識字率(?)5%の国


私の周りには、アジアからの留学生が多い。彼らは紛れもなく、自国では超エリートである。現在は別の大学に移ったが、丸二年を共にしたインド人留学生からは、実に多くのことを学んだ。

私が一番驚いたのは、インドの識字率(literacy)の低さであった。たった5%である(この数値は公のデータとは異なっている)。でも、5%と一口に言っても、インドの人口は約10億人だから、5千万人は読み書きができる計算になる(1)。彼ら、ほんの一握りの人間(=上位カースト)が、この国を動かしているという現実がある。

インドからの留学生は「自分は8番目のカーストだ」と言っていた(2)。カースト制度は、完全なピラミッド型の構造をしており、全部で200くらいのカーストが存在するそうである。結婚相手は親が決め、同じカースト内でしか結婚することはできないし、職業は世襲制である。下位カーストのひとつである「便所掃除のカースト」に産まれれば、その人の仕事は一生涯、便所掃除である。彼らは、これを不幸だとは思わず、インド社会での役割分担くらいにしか考えていないところが、社会性昆虫の世界を彷彿とさせ、妙に哀しい。

彼は日本学術振興会(JSPS)のポスドクとして来日し、かなりの高給取りであった。しかし、給料の多くを親元に送金するので奥さんとの喧嘩が絶えず、よく愚痴をこぼしていた。インドの物価は日本の物価の約10分の1で、彼の口癖は「cheap?」であった。

彼が来日して最も怖かったのは、産まれて初めて体験した地震だそうである。ヒマラヤ山脈の麓にある北インドと違って、彼の生家がある南インドのマドラスには地震が全くないらしい。南と北で異なるのは、なにも地震の有無だけではない。インドは多言語の国と言われるが、南と北で使用される言語は、その起源が全く異なり、これがインドで英語が(補助)公用語とされるゆえんでもある(3)。

私たちが一般にインドというと思い浮かべるのは、Indo-European言語であるのかもしれない。これは、Indo-European >Indo-Iranian >Indic >Sanskrit*, Prakrit*, Pali*, Gujarati, Marathi, Hindustani, Hindi, Urdu, Bengali, Bihari, Sindhi, Bhili, Rajasthani, Panjabi, Pahari, etc (*dead languages)となり、主に北インドで使用される言語である。このなかで、ヒンディー語(Hindi)はインドの公用語とされている。これに対し、タミル人である彼が使用するのは、Dravidian言語のひとつであるタミル語(Tamil)である。これは、Dravidian >Tamil, Telugu, Kannada, Malayalam, Brahui, etcとなる。彼に「Indo-EuropeanとDravidianで、どれくらい違うのか?」と尋ねたところ「英語と日本語くらい違う」という答えが返ってきたくらい、異なる言語であるらしい。また彼は「ヒンディー語を全く話せない」とも言っていた。

彼との会話で苦労したのは、彼の典型的なインド英語である。例えば、carrotがカラットに聞こえる、daysがレースに聞こえる、sugarがスガに聞こえる、threeがツリーに聞こえる、thousandがタウザントに聞こえる、bathがバットに聞こえる、summerがサンマに聞こえる、earthquakeがアルトクアークに聞こえる、thermometerがテルモミーターに聞こえる、等々、彼の発音に慣れるまでが大変だった(4)。彼は自国の歴史をひもとき、常に「自分のは正当な英語だ」と主張していたが、Kings Englishでヒアリングの練習をしてきた私の耳には、彼の発音がイギリス英語と異なるのは明白であった。

彼からは、菜食主義者に二通りあることも学んだ。一般的な菜食主義者は、乳製品や鶏卵を食べるベジタリアン(vegetarian)である。彼もベジタリアンで、日本の食べ物には特に気を使って、私に成分を尋ねてから口にしていた。これに対し、乳製品や鶏卵さえ食べない菜食主義者を、特にベーガン(vegan)と呼ぶ。

キリスト教徒(Christian)の、プロテスタント(Protestant)とカトリック(Catholic)の決定的な違いも教えてもらった。神父さん(pastor)が結婚できるのがプロテスタントで、神父さん(father)が結婚できないのがカトリックだという話である。従って、ローマ法王(Roman Pope)は典型的なカトリックである。

彼は、性に関する英語にも堪能であった。色で表される言葉には、際物から「赤、青、黄」と順番が付いているという話を聞き「日本も同じだなあ」という印象を強くしたものである。例えば、赤(red-light area)、青(blue film)、黄(yellow book)となる。

彼は、日本人の多くが英会話ができないことに気付き、こっそりと「使用人英語(butler English)」という言葉を使っていた。使用人英語というのは、日本人に対して言う場合、英語に日本語を交えてチャンポンに会話することを指している(5)。彼に言わせると、私は「使用人英語を話さない、数少ない日本人のひとり」だそうである。

私は飛行機にも乗ったことがない人間だから、英語が堪能だとは誰も思わないらしい(2004年7月14日に初めてジェット機に乗り、16日にはプロペラ機にも乗ることが出来た)。でも、日本に居ながらにして、留学生から、英語や他の国々のことを学んでいる。また、英語で書いた学術論文は、英米の知り合いの研究者から何度も直してもらっている。このように、外国に行かなくても、英語は充分に勉強できると思うのだが......。

ちなみに「インドでは殺人事件が日常茶飯事で、毎日40〜50件ほど起こるので、いちいち報道しない」とも言っていた。だから、日本に来てみて、殺人事件が報道されることに驚いたそうである。私たち日本人の感覚からすると、殺人事件が起こるたびに「日本も住み難くなった」と思うのが普通なのだが、インド人の彼からすれば「殺人事件が報道されるのは、平和な国だからこそ」なのだそうである。

[脚注]
(1) ニューデリーでは「最近、インターネットカフェが至る所に見られるようになった」という話である。でも、これを利用できる人間は、インドの識字率に比例して、たった5%に過ぎない(1)。日本の識字率がほぼ100%であるということを、その結果、こうしてインターネットが利用できるということを、私たちは幸せだと思わなければなるまい。
(2) 彼の生家には使用人が何人もいるという話で、来日当初は、なんでも他人からやってもらうことを当たり前だと思っている節があった。ガスヒーターを量販店から購入するときも、店員が自分の家まで来て取り付けてくれるものだと信じていて、私が「日本では、そういうことは全部、自分でやるんだよ」と言ったら、びっくりしていた。
(3) 高等教育(義務教育でないもの)を、英語でしか受けられない国が多いことに、少し思いを馳せてみるのも良いかもしれない。私たちが、高等教育を自国語で受けられる日本という国に産まれたことは、幸せなことなのかもしれない。しかしながら、一方で「英語ができない研究者を量産する」という結果を招いたことは、否めない事実でもある。
(4) 彼の発音に限らず、一般に「th」の発音は「ス(舌をかむ)」ではなく「トゥ」に近いものである。従って、英国の首相だった「Margaret Thatcher」さんは「タッチャー」さんと発音するのが、正解なのかもしれない。
(5) 自分は英語ができるとばかりに、いつも周りに誇示するように、自慢げに彼と会話していた某大学院生の英語(?)は、彼に言わせれば「使用人英語」だそうである。どういうことなのか尋ねてみると「何を言っているのか理解できない単語は全部、日本語だと思って聞いていた」そうである。「よく会話が成り立つねえ」と感心していたら「彼(その大学院生)が何を言いたいのか類推している」という答えが返ってきて、唖然としたものであった。

[脚注の脚注]
(1) 公のデータにある「識字率」は「読み書きの能力(literacy)」ではなく「読み」だけを示しているのかもしれない。


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