第二話 幻惑の草原都市「パガン」

第六日目(馬車でめぐるパガン)晴れ時々くもり


朝、歩いてニュー・パガンの東のはずれにあるモーニング・マーケットに行ってみようと思った。ホテルの前の南北にのびる田舎道に出て、北の方角をさして歩いてみた。まだ7時だというのに、朝日がもう肌を焦がすように暑い。
道すがら、また少し離れた民家の門口から女性が「寄っていきなさい」と声をかけてきた。道端に大きな木があった。こんな時間から人がたたむろして涼んでいるのかと思いきや、何と自転車の修理屋だった。商売をやっているにしては、これといった工具らしきものが見当たらない。

突然道を体調2メートルもある蛇がからだをくねらせて前方に逃げるように這っていった。生身の蛇が動くのを路上で見たのはもう何年ぶりだろう。田舎に住んでいたので子供のころはよく見た。しかし、体調はせいぜい50センチくらい。驚いたせいもあるのか目の前の蛇は、巨大に見えた。

ちょうど登校時間にあたるので、肩から粗い糸を編んで作った学生カバンの袋を提げた子供たちとすれ違った。子供たちは、辻つじでほかの子供と合流し、そこで決まりごとのようにふざけはしゃぎあって、また群がりひとかたまりとなって先に進んだ。
市場から帰る女たちともすれ違った。彼女たちの頭には、みな重い荷が載せてあった。
朝市の会場には、女たちがひしめき合っていた。米、野菜、果物、肉など、日々の食事のための基本的な食材が売られている。嗜好品やぜいたく品などは見当たらない。女たちがせわしなく働いているあいだ、男どもは回りの茶店のような場所にたむろし、じっとしている。男は男、女は女で、交わる気配はない。
市場の入り口の脇にある馬車を利用してホテルに帰った。

またがらんとしたレストランで、ひとりつくねんとわびしく朝食を摂った。それからロビーに行き、午後1時に馬車を予約した。半日(6時まで)で2500チャットで折り合いをつけた。きのうクルマで訪れたときに閉まっていた、北のはずれのニャンウー・マーケットまでもう一度行ってみることにした。

部屋で旅の記録を整理しひと眠りしたら、昼近くになっていた。フロントから確認の電話があったが、昼食は摂らないことにした。
ホテルの周りを散策してみることにした。どの家も、敷地の囲いに平べったいサボテンが使われていることに気がついた。サボテンにはとげがあるので、「有刺鉄線」の役目もしていて面白い。もっとも、こんなのんびりした場所で、許可なく人が侵入してくることなどあるのだろうか。あるとしたら、野生の動物以外には考えられなかった。

少年たちの「拝金主義」

木の下の縁台で、少年が三人、白のブラウスと緑のロンジーの制服姿で涼んでいる。声をかけたら、会話を中断し、好奇の目を丸くしてじっとこちらを見つめている。
「学校はどうしたんだい」
サボっているのかと思ってきいた。
三人とも顔を見合わせて戸惑っている。(何を聞こうとしているのだろうか)とさぐり始めた。やがて、ひそひそ話になった。そして、はにかみと好奇心がない交ぜになっているのだろう、互いを突っつきながらニヤついている。
私は「学校」を分からせようと思い、両手のジェスチャーで四角い本のかたちをつくり、右手で何かを書くしぐさをした。少年はこぞって理解したようなすがすがしい顔つきをした。織り上げた学生カバンの中をさぐって、ひとりの少年が細長いボールペンを取り出し私のほうに差し出した。
(違う違う。ボールペンならほらここにあるよ)
私は上着の胸ポケットのボールペンを抜き彼らにかざして見せた。子供たちはまた途方にくれ手顔を見合わせた。
私は質問をあきらめ、写真をとっていいかときき、了解も得ないままにシャッターを数回切った。子供たちは無邪気にからだを寄せ合って、めいめいポーズをとった。立ち去ろうとしたとき、ひとりの少年が背中のほうから「ヘイ!」と、かん高い声をかけてきた。振り向くと、声の主が親指と人差し指で輪を作って片目の回りに当てている。そして「マネー」とつぶやいた。
私は少年のその動作に、一瞬驚いたが、むらむらと不快感が湧き起こり、とっさに「ノー」と語気を荒げて叫び、そのまま立ち去った。背中ごしに少年はおそるおそる、しかしこちらをなじるように、何かを執拗にまくし立てている。こんな少年たちにまで「拝金主義」の妖怪がはびこっていることに、驚きをかくせなかった。

すがすがしい馬車の散策

午後一時少し前、馬車はホテルのフロント前に到着した。馬車の客席は畳半畳ほどのスペースで、御者のすぐ横のいわば助手席と、後方を見ながら座る席とがある。中を詰めれば3、4人は乗れる。私は開けた後部の席に座った。
日差しは強烈だ。走り始めると、馬車は心地よい風を作った。からだが生き返るようだった。ニャンウーの市場へ、南のはずれから北のはずれへと馬車は出発した。約20キロメートル弱の道のりだから、炎天下で馬にはたいそう気の毒な仕事になった。

