研究の原動力


物事に対して「おかしい」と思う感性、それが私の研究の原動力である。

例えば、私の最初の報文(羽角, 1984)は、日本両生爬虫類研究会第8回大会(1982)での、篠崎尚次さんの特別講演に対する疑問から産まれている。この講演で彼は、日光のいろは坂と金精道路で、産卵期にハコネサンショウウオの交通事故死が多発することから「山間部の道路開発には、道路端に側溝を設けてカエルやサンショウウオが道路を通過できないように工夫する」という提言をおこなった(昭和57年8月29日付産経新聞掲載)

この提言は一見もっともらしく聞こえるし、繁殖期に両生類の交通事故死が多いことも確かである。でも私には、篠崎さんの提言が「道路に設けられた側溝の実態を知らない人の暴言」にしか思えなかった。道路の下にトンネルを掘って、繁殖移動する両生類を道路の反対側に渡そうとする試みは、昔からある。しかし、道路の側溝に落ちてしまったカエルやサンショウウオを、彼はどうするつもりなのか? まさか「彼らの繁殖期に、全国津々浦々、山間部とは言え五万とある道路の側溝を毎朝見回って、人的に救出せよ」とでも言うつもりなのか? そういった「おかしさ」を、私は感じてしまったのである(1)。

このように、研究が遂行されるには何らかの理由がある。しかし「論文のひとつひとつが、どうやって産まれたのか?(何を「おかしい」と感じたのか?)」をここに書くと、膨大な量になってしまう。それは追々やるとして、今回は、最初の報文が産まれた背景を書いて、お茶を濁すことにする。

[脚注]
(1) 篠崎さんの提言が、彼の地元である日光の道路に限定したものであったなら、私が「おかしさ」を感じることはなかったものと思われる。だが、彼は「山間部の道路開発には、......」と、範囲を広げ過ぎてしまった。


Copyright 2002 Masato Hasumi, Dr. Sci. All rights reserved.
| Top Page |