第一話 魔都「ヤンゴン」の底知れぬ魅力

第四日目(ヤンゴン一人歩き)曇り


昨日のバゴー行きで、私は少し疲れがたまっていた。いつもより遅い8時30分に起床。ブフェスタイルの朝食も、食欲がわかずキャンセルしようかと思ったが、 「もったいない」という意識の方がまさって、のこのことカフェに下りていった。軽く「おかゆ」とフルーツ程度で済まそうと思った。
カフェの窓の外はあいかわらずどんよりと曇っている。時折を塩を撒き散らすように、細かい雨がぱらつく。傘を持ちながら開かず、雨に降られたままにし ている歩行者もいるので、雨は気にかかるほどではないらしい。
「この国を訪れるベストシーズンというものがあるんですか」
カフェのボーイに尋ねると、
「はい、11月と12月でございます」
すっかり顔なじみになったボーイが、サーを連発し、慇懃にこたえた。そしておもむろに言った。
「オニオンとマッシュルームでございましたね」
右手の人差し指で虚空を叩きながら熱心に記憶を引き出している様子を、彼はことのほか強調して、それから最後に「サー」とつけ加えるのを忘れなかった。 私がオムレツの中に入れる具の好みを彼はちゃんと記憶しているということを言いたかったらしい。やがて彼は、焼き上げた私好みのオムレツを、何も言わず にもってきた。鼻先に得意げな表情をたたえていた。
それらは確かに、初めての朝食のとき、オムレツを焼くコーナーで料理人に訊かれ、その場しのぎの思いつきでこたえた具の名前だったが、顧客サービス第一と叩 き込まれているボーイには、すっかり私の好みとしてデータベース化され仕舞いこまれていたようだ。だから「好み」を訊かずにもってきたのだった。テーブルの 目の前のの空いた場所に、彼は私の体とオムレツのラインとが並行になるように、皿を微調整して置いた。そしてまた何か私の好みの断片を思い出したように、
「オー・ケチャップ」
と独り言をいい、厨房から細長い赤いボトルを持ってきて皿の横に置いた。その一連の動作はみごとというほかはなかった。しかし、何か胸につかえるものがあった。 同じ客でも、好みというのはその日によって変わるかもしれない。またあいにく今朝の私のように運悪くオムレツを食べようという欲求がないことだってあるだろう。 しばらく考えた末に、私は彼の自尊心を傷つけまいと、目の前に置かれたオムレツをぱくぱくと食べ始めた。

今日はアイさんとマーさんの案内を遠慮した。なんだか心苦しく、今日は日曜日ということもあって家族サービスに専念してもらおうと考えた。昨夜レストランか ら送ってもらった帰り道、月曜日バゴーに行く空港までの送りだけをお願いし、今日のアテンドはキャンセルする旨を言っておいた。
朝食を終えてホテルのロビーをうろうろしていると、ドアボーイがこちらを見てニヤついている。ドア越しに空を指差して「雨いやですね」といいたげな表情だ。 ミャンマー人の彼は気にならないのだろうが、日本人観光客ならきっと嫌気をさしているに違いないだろうとのやさしさがありありと見える。
「タクシー呼んでもらえる?」
「お安いご用です。流しのタクシーでもいいし、ホテルのタクシーでもいいですよ」
「ホテルのタクシーっていくらなの?」
「1時間7ドルです」
「時間制なんだね」
「そうです。流しのタクシーの場合は英語が話せないから不便だと思いますが」
彼は、観光案内のことを念頭においているのだろう。私は、ただの移動を考えていた。
「ホテルタクシーの場合、チャットは使えないの?」
「はい、だいじょうぶだと思いますが、ちょっと待ってください確認してみます」そういってドアボーイはフロントのところに駆け寄って、また戻ってきて言った。
「1ドル370チャットの計算です」
高すぎるな、と不満の表情をあえて見せて、やめるよという意思を示した。ダウンタウンまで流しのタクシーを拾えば200チャットか300チャットで行ける。 実際に乗車している時間は往復合わせても20分ほどだから、考えるまでもなく1時間7ドルはないだろう。ホテルから一歩も出られない日本人旅行者ならば、日本の タクシー料金に換算してワンメーター強の料金で一時間もエアコンつきのクルマを拘束できれば「安い」と思ってしまう輩がいても不思議はない。
しかし、ここはマニラやプノンペンではない。東南アジアで最も安全な町ともいえるヤンゴンだ。気軽に道で流しを拾って「値段交渉」してみるのも旅の楽しみという ヒトには、移動の旅にこのドキドキする瞬間がたまらない。値切りの結果もさることながら、運転手の性格にも千差万別があって面白い。いきなり「○○まで200 チャット」とぶっきらぼうにこちらが言って、途方にくれて乗せてしまう「こわい顔の」運転手がいるかと思えば、初めからこちらが旅行者だとみてなめてかかり 「○○までいくら」と下手に出てみて「350チャット」といわれることもある。とにかく、タクシーに乗ることにして、ホテルから比較的近いナショナルミュージアムに 行くことにした。

