ガラスの器8

 

それからというもの、泰継は足繁く永泉のもとに通っては泰明の書を読んで感じた

疑問を片端からぶつけた。

もともと何事にもとことん突き詰めて完璧な答えを求める性質である。

中にはかなり不躾なものもあったと思う。

しかし、永泉は昔なじみに似たこの新しい来訪者を歓迎し、どんなことにも快く、

泰継が満足するまで答えをくれた。

 

ただ中には永泉の答えを求められないものもあった。

“神子の封印の力”それについて泰継がたずねた時、永泉は言った。

「申しわけございません。教えてさしあげたいのはやまやまなのですが、今の私には…。

 神子が“封印の力”を持っていらっしゃったということは覚えているのですが、それを

 いつどのようにして身に付けたかとなると…何か頭の中に靄がかかったようで、どうし

 ても思い出すことができないのです。きっとそのことは口に出してはいけないことなの

 でしょう。」

四方の札についてたずねた時も同様であった。

龍神と神子の本質に関わるようなことを聞こうとすると決まってそのような答えが返って

来る。

どうあっても知ることのできないいくつかの謎…

 

――龍神の封印か…

 

泰継はそれ以上の追求はやめ、それらについての回答はあきらめることにした。

 

 

 

 

もう永泉に聞くべきことはあらかた聞き終えてしまったというある日、泰継が棚に例の

泰明の書をしまおうと手を伸ばしたところ、書の間から一枚の小さな紙がヒラヒラと

舞いながら落ちて来た。

「何だ?」

泰継はその紙を拾い上げると、書かれている文字をじっと見た。

「・・・・・・」

 

翌日、泰継は永泉のもとへ向かった。

「泰継殿、お待ちしておりました。どうぞおあがりください。」

その日もいつものようにすぐに永泉が迎え出た。

 

部屋に落ち着くと泰継はいつものごとく口を開いた。

「永泉、聞きたいことがある。」

「はいはい、今日は何でしょうか?」

永泉もいつものごとくにこやかに答えた。

「愛しい…とは何だ?」

「えーっ!?」

永泉はそう言うと、一瞬言葉に詰まった。そして、顔を赤らめて、

「や…泰明殿は…そ…そのようなことも書き記していたのでしょうか?」

しどろもどろになりながら何とか聞き返した。

「いや…」

泰継が答えた。

「書の間にはさんであった紙に書いてあったのだ。しかし、他の字とは違い、少し

 乱れた文字で書かれていたので、何やら特別の意味を持つ言葉のようで気になった。

 それで、永泉、“愛しい”とは何だ?」

「そ…それはその…あの…他の人のことをとても大切に思うことです。」

「それは私がおまえや吉平、吉昌に感じるのと同じようなものか?」

永泉はそれを聞いてさらに顔を赤らめて言った。

「そ…それはありがとうございます。ですが、少し違います。

 あるひとりの女君を全身全霊をかけて守りたい、おそばにいたいと思うことです。」

「そうか…それで『早く会いたい』とも書いてあったのだな。それなら合点が行く。

 早くそばに行って、職務を果たすという意味か…」

泰継がそれで納得しそうになったので、永泉があわてて否定した。

「そ…それも少し違います。」

「ではいったい何なのだ?」

泰継はさすがに少々不機嫌そうな声で聞いた。

「ひとりの女君を心の底からお慕いし、自分の魂と引き換えにしてもいいと思うほど

 愛し抜くということです。」

「愛し抜く?」

「そうです。この私にもただ一度だけ、そのように思った方がおりました。

 不思議でしょう? こんな私でも一度は還俗しようと思ったことがあるのですよ。」

そう言うと、永泉は庭に目を向けた。

そこにはしつらえた小さな滝がかすかな音を立てて流れていた。

 

――あの滝の流れを甦らせてくれたあの方に…

 

永泉は懐かしむような、やさしく穏やかな、それでいてどこかとても淋しげな瞳で

その小さな滝を眺めていた。その横顔を見て泰継は思った。

 

