第6話 ホイアンからダナンへ、そして再びホーチミンに
翌朝私は名残惜しくなって、朝6時に起きてもう一度ひとりで市場や川辺に行ってみた。朝もやのなかで、ホイアンの町はもう活気づいていた。市場は、店自宅をする人々が忙しく動き回っている。野菜やパンを売る露店は、もう書き入れ時の忙しさ。ノンをかぶった店の女性も客の女性も、大きな明るい声を出し合っている。川のほうには、島とホアインの町を結ぶ渡し舟が、人や自転車を運んで行き来している。川に零れ落ちそうなくらいパイナップルを積んだ小舟もいる。岸壁では、ありのように島から陸に上がってくる客をめあてに、麺やおかゆなどの朝食をうる屋台がにぎわっている。
ベトナムの学校は朝6時45分から始まる。小学生とおぼしき子供たちが、背中に教科書を入れたリュックのような袋を背負って歩いている。路上の屋台では、学校に行く前の家族だろうかそろって朝食を「外食」でやっている。お母さんらしき女性が、子供たちになにかしきりに言い含めている。子供たちは、せなかにリュックを背負ったまま麺をすすっている。学校の校舎はひとつしかないらしい。だから、まず午前中は小学生が、午後から中学生、高校生が時間をずらして校舎を利用するという。
ホテルに戻り、そのままクルマでダナンに向かう。いよいよダナンに入る直前、山のふもとの彫刻の町に立ち寄った。店が軒を並べている。店の奥が工房と作業場。そこで大理石を石工職人が器用にけずっている。巨大な仏教やバラモン教の彫像、インテリア彫刻などの完成品や加工途中のものが、無数に並んでいる。個人が買うとしたら香港や台湾のお金持ちだろう。あるいは、商売をやる人が店の門構えに凝って注文するのだろう。遠くアメリカやヨーロッパから注文が来ているという。この町も「国際化」が進んでいる。
ダナンの町に入った。港の前を通って、チャンパ博物館に向う。世界遺産に指定されたチャンパ遺跡の展示はぜひ見たかったもののひとつだ。今回時間がなく、遺跡の現場には行けないが、機会があれば遺跡巡りをしてみたい。チャンパの遺跡展は、何年か前に「トヨタ財団」が協賛して日本で巡回していたものを、たまたま福岡で見る機会があった。このとき展示に使った説明のパネルなどがダナンの博物館にも置いてあった。
チャンパ族はバラモン教を信仰している。寺院は建てずに仏塔のようなものを建立した。細かいレンガを組み上げていく方法だが、つなぎの部分にどのような接着素材を使用したのかいまだに謎だといわれているそうだ。男と女、その交合が遺跡のモチーフになっている。丸い台座は女だそうで、円形の縁には無数の乳房が彫刻されている。円形の台座から上に突き抜けているのは男性のシンボルだそうで、これは台座の「上」に置かれているのではなく、台座の真ん中が空いていて、「下」から突き抜けて上に伸びているのである。
チャンパ族は、母系社会だからこのような文明が誕生したのだろうか。母系社会といえば、インドネシアのスマトラのミナンカバウ族も典型的な母系社会を構成していることで知られているのだが、男女の交合文化の話はあまりきかない。チャンパの場合は、やはりバラモン教の影響が強いのではないだろうか。アプサラの踊りの彫刻などは、なんだかセクシーな腰つきで圧倒される。体は人だが、首から上は象でのけぞって鼻を天に向けている姿など、この人々は昔から何を考えていたのかとついつい思ってしまう。
チー君の姿が見えないと思ったら、入場ゲートのところの女の子と話し込んでいる。これまでの行動を見ると、けっこう彼はプレーボーイだ。もっとも彼はここに何回も足を運んでいるので、飽きてしまっているのだろう。女の子は、」いま日本語を勉強している最中だという。ベトナムで最大手の日本語学校「サクラ日本語学校」のダナン校に通っているのだという。チー君が、ここで働いて給料はいくら、と聞いたようだった。「ウン十万ドン」と答えたというから、月給4、5千円ということか。これは、平均だろう。ちなみに、郵便局、警察など主要な給与所得者のポストは、政府の要人の子弟で独占されているそうだが、スチュワーデスもそうで、月給は日本円相当で約8万円。破格の高級取りなのだそうだ。