ナショナルミュージアムと八体の玉座


ヤンゴンで唯一のもっとも総合的な歴史博物館といえる。入り口で入場料をドルで支払う。カメラは持ち込み禁止である。 見どころは歴代王朝のものとおぼしき宝石類と実際に使用されていた「獅子の玉座」といわれる展示。大きな部屋の真中に実際に使われていた「獅子の玉座と、 その他の玉座のレプリカ(模型)が周辺に展示されている。玉座は8つあったが、イギリス軍が持ち運び現在の「獅子の玉座」だけが返還されたそうだが、残りの7つの玉 座もどのような形であったのかレプリカの展示から想像できる。それぞれの玉座は生き物をモチーフにしており、その生き物の名前がついている。それぞれの玉座の特 徴は以下のとおりである。玉座の名前/形のモチーフになった生物名/使用された木の種類/使われた場所の順になっている。それぞれの玉座が、微妙に異なった役割 のために使い分けられていたことがわかって面白い。

@鹿の玉座「Deer Throne」
Deer Throne/Deer/Yay-Tha-Hpan(Fig Tree)<Ficus Glomerato>/South Smote Hall where affairs of national importance were discussed

A巻貝の玉座「Conch Shell Throne」
Conch shell/Taung Reinnei/Promenade Hall where the kings received sermons

BHAMSA(意味不明)の玉座「Hamsa Throne」
Hamsa/Thingan(Rock dammar)/Hall of Victory(Zaydawan) at head of Golden Palace,where veneration of the Three Gems(the three objects of veneration in Buddha,Dharma and Sangha)was performed

C水蓮の玉座「Lotus Throne」
Lotus/Thayet(Mango)<Mangifera Indica>/West Zaydawun Hall where Palace Ladies and wives of officials paid homage to the chief Queen at the West Royal Ceremony(A Nauk Pure Tet)

D獅子の玉座「Great Lion Throne」
Lion/Yamanay<Gmelina arborea>/Mye Nan Pyatthat,Great Audience Hall where the Kings received homage

Eまるはなバチの玉座「Bumble Bee Throne」
Bumble Bee/Caraway<Cinnamomun tomata>/Hman Nan(Central Palace) where the King's bed chamber was located

F象の玉座「Elephant Throne」
Elephant/Saga(Champae)<Michelia champaca>/Byedaik(Privy Council Chamber)from which announcements of elevation or demotion in official rank were issued

G孔雀の玉座「Peacock Throne」
Peacock/Pauk(Parrot tree)<Butea monosperma>/North Smote Hall where the Kings accepted gifts such as exceptionally fine Elephants or Horsed from lesser nobility and vassals


時間があればじっくり観たいのが博物館の展示というものだが、そうもいかず午後の予定を考慮して、切り上げることにした。出口に向かうと事務室の 女性が中からガラス窓越しに必死に手を振って呼び止めようとしている。入場料担当の窓口なので、いやな予感がした。「ドルがどうこうと言っている」。 近づいて説明を聞いて驚いた。入り口で私が払いすぎたのでといってUS5ドルを返してよこしたのだ。私が出てくるのを何時間も待ち構えていたのだった。 私は全く予期していなかった。これが他の国であれば知らんふりされたことは間違いがない。ミャンマーというお国柄を知る格好のできごとだと私は思っている。
ミュージアム前から「楽しみのタクシー」を拾って中央駅といった。「セントラルステーション」がなかなか理解してもらえない。流しのタクシーは英語が 分からないのだ。それでも何とか通じたようで「300チャット」といってきたので、「いや200チャットだ」と返した。すると「250チャット」とくる。 「200だ、いやならノー・サンキュー」といってクルマから離れようとすると、運転手は「いいよ200で行こう」といってきた。バングラディッシュかイン ドかわからない、そんな国の顔立ちだ。二三やりとりして「いやならいいよ」という決然とした態度がけっこう切り札になっている。たいてい運転手のほうから 妥協してくる。ちょっと待てば必ず次の空車タクシーがくるし、反対車線のタクシーでも停まって声をかけてUターンしてくる。

