6時15分にモーニングコールを頼んでいたが、5時には目がさめてしまった。いつもそうだが、精神が緊張しているときには、
かならず決めた時間よりも早く目がさめてしまう。神経質なのか貧乏症なのか。多分そのどちらでもあるのだろう。シャワーを
浴びたり、荷物の点検をしたりした。
朝食はいつものコンチネンタル風。結局宿泊客はほかに誰一人いなかった。
予約した送迎タクシーはすでにホテルにきており、朝食を終えチェックインするのを待っていた。ヤンゴンからパガンに来る日の
朝の騒動を思い出して、早めにきていたタクシーを目にしてほっとした。タクシーは、1000チャット。空港からホテルまで来
たときと同じ料金である。
タクシーが空港に着くと、いきなりポーターのような男が近づいてきて有無を言わさずこちらの荷物を担ぎ上げチェックインカウ
ンターのほうに誘導する。200チャットを握らせると、彼はさっとどこかに姿を消した。
ニャンウー発マンダレー行きのGT401便というのは、実は二日前にヤンゴンからニャンウーに来るときに乗った双発プロペラ
機の便である。GT401便はヤンゴン(6時30分発)→ニャンウー(8時10分発)→マンダレー(最終到着地)へと飛ぶの
である。
ニャンウーを約5分遅れて飛行機は離陸した。機内で飲み物を出されただけで、約30分ほどのフライトののちあっという間にマ
ンダレー飛行場に到着した。
簡単なパスポートチェックを済ませると、待ち構えたようにツーリストカウンターのような場所があり、ここで「市内観光の過剰 PR」を聞かされる。市内観光US50ドルというのは、ちょっとボリ過ぎのような気がするが、まだ行動予定を決めていないと いうことで逃げようとした。滞在ホテルを聞かれ、「シルバー・スワン(Silver Swan)」と答えた。観光案内のパンフレットを手渡され、空港の敷地を出ると、どぶ川に懸かる小さな橋を渡る。そこにタクシーが 待ち構えている。ホテルの名を告げると「500チャット」と言われた。パガンでは1000チャットだったから、随分安い印象 を受け、そのまま一台のタクシーに乗り込んだ。
マンダレーの町並みは、区画整理がきちんと整っていて、札幌やニューヨーク市内のように東西南北が街路の番号表示になっている
ので、とても分かりやすい。それに、歴史のある街だけに風情がありヤンゴンに比べればずっと落ち着いている。
目の前のタクシーの運転手も、何か言うたびにカラカラと笑った。愛想笑いなのかテレ笑いなのか、とにかくひとこと発するごとに
「ははは」とひとりで笑っている。日本人によく似ている風にも見えるが、確かに「笑われる立場」で冷静に見ると、欧米人が日本
人の意味もなく笑う習慣を奇異に思う気持ちが分かる気がした。クールすぎるのかもしれないが、ドライバーの笑いは滑稽でもあっ
た。英語は完璧に近いほど「通じない」。ほかに手がないのでこちらから話しかけるときには英語を使うしかないのだが、それに対
して答えるというより、ただ笑ってごまかしたりはぐらかしたりしている。悪意はないのだろうが、「分からない」という意思表示
を「笑う」だけで表現するというのは、ちょっと無理があるだろう。
かろうじて通じた言葉をつむぎ合わせると、ホテル「シルバー・スワン」はベストロケーションにあるという。タクシーの運転手も
サイカー(シクロ)の自転車こぎも英語でのコミュニケーションが全くできないので、行き先を言って「OK、OK」と自信ありげ
に言われても決して安心してはいけないことがあとでわかった。自分でとおりの名前や番号をしっかりと覚えておき、目的地の方角
を東西南北だけでなく、その時刻の太陽の方角までしっかり頭に叩き込んで出発するにかぎる。悪意でそうしているとまではいわな
いが、勘違いで観光客があらぬ方角に連れて行かれる確率は、3割くらいあるのではないだろうか。マンダレーでの言葉の事件は、
