら一緒に参りませんか?

 私の知っていることでよろしければ、泰明殿のことについてお話いたします。」

泰継は黙って頷いた。

そして、ふたりは永泉の牛車に乗って御室へと向かった。

 

牛車の中で永泉は言った。

「泰明殿はとても心遣いのあるやさしい方でしたよ。」

「そんなことは誰も言わなかった。冷静で有能な陰陽師だったと…」

「泰明殿は自分の気持ちを相手に伝えるのが苦手な方でした。ですから、誤解を受ける

 ことも多かったのです。私も初めのころは、勝手に誤解して、随分悩んだものですよ。

 ですが、泰明殿は誰よりも神子のことを大切に思っておりました。本当におやさしい方

 ですよ。」

 

そんな話をしているうちに牛車は仁和寺に着いた。

泰継は到着するとすぐに、かなり奥まったところにある落ち着いた一室へと通された。

どうやらそこが永泉の居室らしい。

永泉は誰もここには近づかないようにと人払いをすると、

「少しお待ちください。」

と言って、部屋を出て行った。

 

どれほどの時が経っただろうか。永泉を待つ間、泰継は庭に目をやった。

そこから見える小さな坪庭はたいへん美しく、よく手入れされていた。

そして、どこか温かみのある永泉の人柄を思わせるようなものであった。

だが、泰継の目には整然とした庭としか映らなかったのだが…

 

「お待たせいたしました。」

そう言って永泉は一つの木箱を手に戻って来た。

そして、それを泰継の前に置いた。

「これは?」

泰継が聞いた。

「私が話すのもよろしいのですが、やはり本人の書き残したものをお読みになるのが、

 一番かと思いまして。」

そう言うと永泉は紐を解き、箱を開けた。

そこには、一冊の和綴じの冊子が入っていた。その表書きには

――神子と我ら八葉について――

と書かれており、そこには確かに“泰明”という名前が記されていた。

 

「これは、泰明が書いたものか?」

泰継がたずねた。

「はい。私が直接泰明殿から預かったものです。」

永泉はそう答えた。

 

そして、永泉は泰明からそれを預かった時のことを思い出していた…

 

 

 

 

泰明は神子とともに旅立つ前日、永泉のもとを訪れた。

泰明の訪問を聞いて、永泉はあわてて自ら出迎えた。

「や…泰明殿、どうしたのです? 明日は神子とともに神子の世界へ旅立つ日。

 お支度の方はもうよろしいのですか?」

「支度など」

泰明は答えた。

「この身一つで行く。支度など何もない。神子はそれでいいと言った。

 それより、永泉、おまえに預かってもらいたいものがある。」

泰明は永泉の目を真っ直ぐ見て、そう言った。

「私に預かってもらいたいものですか?…あっ、取りあえず私の部屋まで参りましょう。」

永泉はそう言うと、自分の部屋に泰明を案内した。

 

「私に預かってもらいたいものとは何ですか?」

一応部屋に落ち着くと、人払いをしてから永泉がたずねた。

「その前におまえに話すことがある。」

そう言うと、泰明は自分の出生のこと、そして神子と出会い、自分が変わって行ったこと、

そして人となれたことなどを永泉に語って聞かせた。

永泉はその話を聞いて、最初は驚いたものの、泰明の語る言葉のひとつひとつを静かに

ありのままに受け入れて行った…

 

やがて、すべてを語り終えると、泰明は一つの木箱を永泉の前にスッと差し出した。

「おまえに預かってもらいたいものというのは、これだ。」

「これは?」

「この中には神子と我ら八葉のことを記した書き付けが入っている。」

泰明は蓋を開け、一冊の冊子を取り出すと、永泉に手渡した。

「このような大切なものを私などがお預かりしてよろしいのでしょうか、晴明様にお預け

 なさった方がよろしいのではないでしょうか。」

「お師匠もおまえに預けるのがよいと言ってくれた。私はこの京で一番信頼できるおまえに

 預けたいのだ。」

「や…泰明殿!」

永泉は泰明のその言葉に目を見開き、その後の言葉が続かなかった。

 

――私が…この私が京で一番信頼できる者…泰明殿がそのように私のことを思っていて

  くださったなんて…

 

飾らない泰明の言葉が永泉にはかえって嬉しかった。

 

「永泉、もう一度言う。これを預かってくれまいか。」

永泉は目を潤ませながら答えた。

「わ…私のようなものでよろしければ…」

「永泉、礼を言う。」

泰明は頭を下げた。

それを見て、永泉はあわてて言った。

「や…泰明殿、礼など…頭を上げてください。私などに頭を下げなくてよろしいのです。」

泰明は頭を上げ、少し微笑みながら永泉に言った。

「おまえが承知してくれてよかった。」

 

永泉は自分に向けられた泰明の笑顔にとまどいとともに大きな喜びを感じた。

神子に向けた笑顔なら見たことはあるが、自分に向けられたそれとなると初めてのことである。

 

「用は済んだ。失礼する。」

泰明が立ち上がり帰ろうとすると、永泉があわてて聞いた。

「私が天寿を真っ当する時は、これはどのようにすればよろしいでしょうか…」

泰明は少し考えてから答えた。

「おまえの望むようにするがよい。きっとそれが正しい理であろう。」

そう言ってから泰明は

「もしかしたら、しかるべき時にしかるべき者に渡るやも知れぬな。」

そう付け足した。

そして、泰明は永泉に別れを告げると、去って行った…

 

 

 

 

「泰明殿はこれがしかるべき時にしかるべき者に渡るかもしれないと私におっしゃいました。」

永泉は泰継に言った。

「それは、あなたのことではないかと私は思うのです。これは、あなたがお持ちになるのが

 よろしいでしょう。」

 

永泉にそう言われて泰継はその冊子に手を伸ばした。だが、まさに冊子に触れるかという時、

泰継は一瞬それに触れるのをとまどい、わずかに手を引いた。

「泰継殿?」

永泉が声をかけた。

その声に泰継はもう一度手を伸ばすとその冊子を手に取った。

 

永泉は泰継に言った。

「まずは、それをお読みになってください。それが泰明殿を知る近道となりましょう。

 読み終えましたら、またいつでもこの永泉をおたずねください。」

泰継は永泉に向き直ると

「礼を言う。」

と短く言い、

「また、来る。」

そう言って、部屋を後にした。

 

その後姿を見送りながら永泉は東の空に現れたばかりの月を見上げて、泰明に語りかけた。

 

――泰明殿、これでよろしいのですね。

  私があの方と出会い、あの方にあれを渡すことがおそらく私の理。私は無事役目を

  果たしたのですね。

 

月明かりはやさしく永泉を照らしていた…

 

《つづく》

 

Rui Kannagi『銀の月』
http://www5d.biglobe.ne.jp/~gintuki/

 

 

[あとがき]

こ…この回を私は早く書きたかったのよ〜!!

永泉と泰明のシーン! 『遙か』本編では、あかねとの

ラブラブ物ばかり書いているので、こういう泰明は出て

来ないので…。二人の関係は決戦の日の八葉の最後の挨

拶から発展させてみたのですけど、ちゃんと描けており

ましたでしょうか?

永泉さんは“老僧”と表現してありますが、この時の永

泉さんの推定年齢はおよそ60歳! まっ、十分老僧で

すな。晴明様は意外と長生きなので、死後5年後となる

とこれぐらいの年になっちゃいます。挿絵はないので、

永泉さんファンの皆さまは昔の姿を想像して、お楽しみ

くださいませ。

 

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