危険なにおいの「ヤンゴン中央駅」周辺


タクシーは駅の裏手に停めた。中央駅の周辺はがらんとして、うだるような暑さが襲ってくる。構内には濁った空気も充満している。ダイヤの本数が少ないせいか、一国の首都の駅にしては人でごった返すでもなく、閑散として見える。座り込んだ人々の顔は、一様に浅黒く目はどんよりと混濁している。興味本位で観光客がうろつくような場所ではないと直感した。人の込みようが中途半端で、人と人との距離に居心地の悪さを感じる。危険と同時に、すごく緊張感を感じさせる人の疎らさだ。
案の定、いろんなやつらが日本語で話しかけてきた。タクシーの押し売りとチェンジマネー(両替)がもっとも多い。「1ドル380チャット」という甘い誘いだ。こんなうますぎる話があるわけがない。なにかたくらみを隠しているに違いないのだ。駅のタクシーの客引きも多い。男が近づいてきてタクシーはどうかと訊いてくる。「おまえのタクシーはどこにあるんだ」と尋ねると、「向こうに見えるのがそうだ」と、遠くのタクシー乗り場の列を指差す。この手の輩は運転手ではない。もしこちらが信用して「頼むよ」なんぞいった日には、そいつがタクシーを連れて助手席か何かに乗り込んでくる。中で両替を初めとした旅行者を食い物にするさまざまな手口をもちかけてくるのだ。「ノー・サンキュー」を連発していたら、男はどこかに消えた。
そのうち物売りの子供もつきまとってきた。がらんとした空間で、自分はありとあらゆる方向から「さそり」のような連中のターゲットになっているのに違いない。一刻もはやくここから立ち去らねばと思った。
遠くを見ると比較的クルマの流れが多い幹線道路がある。「パゴダ通り」に違いない。そこまで何とか歩いていくことにした。さっき消えたはずの男が、思ったとおりタクシーの助手席に乗って近づいてきて、「タクシー、タクシー」と声をかけた。それを無視しながら通りの人だかりにするほうに急いだ。それは「トレーダー・エクスプレス」という名の大きな映画館だった。上映が終わったばかりで、入り口は人でごった返していた。何人かが映画館の前でタクシーを停めようとしている。私もまねをして手を上げた。停まったタクシーに「シティホール(市庁舎)200チャット」といったら、しばらく考え「250チャット」と返してきた。うだるような日差しと、つきまとってくるダニのような連中から一刻も逃れたかったので、「OK」と今度ばかりはこちらが妥協した。パゴダ通りと名がつくように、この通りをそのまま下れば5分も走らないうちにスーレー・パゴダにたどり着く。市庁舎はそのまん前にある。だから、地元の人なら150チャットで交渉してもいい距離だったが、「健康と安全」を50チャットほどで買ったのだ。

タクシー運転手騒動記


ところが、乗ったクルマはなんとスーレー通りをわき道に逸れてパゴダの尖塔を遠く左手に見て川沿いに向かっていく。おかしいなと気がついて、もう一度語気を荒げて地図を見せ「ノー、ノー、シティホール、シティホール、スーレー・パゴダ」と言った。彼は市の何かの公共施設と勘違いしたようだった。自分の勘違いだとわかってから、彼は少しおどおどし始めスーレー・パゴダを目指して引き返し始めた。そして、これでいいですねというような顔をしてくる。そしてパゴダのロータリーを右に回り市庁舎の前でクルマを停めた。遠回りした分をごねて請求するようなこともなかった。一度交渉を済ませて乗り込めば、決して降り際にぼられることはないという印象を強くもった。それに、これは私なりの認識だが、東南アジアの国の人々は「大きな声を出す(出される)」ことにあまり馴れていないのではないかと思うことがある。大きな声を出すというのはよっぽどのことだと思っているのかもしれない。
こんなことがあった。ある東南アジアの人と初めは穏便に話していたのだが、相手があまり頑固なのでちょっと大きな声で「きみね○○なんだよ、そうしろといったらそうしろよ」とちょっと語気を荒げて命令口調でいったら、議論の経緯とはまったく関係なく狼狽し「ハイ、わかりました」と途端に従順になったことがあった。後でそのときの理由を振り返ることがあったのだが、相手は「あのとき大声を出したから」いうとおりにした、と説明した。この大声というのは、われわれが思う以上の効果をもたらす武器になりそうである。

