火をみるより明らか


をみるより明らか」という言葉がある。私は、ずっと「日をみるより明らか」だと思っていた。これは「太陽が昇るのをみるのは永久不変だ、というのは疑う余地がない」という意味に、勝手に解釈してのことである。

ところが最近、立て続けに「火をみるより明らか」と書かれた文章を目にする機会があり、ちょっと考え込んでしまった。そこでネット検索してみると、出るわ出るわ、ほとんど「火」と書かれている。どうやら私のは思い込みで、世間一般にみられる「火」のほうが、正しい使い方のようだ(1)。しかし「日」が「火」に替わると、意味はどうなるのだろう?

この場合「暗闇の中でみる火は明るい、というのは疑う余地がない」という意味にでも解釈すれば、なんとなく言いたいことは分かる。が、暗闇の中で豆粒ほどに灯された火でも、果たして人は明るいと感じるのだろうか(2)?

そこで、困ったときの図書館の出番である。小学館「日本国語大辞典第2版第11巻」によると、この言葉の出典は「書経-盤庚・上」の「惟汝含徳、不[立心偏に易(3)]予一人、予若観火」であるらしい。その意味として「道理が明白であって、疑いを入れる余地がない。この上もなく明白であることにいう」とある。

出典とされる書経に「火」と書かれてあったのでは、もはや議論の余地はない。この歳になって、またひとつ賢くなった。学ぶべきことは、まだまだたくさんある。これからは「火をみるより明らか」と書くことにしよう(4)。

[脚注]
(1) もしかしたら高校までの国語(現代文・古文・漢文)の授業で習ったのかもしれないが、こういう言葉は、使う機会がないと忘れてしまうものである。
(2) こういうことを書くと「曇りや雨の日に太陽はみえないじゃないか」と、ツッコミを入れる人は必ずいるものである。しかし、曇りや雨の日でも空が明るいのは、太陽が出ているからである。
(3) 「テキ」と読む。「つつしむ、おそれる、うれえる」の意で、残念ながら、私のATOK8では漢字が見当たらない。これの本字に似た「愁」という漢字はあるのだが......。
(4) 私は作家ではないが、研究者である。自分が言いたいことを平易な言葉で記述する「表現者」としての観点からすれば、彼らとは似たような立場にある。私が言葉に拘(こだわ)るのは、自然な流れではないだろうか?


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