馬車道は、車道とは別な野原の小道にあった。緑の中をぬっていくその馬車道は、思いがけぬ特別な風景を見せてくれた。
御者は、主要なパゴダの横を通過するたびに
「降りますか?」と尋ねた。
「いいえ、そのまま行ってください」と私は答えた。
降りて中に入れば、また不愉快な連中がまとわりついてくるに決まっていた。せっかくの心地よさを台無しにしたくはなかった。

風景としてのパゴダは絶景だと思う。もしも二日間この地に滞在するなら、期せずして私がしたように、一日目はタクシーでさっと主要なパゴダをひとさらい訪問し、二日目は馬車で気に入ったパゴダの外観をゆっくり楽しむというのがいい。車道と馬車道の風景は、まるで違って見える。

「コットン・プラントだ」
パゴダの前に一面に広がる畑を指差して、御者は言った。綿花が植えてある。時折耳の垂れたぶちの子羊の群れが、行く手をさえぎった。見慣れない木々の姿も目につく。
馬は輻射熱を含んだアスファルトの車道を嫌うので、わざわざ土ぼこりのする自然の道を好んで進む。それがまた好奇心をくすぐるような不思議な光景を作り出してくれる。

大木の下には、必ずといっていいほど籐で編んだ縁台のようなものが据えてある。人々はそこで死人のように眠っていた。午後の日差しは、人間の活動意欲を極度に減退させる。じっさいに体力も激しく消耗させる。だから、この時間帯に意識を緊張させ動き回るほうが異常で、危険ですらある。

午後の早い時分に家や木陰で涼み、昼寝をするのは、温帯に育った私たちからみれば自堕落に見えるかもしれないが、この地の人々からすれば生命の安全を守るためには欠かせない知恵なのかもしれない。労働の勤勉さや生産性は、民族性に起因するだけでなく、自然環境の影響も多分にあるのだと痛感した。

ニャンウー市場の賑わい

ニャンウーの市場は思った以上に規模が大きい。中心部の売り場では主に食品や衣類、工芸品などが売られている。その回りには雑貨屋やカフェ、床屋などが軒を連ねた通りもある。見慣れない顔の日本人がまぎれ込んできたと知って、商品を手にした売り子がわっとハエのように集まり、私は数人に取り囲まれてしまった。ロンジーの布を勝手に私の腰に巻きつけ、「ヤスイヨー、ヤスイヨー」を連発する。ミャンマー語の奇妙なアルファベットをプリントしたTシャツを胸に当ててきて、「ニアウヨー、ニアヨー」とがなり立てる女もいる。ニュー・パガンの朝市でもそうだったが、ニャンウー市場の主役も女性だ。売り場には男の姿を見かけない。労働における女性の役割は、相当大きそうに見える。しつこい売り子の攻撃をなんとか振り切ってその場を逃れると、今度は皺枯れた老婆が横にきて歩きながら話しかけてくる。
「日本人かい」
「ええ、まあ」
答えるまでもなく、相手は日本人だと見透かしている。そのうち、奇声を発しだした。
「シロジィニ、アカクゥー、ヒノマル、ソメテェー......」
ミャンマーのこんな片田舎の生活風景の奥底で、何十年も忘れかけていた日本の小学生唱歌を聞かされるとは思いもよらぬことだった。老婆は私の横で日本の唄を歌い、何が目的だったのだろうか。いまでも分からない。
市場の片隅に、仕立て屋か繕いもの屋かがあり、女がひとり足踏み式ミシンを熱心に踏んでいる。横に{SONY」のミシンがあったのには驚いた。

濃い灰褐色の煤けたような小屋があった。顔の浅黒い男たちが何人か居眠りをしている。日陰にあたるその小屋の中は、何もかもがどんよりと沈んだ色をしているようにみえた。カメラを向けると、暗さでフラッシュが自動的に反応した。ぼんやりと床屋の椅子が浮かび上がった。近くで私のようすを見ていた馬車の御者が、私の興味の矛先にカメラを向けるたびに不思議そうな顔をしている。

喉が渇き、マーケットの一角で缶ジュースを買った。買ってしまってから、失敗したと気づいた。案の定、口に含むとお湯のようなジュースだった。缶ジュースは冷えているものとばかり信じ込んでいた私がうかつだった。冷やしたジュースは「COLD DRINK」といって、特別な商品になっている。わざわざ「COLD DRINK」あります、と看板を出しているほどだったのだ。常識というのはあくまでもローカルなものだと思い知らされた。

