生物学辞典の思い出


岩波書店発行の「岩波生物学辞典第2版」が、下宿の本棚に置いてある。1978年9月5日第2版第2刷発行のもので、値段は6,300円である(1)。

1979年3月に山形東高を卒業してからの一年間は、仙台の予備校で浪人生活をしていた。まあ、高校の三年間はバレーボールに青春をかけていたから、学業成績は低迷していたし、大学受験のために実家を離れて浪人することは、当初からの予定でもあった(2)。

無理を言った手前、親からの仕送りは少なく、一ヶ月の生活費は当時、たったの50,000円であった。ここから毎月の下宿代(朝晩食事付き)と電気料金を支払うと、手元には12,000円ちょっとしか残らなかった。これが一ヶ月間の、毎日の昼食代と日曜日の食事代、更に二日に一回の銭湯代へと消えていった。当然のことながら、私に金銭的な余裕はなく、昼食代に使える金は一日あたり200〜300円であった(3)。

冒頭の生物学辞典がどうしても欲しかった私は、一計を案じ、およそ一ヶ月間、昼食を抜くことにした。他に選択肢はなかったと思う。このとき、育ち盛りの18歳であった。

こうして、ひもじい思いをしてまで購入した生物学辞典を読むのは、まだ見ぬ世界に憧れる者にとっては至福のときでもあった。「これから自分も、こういった世界に飛び込んで行くんだぞ」という、未来への希望があった。そこに書かれている内容を暗記するほど読んで、大学の『受験生物』に関しては、誰にも負けない自信があった。

だが、こうして研究者の世界に足を踏み入れてみると「生物学辞典が取り扱う内容には、こと自分の専門分野に関しては、明らかに不充分なものが多い(4)」という不満が残った。そして、あれほどまで信奉していた生物学辞典に対する興味を、現在では完全に失ってしまった。それだけではなく、そのとき抱いた未来への希望が、見事に打ち砕かれている自分がいることにも気づいてしまった。

あの頃は貧乏でも、まだ希望があったと思う。「現在は?」と言えば、自分が置かれている境遇への不安を隠せない。その不安を払拭し、心置きなく研究に没頭できる日は、いつ到来するのだろう?

[脚注]
(1) その後、岩波生物学辞典第3版(1983年3月10日第3版第1刷発行、定価6,800円)が発行されたときは、真っ先に購入したものであったが、さすがに第4版(1996年3月21日第4版第1刷発行、定価9,220円)は購入していない。
(2) 下宿は仙台市土樋にある東北学院大学の裏手で、広瀬川沿いの通りであった。受験勉強に疲れると、東北学院大学のグランドでキャッチボールをしたり、広瀬川河畔に散策に出たりしていた。その頃、下宿にある自分の部屋で音の出るものといえば、目覚まし時計しかなかった。
(3) 現在もあるのか知らないが、仙台駅前のアーケード街に「はんだや」という激安の食堂があり、間口二間(一間=六尺=約1.82m)ほどの狭い店の中は、学生や日雇い労働者でごった返していた。ご飯やおかずを一品ずつ自分で選ぶ「カフェテリア方式」で、その頃の値段は確か、ご飯の普通盛りで50円、中盛りで60円であった。この中盛りが普通の食堂の大盛りに相当するので、大盛りというメニューがないことが、その店の売りでもあった。おかずは30〜50円の皿があり、3〜4品も並べれば充分に満足できた。味噌汁は20円だったと思うが、お金がもったいないので頼まず、お茶だけは只で飲めたので、お茶を給湯器から自分で汲んで食事をしていた。
(4) 少しフォローすると、生物学辞典は、自分の専門外の事象を調べるには未だに適した、便利な書物であることに疑いの余地はない。


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