それはともかく、首尾よく目的地についたのだが、ここでも流しのタクシーの運転手とは「言葉が通じにくい」また「地図を見せても読み取れない」という事実を重ねて強調しておきたいと思う。ではどうすればいいのかといえば、目的地に近い、誰もが知っていると思われる目印となる建物を覚えておき、それをはっきり言ってわからせる以外にないのである。日本のタクシーの運転手のように、住所の番地を頼りにとりあえず近くまで行って運転手に教えてもらうなど、全く期待できないということを知るべきである。

パンソダン通りの「マック・バーガー」


市庁舎前の通りは「マハバンドゥーラ通り」という。これを「パンソダン通り」方面に向かいパンソダンで左折し少し北上すると、右手になんと「MAC Burger」なる看板を掲げたハンバーガーショップに出くわした。海外の見知らぬ町を歩き回っていて「マック・バーガー」の店の看板があるとホットすることがある。ところが中に入ってどうもようすがおかしいことに気づいた。まずカウンターで選ぶメニューの絶対数が少なく、その写真もない。出てきたハンバーガーが紙や紙のバッグに入っておらず、オレンジ色のトレーに直接剥き出しのまま載せてある。変だなと思いながらハンバーガーを受け取って席につく。パンの部分が、パサパサで歯ざわりもいつものマックとは違う。あたりをじろじろ見回すと、なんと二階席に通じる階段のところにプレートが垂れ下がっていて「KARAOKE SEAT」などと書いてある。「カラオケつきマック??」通りに面したガラス板には「Mac」というシンボルマークがこれ見よがしにペイントされている。「でも待てよ?」黄色の「M」の部分の書体が違うような気がするよな。それがわかったとたん、私はとっさに思った。「ここで腹をこわしたって、誰も責任はとってくれないだろうな」と。

スコールと「ヤンゴン・デューティフリー・ショップ」


パンソダン通りをさらに北に歩きアノーラータ通りに入って左折し、パゴダ通り方面に向かって進んだ。日差しが髪の毛の奥にまで突き刺さり、脳天がジリジリとやけるほどの暑さだった。ところがそれから数分もたたないうちに、空はまさに晴天の霹靂で曇りだし、パラパラと、そしてバラバラと、ついにはザブザブと雨が落ちてきた。ちょうどパゴダ通りに差しかかっていたところだったので、通りに入ったすぐのひさしの大きい店のシャッターの前に緊急避難し、コンクリートの段に腰をおろした。雨足がさらに強まり、その避難場所にたくさんの人が逃げ込んできた。店は日曜日で閉店だったのだ。そのうちに傘をしている人も駆け込むようになった。私はスコールに対する地元の人々の動きが面白くて、片手にカメラを、もう一方の手に傘を広げ道行く人々の表情をじっと観察していた。ロンジーのすそをたぐって一時避難をする人もいれば、若い男女はずぶぬれを楽しむようにかたちばかりの相合傘の下で肩を寄せ合ったりしていた。目の前にバス停があり、バスが着くたびにずぶ濡れになった車掌が昇降口から大きく身を乗り出して路線と行き先を大声で告げた。獲物を待ち構えるハゲタカのように、乗客が満員のバスにしがみついた。一時避難をするのは人ばかりではない。露店も一メートル四方ほどの頼りない屋台の屋根をシートで被う。そのシートの下でも懸命に店開きをし、客に暖かい食べ物を売っている屋台もある。

スコールは1時間ほど続き、雨足はようやく小降りになった。気づくとひさしの下には私と、さっきから私のカメラに異常にに興味を示している少年の二人だけが残っていた。 パゴダ通りには、中央分離帯の長い鉄のフェンスがあり、交差点に回らなければ道を横断することができない。フェンスの向こうに「ヤンゴン・デューティフリー・ショップ」が見えたので行ってみることにした。
店の中には欧米や日本の基本的なパッケージ食品が置かれている。日本の有名ブランドの乳製品なども目についた。ヤンゴンの町のどの店にもないたっぷりと空間をとった気取ったディスプレーである。いわゆるブランド物を置く免税店ではない。エビヤンやバドワイザーなどを置く雑貨店といった店である。地元の人々はまず足を踏み入れない。なぜなら値段が高すぎるだけでなく。すべてUSドルかFECでしか買い物ができないからである。おつりもUSドルの紙幣とUSセントのコインで出される。コインの方は、処理に困ってしまう。またこの店に来て買い物の際に使うしかないからである。私はビールやミルクなどの飲み物を買った。

