研究生: 大学院生より卑下される存在


大学内で、または世間的にも、研究生ほど身分が保証されていない存在は、ないのかもしれない。かつての私の指導教官からは、臆面もなく「研究生を採っても何のメリットもありませんよ。まあ、あんたの場合は昔からの腐れ縁ですからねえ」と言われたことがある(1)。あれだけ数多く書いた共著論文が彼の研究業績になっているのに、また文部省(当時)の科研費が二度も連続して取れているのに(2)、である。

職に就くまでの履歴を切らさないためには、この指導教官が1994年3月に退官した後も、大学に研究生として残る必要があり、新たな指導教官を探して引き受けてもらうより他なかった。幸いなことに渡辺勇一先生(新潟大学教授)からは、指導教官を無償で快く引き受けていただき、現在に至っている(3)。研究生は一年毎の許可制だから、年度末の3月上旬になると、次年度も研究生でいるための延長手続きを更新しなければならない。そのとき指導教官の判子を捺してもらうのだが、渡辺先生からは「『いつまで居座り続けるつもりなんだ』という批判の声が上がっている」という話を、毎年のように聞かされる。

研究生が、どれほど「ないがしろ」にされているのか、数え上げれば切りがない。例えば、研究者が所属する専門分野の学会には、一般会員向けの通常会費と、学生会員向けの学生会費(いわゆる学割)の、二通りの年会費が設定されているのが普通である。かつて私が所属していた日本比較内分泌学会では、この学割が学生・大学院生には適用されるのに、研究生には適用されないことが判明し、学会の姿勢や方針に違和感を覚えていたこともあって、それを機に退会することにした。

有名なところでは「研究生は、JR・路線バス・カーフェリーなどの交通機関の学割がもらえない」という現実がある。旅行が趣味という研究室の後輩は、就職先が決まらなかった卒研生のとき、更に一年を「留年して学生として過ごすか、はたまた卒業して研究生として過ごすか」という二者択一に迫られ(卒業してフリーターになる道は、彼の念頭になかったようである)、取れる単位をわざと取らないで、迷わず留年するほうを選んだというくらい、社会的にも切実な問題と言える(4)。

「教職員や学生・大学院生が利用できる保健管理センターを、研究生は利用することができない」という悲しい現実もある。毎年、定期的におこなわれる健康診断を研究生は受けることができないし、ちょっとした風邪を引いたときなど「保健管理センターから薬をもらって済ませたい」と思っても、研究生は薬局で購入するしかないのである。

また個人の履歴にも書いたことだが、研究生には「文部科学省の科学研究費補助金の申請資格が認められていない」という割り切れない現実が、重くのしかかっている(5)。かくして、いつまで経っても就職先の決まらない研究生が、大学で細々と研究を続けていくには、何とかして民間の科研費を取ってくるか、或いは少ない生活費を削って研究費に回すか、そのどちらか以外に方法が考えられないのである。

現在、大学の私がいる大部屋には1998年5月7日付で「原則として一人が一つの机を使用し、余裕のある場合にも平等に配分する(生命系旧建物利用調整委員会)」という貼り紙がしてある。この「平等」という言葉を考えた場合、ろくに学術論文も書いたことがない博士後期課程や博士前期課程(=修士課程)の大学院生に対して、国際的に研究業績が高く評価されている博士号を持つ研究者が、研究生というだけで遠慮しなければならない研究環境は、果たして本当に平等なのか、それ以来ずっと疑問を抱き続けている(6)。

[脚注]
(1) 確かに金銭的な面でのメリットは少ないだろう。その当時、博士後期課程の大学院生が所属する研究室に支給される年間の研究費が一人当たり45〜60万円であったのに対し、研究生の場合は雀の涙、たったの5千円に過ぎなかったのだから......。その後、別の教官から「研究生の年間の研究費が、9千円に値上げされた」という、喜ばしくも馬鹿にされているような情報が得られた。研究生は大学院生と同じように(若干、少ないだけの)授業料を払っているのに、この差である。
(2) 科研の報告書に掲載されている論文の過半数が、博士後期課程の大学院生、及び研究生のときの私の仕事である。
(3) 私が博士後期課程の大学院生のとき、渡辺先生には、かつての指導教官に代わって(窮状を見るに見かねて?)、論文原稿の幾つかを直していただいた。この場を借りて(該当する論文に謝辞は入っているが、ここで改めて)深く感謝の意を表したい。ちなみに私のいる大部屋は、渡辺研とは全く別のものであり「生化学(農学部)や免疫生物学(理学部)の大学院生・留学生が占拠している中に、専門分野の違う私がひとりだけいる」という状況である。
(4)
学部卒の研究生と、博士号を取得した研究生を同列に扱うからこそ、生ずる問題なのかもしれない。
(5) 博士号を持っている研究生が申請できないのに、なぜ小・中・高校の教師が申請できるのか、誰か説明して欲しい。
(6) この大部屋には1990年代の半ばまで、植物病理学(農学部)や生化学(理学部)の博士後期課程の大学院生と私を合わせても3〜4名しかいなかったのだが、そこへ領有権を主張する他の研究室の大学院生が大挙して押し寄せてきた、というのが事の真相である(1)。それ以来、全員に平等に(?)与えられた机のスペースが狭いので、投稿原稿の作製作業、学術論文の別刷りの送付作業、等々で作業スペースを確保するには、机の上にあるPCのキーボードや鉛筆立て、その他諸々を脇に寄せるしかない、という悲惨な状態が続いている。そのため必然的に、常に整理整頓を心掛けるようになってきた。まず専門書以外の書籍や余り研究に必要でないものを下宿に運び出し(2)、それから縦の空間や机と壁の隙間を有効に利用して、研究に必要な書類や物品を何とか整理している。しかし時々、机の下の奥の方にしまい込んだものを取り出そうとして、費やすべきでない余計な時間を費やすと、自分が情けなくなって苛立ち、泣きそうになることがある。いったい、平等とは何なのか(3)?

[脚注の脚注]
(1) この大部屋は元々、生命システム科学専攻の博士後期課程の大学院生と研究生が使用するためのスペースで、多数の研究室からの寄せ集めであった。従って、他にも家畜繁殖学(農学部)や家畜飼養学(農学部)、更に発生生物学(理学部)、等々の大学院生がいた時期もあった。しかし農学部や理学部で仕事を続ける大学院生が多く、12個ある使用可能な机が埋まることは、ついぞなかった。
当時は比較的、自由にスペースが使えたものである。その後「領有権を主張する何名かの大学院兼任教官の要求を飲んで、彼らに就いた大学院生のために(誰も使う人がいない)机を幾つか割り当てる(彼らは、それぞれの学部にも机を持っている)」などの過渡期を経て、現在では「この建物に部屋を持つ大学院専任教官に就いた博士後期課程の大学院生と、更に博士前期課程(=修士課程)の大学院生にも優先権が与えられることになった」という話である。かくして、これら大学院専任教官とは関係のない私だけが大部屋に取り残され、これらのドタバタ劇を知る唯一の存在となって、現在に至っているわけである。
(2) よく「本棚を見れば教養の程が分かる」というが、専門書しか本棚に置けない現状で判断されても、どうかと思う。
(3) 例えば、平等の名の下に、大人と子供に同量の食料を配分したとする。これが大人に見合った量であれば、子供には多すぎて残してしまうだろうし、逆に子供に見合った量であれば、大人には足りなくて腹を空かしてしまうだろう。全員に等しく配分することが平等でないことは自明の理、言わずもがなのことである。


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