狐と風邪とクリスマス

 

「泰明さん、遅いな〜」

広場の時計を見ながら、あかねが言った。

今日は泰明がこちらの世界に来てから初めてのクリスマス・イヴである。

この日は絶対一緒に過ごそうねと随分前から二人で約束をして、あれこれ計画も立てていた。

こういう約束の時は決まって、泰明は時間よりも大分前に待ち合わせ場所に来ていて、あかねを笑顔で迎えるのが常であったが、今日に限っては待てども待てどもいっこうに姿を現さない。

もうすでに約束の時間を30分近くも過ぎている。

「いくらなんでも遅すぎるよ。」

あかねは手に息を吹きかけて、手をこすりこすりしながらそうつぶやいた。

「何かあったのかな?」

あかねはいささか心配になって来た。そして、すぐに携帯を取り出すと、0をプッシュして、泰明の携帯に電話をかけた。

トゥルルルル トゥルルルル

いつもならすぐに出るはずなのに呼び出し音だけが空しく鳴り続ける。

仕方なく、かけ直そうかとあかねが一旦電話を切るためボタンに指を乗せようとした時、やっと泰明が電話に出た。

『あかね…』

泰明にしてはとても弱々しい声が携帯の受話口から聞こえてきた。

あかねは慌ててそこに耳を押し当てると送話口に向かって、言った。

「泰明さん? どうしたんですか? 今どこにいるんですか!?」

『あかね、私はもうだめだ。』

さらに弱々しい声で泰明が言った。

『最期におまえの声を聞けてよかった…』

そう言ったきり、泰明の声は聞こえなくなった。

「泰明さん? 泰明さん! 泰明さん!!」

あかねが何度呼んでも返答はない。

あかねは居ても立ってもいられなくなって、大急ぎで、泰明の家へと向かった…

 

 

*  *  *

 

 

泰明の家に着くと、あかねはドンドンとドアを叩いた。

いつもならあかねが来るとまるで自動ドアのように開く扉であるのだが、今日はまったく開く気配すらない。

 

――泰明さん、どこかに出掛けているのかな?

 

とちょっと思いはしたものの何となくあかねにはここに泰明がいるような気がした。

あかねは裏のテラスの方に回った。ガラスをぶち割るぐらいの覚悟はしていたのだが、何のことはない、念のため、サッシの取っ手に手をかけて引いてみるとしごくあっけなくそれは開いた。そう、その窓には鍵がかかっていなかったのである。

