赤い果肉のメロン


「赤い果肉のメロン」と言えば、全国的には北海道の「夕張メロン」が有名である。過日、NHKの「プロジェクトX」で、夕張メロンの生命線とされる「厳しい品質管理」を目の当たりにし、ブランドの持つ重みを垣間みることができた。

私は、1995年から1997年までの3年間、4月から10月まで約2週間毎に新潟と釧路を往復し、釧路湿原でキタサンショウウオの空間分布のフェノロジーの研究に従事していた(1)。まず新潟から小樽までカーフェリーで行き、小樽から釧路までは自家用車を運転して行った(2)。その途中に、炭鉱で栄えた夕張という街があり、6〜8月は夕張メロンの季節でもあった。

調査2年目に入り、余裕も出て来た頃、釧路からの帰り道の国道沿いにある、夕張メロンの大規模な直売所で、目利きをした上で安いと思った小玉6個、または中玉3個を10,000円前後で購入し、そこと契約している会社の宅配便(クール便)で山形の実家に送ってもらった。評判は上々で、これを2〜3度、繰り返したと思う。しかし、夕張メロンは値段が高い。そんなとき、夕張の隣町の穂別というところに、夕張メロンと同様に果肉の赤い「穂別メロン」があることを知った。

調査3年目の、1997年6月のことである。穂別の国道沿いにある、農協の小規模な直売所(駐車場だけは、やたらと広い)に寄ってみると、中玉よりちょっと大きく、まん丸で見事なまでに網目の入った穂別メロンが5個、10,000円弱で売られていた。穂別メロンは、素人目には夕張メロンと区別が付かないのだが、その値段は夕張メロンより3〜4割も安い。「これだ」と直感し、その箱を選んで、契約会社の宅配便(クール便)で山形の実家に送ってもらった。これが見事に当たった。夕張メロンと遜色ない出来映えであった。

これに味を占め、7月にも同じ穂別農協の直売所で、穂別メロンを購入することにした。ところが今度は、とんだ喰わせものをつかまされてしまったのである。6月に購入したのと同じか、それ以上の出来映えだと目利きして選んだ箱を、宅配便(クール便)の代金も含めて支払いを済ませた後で、そのとき店番をしていた女性(6月に購入したときとは別の女性)が「これは送れないから、明日の朝、穫ったものを代わりに送る」と言い出したのである。一瞬、いぶかしく思ったが、小樽のフェリーの時間も迫っていたし、ここは信用して黙って引き下がることにした。

これが、いけなかった。新潟に戻り、実家の両親から電話を受けて「メロンが全部、腐っていた」と聞かされたときは、さすがにショックを隠せなかった。しかも、そのときカメラが趣味の父親が撮った、腐った穂別メロンの証拠写真を、帰省したときに見せてもらうと、私が目利きして選別したものとは似ても似つかない、皮が黄色く変色し、網目も少なく、卵形のメロンが送られていた。あの見事な出来映えの、まん丸で網目ぎっしりの穂別メロンが入った箱は、どうも客寄せのためのフェイクだったらしい(本来「フェイク(fake)」は「偽物」という意味だが、この場合は「本物」というニュアンスで......)

これで、夕張メロンに比べて、穂別メロンの値段が安い理由がハッキリした。穂別メロンに、夕張メロン同様の「厳しい品質管理」は期待できそうもない。いい加減な品質のメロンを顧客に送る、消費者の信頼を裏切るような商売では、穂別メロンに将来はないだろう(3)。

[脚注]
(1) 1回当たりの調査にかかる交通費は、カーフェリー代とガソリン代を合わせて5〜6万円で、これらの調査回数の合計は18回だから、優に100万円を超える交通費が使われていたことになる。交通費は、全て民間の科研費を使用しており、これらの科研費が取れなかったら、釧路湿原での調査は出来なかっただろう(1)。
(2) 午前10時30分新潟発の新日本海フェリーは、翌朝4時10分小樽港に到着する。私は、その足で約400kmの道のりを車をとばし、午前11時頃には、とっくに釧路湿原で調査を開始していた。
(3) これは、穂別メロンだけでなく、私たち個人個人にも当てはまることではある。

[脚注の脚注]
(1) 「2週間毎に新潟と釧路を往復するくらいなら、4月から10月まで新潟に戻らないで、ずっと釧路で調査していれば良かったんじゃないの?」という意見があることは知っている。でも私は、このとき他に新潟でやるべき仕事があり、一年のうちで7ヶ月間も新潟を離れるわけにはいかなかったのである。


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