このあと何度も起るのだが、このときはまだ気がつくよしもない。
ホテルは中国風だった。部屋でひと休みしてから、昼頃ランチを摂るためガイドブックに載っていた「桜花」というレストランに行っ てみることにした。ホテルの前にうろついているサイカーを呼んでもらった。レストランの名前を示し、ガイドブックに載っている 地図もあわせて見せドアボーイに交渉してもらい100チャットで行ってくれることになった。
マンダレーは街路が地図で見ると近そうだが、実際に歩いてみると距離はだいぶある。つまりワンブロックが長いので、5ブロック先 でもサイカーを使わなければかなり苦しい。しかも死人が出るとまでいわれるほどのマンダレーの暑さがその距離感をさらに大きくし ている。そういうことだから、タクシーを利用するほどのでもなく、かといって歩くのもしんどいという距離が、マンダレーでは多い という気がする。そういうときに便利なのが自転車にふたりまで乗れるサイドカーをくくりつけた乗り物だ。言葉が通じない外国人 観光客は、事前にきちんと料金などを確認しておくほうがいい。たとえば、100チャットといっても、乗り物は二人用のスペースが ある。もし二人で乗る場合、人数に関係なく100チャットなのか、ひとり100チャットで、つごう200チャットという意味なの かはあいまいにしておくと降りるときのトラブルの元になる。サイカーは、道の真中をのんびり走るので、後ろに自動車が迫ってきて、 あまり経験したことのない視界が開ける。危険もあるが、マンダレーのおおらかな交通事情ならではの楽しみのひとつといえるだろう。 これが、ヤンゴンならちょっと怖い。
「桜花」というレストランは、名前の印象から日本食もあるのではないかと錯覚するが、ミャンマーで一般的なレストランのメニュー 構成で、ミャンマー料理と中華料理しかない。ただし、面白いことがある。日本語を話す女性がいて、客が日本人だとわかるとわざわざ 近くにきて、親切に注文の仕方を教えてくれる。焼きそばが200K(チャットという、スペルがKyatなのでKと表示する)。チャ ーハンが200K、肉マンが35K、果物の生ジュースが100Kという料金だった。レストランではメニューを頼んでもミャンマー語 が書いてあって、なにやらわからない。外国人のために英語表記しているメニューなど、町なかでは全く期待できない。それに驚くなか れ、料金表示がないのだ。例のインフレのせいで、メニューにチャットで料金表示ができない。「メニューください」というと、妙な顔 をされる雰囲気がある。メニューとは、作れるレシピを確認するもの、という程度なのだ。
ところで、「桜花」のパイナップル生ジュースは最高においしい。といっても、実は翌日もう一度ここを訪れたときに観念して飲んでわ かったことだ。この日初めてのときには、パイナップルジュースを頼んだら、なんと大きなグラスに細かい氷がいっぱい入っていて、頼ん でおきながらとうとう一滴も飲まなかった代物だった。日本語の巧みな女性が、「だいじょうぶですよ。ミネラルウォーターで作った氷 ですから」と、不安のタネを解消しようとしてくれたのだが、とうとう飲まずじまいだった。パイナップルと氷を一緒に入れてミキサー にかけるようで、細かい果肉がまじってとてもおいしそうに見えたのだが、やっぱり「氷」には手が出なかった。
桜花のあと、すぐ近くの「ゼジョーマーケット」まで歩いていった。大きなビルの中にギッシリとテナントが並んでいる。ビルの周りに も食材を売る露店が建ち並んでいる。はっとするようなマンダレー美人とでもいうような女性が随分目につく。あながちパガンからきた せいともかぎらないが、マンダレーの女性はヤンゴン殺伐とした女性たちとは違って、どこか気品のある落ち着いた美しさがあるようだ。 生存競争の激しい首都にはおおらかな美人は少なく、第二の都市のほうが美人が多いと思うのは、私だけの偏見だろうか。ベトナムのホ ーチミンよりはフエに、カンボジアのプノンペンよりもシエムリアップに、タイのバンコクよりも北のチェンマイに、そしてヤンゴンよ りもマンダレーに美しい人々が多い気がする。それはもしかしたら文化的な厚みがそうさせているのかもしれない。