「泰明さん、無用心だな。」

あかねは少し苦笑した。

「もっとも泰明さんや式神さんを相手に出来る泥棒さんなんてそうそういないもんね。」

あかねは靴を脱ぐと、部屋に上がり、開けたサッシを再び閉め、鍵をかけた。

「泰明さん、泰明さん、いるの?」

呼びかけてみたが、返事はなかった。

あかねは階段を上がって、2階の泰明の部屋へとまっすぐ向かった。

ドアをノックしてみる。だが、やはり返事はない。

あかねはドアをそっと開けた。そのあかねの目に入って来たものは…

「泰明さん!?」

あかねは大声で泰明の名を呼ぶと、あわてて床に倒れている泰明に駆け寄った。

そして、携帯電話をしっかり握り締めたまま意識を失っている泰明を抱き起こした。

「泰明さん、いったい何があったんですか!?」

あかねの声でやっと泰明がうっすらと目を開けた。その目はどこか焦点が合っていないようだ。

「あかね…」

泰明は弱々しい声で言った。

「あかねの幻覚が見える…いや、幻聴まで… やはり私は壊れているのか?」

そう言うと目を見開き、急に大声で叫んだ。

「嫌だ! 壊れたくない!! あかね! あかね!!」

「泰明さん!」

泰明はなおも興奮したようにあかねの名を呼び続けている。

「泰明さんったら!」

あかねは泰明の両頬を自分の手で包み込むと、その頬をパチンと軽く打った。

泰明はハッと気づいて、やっとあかねの方を見た。

「あ…あかね??」

「そうです。幻覚じゃなくてホンモノのあかねです。」

「すまない…」

あかねは先ほどチラッと触れた泰明の頬が気にかかった。何かとても熱かったような…

「泰明さん、ちょっといいですか?」

あかねは泰明の髪をかき上げると、その額に自分の額をあてた。そして、ビックリして、叫んだ。

「わぁ〜、すごい熱! 泰明さん、熱があるじゃないですか!? たいへん!」

あかねはやっとおとなしく…というかグッタリなった泰明を何とか頑張ってベッドまで運ぶと、そこに横たえた。

ベッドに横たえてもなお泰明は苦しそうな息をしている。

「泰明さん、大丈夫ですか?」

あかねは心配そうな目で泰明を見た。

泰明はあかねの方に目をやると、途切れ途切れに声を発した。

「あかね、私の陰陽の力が衰えて来たらしい。もうだめかもしれぬ。」

潤んだ目をして、真剣な顔で泰明はそう言った。

「泰明さん!?」

「どうやら私は“狐”にとり憑かれたらしい。陰陽師としてあってはならぬことだ。」

「きつね〜??」

あまりにも意外な泰明の言葉にあかねは目をパチクリして聞き返した。

「本気で言ってるんですか、泰明さん?」

泰明は苦しいながらもちょっとムッとした顔をした。

「私が冗談でこんなことを言ったことがあるか?」

「そりゃあそうですけど… でも、どうして狐なんて…」

あかねがそう言いかけた時、泰明がコンコンと咳をした。

「ほら、このように何もしなくても狐のような音が出る。これが狐にとり憑かれた何よりの証拠だ。」

泰明はそう言うとまた咳をした。

 

――えっ? もしかして、泰明さん…

 

あかねはしばし呆気にとられたような顔をした。

そして、ホッとしたように表情を和らげると次の瞬間ブッと吹き出した。

「何がおかしい。私は真剣なのだぞ。」

泰明は憮然とした顔をしてあかねに抗議した。

そんな泰明にまだちょっと笑いを残したまま、あかねが言った。

「泰明さん、それは“風邪”です。」

「風邪?」

泰明は怪訝な顔をした。

「はい、おそらく。泰明さん、今まで風邪をひいたこと、ないんですか?」

「私は未だかつて病にかかったことなどない。」

「そうなんですか。じゃあ、喉が痛かったり、全身がだるかったり、頭がボーッとして熱っぽかったりしませんでした?」

「ああ、その通りだ。」

「じゃあ、やっぱり風邪ですよ。」

「そうなのか!?」

泰明は驚いた目をして、あかねに聞いた。

「はい。念のため、お医者さんを呼びますね。」

そう言って部屋を出て行こうとしたあかねの手を泰明は弱々しく握って引き止めた。

「行かないでくれ! 私を一人にしないでくれ!」

 

――こんな時の泰明さんって、ほんと小さな子どもみたい。

 

「しょうがないな。」

あかねはそんな泰明を見て、ちょっと苦笑しながらそうつぶやくと、携帯電話を取り出し、自分の行きつけの医者に電話をかけた。

 

 

*  *  *

 

 

「ただの風邪ですね。」

往診した医者は泰明の状態を一通り見た後、そう簡潔に診断した。

「やっぱり。」

あかねは安心したようにつぶやいた。

「注射を打ったので、これで大分楽になるでしょう。後で、薬を取りに来てください。なぁに3日も寝てればすぐによくなりますよ。」

「ありがとうございます。」

「では、お大事に。」

そう言うと医者は、帰って行った。

 

「泰明さん、やっぱり風邪ですって。」

医者を見送って、あかねが部屋に戻ると、泰明は先ほどの注射で少し楽になったのか、スヤスヤと寝息をたててすでに眠りについていた。

「あらららら」

あかねはその様子を見て、少し微笑んだ。

「じゃあ、大きな子どもが寝てる間にお薬を取りに行って来ようかな♪」

あかねはそう言うと、コートを羽織り、静かにその部屋を出て行った…

 

 

*  *  *

 

 