――これが“愛しい”ということか…

  やはり私にはわからぬ。

 

しばしの間、静かな空間に小さな坪庭の滝の音だけが響いていた…

 

ややあって永泉はハッとして、泰継に言った。

「あっ、す…すみません、泰継殿。少し思い出に浸ってしまったものですから…」

「いや…だが、私には無縁のことのようだ。そのような感情は理解できぬ。」

それを聞いて永泉は強い語調で言った。

「そんなことはありません。あなたにもいつかそんな方が現れます、必ず。

 泰明殿にもそのように思う方ができたのですから、あなたにもきっと…」

「・・・・・・」

 

泰継はそれに答えることはしなかった。そして思った。

 

――泰明は人になったのだから…私とは違う…

 

 

 

 

その後も泰継は目覚めの間はやはり足繁く永泉のもとへ向かった。

永泉は物知りで話し相手としてはかなり好ましい存在であった。

それに泰継の問い掛けにとことんつきあってくれるのはこの老僧ぐらいである。

 

そのようにして年月は瞬く間に流れて行った…

 

通っているうちに泰継はあることに気がついた。

目覚めて久々に会う永泉の風貌は明らかに変化をとげていた。

年の割に若々しく見えていた永泉の髪にはいつしか白いものが混じり、顔にも会う

たびに年輪が深く刻まれて行った…

三月後、また次の眠りの後の三月後とそれは確実に…

 

人間であれば老いるのは当たり前…だが、永泉がそのように老いて行くことなど

泰継には思いも寄らぬことであった。

それに比べ、いつまでも全く変わらぬ自分の容貌…わかっていたこととはいえ、

泰継の胸に何ともいえない複雑な思いが去来した…

 

自分を黙ってじっと見つめる泰継の視線に気づき、永泉が声を掛けた。

「どうしたのですか? 泰継殿…」

「永泉、人はどうして老いるのだろうか。」

「年を経れば、人は老いて行く…それは自然の理です。」

「私は理をはずれた存在であるから…」

永泉は泰継が何を言わんとしているのかを察し、姿勢を正し、真剣な表情で泰継に

言った。

「泰継殿。万物にはすべてその存在の意義があります。はずれたもの、無駄なもの

 などひとつもありません。すべては理によって成り立っているのです。

 泰継殿、あなたは生まれるべくしてこの世に生まれ出たのです。

 あなたにはあなたの存在意義があるはずです。」

「私にも存在意義が…」

「それに“人”というのはいったい何なのでしょう? 人を人たらしめているものが

 何であるのか、実のところは誰にもわからないのです。あなたや泰明殿を生み出した

 晴明様は四十を数えてもまるで若者のような容貌であったと聞いています。

 人であるからとかないからとかそういうものは関係ないのではないでしょうか?」

「・・・・・・」

「あなたはあなたであればいいと私は思います。」

 

 

庵への帰り道、泰継は考えた。

 

――泰明の存在意義は八葉であることだった。では、私の存在意義とはいったい…

 

今までに何度この問い掛けを自分自身にしてきたことか…いくら考えても答えの

出ない命題…

だが、今日はいつもと少し違っていた。泰継には人の“心”というものを理解する

ことはできなかったが、それでも永泉の言葉が胸にいつまでも心地よいものとして

残っていた…そしてそれはいつか「自分の存在意義を見つけたい」そういう欲求へと

変わって行ったのである。

 

自分では気づかないうちに永泉の存在は泰継の中で徐々に大きくなって行った…

 

《つづく》

 

Rui Kannagi『銀の月』
http://www5d.biglobe.ne.jp/~gintuki/

 

 

[あとがき]

予告通り三度永泉様に出演していただきました。

本当は今回で永泉様の出番は終わりとなるところ

でしたが、ちょっとお話が長くなりそうなので、

途中で切りましたため、次回もご出演いただくこ

とになりました。おそらくこの続きは来週中には

UPする予定です。

(言っちゃって大丈夫なのか?自分…)

お楽しみに!

 

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