「ゼジョーマーケット」からサイカーと交渉して100Kでホテルまで戻り、午後のマンダレーの猛暑を避け、部屋で少し昼寝をした。 ヤンゴンからパガン、そしてマンダレーと移動し、そろそろ旅の疲れがたまり始めていた。ちょっとからだを休めると、激しく眠りの底 に落ちていく。体力と気力が、ちぐはぐになっている証拠だろう。私はムリをせず、観光は明日からすることにして、今日はおとなしく していようと決めた。
シルバー・スワン・ホテルの人々は、不必要に客には近づいてこないが、何かを聞くととても親切に応対してくれた。中国人の合理性と、
ミャンマー人のもてなし精神とがバランスよく混合している感じが心地よい。ホテルは大変繁盛しているようだった。
6時過ぎ、ホテルの回りを散策し、夕食にふさわしい庶民的なレストランを探した。旅行者とみると、サイカーが「乗らないか」とどこ
までもしつこくつきまとってくる。自転車をこぐ男の口が、話すたびに真っ赤に染まっている。ビンロウを噛んでいるのだ。「食事の場所
を探しているだけだ、遠くにはいかない」というと、何料理だとやたらに絡んでくる。
レストランらしきところを見つけそこに飛び込んでは、「ここはミャンマーフード?チャイニーズフード?」と聞き歩く。不意に飛び込ん
できた旅行者に、店の人々は戸惑っている。言葉はまったく通じる気配がない。ただひとつ「チャイニーズ」という言葉には反応し、道を
隔てた反対側の店を指さした。
道を渡ってそのレストランに入る。見慣れぬ旅行者の到来に、この店の人々も当惑しているようだ。
「チャイニーズ?」
尋ねたら男はうなづいた。間違いはないだろう。そのまま空いているテーブルの席についた。
ところがそれからがコメディそのものだった。
唯一英語が話せそうな若主人といった風体の30がらみの男が、おそるおそる代表して注文を取りにきた。厨房のほうとか、階段の奥の方
では若奥さんや子供がこちらのようすをうかがっている。
「ミャンマービア一本」
私は右手の人差し指を一本立てた。これは、すんなり分かったようだ。
「ハウマッチ?」と聞いたら、即座に
「300K」と答える。なんだ、ちゃんと分かるじゃない。そう思ったのが間違いだった。
「フライド・ライス・ウィズ・チキン(チキンチャーハン)」
私は無難なメニューを頼んだ。ちょっと怪訝そうな顔をしたのが気になった。案の定、この注文が混乱の始まりだった。「チキン」は分かっ
たようだが「ウィズ」が分からないのだ。
「それとワンタン・スープひとつ」
そういってまた人差し指を一本立てた。男は、ぽかんとしている。どうも「ワンタン」がわからないようすだった。
「ワンタン、ワンタン」
私はこれって中国語のはずでしょ、と焦りながら何度も念を押した。帰っていく男の後姿を見つめながら、不安は募るばかりだった。「スープ」は
どうにか分かったようだった。
いよいよ持ってきた。見るとどんぶりの底に「チャーシューのさいの目切り」が数切れ、スープに浸したものを出してきた。
「これ、どうか」という顔をしている。
それから、チキンを骨付きのまま小さくぶつ切りにしたものを上げてカリカリにしたものを出してきた。こりゃやばいなと思っていると、なんと
さっきのチャーシューいりのスープが大きなどんぶりに盛られ出てきた。
どうやら、さっきのどんぶりの底のスープにチャーシューの角切りを浸したものは、見本だったようだ。彼のほうも心配で、確認にきたようだっ
たのだ。私はこりゃいかんと、メモ用紙にボールペンをもってくるよう頼んだ。そして、紙に
fried rice with chicken 1,wantang soup 1
