接眼ミクロメーターの記憶


人間の記憶は、何かをきっかけに、ふとよみがえるものである。

jeconet」という、生態学関連のメーリングリストがある。2002年8月8日付の「[jeconet:6860] Re: 高精度スケール」というスレッドで、私は以下のコメントを流した(個人情報を除いて掲載)



>草本植物の種子など、1mm未満のものを撮影する場合に、小さなスケールを
>写しこみたいのですが、通常のスケールでは粗すぎて使い物になりません。
>
>そこで、0.1mmほどの刻みが高精度でプリントされたスケール(できれば透明
>のもの)を探しています。

これって、顕微計測をするときの接眼ミクロメーターでは、駄目なんですか?
私の手元にある接眼ミクロメーターには、1cmを100等分した目盛り(つまり
0.1mm)が正確に刻まれています。もちろん、背景は透明です。



しまい込んだ接眼ミクロメーターを取り出しながら、このコメントを書こうとしたとき、忘却の彼方にあったはずの記憶が、私の脳裡によみがえってくるのが分かった。

1980年代後半あたりから、研究室にある光学顕微鏡は、写真撮影装置を備えた大型のものへと買い換えられていった。これに伴い、従来の小型の接眼ミクロメーターは、大型の光学顕微鏡に合致しなくなった。組織切片の顕微計測をおこなう必要に迫られた私は、指導教官であった研究室の教授に「大型の接眼ミクロメーターを購入して欲しい」と頼んだ。ところが教授の言い分は「そんなもん買っても、あんただけしか使いませんからねえ。他の人も使うんでしたら、別ですが......」というものであった(1)。

ほとほと困り果てた私は、新潟市内で大型の接眼ミクロメーターを取り扱っている業者を調べ上げ、私費を投じて購入するよりなかった。当時の価格で、確か10,000円前後だったと思う。接眼ミクロメーターなんて、そう何度も使うような代物ではないのだが、背に腹は替えられず、またしても少ない生活費を切り詰めての、高い買い物になってしまった(2)。

[脚注]
(1) これに類することは多い。例えば、クロサンショウウオの雌雄で生殖器官の周年変化を調べた際には、血漿中の性ホルモン濃度を測定する目的で、心臓採血をしていた(1)。心臓採血で得られる血液の量は、一個体当たり0.6ml前後で、これを氷で冷やしたチューブに取って遠心機に掛けると、およそ半分量の血漿が得られた。少量の血液を遠心分離するには、1〜1.5mlのチューブとそれ用のローターを使用して、マイクロ遠心機に掛けるのが理想的である。ところが教授に幾ら頼んでも、彼お得意の言い分でマイクロ遠心機を購入してもらえず、私が使用できるのは、共同機器室にある冷却遠心機だけであった。この遠心機がくせ者で、使用可能なローターの最も小さいチューブは、10mlであった。想像してみて欲しい。
大口径の10mlのチューブで、0.6ml前後の血液を遠心機に掛け、0.3mlほどの血漿を注射器で吸い出す作業のことを......。何度、泣いたか知れない(2)。
(2) 他の大学院生・研究生が、遊興や娯楽に費やすお金を、私は研究に費やしている。研究費が自由に使え、生活費を心配する必要のない環境で暮らせる研究者は、本当に幸せである。

[脚注の脚注]
(1) 心臓採血は、個体を軽く麻酔した後、血管を傷つけないように慎重に心臓部分だけをむき出しにし、大動脈を結紮する。それから心室に注射器の針を刺し、心臓の拍動に合わせて、ゆっくりとピストンを引くとよい。
(2) 私が指導教官だったら、しなくてもいい苦労は、大学院生や研究生には絶対にさせたくない。


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