博物館を出て、簡単な昼食を摂った。食事のあと、ダナンのコン市場に出かけた。ホーチミンと違って、ここも入りやすい市場だ。売り込みは激しい。ちょっと食べてみて、と試食を促す。これに乗ってしまうと、小さな椅子が出てくる。じっくりいろんな試食を進められる。あれもだめ、これも口にあわないなどとやっているうちに、ここまでやられたら何かひとつくらい買わなければという気になってくる。さんざん試食を強要されて、ひと袋100円だというベトナムコーヒーを買うことにした。ひと袋じゃすぐなくなるでしょ。日本人だったらもっともっていけば、といって5袋パックをすすめる。ここまでは、納得。ところが、直接飲むインスタントコーヒーじゃないから、ろ過するフィルターなどが必要だ。そういったら、「やっぱりそうでしょ」といわんばかりに、ろ過器を出してきた。アルミ製の小さなカップの上に置くやつ。ひとつ100円。(これけっこういいなあ)という表情を見抜かれたかもしれない。しばらく考えているこちらの思惑を勘違いしたかも知れない。5袋パックをもうひとつ持ってきた。つまり10袋になる。いやいや、ろ過器が気に入っているので、これがもうひとつ欲しいんだ。というと、そうかそうかとばかり、喜んでもうひとつもってくる。合計ろ過器2個、コーヒー5袋ということ。約700円(70,000ドン)。10万ドン出して、おつりが30,000ドン。もらったすぐあとに、そのおつりの分これどう?と、何かお菓子のようなものをもってくる。これは呆れて断った。椅子に座ってのやり取りで、あれこれ試食して700円の買い物奮戦記。
コン市場で、難点は乞食風の風体良からぬ人間がしつこくつきまとうこと。椅子に座ってやりとりしている最中も、肩をちょんちょんと赤ん坊がたたく、みると母親が抱いていて赤ん坊をだしにして同情を買ってほどこしをもらおうという魂胆。これ、けっこうしつこいから要注意。生まれたばかりなのに乞食の手段に駆り出される赤ん坊もかわいそうだが、ここは心を鬼にして無視を決め込んだ。この手の物乞いはどこにでもいるが、施しをしていてはきりがない。辛抱強く無視するしかここはない。
昼下がりのダナンの日差しは強かった。チー君と私は川沿いの(実際は海にしか見えない)景色がよいホテルで3〜4時間休憩することにした。ふたりで10USドルいうことで、足が棒になっていたのでとにかく休むことにした。1階(こちらでいうとゼロ階)の部屋に通されたが、強い刺激臭がしたので、2階(こちらでは1階)の部屋に替えてもらうことにした。先月の洪水のあとで部屋の消毒をした異臭がまだ残っていたのだ。2階の窓から入り込む川辺からの風が心地よい。しばらくわれわれは体を休めた。
夕方日が沈みかける5時頃ホテルを出て、川に沿って散歩した。体に当たる風が気持いい。ちょうど高校生の下校時にあたり、アオザイを着たたくさんの女子高生が、自転車に乗ってそばを通り過ぎた。白いアイザイはベトナムの高校生の全国統一の制服だ。よく見ると、抜けるような白さのアオザイもあれば、貝の白さのように少し灰色がかっているものもある。どれも、素材は絹のようで、遠くから見ると純白に見える。それが、ベトナムの沈んだ街並みにひときわ鮮やかでまぶしい。最近のアオザイ女性の間でしゃれたつば付き帽子がはやり出したのか、よく見かける。彼女たちにはかっこいいのかもしれないが、個人的にいえばアオザイに野球帽は似合わない。
ベトナムの女性はみなスタイルがよい。太った女性を見たことがない。小さいときから、自分を美しく見せるためにスタイルには相当気を使っているようだ。太らないように野菜やスープを中心に食事をとるのだそうだ。ずっとずっと昔から、ダイエットには人一倍神経を使ってきた民族だということを初めて知った。
