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山間の細い坂道を登りきると、そこには桔梗の花園が広がっていた。

凛とした立ち姿の花がそこかしこに咲き乱れている。

9月も終わったというのに、花には咲き衰える気配がなかった。

時刻は午後の4時30分。

頭上に広がる空はまだ青い。

視界は空の青と地上の紫の寒色に塗りつぶされていた。

遠くに小さな寺が見えた。

麻子は立ち止まって、呼吸を整えた。

急な上り坂に息があがっていたのだ。

ゆっくりと辺りを見渡す。

紫青の花の群の中に白い服の少女が見えた。

「沙耶様、こんな所に居たんですか!」

麻子は叫んだ。

大きな声が花園の静かな空気を揺らした。

桔梗が揺れる。

語気がいつになく荒くなった。

無理もない。

麻子は今朝から、姿を消した彼女を探して歩きどうしなのだ。

麻子は花を掻き分ける様にして、紫に囲まれた沙耶に歩み寄った。

沙耶の目の前には1輪だけ純白の桔梗が咲いていた。

白い服の沙耶と対になっているかのようだった。

そういえば、今朝、和人様のお部屋にも桔梗が飾られていた。

麻子は眠り続ける沙耶の兄を思い出した。

桔梗のように凛とした空気をまとった青年である。

それが去年の夏以来眠り続けて目覚めることがなかった。

更に不思議なことに、眠り続けていても痩せ衰えることがなかった。

一般の睡眠状態となんら変わりがないと言えた。

彼を診た医者は全員が匙を投げた。

身体の機能は問題なく動いていると言うのだ。

原因がわからない。

ただ時を同じくして沙耶がおかしくなった。

笑わなくなり、言葉を話さなくなり、最後には人形のようになった。

いつも空ろな瞳でどこか遠くを見ている。

話かかると微かに反応する以外は動かない。

屋敷の使用人達は何かの祟りだと口さがない噂をたてた。

「ほら、沙耶様。奥様が心配しておられますよ。帰りましょう」

沙耶は振り返らなかった。

目の前の白い桔梗に心を奪われているようだ。

麻子は気にしない。

沙耶の腕をつかむと、ぐいと引っ張った。

「沙耶様、帰りましょう」

沙耶は動かない。

いつもは人形の様に麻子に従順な少女が、今日はまったく言うことを聞かなかった。

白い桔梗を見たまま、麻子の方を見ようともしない。

辺りは日が暮れ始めて少しだけ薄暗くなっていた。

秋の夕べ独特の空気が肌寒さを運んで来た。

その冷たさに麻子は暖房のきいた屋敷の使用人部屋がたまらなく恋しくなった。

けれども、沙耶を連れて帰らなくては屋敷へは帰れない。

麻子は泣きそうになって、視線を沙耶から逸らした。

紫の花々が目に入ってきた。

薄暗くなった紺紫の花園はどこか別の世界のようだった。

青い紫の幻の世界。

美しい透明さと下界の侵入を拒む冷たさを孕んだ優しい世界。

花達は麻子の侵入を怒っているのかもしれない。

麻子は背筋が冷たくなるのを感じた。

「お願いですから、帰りましょう!」

麻子は力いっぱい沙耶の腕を引いた。

普段だったら間違えでもこんなことはしない。

だが、麻子の心にはそんなことを気にする余裕などなかった。

力まかせに引いたことで、沙耶がこちらを振り返った。

ゆっくりとゆっくりと麻子と視線があった。

沙耶の漆黒の瞳。

黒真珠と評されるほどの底の見えない、深い黒。

麻子は自分の足元がぐらぐらと揺れているような気がした。

日没の風が2人の間を吹きぬけて行く。

「ねぇ、麻子さん、ご存知?」

沙耶が言った。

麻子は呆然と目を見張る。

麻子が沙耶の声を聞いたのは初めてである。

しかし、桜色の唇は滑らかに言葉を紡いだ。

「和人さんはあの下にいるのよ」

沙耶の指の先には白い桔梗が佇んでいる。

他の桔梗が風に揺れ花弁を落とす中、その桔梗だけは揺れもしない。

「私が埋めたの。あの下で眠っているのよ」

再び、沙耶の声が聞こえた。

麻子は桔梗から沙耶へ視線を戻した。

黒い瞳は、桔梗の色を映して暗い紫青色に光って見えた。

この少女は本当に沙耶様?

麻子は自分が何か得体の知れない物に誑かされているような気がしてきた。

指の先が冷たくなってくる。

「和人様はお屋敷のお部屋です。沙耶様は知っているはずだわ」

何が楽しいのか、沙耶はくすくすと笑った。

「そうよ。でも、皆、騙されてるのよ。あれは、抜け殻。空っぽの入れ物よ。

 和人さんは私の心と一緒にここに埋まっているの

 私達、あの晩、ここで会ったんですもの」

「夢でもみていらっしゃったんでしょう。沙耶様はいつもそうじゃないですか!」

「じゃ、麻子さんが掘り返してみる?」

次第に興奮して行く麻子とは対照的に沙耶は穏やかだった。

決して揺れることのない白い桔梗のように。

「掘り返したら、和人様が目を覚ますのですか?」

「さぁ、しらないわ、そんなこと。どうでも良いもの」

「沙耶様は和人様が眠り続けていらっしゃる方が良いんですか?」

沙耶はにっこりと微笑んだ。

瞳の紫がより一層深くなる。

まるで麻子を飲みこもうとしているようだった。

「和人さんがいったのよ。

 『私達の恋はお互いを不幸にするから捨てなくてはいけない』って。

 だから、私、私の恋をあそこへ埋めたの。

 私の恋は和人さんそのものよ。

 それならば、和人さんも埋めなくてはでしょ。」

強い風が吹いた。

花園が揺れる。桔梗が散る。はりはりと、はりはりと。

その最中、白い桔梗だけが何事もなく咲き誇る。

沙耶も風などないかのように、麻子を見つめる。

突然、麻子は気づいた。

沙耶様は正気だ!狂っても、心が壊れてもいない。

彼女は夢なんかみていない。

麻子は走り出した。

暗闇になった花園を何も見ないで走りぬけた。

遠くで沙耶が自分を見ているきがした。

けれども、麻子は花園を振り返らなかった。

白桔梗は静かに咲き続けるだろう。

いつまでも、いつまでも。

沙耶の恋が、和人の心が分解され、花の香りとなって風に溶けるまで。

その日、麻子は屋敷を出た。

花の行方を彼女は知らない。

write by 弥生

 

やっぱり、私は長文書きには向かないようです。

しかもロマンチックな恋愛ものをめざしたはずなのに、こうなるし…

結局、桔梗の下には何が埋まっていたのでしょうねぇ。(初期設定のしゃれいこうべでないことは確か)   

 

 

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