ヤンゴンのチャイナタウン


いったんホテルに帰ってひと休みし、夕方チャイナタウンにまた出かけてみた。タクシーの運転手には「マハバンドーラ、アンド、ストリート19」と言ってみたら、一発で通じた。ヤンゴンの通称「チャイナタウン」は、マハバンドーラ通りの18番街から20番街までをさすと聞いた。屋内の店には雑貨や洋服を売る店が軒を連ねている。その店の前に通りひとつ分のスペースを空け、車道に沿って連綿と屋台が並ぶ。そのほとんどが食べもの屋だ。表通りと交差する18、19、20番の小路にも露店の食べもの屋が立ち並ぶ。
すさまじい喧騒と雑踏。紛れもなく「チャイナタウン」の賑わいだ。地の底から「生」の営みがわき上がるように、何もかもがうごめきどよめいている。台北の夜市やタイのナイトマーケットのような華やかな賑わいこそそこにはないが、必死に「商い」「営む」エネルギーにあふれ返っている。夢中で私はカメラのシャッターを切るのだが、フレームが捉えるどの場面も、ヤンゴンのチャイナタウンのエネルギッシュなひとコマを映し出すことができないように思えた。物売りと買い手の叫び声。クルマのエンジンとクラクション。木々のこずえに群がる小鳥たちも、物売りたちの叫び声を真似するように、またそれを煽り立てるように、夕闇の空に向かってさえずっている。薄汚れた屋台の店。浅黒く沈んだ売り子たち。それらのすべてを包むように、夕暮れが地面にうずくまるようによどんでいる。これらの「カオス」の一切合切が、ヤンゴンのチャイナタウンなのだ。必死な形相で客を呼び込む食べもの屋の少年。そのかたわらを不気味なほど厚くタナカを塗った少女がすれ違う。まるでムンクの「叫び」を見ているようだ。それは「商うエネルギー」とでもいおいうか、むき出しのまま交錯しあっている。
日本からもってきた10本のフィルムがなくなりかけている。フィルム屋を探して値切ってみた。ところが頑として値を引かない。既に安くして店頭に置いてあるのだという。また、自分には値引く権限がないともいう。「買うのは一本じゃないんだ。十本だから少し勉強できないか」と執拗に食い下がったが、首を縦に振らない。私は焦った。「ここはチャイナタウンじゃないのか。値切り値切られるのは当たり前の場所だろ?」私にはそんな思いがあった。たまりかねた売り子の女性が、レジの近くにいた中年のマネージャーらしき女性のところに行き、何かささやいている。白々とした空気が漂ってくる。割り引く幅を相談にいったのかと思いきや、戻ってきた彼女の返答は、やはりディスカウントはできません、というものだった。私は自分の居場所を疑った。そして「遊び心」が完全に萎えてしまっていた。「オーケー、十本もらおう」。完敗した私を、あきれ、さげすむような目で、他の売り子たちも見ている。なんだか惨めな気持ちになって、一刻もこの場から立ち去りたい気持ちになっていた。
それから私は、どうしても買っておきたかった「スリッパ」を探した。この国では、靴と靴下はやっかいモノでしかなかった。懲りずにスリッパ屋でも遊び心から値切ってみた。しかし、ここでもダメ。どうやらここでは値札がすでに付いているものを値切ることはできないようだ。あの手この手でディスカウントを求めても、無意味だった。しかし、負け惜しみに聞こえるだろうが、この経験は貴重だった。ミャンマーという国の不思議さが、ますます強まっていった。
ホテルに戻り、ブフェ式の夕食を摂った。US4ドルは安いと思った。デザートのココナッツアイスクリームがとてもおいしかった。寝る前に、ホテルに附属するフィットネスクラブでマッサージができることを知り出かけた。90分で1200チャット。タイ式マッサージかと思ったら違って、日本の指圧によく似ていた。日本で「マッサージ中毒」にかかっている私には、少々物足りなかった。力と腕は中の下というところだった。

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