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+ 春日和 +

空を見ていた。
気持の好いくらいによく晴れた午後だった。
6部咲きした桜の花が時折、はらはらと薄紅の雨を降らせる。
青い空に薄紅の桜。
白にも似た桜の花弁が柔らかく柔らかく降り積もる。
中天には白い月と白い蝶々雲が浮かんでいた。
ひらひらと空を飛び歩く雲。
月は静かに消えるほどに薄く、天の頂きに鎮座している。
ほんとうに気持のよい日だった。
飽きもせずに、ひがな1日空を見ていた。
「好い天気ですね」
1人の老紳士が声をかけてきた。
散歩中のようだ。
それとも私と同じ様に日向ぼっこでもしに来たのだろうか?
「ほんとうに。空も桜もきれいですね」
私はゆっくり相槌を打ちながら、その老紳士を何処かで見たような気がした。
ご近所の方だったろうか?
思い出せない。
この頃、すっかり物覚えが悪くなってしまった。
「ご一緒してもよろしいですか?」
老紳士は愛想好く聞いてきた。
「どうぞ、どうぞ」
そうして、私達は2人して空を見た。
いつも同じでいつも違う、そんな空。
唐突に、本当に唐突に、私は隣に座る人物を思い出した。
「孝雄さん」
「なんですか?」
老紳士はゆっくりと返事を返した。
そうだ、この人は私の夫ではないか。
もの静かで、ちょっと風変わりな、自分勝手な私の夫だ。
どうして忘れてなんかいたのだろう?
「多佳子さん?どうかしましたか?」
私は笑った。
忘れていたなんて言ったらこの人は怒るだろうか?
「いいえ、・・・きれいな空ですね」
私は1人でこっそり苦笑いした。
ゆっくりとゆっくりと、空が流れて行く。
やがて日は傾き西の空へ。
 
「おばあちゃん。こんな所にいたの。早く帰らないともう晩御飯だよ。
 先におじいちゃんの仏様に御飯あげるんでしょ」
帰えりの遅い母を心配した長女が迎えにきた。
その声を彼女は何処か遠くで聞いた気がした。

 

いろんな事があって、人生がんばってそして年をとって・・・。

眠るように逝けたら幸せだなぁと思う。

 

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