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〜空より来たる〜

 

もしも世界が終わるなら

その信実さえも捩じ曲げよう

僕は箱舟を用意して

世界の理を創り変える

ただ何時までも、何処までも

君が永久に笑えるよう

 

 

朱に染まった空。

地平線に己を浸す、巨大過ぎる夕日。

何処までも、何時までも、

世界は私から、大切なものを奪い去る。


ミーファ・エンデは落ちていく太陽を眺めていた。

睨みつけていたと言った方が適切かもしれない。

彼女が立った場所からは沈んでいく夕日の全景が見て取れた。

赤々とした太陽は熟れ落ちる果実の様に巨大で不恰好だった。

それでいて、この世界に圧倒的な強さで存在していた。

それは世界そのものだった。

噛み締めていた唇から、一筋の赤い雫が流れる。

太陽と同じ暗い赤い色をした、それは彼女の血だった。

ミーファは気づかない。

彼女の意識は、ひたすらに目の前の太陽に向けられていた。

「母さん、そろそろ始めないと」

背後からの声にミーファは振り返った。

1人の少年が立っていた。

右手に木製の土掻きを持っている。

平な木と長い枝を植物の蔓で縛りつけた簡素な土掻きだ。

声の主を認めて、ミーファは表情を崩した。

泣き腫らした目を細め、微笑む。

「アーネスト。ごめんなさいね。ぼんやりしちゃって」

泥だらけの少年は黙って首を横に振った。

ひどく生真面目な顔をしていた。

揺れる金髪が太陽の光りを反射した。

その色を見てミーファの瞳から涙が零れた。

同じ輝きがミーファの足元にあった。

「・・・アベル」

嗚咽の混じる声で、ミーファはその光りを持つ者の名前を呼んだ。

返事は返らない。

ただ静かな塊が傍らにあるのみだ。

夫、アベル・エンデは、永遠に失われてしまった。

2度を彼女の名を呼ぶことはない。

ミーファは屈みこむとアベルの頬を撫でた。

ひどく冷たかった。

「母さん!」

アーネストが急かすように自分を呼んだ。

太陽が半分以上、地平線に飲みこまれていた。

日暮れが迫っていた。

夜になれば、餌を求める肉食獣たちがやって来る。

ミーファは立ちあがった。

連れて来れなかった子供たちが家で待っていた。

生まれたばかりのシルヴィアが母を求めて泣いているかもしれない。

自分まで、ここで死ぬわけにはいかないのだ。

ミーファは意を決して遺体に土を盛ろうとした。

「何か聞こえる!何か来る!」

切羽詰ったアーネストの声がミーファの動きを止めた。

反射的に息子を抱きかかえて地に伏せる。

アーネストが腕の下から顔を出した。

彼は空を見ていた。

ミーファもその視線を辿った。

その先に子供がいた。


辺りに白い羽毛が舞った。

羽音をたてて、子供はミーファ達の前に降り立った。

「ミーファだね?」

空からやって来た子供は、確認するように自分の名を呼んだ。

ミーファは声もなく、その姿を見つめた。

人間の子供と変わりない姿をしていた。

ただ一つ、背中に2枚の翼があることを除けば。

小さな手がミーファに差し伸べられた。

ミーファ達はまだ地に伏せたままだった。

見上げれば、子供は微笑んでいた。

金色の髪がふわりと揺れた。

「アベル・・・」

彼女は子供を見つめた。

同時にアベルを見ていた。

10数年前、ミーファは今と同じ様に家族を埋葬しようとしていた。

遺体は夫ではなく両親だった。

獣に食われた無残な屍だった。

家族そろって狼に襲われ、ミーファだけが生き残ったのだ。

食い散らかされた姿が悲しくて、泣きながら、1人で家族に土を盛った。

その時、空からアベルが現れた。

背中に翼はなかった。

ただ風に運ばれるように舞い降りてきた。

アベルは意識を失っていた。

けれども、生きていた。

あれからずっと一緒に生きてきた。

2人の子供は運良く生き延び、そして伴侶となった。

目の前の子供に、あの時のアベルが重なって見えた。

「せっかく手を貸してあげているのに。いつまで臥せているつもり?」

子供が言った。

声に多少の刺がある気がした。

ミーファは慌てて、差し出された手を掴んだ。

反動をつけて置き上がった。

立ち上がると、子供はずいぶんと小柄だった。

地に伏せていたときはもっと大きいような気がしていた。

「どうもありがとう。貴方は・・・」

ミーファの声が止まった。

続いて立ちあがったアーネストが訝しそうな表情を向ける。

子供はミーファの手を離していなかった。

「どうしたの?」

ミーファは尋ねた。

子供はにこりと笑った。

そのまま、手の甲にくちづけた。

「!!」

ミーファは慌てて手を引っ込めた。

唇が触れた場所が火でも触れたように熱かった。

「母さん!大丈夫?」

アーネストが手元をのぞきこんだ。

ミーファも目を落とした。

手の甲には痣のようなものがあった。

親指程度の大きさの十字型の痣だった。

その中心を螺旋円が取り巻いていた。

「1つ目の印だよ。それで誰も君達に手だしできない」

子供の声がした。

反応するように痣が白くきらきらと輝いた。

「2つ目の印が、これ」

何が起こっているのか分からずに、2人は呆然と子供の方を向いた。

子供は手で空中に円を描いた。

すると、そこに杖のような物が顕れた。

幾つもの宝石が光りを反射して輝いていた。

最上部に一際大きな珠が付いていた。

アーネストが息を呑むのが聞こえた。

「王杓だよ。これを持って日の沈む方角へ向って進んで。

 君達を待っている場所があるから。」

子供は王杓をミーファに手渡した。

ミーファは何も言えずにそれを受け取った。

王杓はズシリと重かった。

「どうして?」

それだけ、やっとのことで言葉が出た。

「君1人でどうやって生きていくの?」

それは真実だった。

今まで自分を助けてくれたアベルはもう居なかった。

アーネストは1人前と呼ぶには幼かった。

狩りも子育ても畑仕事も、1人でなんとかしなくてはならなかった。

たった1人で5人の子供を抱えて、それでもミーファは諦める訳にはいかなかった。

諦めたらそこで自分達はお終いだった。

「でも、どうして?」

どうして目の前の子供は自分を助けてくれるのか。

「君がアベルの愛した人だから」

「え?」

「アベルの大切な人だから、僕にとっても大切なんだ。」

子供の答えはミーファをますます混乱させた。

ミーファはどうしたら良いのかわからなくなった。

途方にくれて立ちつくした。

「さぁ、行って。アベルは僕が連れて帰るから」

子供が促した。

気づけば日が暮れる寸前だった。

地平線に沈みきる間際の太陽が、3者を赤く照らし出した。

「連れて帰るって、何処へ?」

ミーファはくいすがった。

アベルが何処かとても遠い所へ行ってしまうような気がした。

それは死よりも遥かに遠い場所に思えた。

「大丈夫。また会わせてあげるから」

子供は答えを告げなかった。

代わりに謎掛けのような言葉だけを残した。

太陽が地上に完全に飲みこまれた。

辺りは闇に覆われた。


翌朝、ミーファ・エンデは子供達を連れて西へと旅だった。

 

ミーファ・エンデの物語。ちょっと長くなりました。この話はこれでお終いです。

不幸に負けない強い女の人が書きたかったのですが、なかなか上手く書けませんでした。

 

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