+ 夏帽子 +
蝉の声が煩わしい夏だった。 敦子は窓辺の椅子に腰掛け、その姿を画家に描かせていた。 誕生日の祝いに貰った白いつば広帽子を被り、窓から遠くを眺める二十歳ばかりの娘。 彼女の姿はまるで遅咲きのイングリッシュ・ローズのようだった。 画家もしきりに美しさを賞賛した。 「おや、どうかなさいましたか?」 不意に立ち上がったモデルに、画家は首をかしげた。 「なんでもないわ。続けてちょうだい」 敦子は再び椅子に戻った。 窓の外に人の姿を見た気がしたのだった。 軽く頭を振ってそれを打ち消す。 (あの人が来るはずないわ) 瞳に涙があふれてくるのを必死で堪え、彼女はポーズを続けた。 彼女は庭師の息子と恋をしていた。 誰にも言えない2人だけの秘密だった。 けれども2人の仲は敦子の両親の知るところとなった。 彼女には縁談が用意され、庭師の息子はその両親ともども敦子の家から追い出された。 だから、彼がこの窓辺に来ることはもうないはずだった。 敦子は諦めのつかない溜息をもらして、視線を外へと向けた。 そのまま息を飲んだ。 窓の外の−すぐ外に−庭師の息子の姿があった。 「敦子さん、僕です。浩一です。お迎えに参りました」 彼は言った。 幻ではなかった。 「浩一さん?」 敦子は窓を開けた。 画家やメイドが慌てて人を呼びに走った。 「迎えにきました。僕には何もないけど、一緒に来てくれますか?」 庭師の息子は微笑んで彼女に言った。 「はい、よろこんで」 敦子は泣きながら答えた。 庭師の息子に助けられながら、窓枠を乗り越え外へと出る。 2人はそのまま駆け出した。 帽子だけが部屋に残された。
西日のさす窓辺には古びた木製の椅子。 その上に残されたつばの広い帽子。 帽子を被った彼女はもう居ない。 ただ思い出だけが帽子と共に…。 |
じゅらんさんの暑中見舞イラストのお礼。勢いで書いた小噺です。 イラストを見て深窓のご令嬢だなぁと思いまして…。 「浪漫」という言葉が似合う世界を想像してしまいました。 |