「あかねーっ!」

泰明が大声であかねの名を呼ぶ声がして、あかねは慌てて階段を駆け上がった。

あかねの姿が目に入ると、泰明はうるうるした目をしながら、言った。

「あかね、どこへ行っていたのだ。私を一人にするなと言ったのに…」

「台所でお粥を作ってたんですよ。起きたのなら、今、持って来ますね。」

「あかね、行くな!」

泰明があかねのエプロンの端を掴んだので、あかねは危うくつんのめって、転びそうになった。

「もう、泰明さん、怒りますよ。ちょっとはいい子にしていてください!」

もうこうなったら病気の子どもを持つお母さんの心境だ。

あかねに怒鳴られて、泰明は少しシュンとして、掴んでいたエプロンの端を離した。あかねは満足そうに頷くと、

「すぐに戻りますから、待っててくださいね。」

そう言って、部屋を出て行った。

言葉の通り、すぐにあかねはお盆の上にお粥の入った土鍋とレンゲ、それに水の入ったコップと先ほど取って来た薬を載せて、それを持ち、泰明の部屋に戻って来た。

「あかねがせっかく作ってくれたが、食べたくない。」

泰明はそう言うとクルッと背中を向けた。

「ダメですよ。少しでも食べて、お薬を飲まなきゃ、風邪、治りませんよ。」

泰明は顔だけあかねの方へ向けた。

「どうしても食さねばだめか?」

「だめです。」

あかねは厳しい口調でそう言った。

「わかった。」

そう言うと、泰明はあかねに手伝ってもらいながら、ゆっくり上半身を起こした。

あかねはレンゲに少量の粥を取ると、ふぅ〜ふぅ〜と息を吹きかけた。

「はい、泰明さん♪」

「?」

「あ〜んしてください。」

「あ〜ん?」

「ああ、口を開けてください。食べさせてあげますから。」

あかねはニコニコしながら、そう言った。

それを聞いて、泰明は少し頬を赤らめた。

「私は子どもではない。自分で食せる。」

「泰明さん、病人じゃないですか。私が食べさせてあげます。」

「・・・・・わかった。」

泰明はそう言うとまだ少し顔を赤くしたまま、口を開けた。

あかねは微笑みながらその口に冷ました粥を流し込んだ。

 

「ん?」

その粥を口にした泰明はいつもの食事とは異なるものを感じた。

 

――おいしい! それに…これは何だ? 温かな気が私の中に流れ込んで来て、私の体の中を

  

 

「あかね」

「はい、何です?」

「もう一口くれ。」

その言葉にあかねはパッと笑顔を浮かべた。

「食欲出たんですね。」

「ああ、早く。」

「はい♪」

あかねはまた先ほどと同じようにレンゲに少量の粥を取ると、ふぅ〜ふぅ〜と息を吹きかけて冷ましてから、泰明の口にそれを運んだ。

それを口にした泰明は先ほどよりさらに温かいものが自分の体に満ちて来るのを感じた。

 

――この温かなものはやはりあかねの気か。あかねが直接息を吹きかけたため、この粥に

  あかねの気が加わったのだ。ああ、体中に気力が満ち満ちて来る…

 

そうして、泰明はあかねの作った粥をすべてたいらげた。

「よかった。これだけ食べられるんじゃ、大丈夫だね。」

そう言うと、あかねは泰明に飲み薬を差し出した。

「これ飲んでください。」

泰明はそれをジッと見つめると言った。

「あかね、ふぅ〜ふぅ〜してくれないか?」

「はぁ〜?」

あかねはすっとんきょうな声を出した。

「薬は熱くないですよ?」

「おまえが息を吹きかけてくれると早く治るような気がするのだが…」

泰明ははにかみがちにそう言った。

 

――こんな時の泰明さんってもうかわいいんだからv

 

あかねは頷くとその飲み薬に息を2、3回吹きかけて泰明に手渡した。

「これでいいですか?」

「ああ。」

泰明は嬉しそうにそれを受け取ると、一気に飲み干した。

薬が効いてきたのか、しばらくすると泰明はまた静かに寝息を立て始めた。

「ふふっ、かわいい寝顔♪」

あかねはそんな泰明を見て、そう小さくつぶやいた…

 

 

*  *  *

 

 

「ん?」

泰明は目を覚ました。まだ少々喉や体の節々が痛むものの先ほどまでの苦しさが嘘のように消えている。いったい今は何時なのだろうか?