ダナンのハン川の岸では、どこの川岸でもみかける魚釣りの光景を目にした。蒸した米を餌に、岸からわずかばかり離れたところに釣り糸を垂らし体長5〜6センチの小魚を釣っている。魚の名前は分からないが、食用にするという。遠くに建設中のダナンの大橋が見える。完成すれば、東洋一の橋になるという。ダナンの市街地と、対岸を結ぶ幹線となる。
道端では、ノンをかぶったお婆さんたちが小さ目の鶏やあひるを売っている。そばを通るとへたりと横になっている鶏が、恨めしそうな目でこちらをにらんでいる。あまりにもおとなしいので、死んでいるのかと思ったら、ちゃんと生きているのだという。
ダナンの駅に向かう。途中、駅前市場の雑踏に巻き込まれてしまった。仕事や学校帰りの人々、それに夕食の支度に食材を買い求める町の住人がこの時間にすべて集ったような、身動きのとれない混雑ぶりだ。その豊富な品に驚かされる。ベトナムの市場は、どこに行っても品で溢れている。いまは貧しいが、もう数年たったときのベトナムが、なぜか恐ろしい。
ダナンの駅は、これまでに見たベトナムのどの駅よりも荘厳な佇まいだった。ホーチミンの駅が、ただ長四角な建物だったのに比べ、ダナンの駅は町のシンボルやランドマークとしての偉容をしっかり保っていた。とはいえ、行き交う列車の本数は少ないので、中に入ると構内はこじんまりしていた。駅に向かって右手隣りには、「フォーファイ」よ呼ばれる有名なホテルがある。
駅まで写真を撮っていると、自転車に乗った子供たちがついてきた。真っ黒に日焼けしたバイクタクシーの運転手も、意味不明の声をしきりにかけてくる。顔を見るとちょっとたじろぐ。まともには乗れそうもないほど、人相が悪い。ベトナムのシクロもバイクタクシーも、個人の所有かレンタルだという。彼らは、いわば個人事業者なのだ。
ダナンの空港から、チー君と私はホーチミンに向かった。ベトナムの空港は、国内線は一時間半前、国際線は二時間前でないとチエックインできないことになっている。私たちはちょっと早く到着し過ぎたので、空港の外の椅子に腰掛け、涼しい風にあたりながら、時間のくるのを待った。
日が沈むダナンの空港から、ふたたびエアバスA320に乗った。ホーチミンからフエに向う飛行機に乗務していたスチュワーデスのひとりに見覚えがあった。向うもこちらに気づいたらしく何気なく挨拶を交し、すぐに彼女は恥ずかしそうに目をそらせた。ベトナムの若い女性は恥ずかしがりやが多い。初めの頃は一見冷たそうに振る舞うが、心を見透かされないための努力をしているのだ。その証拠に何かがあると、こらえていたものがほころびるように笑う。その笑顔が、本当の気持を表わしている。しかし、すぐ「冷静さ」を装う。それが、ちょっと冷たく見えるくらいに。
スチュワーデスの制服は、アオザイだ。薄手の白のパンタロンに、やはり淡いショッキング・ピンクの上着。前と後ろに垂れる部分が、すらりと腰から自然に流れていく。何度見ても優雅でセクシーとしか表現のしようがない。
ホーチミンの空港からは、ホテルに行くまえに、日本食が食べたくなり、チー君の薦めで「味華おはん」という店に立ち寄った。最近政府が決めた「完全週休二日制」のため、土曜日はお休みなので、宴会好きの日本人ビジネスマンたちで賑わっていた。ベトナム人の従業員がたくさん働いていて、繁盛しているふうだった。大阪外国語大学を卒業して、ゴーチミンの総合大学に留学しているという若いアルバイトの日本女性がいる。日本人の女性に特別な思いを抱いているチー君が、さっそく彼女に話し掛けている。チー君も、日本政府給付の国費留学生として日本に来たことがある。そのとき好きだった日本女性のことを忘れられないようだった。
ホテルに戻って、デジタルカメラの画像の取り込みなどをした。旅の記録をなるべく新鮮な記憶のうちに、書き留めておこうと思った。そのうち、激しい睡魔に襲われ、そのまま朝まで爆睡してしまった。
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