卓上計算機


とても不思議な光景を目にすることがある。たまに同じことをする日本人の大学生・大学院生もいるようだが、一般にアジアからの留学生にみられる現象である。

それは「Excelなどの計算ソフトに入力済みの、パソコン(PC)のデータ画面をみながら、わざわざ卓上計算機を使って別途計算し、その数値をデータとしてPCに入力する(1)」という作業である(入力ミスが発生する可能性が高いと思うのだが......)

何を隠そう、PCは高性能の計算機である(別に隠しちゃいないだろうが......)。ちょっとした計算なら、すぐにでも数値を出してくれる。ましてや、計算ソフトを使っているのなら、適切な箇所に計算式を打ち込んで数値を求めればいいだけの話で、卓上計算機を使う必然性は全くない。それどころか、一箇所に入力した計算式の「コピー&ペースト」を繰り返すことで、何千何百もの数値を、同じ計算式なら一瞬にして算出してくれる。この機能を使わない手はない。

研究データを解析するのに、わざわざ卓上計算機を使って効率の悪い手計算を繰り返し、貴重な時間を無駄に費やしていたのでは、たとえその人の実働時間が他人より多かったとしても(普段から余り仕事をしない人なら、なおさら)、その辺の事情を知る人からは、決して誉めてはもらえないだろう(2)。

「彼らは押しなべて、PCで計算する方法を知らないんじゃないか?」と懸念している(3)。

[脚注]
(1) 計算ソフトを使ってグラフを描かせる人が多いが、Excelの場合、グラフ機能は補助的に付けられているに過ぎない。グラフ目的だけで、計算機能を利用しないのなら、敢えて計算ソフトを使用するメリットはないものと思われる。
(2) よく「人生に無駄は必要だ」と言われるが、このような無駄は要らないと思う。これに対し、ある事象について考えに考え抜いた末に突然、訪れる「ブレイクスルー(break through)」に、それまでの時間は必要不可欠なもので、決して無駄でないことは、衆目の一致するところではある。
(3) 「統計学的手法(1)」に関してもそうだが、私が他人に教えるのは簡単なことである。でも、私は彼らの指導教官ではないし、彼らに「教えて欲しい」と頼まれたわけでもない。もっとも、普段、挨拶すらしない人から頼まれても、教える気はさらさらないが......(2)。以前は、他人から頼まれもしないのに積極的に教えたり、間違った知識を出来るだけ正してあげたりしたものだが、ある先生から「それは、その人が望んでいることなのか?」と指摘されてからは、自ら進んで教えるという行為を一切やめてしまった。10年以上も前の話である。

[脚注の脚注]
(1) 現代生物学では「統計学が関係しない研究分野は皆無」と言っても過言ではないだろう。生物統計学は、大学の教養時代に通年の授業を取り、学部時代にも集中講義で教わった。卒論で統計学の学問とも称される系統分類学を手掛けてからは、統計学的手法を本格的に勉強するようになった。その後、生理生態学(比較内分泌学)、繁殖生態学、行動生態学と研究分野を変遷しても、その重要性は何ら変わるところがなく、学術論文を書くときの必需品として、随分とお世話になっている。従って、統計学的手法を他人に教えるのは、お手の物である。
(2) 彼らは「別に教えてもらわなくて結構」と思っているかもしれないが、全体を10として考えた場合、9〜10を知っている人が教えるのと、2〜3しか知らない人が教えるのとでは、教わる側の理解力にも歴然とした差が出ることは明らかである。彼らは、私に挨拶をしないことで、随分と損をしていると思うのだが、そのことにも気付いてないんだろうなあ。


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