と大きな字で書いて見せた。何度説明しても、ワンタンがわからない。とうとう彼は「チャイニーズ・プリーズ」と中国語で書いてほしいと言って
きた。「えっ!?」中国語。なんだったかな。私はとっさに「雲呑」と書いて彼の鼻先に突き出した。相変わらずキョトンとしている。
しばらくしたらチャーハンがきた。これは申し分ない注文どおりのイメージだった。
食べているあいだ、応対した青年と厨房で作っていた奥さん風の女性が、レジーのところで不安げに話し合っている。男性が女性に怒られている風
にも見え、言い争っているようすにも映る。きっと彼らは、招かざる客に振り回され、果たしてきちんと勘定を支払ってくれるのかどうか心配して
いるに違いない。
私はこのときもう腹を決めていたのだ。飲み物とチャーハン以外は、頼んだ覚えのないものを出されたのだが、それぞれが高々200K(70円) 程度の品だった。いい勉強にもなった。その家にとってはとんだ騒動だっただろうが、私同様、その家の7,8歳の息子だけは降りかかった混乱を 面白がっている風もあった。こんな得がたい経験をしたのだから、いくらになっても払って帰ろうと決めていた。
「勘定をお願いします」
そのひとことを私が言い出すのを、彼らは固唾をのんで待っていたようだった。しかし、私が両手の人差し指を交差させ
「チェック・プリーズ」
といったとき、その意味も彼らはわからないようだった。しかたなく、歌舞伎町の台湾女性が食事が終わったときよく使っていたうろ覚えの言葉を
いうことにした。
「マイ・タン」
「............」
どうやらこれもダメだったようだ。とうとう私は切れそうになり「チェック,チェック」と連呼したら、ようやく彼らは「お勘定」だということが
わかったようだった。
さすがに彼らも不安だったのだろう、店の片隅でもじもじしている。こんなときに便利なのが子供ということなのか、例の少年が勘定書きを皿にい
れて持ってきた。1540K。日本円でいえば450円相当か。
私は明細と出された品とを指差して、これがこの品、これがその品ですねとばかり、確認し、最後に「OK」といって500K札4枚、2000Kを
支払った。一瞬彼らの顔がほころびぱっと明るくなった。よほど不安だったのだろう。
払い終わってから、「英語使い」の青年に、「これはOK」、でも「これはディフェレント(違う)」と、ひとつひとつ教えてあげた。でも、英語が
分からないのだから、それも無駄なことだったに違いない。ニュアンスだけは伝えておきたかったのだ。
少年はふたたびおつりを皿にのせてもってきてテーブルに置いた。私はそのなかから200K紙幣を一枚皿の上に残して席を立った。すぐに少年が背
中を突っついた。振り返ると「忘れ物だよ」といわんばかりに、200Kの紙幣を突き出している。ためらう風もなく差し出した少年の決然とした態
度に、私は黙ってその紙幣を受け取った。庶民の食事の場で,チップの習慣はないのだろう。皿の上に置かれた紙幣は、少年にとって「忘れ物」以外
の何ものでもなかったのだ。
奇妙な体験をしたけれど、私は妙に愉快な気持ちだった。
いつの間にか振り出していた。暗い空から、滝のような雨が落ち、道を叩きつけている。傘は持っていなかった。ホテルまではワンブロック。私は歩
くことにして、サンダル履きのまま道の踏み出した。あっといまに、着衣のまま池に落ちたような惨めな姿になった。落ちてくる雨が痛い。息をつく
のも不自由だった。ゆっくりホテルの方角を目指しながら、私はできれば明日もう一度さっきのレストランに来てみようと思った。
そう思いながらも、もし私の顔を見たら、彼らは厨房の奥に逃げていってしまうのではないかと考えおかしさがこみ上げてきた。
ホテルのドアマンが、濡れ鼠になった私の姿を見つけ、慌てて傘をかかえて飛び出してきた。
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