「研究者が、専門を同じくする他の研究者を評価すること(peer review)」に、違和感は無い。評価できるメディアの存在も、相当に心強い(1)。しかし、まったく研究評価能力の無い◯◯のマニアが、アマチュアに毛も生えていないような高校の教師を、しかも自分が顧問をしている理科部の生徒がおこなった自由研究をただ代表して発表しているだけの教師を「◯◯研究の大家」と絶賛しても、なんの説得力も無いし、軽々しく「大家」などという言葉を使うものでは無い。
これは言葉への冒涜である。毎度のことながら、この手の「お話し」には、どうしても違和感を隠せない。相手にしないのが本当は賢いやり方なのだろうが、ある人に言わせると「このホームページは結構、人気がある」らしい(2)。そのため「◯◯研究の大家」のような明らかに誤った情報でも、それが一旦ネット社会で流布されてしまうと、その影響力は侮れず、今後の対応に苦慮するところである(3)。
[脚注]
(1) メディアリテラシー(media literacy)という言葉が、取り沙汰されるようになって久しい。ある情報が発信されたとき、それが本当に正しいのかどうかを自分で判断する能力を養うことが、これからの情報化社会には必要不可欠とされている。
(2) いい加減な知識に基づいた、誤った記述の余りの多さに、私なんかは辟易しているのだが......。
(3) レベルの低いところで、お互いの傷をなめ合いながら暮らすような生き方は、好きでは無い。こういった連中を相手にするのは、それこそ自分のレベルを下げているようで本意では無く、大人気ないとも思うのだが、敢えて苦言を呈することにする。
「あなた方は、上を知らない。英語で学術論文を書いたことの無い人が、ましてや英語で書かれた学術論文を読んだことも無い人が、◯◯研究の大家とは、ちゃんちゃらおかしい」