異文化コミュニケーション


過日(2002年6月1日)、パキスタン人の留学生と言い争いになり(もちろん英語で)、改めてお互いの国の「文化の違い」というものを認識させられたことがある。たいていの日本人は(と言うより、私の周囲にいる日本人は)、6も言えば10の理解が可能だが、パキスタン人の彼に10の理解を求めようとすれば12は言わなければならず、精神的な疲労が大きい。

現在、私がいる大部屋にはパキスタンとバングラディシュからの留学生がいるが、二人とも声が大きい(私に注意を受けてから、最近は意識して小声で話すようになったので、ここは「声が大きかった」と過去形で書くべきかもしれない。しかし、小声で話すという意識が飛んでしまうときが少なくない)。こっちが集中して文章なんか書いていても、彼らの大声で幾度となく中断させられてしまうことが、度々であった。また、特にパキスタン人の留学生は動作のひとつひとつがオーバーで(これも改まっているので「オーバーだった」と過去形で書くべきかもしれない)「もうちょっと静かに作業を進められるのになあ」と思って注意しても、彼にとっては、それが普段の生活で『当たり前のこと』なので、逆に「なぜ、そういうことを注意されるのか理解できない。Crazy!」と、食って掛かられる始末であった(1)。

このパキスタン人留学生は、それまでは必ず「Dr. Hasumi, good night!」と言ってから帰宅していたし、私も彼には随分と手助けをしてあげたつもりである。それなのに、私から「静かにするように」と注意を受けて以来、手のひらを返したように、部屋の中で私に対してだけ挨拶をしなくなったばかりでなく、口さえ、きこうとしなくなってしまった。

例えば、彼の帰宅時に、私ともう一人の大学院生が部屋にいるようなときは、その大学院生の名前をわざわざ呼んで「○○、グッナイ」と言ってから部屋を出て行くのである。数人が部屋に残っているようなときは、私の机から遠い位置で「グッナイ」と小声で言って帰宅するのだが、これが私に対しての挨拶を含まないことは明白である。なぜなら彼は、私一人だけが部屋にいるようなときは、何も言わず、黙って帰宅するからである。

それだけならまだしも、彼は、私のやることなすこと、ことごとく邪魔をするようになってしまった。例えば、春秋の日差しが強い日には、窓をちょっとだけ開けて部屋に風を入れるという行為が、ごく普通におこなわれている。その風の通り道を造るために、私が反対側のドアをロックの位置にして、ドアを少しだけ開けた状態にすると、それを見ていて必ず元に戻すのである。また彼は、私が窓を開ければ直ぐに閉め、閉めれば直ぐに開けるという、元に戻す行為を、部屋にいれば必ずおこなう。ちゃんとした理由があって、元に戻しているわけではない。なぜなら彼は、私以外の人が同じことをすると、絶対に元に戻そうとはしないからである(2)。

このように、同じグループの日本人には『いい顔』をして、そうでない私には敢然と牙を向く。おそらく『仕返し(3)』のつもりなのだろうが、彼のように二面性のある人間は、どこの国の人間であろうと、私は好きではない(4)。

また彼は、部屋の席替えで私の隣の机に移動してきた後、一箇所に二つあるコンセントのうち、私が使用していた一つのコンセントからプラグを勝手に抜き取り、そのコンセントを自分のものにしてしまった。彼が言うには「この机は自分に割り当てられたものだから、そこにあるコンセント(outlets or sockets)も自分の所有物で、使用している人に対して許可を求める必要はない」のだそうである(日本人なら「ここ使ってもいい?」と一言、断るのが普通なのだが......)

これまでの彼の行為で私が迷惑を被ったことは、他にも多々あるのだが、彼から謝罪の言葉を聞いたことは一度たりとてない。「(謝罪をしない)イスラム文化だから、仕方がない」と言ってしまえば、それまでなのだが......(5)。

相手に理解してもらうための「異文化コミュニケーション」は、一筋縄では行かないものである。

[脚注]
(1) 彼が言う「Crazy!」は、日本の若者言葉の「意味、わかんな〜い」と同義語である。
(2) 「私が動物行動学者で、彼の異常行動が、私の人間観察の対象になっている」ということを、どうも彼は未だに理解していないようである。
(3) イスラム教徒が他人から注意を受けるのは、彼らにとって相当の屈辱らしく、そのことで「プライドを傷つけられて、報復に出るケースが後を絶たない」という消息筋の話である(1)。
(4) 彼の表面的なマイルドさに惑わされて、人物評価を見誤っている人が、周りには少なくない(2)。例えば、彼は自分の机の上にあるPCを、本当は「他の人には使ってもらいたくない」と思っている。なぜなら、これは彼の科研費で購入したPCだからである。彼が、同じグループの日本人に対して何も文句を言わないのは、そうすることで意地悪をされて、実験の手技手法を教えてもらえなくなるのを恐れてのことである。私の英語の理解が正しければ、間違いなく、彼はそう言っていた。これは、私が彼に注意を与えるよりずっと以前に、彼が口にした本音であり、不平不満である。
(5) ここで言う「謝罪の言葉」とは「apologize」であり、一般的な「excuse」や「sorry」ではない。但し、このパキスタン人に限って言えば、どんな謝罪の言葉も口にすることはないようである。

[脚注の脚注]
(1) 以前、仲の良かったインド人留学生は、インドとパキスタンの衝突を「ヒンズー教とイスラム教の、宗教戦争だ」と言っていた。私たち日本人からすれば、インド人のほうが付き合いやすい民族なのかもしれない。そういえば、イスラム教には
「目には目を、歯には歯を(tit for tat)」という言葉があった。現在のところ直接の危害は加えられていないが、彼の行動には今後も注視する必要があることを、肝に銘じておかなければなるまい。
(2) 同じ部屋にいながら、目上の人に挨拶もしない人がいることを、誰もおかしいとは感じないのだろうか? 20代半ばの大学院生に期待するのは的外れなのかもしれないが、もっと人をみる目を養ったほうが良いと思う。


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