泰明は上半身を起こそうとして、布団の上の重みに気がついた。

「あかね?」

「ん? 泰明さん、起きたんですか?」

あかねは目をこすりこすり布団から顔を上げた。

「帰らなかったのか?」

「だって、病気の泰明さんを置いて帰れませんよ。それに…」

あかねは続けた。

「今日はクリスマス・イヴだし。」

その言葉に泰明はハッとした。

今の今まで自分のことで精一杯であかねとの約束をすっかり忘れていたのだ。

「あかね、すまない。」

「泰明さん?」

「おまえがずっと楽しみにしていた日にこんなことになってしまって…」

泰明はあかねの目を見ながらすまなそうに言った。

「おまえの計画をすべてだめにしてしまった。許してくれ。」

泰明はあかねの手を握ると頭をたれた。

「ううん、いいんです、泰明さん。」

あかねの声に泰明は頭を上げた。

「クリスマス・イヴっていうのはね、もともとごちそうを食べたり、遊びに行ったりするための日じゃなくって、自分が一番好きな人と一緒に過ごすための日なんです。だから、私にとって今日は最高のクリスマスなんですよ♪」

「あかね!」

泰明はあかねを抱きしめた。

「泰明さん…」

あかねはしばしその胸の中で泰明の体温を感じていたが、泰明はハッと気づくと、やんわりとその手からあかねを解放した。

「?」

「おまえに風邪をうつしてはいけない。」

「私は大丈夫ですよ。」

「いや、だめだ。あの苦しさを味わうのは私だけでよい。」

あかねはそんな泰明のやさしさが嬉しかった。

そこで、泰明に言われた通り、泰明からゆっくりと体を離した。

そして、あかねが泰明の肩越しにふと窓の方に目をやると、窓の向こうでチラチラ舞うものが見えた。

「あれ?」

「どうした、あかね?」

「雪…」

「雪?」

あかねは窓の方へ行くと、その手でガラスをこすった。

「わぁ〜、やっぱり雪が降ってる! きれい〜 ホワイト・クリスマスだ!」

「私にはおまえの方が綺麗に見える。」

その泰明の言葉にあかねは顔を赤くした。

 

――泰明さんて、もしかしたら友雅さん以上じゃあ…

 

「あかね、そばに来てくれ。」

「はい。」

あかねは窓を離れ、また泰明のベッドの横に戻った。

泰明はあかねの手を軽く握ると言った。

「今夜はこうしたまま私のそばにいてくれないだろうか? だめだろうか?」

泰明は不安そうな瞳であかねに聞いた。

「ううん、だめじゃないです。私ずっとここにいますね。」

「ありがとう、あかね…」

泰明はそう言って子どものような笑顔を浮かべると、再び安心してスヤスヤと眠りについた。

 

――泰明さん、あなたさえそばにいてくれればいいの。

  私にはこれが本当に最高のクリスマスだよ。

 

あかねもしばらくすると泰明の手に軽く頬を添えたまま眠りについた。

 

そんな二人を窓の外に降る雪が静かに見守っていた…

 

 

 

 

Rui Kannagi『銀の月』
http://www5d.biglobe.ne.jp/~gintuki/

 

[あとがき]

『銀の月』開設2周年御礼作品として久々にサイ

ト用に書き下ろした作品です。

2周年記念にふさわしい作品…というと、甚だ疑

問ではありますが()、季節ものということで、

この作品をここに上げました。2周年の時は開設

した季節にふさわしい作品をぜひ書きたいなぁと

ずっと思っておりましたのでv(^-^

 

今回一番書きたかったのはコンコンと咳をしてそ

れを「狐にとり憑かれた」と言う泰明さんです。

えっ? 実際にコンコンという音で咳をすること

なんてないって!? いいんです!(>_<)  泰明

さんは誰が何て言おうとコンコンと咳をするんで

す!!(ゼエゼエ)

やっと三つになったばかりの泰明さんですもの。

初めての風邪できっととっても不安だったでしょ

うね。すっかり子どもに戻ってます。そんな泰明

さんを看病出来るあかねちゃんが羨ましいわv

こんなクリスマス・イヴもまあ、ありじゃないで

しょうか?(*^.^*)

 

この作品は2003年12月末日まで、フリーで

配布しておりました。お持ち帰りくださった神子

さま方、どうもありがとうございます!

 

クリスマス作品と言うことで“クリスマス企画部屋”の方からもリンクして

おります。そちらへ戻られる方は右の方をクリックしてお戻り下さいませ。

 

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