それから再び馬車に乗り、ニュー・パガン方面に南下した。途中オールド・パガンの壁門をくぐったころ、馬車は自転車に乗ったひとり旅風の青年とすれ違った。
「ジャパニーズだ」
御者は、わざわざ私に教えてくれた。物珍しいからか、あるいは私が日本人だと知ってのことか、無口な御者がわざわざ口を開いた。どうして彼らは「日本人」だとすぐ判別できるのだろうと不思議に思った。

家畜のように人をびっしり詰め込んだ小型乗合トラックと何度もすれ違った。そのたびに客席の奥から女たちが明るくいっせいに手を振ってよこした。私も馬車の後ろから手を振った。この国でも、働き者の女性をうやまう「レディファースト」が決まりなのだろうか、どんな乗合トラックも荷台には女性がひしめき合って乗っている。そして屋根の荷台や後部のステップには、男たちがしがみつくように、また折り重なるようにして乗っている。

前や横からトラックを見る限り、それはどこかの土木作業現場に向かう男たちの出勤風景のように見えるが、通り過ぎる瞬間に、タナカを白く塗った女たちが示し合わせたようにこちらに笑顔をる光景は、路上に咲く名もない小さな花のようにすがすがしく美しい。

それにしても、この町や村の人々はよく「手を振る」。木陰で涼む人も、自転車で道をすれ違う人も、家の庭先で仕事をしている人も、誰彼となく気前よく手を振った。

イラワジ川で水を浴びる女たち

馬車はニュー・パガンの中心にあるロータリーにさしかかった。右折してイラワジ川の方に馬の鼻先を向けて進む。やがて道はこのあたりで有名な「シトゥー・レストラン(Si Thu Restaurant)」に突き当たる。突き当たる手前を右に入ると、同じく有名な「リバー・ビュー・レストラン(River View Restaurant)」で、昨日昼食を食べたレストランである。「シトゥー」に突き当たり、道なりに左に折れると「シリピチャヤ(Thiripyitsaya)村」の集落に至る。ここでは、土地の人々の素朴な住居や暮らしぶりを垣間見ることができる。村を過ぎて、なだらかな砂道を降りていくと川沿いの道に通じ、「ローカナンダ・パゴダ」の裏手に達する。昨日訪れたフェスティバルの露店が立ち並ぶ場所のあたりに行き着くのである。

川べりでは、女たちが午後の高いおひさまの下で洗濯をしついでに水浴している。その回りでは素っ裸の子供たちが無邪気に水遊びをしている。洗濯はすべて手洗いである。川べりの石を利用して、洗濯物を何度も叩きつけ、川の水ですすいではまた石に叩きつける。とても原始的なやりかただ。仕上げのときになって、少し川岸から離れた場所の汚れの少ない水で洗う。それから女たちは胸の上のラインまである袋状の布を上手に扱い、同じ川の水にからだを沈め、布の中で器用にからだを洗っている。岸に上がると、濡れた布の上に新しい布袋を頭からもう一枚かぶり、下から古い濡れた布袋を脱いだ。

川べりに近い木の下で、土中から露出している乾いた根に腰をかけて、私は女たちの一部始終をじっと見詰めては、時折カメラのシャッターを夢中で切りつづけていた。あとで思うと、なんて恥知らずなことをしていたのかとも思ったが、そのときには単純に「あ、面白いシーンだ」としか考えておらず、だからこそ大胆に写真などを撮りつづけることができたのだ。事情を知らない異邦人というのは、こういうときになれば強いものだ。

夕方4時を少し回った。私は「ルビー・トゥルー・ホテル」での夕食に恐れをなして、中途半端な時刻だったが、馬車の契約時間内に夕食を済ませて帰ることにした。今夜は明日早朝の出発に備えて早めに就寝することに決めた。夕食は「シトゥー」で食べてみることにした。イラワジ川の雄大な眺めを眼下に見下ろしながら食事を楽しめるという意味では「シトゥー」も「リバー・ビュー」も同じだ。どちらも屋根のついた屋外レストランという風情である。「シトゥー」は名の知れたレストランだと聞いていたが、従業員の応対の質の良さとマナーという点では「リバー・ビュー」のほうがはるかに上だと感じた。「シトゥー」では、夜7時30分から「パペットショー(操り人形劇)」を見せるという。食事メニューの充実ということを別にすれば、もし「人をもてなす心情に触れながら食事を楽しみたい」というのであれば、宿泊客ひとりという不運に遭遇しわびしい食事になったけれど、私は手作りでたったひとりの客をもてなそうとした「ルビー・トゥルー」のパペット・ショーにまさるものはないと思った。

「シトゥー」での早い夕食も、客は私ひとりだった。食事のあとはホテルに戻ってのんびりと過ごした。ホテルの部屋のNHK海外TV放送で、今夜巨人が広島を9対1で破り圧勝、2位とのゲーム差を7に広げたことを知った。

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