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〜宝石姫〜

「ふぁ…」

陽射しが眩しい図書館の一角で、魔法使いは欠伸を噛み殺した。

窓からは上昇中の太陽が朝の光りを送りこんでくる。

送られてくるエネルギィは、しかし、塔の闇に慣れた魔法使いにはいささか強すぎた。

過剰な暖かさが眠気を呼び起こす。

魔法使いは、左足を折って右膝に乗せ、その膝に頬杖をついた。

左手に持った本のページは、先刻から1枚も繰られていない。

すぐ傍の椅子では宝石姫が本に没頭していた。

彼女は本に夢中で、魔法使いの欠伸に気づいた気配もない。

「もう5日か…」

顔もあげない宝石姫をみながら、魔法使いは独りごちた。

魔法使いが塔から出て5日。

単調で忙しい日々が続いていた。

朝は図書館で宝石姫の教師を務め、午後は自分の学習をする毎日。

王家の重鎮が日替わりで訪れ、魔法使いに『この世界の常識』を仕込んでいく。

それは『この城での常識』と呼ぶべき物であり、そこに住む者にとって絶対的な戒律であった。

「…常識かよ」

視線の先に宝石姫を捕らえて、自然と溜息が零れた。

「ねぇ、魔法使い、これってどういうこと?」

ふいに宝石姫が顔をあげた。

視線がぶつかる。

魔法使いは慌てて、宝石姫からその奥の書棚へと焦点をずらす。

今まで彼女を見ていたことを隠して、今、宝石姫を見た振りをする。

「ここよ、ここ」

宝石姫は、そんな魔法使いの様子に気づく気配もなく続けた。

本の一部分を指し示す。

魔法使いは傍へ寄って、その手元をのぞきこんだ。

『風伯の息吹 (風の魔法 レベル1)

 風の精霊の力を借りて小さな旋風を起す魔法。

 瞳を閉じ、風が螺旋を描くイメージを強く念じる。』

彼女が読んでいたのは緑の表紙の魔導書だった。

魔導書とは魔法の使い方を説明した書物である。

表紙の色が緑、青、赤、紫、黒と5色あり、色によって魔法の難易度が変わる。

ちなみに緑はごく初歩、魔法の初心者向けの教本であった。

「どこが判らないんですか?」

魔法使いは首を捻った。

特に難しい部分はないように思える。

「これよ!」

宝石姫はその中の一文を指差して言った。

「『強く念じる』ってどうしたらいいの?」

魔法使いは脱力しそうになった。

「言葉の意味、そのまんま!」と答えたいのをぐっと堪える。

宝石姫は真剣な面持ちで魔法使いを見上げていた。

その瞳がきらきらと輝いている。

魔法使いの答えを待っているのだ

彼女は心の底から疑問に思っているらしい。

魔法使いは必死になって答えを探した。

「えぇと、姫君、頭の中で風が吹いている様子を想像できますか?」

「風?えぇ、できるわ」

「その風の中に小さな木葉が1枚あります」

「木葉ね。くるくる廻ってるわ」

「そう、廻っています。風の音は聞こえますか?」

「寂しそうな音…」

「そのまま手のひらを上に向けて」

宝石姫が手を差し出した。

20秒、30秒。

何も変化する様子はない。

図書館はしんと静まり返ったままだった。

「もう目を開けてもいいですよ」

魔法使いが言った。

宝石姫は眉間に皺を作って必死になって念じていた。

瞳を開いて自分の手の平をじっとみつめる。

今にも泣きそうな表情だった。

「初めから上手くいく人はいませんよ」

魔法使いは思わず慰めの言葉を口にした。

もっとも、この5日間で宝石姫が魔法に成功した例は1度もなかった。

それどころか、彼女が魔法の気配を呼びよせたことさえなかった。

「今日はここまでにしましょうか?」

魔法使いは宝石姫の肩を叩いて促した。

魔法の為の集中は精神力を疲労する。

特に慣れない初歩の時期では尚更だ。

宝石姫は黙って本を書棚へ戻した。

そのまま、魔法使いを残して扉へと向う。

「ねぇ、魔法使い」

扉の所で宝石姫は振り返った。

「私、魔法が使えると思う?」

か細い声で魔法使いに問い掛ける。

「『使えます』って僕が言ったら信じるんですか?」

「信じるわ」

間髪おかずに返ってきた返事に魔法使いは赤面する。

彼女が自分を信用しているという事が不思議だった。

魔法使いは宝石姫を見ないようにして彼女の問いに答えた。

「それなら、使えますよ」

「ありがとう」

宝石姫は微笑んで図書館から出ていった。

魔法使いは書庫の影に蹲る。

見ないように、見ないようにと努力していたのにも係わらず、彼は見てしまった。

宝石姫の満面の笑みを。

「…お姫様、なんだよなぁ」

魔法使いは頭を抱えて特大の溜息をこぼした。

 

魔法実習で1回終ってしまいました。(←オイ)これに魔法設定の説明を加えたら、一体何回、魔法の講義が続くことだろう。そんなことにはならないように、現在努力中です。
次回は前回あとがきで触れた「彼」の登場…。

 

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